第44話:砂海の巨獣と、循環の初陣
エルフの森を抜けた一行の前に広がっていたのは、生命を拒絶する熱砂の海でした。
お父様がかつて管理を諦め、未開の地として切り捨てた砂漠。そこには、機械の論理が通用しない古の支配者が君臨しています。
新しく加わった仲間・アルウェンの真価。そして、カイトの持つ「折れた聖剣」の光が、ついに原生の絶望を捉えます。
これは、単なる生存のための戦いではありません。過酷な空へと至るための、「最強の素材」を奪い取るための検品です。
世界樹の恩恵を受けていた「緑の海」は、わずか数日の旅で、容赦のない「黄金の海」へと姿を変えた。
エルフの郷の国境となっていた険しい山脈を越えた瞬間、一行を待ち受けていたのは、肺を焼くような乾いた熱風だった。眼前に広がるのは、お父様の工廠から伸びる規則正しい舗装道路も、管理された監視塔も存在しない、ただただ無慈悲な起伏を繰り返す大砂漠である。
「……暑い。暑すぎるわよ……。セレス、冷却回路をもっと回せない?」
「……リナさん、不可能です。周囲の熱量があまりに高すぎます。これ以上の冷却は、私の内部結露を誘発し、魂のパッキングを不安定にします」
リナの胸元の銀色から、苦しげなセレスの声が漏れる。鎧をパージできない彼女にとって、この砂漠は熱を閉じ込める鋼鉄の牢獄に近い。リナの肌からは滝のように汗が流れ、その都度、鎧の隙間から蒸気となって立ち上っていた。
「おいタム、大丈夫かこれ! 車輪が半分埋まってるぞ! おまけにこの砂、鉄みたいに重いじゃねぇか!」
カイトが御者台で悲鳴を上げる。
この砂漠の砂は、ただの岩石の欠片ではない。お父様がかつてこの地の地下に眠る資源を狙い、探索機を送り込んだ際、あまりの熱と砂嵐の過酷さに、全ての機体が粉砕され、撤退を余儀なくされたという曰く付きの場所だ。お父様のノートには、『ここは論理的な管理が通用しない、非効率な死の空隙である』と、まるで敗北を認めるかのような殴り書きが残されていた。
「……カイトさん、騒がないでください。……無駄な呼吸は体内の水分をパッキングから漏洩させるだけです。……車輪の抵抗については、既に処置を開始しています」
タムは、揺れる馬車の窓から身を乗り出し、右手の義手を砂面へと突き立てていた。
義手の先端から細いワイヤーが砂の中へ伸び、地表の温度と摩擦係数をリアルタイムで検知していく。
「……アルウェンさん、お願いします。……私の魔力を、地表の『熱の循環』と同期させてください」
「了解しました。……エルフの森のようにはいきませんが、この地の猛り狂う太陽の精霊たちを、少しだけ『説得』してみましょう」
最後尾に座るアルウェンが、銀髪を汗で張り付かせながら、両手を広げた。
彼女が唱えるのは、森の安らぎではなく、荒野の厳しさを利用した循環術。タムが義手で解析した「砂の流動」に合わせ、アルウェンが精霊の力で砂の粒子一つひとつの魔力を反発させる。
「……滑走モード、起動。……摩擦係数を零点一までパッキング。……今です、カイトさん!」
タムの合図と共に、それまで砂に足を取られていた馬車の車輪が、まるで氷の上を滑るように滑らかに動き出した。タムは砂を「敵」として排除するのではなく、一時的に砂の表面を「流動体」としてパッキングすることで、抵抗を無効化したのだ。
だが、その恩恵による静寂は、長くは続かなかった。
ゴゴゴ……と、砂漠の地平線の彼方から、重低音の地鳴りが響いてくる。
「……何か来るぞ。お父様の機械の音じゃねぇ。もっと……デカくて、ナマ臭い、ヤバい何かだ!」
カイトの叫びに応じるように、馬車の前方の砂丘が、巨大な津波のように盛り上がった。
盛り上がった砂丘が爆ぜ、そこから躍り出たのは、太陽の光を凶悪に反射する漆黒の節足――砂海大百足である。その全長は、タムたちの乗る馬車が玩具に見えるほどに長く、厚い鱗甲は幾星霜もの歳月を経て、熱と圧力によりダイヤモンドに近い硬度へと結晶化していた。
「……来るぞ! 全員、衝撃に備えろ!」
カイトが叫び、腰のホルダーから古びた「聖剣の柄」を抜き放つ。
彼が魔力を込めると、折れた刀身の断面から、澄み渡るような蒼白い光の刃が音を立てて伸長した。実体を持たないその刃は、熱砂の陽炎の中で静かに、しかし確かな殺意を持って脈動している。
「リナ、左だ! 逃がすなよ!」
「言われなくても! セレス、出力固定。物理・魔力複合障壁、展開!」
リナが馬車の前に立ち塞がる。彼女の胸元の銀色の金属片が、高負荷による悲鳴のような共鳴音を上げ、リナの全身を包む鎧が赤黒い熱を帯びた。
直後、山のような巨躯が衝突する。
ドォォォォォンッ!
大気が悲鳴を上げ、衝撃波で周囲の砂が円形に吹き飛ぶ。リナの足元、砂が瞬時にガラス状に溶けるほどの圧力がかかったが、彼女は膝を折ることなく、巨獣の突進をその盾一枚でパッキングしてみせた。
「……耐えろ、リナ! 今、隙を作る!」
カイトが光の刃を逆手に持ち替え、流動化する砂の上を滑るように加速した。
彼は巨獣の胴体、節と節の継ぎ目を狙って跳躍する。光の刃が空を裂き、漆黒の鱗を撫でる。
ジ、ジジッ……と、金属が擦れるような嫌な音と共に、火花が夜空の星のように散った。
「嘘だろ!? 光の刃を弾きやがった……。この鱗、どんだけ密度が高いんだよ!」
「……驚くには当たりません。カイトさん、その個体は砂漠の地下数千メートルで圧縮された鉱物を取り込み、自身の外殻として再パッキングしています。……通常の熱エネルギーでは、その『箱』を壊すことは不可能です」
馬車の天窓から身を乗り出すタムの目は、既に戦場を「物流の不備」として冷徹に分析していた。彼の右手の義手は複雑に展開し、内部の歯車が高速回転しながら、大気の熱量を数値化して視界に投影していく。
「アルウェンさん、聞こえますか。……この巨獣の動力源は、体内の高圧炉による熱交換です。……今から私が、義手の回路をこの砂漠のレイラインと直結させます。……あなたは、その『流れ』の末端をジャックしてください」
「……ええ、理解しました。森の木々に水を配るのとは勝手が違いますが……この荒ぶる熱の精霊たちを、一つの『渦』にパッキングすれば良いのですね?」
アルウェンが馬車の屋根に立ち、銀髪を激しい風に躍らせる。
彼女の周囲に、砂漠の熱気が渦を巻き始めた。それはエルフの優雅な魔術ではない。過酷な環境をそのまま力に変える、生存のための「循環」だ。
「……熱の指向性を固定。……タム、ポイントを指定してください」
「……第三節の排気孔。そこが、この巨獣の唯一の『開かれた蓋』です。……行きます!」
タムが義手を突き出す。義手の指先から放たれたのは、攻撃魔法ではない。極細の、魔力を帯びた「梱包用ワイヤー」だ。
ワイヤーは空中を蛇のようにうねり、巨獣の激しい動きを先読みして、その脚の隙間にある排気孔へと滑り込んだ。
「……パッキング・リンク、確立。……アルウェンさん、今です。全ての熱を、そこへ納品してください!」
アルウェンが両手を掲げると、周囲一帯の熱気が、タムのワイヤーを導火線として巨獣の体内へ一気に逆流した。
ギィィィィィィィィイッ!!
巨獣が、これまでにない悲鳴を上げた。内側から急激に膨れ上がる熱圧力。自慢の超硬質鱗が、内部からの膨張に耐えきれず、ミシミシと音を立てて浮き上がる。
「……よし、蓋が開きました。カイトさん、リナさん! 内部の神経束を、光の刃で一気にパッキングしてください!」
「待ってましたぁぁッ! セレス、全エネルギーを剣のサポートに回して!」
「……了解。……リナさんの魔力をバイパス。カイト様の光刃、限界突破出力を承認します」
リナの胸元の金属片から放たれた銀色の光が、カイトの光の刃へと吸い込まれていく。蒼白かった光の刃が、太陽を地上に引きずり下ろしたような、眩いばかりの純白へと変貌した。
「これなら……通るぜぇぇッ!!」
カイトが砂の波を蹴り、巨獣の傷口へと肉薄する。
純白の刃が、浮き上がった鱗の隙間――剥き出しの肉へと突き立てられた。
ズ、ズズゥゥンッ!
光の刃が、巨獣の巨大な質量をバターのように焼き切っていく。切断面からは黄金の体液が噴き出し、瞬時に蒸発して白い煙が砂漠を覆った。
カイトはそのまま巨獣の背中を駆け抜け、最後の一節までを真っ二つにパッキングして着地した。
沈黙。
砂海大百足の巨躯が、左右に分かれて砂の上に崩れ落ちる。
「……ふぅ。……大型個体、検品完了。……配送ルートの安全を確認しました」
タムが義手のワイヤーを巻き取り、静かに眼鏡を直す。
リナは膝をつき、肩で息をしながら、熱を持った鎧の隙間から汗を流していた。
「……お疲れ様です、リナさん。……少し温度が上がりすぎましたね。アルウェンさん、彼女に『冷却のパッキング』をお願いできますか」
「ええ、喜んで。……リナ、貴女の魂の強さ、改めて見せてもらいましたよ」
アルウェンがリナを抱き寄せ、優しい涼風の魔力を通わせる。
砂漠の夜風が、戦いの跡を撫でる。
お父様がかつて「非効率」と切り捨て、支配を諦めたこの不毛の地で、タムたちは機械の冷徹さではなく、人間の知略と結束によって、その第一歩を刻んだ。
遥か彼方、天空の頂。
雲の隙間から覗く『絶壁の回廊』が、冷たく、そして美しく月光を反射している。
次なる試練、そして次なる至宝へのパッキングは、まだ始まったばかりだった。
第44話をお読みいただき、ありがとうございます。
カイトの光の刃が、ついに砂海の覇者を両断しました!
お父様の装甲すら凌ぐと言われた巨獣の鱗甲。それを手に入れたことは、これからの旅において計り知れない意味を持ちます。
戦いを終えた一行の前に残された、巨大な戦利品の山。
次回、第45話。
老賢者エドワードの腕が鳴ります。巨獣の素材を用いた、リナたちの新装備へのパッキング(改造)。そして、アルウェンのための「精霊の鎧」とは。
砂漠の終わり、そして新たな力の覚醒。
どうぞ、ご期待ください!




