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第46話:天空の門

 砂漠の果てに待ち受けていたのは、天を突く絶望的な垂直の絶壁でした。

 道なき道を征く一行の前に、砂漠の過酷な環境を生き抜いてきた野生の脅威が立ちはだかります。しかし、それはタムにとって「排除すべき敵」ではなく、未来への「在庫」に過ぎませんでした。

 お父様の管理すら及ばぬ未踏の地で、タムの梱包術パッキングが再び冴え渡ります。そして、馬車が物理の限界を超えて壁を登り始めた時、高度三千メートルの極限状態が一行の絆を試します。

 

 薄れゆく酸素、襲い来る重力、そして予期せぬ事故。

 守るべき者のために、カイトがその腕に宿した新たな力を解き放ちます。

 空の入り口で繰り広げられる、命を懸けた「配送」の記録。その激闘を、どうぞご覧ください。

 砂漠の終わりを告げる黒い絶壁が視界を塞ぐ直前、一行の前に「それ」は現れた。

 砂丘そのものが意思を持ったかのように盛り上がり、背丈十メートルを超える巨大な甲殻魔獣『砂海の隠者デザート・ハーミット』が姿を現す。全身を覆うのは、砂漠の熱を吸って赤黒く変色した無機質な岩石の皮膚。それはお父様の管理が行き届かないこの地で、数百年を生き抜いてきた野生の暴力だった。

「ひるむな! カイト、リナ、迎撃のパッキングを――」

 エドワードが叫び、カイトが蒼白い光の刃を抜こうとした、その時だった。

「……いえ、その必要はありません」

 御者台からタムが静かに立ち上がった。その目は、巨大な魔獣を恐怖の対象としてではなく、ただの「未処理の荷物」として検品している。

「これから向かう天空の回廊は、未知の環境です。……強力な原生生物のエネルギーは、後の工程で『緩衝材』や『燃料』として転用できる可能性があります。……ここで、在庫ストックに追加しておきましょう」

 タムが右手の義手を天に掲げる。

 その指先から、眩いばかりの銀色の光の帯が溢れ出した。光は意思を持つかのように空中を踊り、巨大な魔獣の周囲を、ミリ単位の精度で幾重にも包囲していく。

『ギ、ギギィ……!?』

 魔獣が本能的な恐怖を感じたのか、巨大な鋏を振り下ろそうとする。だが、タムの動きの方が遥かに速かった。

「……梱包、開始パッキング・オン

 タムが指先を鋭く鳴らす。

 バチンッ!!

 空間そのものが爆ぜるような、硬質な音が砂漠に響き渡った。

 次の瞬間、目の前にいたはずの十メートルを超える巨躯が、掻き消えるように消失する。

「……え? どこ行ったんだよ、あいつ……?」

 カイトが呆然と目を丸くする。

 タムが歩み寄り、砂の上に落ちた「それ」を拾い上げた。

 

 それは、一辺がわずか三センチメートルほどの、完璧な透明度を持つ立方体の結晶だった。

 その小さなダイスの中には、先ほどまで荒れ狂っていた魔獣が、咆哮を上げた姿勢のまま、精密なミニチュアのように閉じ込められている。結晶の角は指に刺さるほど鋭く、中には一切の時間が止まったかのような静寂がパッキングされていた。

「……砂海大百足より密度の高い個体でしたね。……よし、検品完了です」

 タムは無造作にその「魔獣のサイコロ」をポケットに放り込んだ。

 アルウェンは、その光景を横で見て、戦慄を隠せずにいた。お父様の機械兵器を破壊するのではなく、世界そのものの理を捻じ曲げ、巨大な命を掌サイズにまで圧縮・封印してしまう技術。それは彼女が知る精霊術の範疇を遥かに超えた、異質な「保存」の極致だった。

「タム、あんた……。そんなものまで在庫にして、どうするつもりよ」

「……備えあれば、憂いなしです。リナさん」

 タムは再び御者台に座ると、目の前に聳え立つ垂直の絶壁を見上げた。

 

「……さあ、本日のメイン配送ルートです。……全車輪、スパイクモードへ移行。……垂直登攀バーティカル・クライムを開始します」

 改造された車輪が地響きを立てて展開する。

 砂漠という名の「在庫置き場」を後にし、一行を乗せた馬車は、空を突く黒い壁へとその牙を立てた。


 「……全固定オール・ロック。垂直登攀を開始します」

 タムの静かな、しかし有無を言わせぬ宣言と共に、馬車の「重心」が物理の理を裏切った。

 車輪から展開された巨獣の脚――漆黒のスパイクが、垂直の岩壁に深く、確実に突き刺さる。地響きのような駆動音が岩肌を伝わり、一行を乗せた馬車は、まるで巨大な蜘蛛が壁を這うような異様な軌跡を描きながら、高度を上げ始めた。

 車内は、これまでにない緊張感に支配されていた。

 窓の外を見れば、そこには数分前まで自分たちがいた熱砂の海が、急速に遠ざかっていく。重力は容赦なく彼らを後方へと引きずり落とそうとし、馬車の木枠が悲鳴のような軋み声を上げる。

「ちょ、ちょっと待て! タム! 角度がおかしいだろ、これ! 九十度どころか、反り返ってるぞ!」

 カイトが御者台の縁を指が白くなるほど強く握りしめ、叫ぶ。その眼下には、もはや吸い込まれるような虚無の高さが広がっていた。

「……カイトさん、無駄な叫びは酸素のパッキングを浪費します。……計算上、このスパイクの保持力は自重の五倍まで耐えられます。……それよりも、リナさんの容体を確認してください」

 タムの淡々とした指摘に、カイトは慌てて後部座席へと視線を向けた。

 そこには、青白い顔で肩を上下させるリナの姿があった。高度三千メートル。平地とは比較にならないほど酸素が薄くなり、さらには「お父様」が支配する神域に近づくにつれ、大気中の魔力濃度が異常な上昇を見せていた。

「リナ! おい、しっかりしろ!」

「はぁ……っ、はぁ……。大丈夫……よ。ただ、ちょっと……胸が、熱い……の……」

 リナの胸元で、セレスの金属片が激しく明滅していた。

 『……リナさん、魔力中毒エーテル・オーバーロードの兆候あり。……外部の魔力が濃すぎて、鎧の冷却循環が追いついていません。……リナさんの肺が、焼けてしまいます!』

 セレスの警告は切実だった。

 リナを救うべく、アルウェンが即座に動いた。彼女は新調された『砂海の法衣』の袖を広げ、車内の空気を両手で包み込むように円を描く。

「……精霊たちよ、乱暴な呼吸を鎮めて。……この箱の中だけは、穏やかな森の記憶でパッキングして……!」

 法衣の鱗が淡く輝き、車内の魔力濃度が急速に中和されていく。アルウェンが作り出した「精霊の温室」によって、リナの呼吸は僅かに落ち着きを取り戻したかに見えた。

 しかし、試練は終わらない。

 ガキンッ!!

 突如、馬車の底を突き上げるような激しい衝撃が走った。

 岩壁の一部が風化により崩落し、スパイクが空を切ったのだ。馬車は大きく斜めに傾き、激しく左右に揺さぶられる。

「きゃあああああっ!」

 意識が朦朧としていたリナの身体が、その衝撃で固定されていた座席から投げ出された。運悪く、先ほどの戦闘のために開放されていた窓に向かって、彼女の身体が滑り落ちる。

「リナ!!」

 カイトの思考よりも早く、身体が動いた。

 垂直に直立した馬車の壁を蹴り、カイトは重力に逆らうように宙を舞う。

 窓の外、三千メートルの奈落へと吸い込まれようとするリナの腕。その細い手首を、カイトの右手が寸前で掴み取った。

「ぐ、ぁっ……!!」

 衝撃がカイトの肩を襲う。

 片手で馬車の窓枠を掴み、もう片方の手でリナを支える。

 だが、リナが纏うセレスの鎧は、その防御力ゆえにあまりにも重い。一人分の人間と、鉄の塊を同時に、垂直の崖の上で支え続ける。それは生身の人間が耐えられる限界を遥かに超えていた。

「離せ……カイト! このままだと、あんたまで……っ!」

 意識を取り戻したリナが、必死に叫ぶ。カイトの腕の筋肉は、今にも引き千切れそうなほどに盛り上がり、皮膚の下で血管が浮き出ている。

「……離す、わけ……ねぇだろ……ッ!!」

 カイトの視界が真っ赤に染まる。

 その時、彼の腰にある「聖剣の柄」が、カイトの激昂に共鳴した。

 第45話でエドワードがパッキングした、巨獣の神経束ニューラル・ワイヤーのグリップ。それが蒼白い光を放ち、カイトの右腕に食い込むように巻き付いた。

「……おおおおおおおああああああっ!!!」

 神経束を通じて、巨獣が持っていた「死に物狂いの生命力」がカイトの筋肉へと直接注入される。

 バキ、バキッ、とカイトの骨が鳴る。だが、それは破壊の音ではなく、限界を超えた剛力が肉体を再構成する音だった。

 カイトの瞳が蒼く輝き、彼は咆哮と共に、リナの重い身体を自らの腕力だけで車内へと引き戻した。

 ドサリ、と車内の床に重なり合うように倒れ込む二人。

 リナは震える手でカイトの胸ぐらを掴み、安堵と恐怖が混ざった涙を流した。

「馬鹿……、本当に……死ぬかと思ったわよ……」

「……へへっ。……悪いな。……でも、俺が言っただろ。……配送先も、……隣にいる仲間も、……全部俺がパッキングしてやるってさ」

「なにそれ、タムの受け売り〜?⋯⋯まぁ、ありがとう⋯⋯⋯」

 カイトの右腕は、あまりの負荷に感覚を失い、蒼い光の残滓を纏ったまま震えていた。

 アルウェンがすぐさま二人を抱きしめるようにして、精霊の癒やしを施す。

 

 その様子をバックミラー越しに確認していたタムは、静かに眼鏡を押し上げた。

 その指先もまた、相棒たちの無事を祈るように、僅かに力が入っていた。

「……リナさんの命、確かに再受領キープしました。……お見事です、カイトさん。……さて、感傷に浸る時間は短縮しましょう。……雲海を抜けます」

 タムの言葉通り、馬車を包んでいた真っ白な霧が、一気に晴れた。

 視界が開け、一行の目に飛び込んできたのは、言葉を失うほどに壮麗で、そして冷徹な光景だった。

 そこには、太陽の光を極限まで反射し、鏡のように輝く白銀の回廊が、山脈の頂を縫うようにして聳え立っていた。

 雲の上、神の住まう高度。

 そこは、お父様の「知覚」が全てを支配する、音のない死の聖域。

「……あれが、恒星の脈動への道……」

 アルウェンが息を呑む。

 回廊の至る所には、巨大な「眼」を模したレンズが配置され、それら全てが、今まさに雲の下から這い上がってきたばかりの「異物」――一行の馬車を、無機質に捉えていた。

「……検品が始まったようですね。……アルゴスの視線です。……ここからは、一歩でも歩行ルートを間違えれば、即座に『不良品』として廃棄されます」

 タムが義手を戦闘形態へと微調整する。

 垂直の絶壁を乗り越えた先に待っていたのは、安らぎではなく、世界で最も厳しい「門番」の監視だった。

 一行を乗せた馬車は、静かに、しかし決然と、白銀の回廊へとその轍を刻み始める。

 カイトは右腕の痛みを噛み締めながら、隣で眠るように呼吸を整えるリナの手を、今度は離さないように固く握りしめた。

 第46話をお読みいただき、ありがとうございます。

 

 序盤で見せたタムの鮮やかな「サイコロ・パッキング」は、まさに梱包師としての真骨頂でした。巨大な脅威を一瞬で掌サイズに収めてしまう技術は、これからの厳しい旅において心強い「備え」となることでしょう。

 

 そして後半、垂直の壁でのカイトの奮闘を描かせていただきました。新調された装備がもたらした力は、ただ破壊するためだけではなく、大切な仲間を繋ぎ止めるための「執念」として輝きました。絶体絶命の淵でリナの手を掴んだその強さは、一行の結束をより強固なものにしたはずです。

 

 ついに雲海を抜け、一行は白銀の回廊へと辿り着きました。

 そこは「お父様」の目が隅々まで行き届く、アルゴスの冷徹な監視領域。

 これまでの力押しが通用しない、静かなる知略の戦いが始まります。

 

 次回の更新も、どうぞお楽しみに!

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