第43話:休息のパッキングと、湯煙の告白
死闘を終えた一行を待っていたのは、精霊の光に包まれた平穏な時間。
今夜は武器を置き、張り詰めていた心の蓋を少しだけ緩める休息のパッキング。
古き友と語らう賢者、そして湯煙の中で交わされる、二人の乙女と「一人の魂」の秘密の会話。
タムへのあらぬ誤解(?)が、新たな絆と仲間を呼び寄せます。
世界樹を覆っていた澱みが晴れ、エルフの郷には800年ぶりの「本当の夜明け」が訪れていた。
空洞を照らすのは、深淵竜の怨念から解放された精霊たちが放つ、柔らかなエメラルド色の燐光だ。巨大な樹冠のあちこちで、幻想的な光を放つキノコのランプが灯され、森全体が微かな歌声に包まれている。
「――さあ、食べてください! 我らが郷を救った、誇り高き配送員の皆さん!」
広場に並べられたのは、森の恵みを尽くした饗宴だった。
香草で焼き上げられた巨大な鹿肉、滴るほど蜜が詰まった極彩色の果実、そして精霊の涙を醸造したという、琥珀色の芳醇な酒。3年間の逃亡生活で、干し肉と硬いパン、それに雪解け水で飢えを凌いできた一行にとって、それは信じられないほど贅沢な光景だった。
「うおおおおっ! 肉だ! 本物の、焼きたての肉だぁぁっ!」
カイトが、野獣のような勢いで串焼き肉にかぶりついた。
「熱っ、うまっ、最高だこれ! リナ、お前も食えよ! 遠慮してたら全部俺がパッキングしちまうぞ!」
「誰が遠慮なんかするもんですか! そっちの果実パイは私のよ、手出ししたら盾で叩き出すわよ!」
リナもまた、セレスの装甲から立ち上がる熱を冷ますように、冷えた果実酒を煽り、パイを口に運ぶ。その様子は、かつての絶望的な戦いが嘘のように賑やかで、微笑ましいものだった。
そんな喧騒の只中で、一人だけ「祝祭」に馴染めていない男がいた。
タムである。
彼は、自分に差し出された最高級の精霊酒に一口も付けず、宴の会場の隅に停めた馬車の前に蹲っていた。
手には使い古されたスパナと、魔力の流れを測定する小さな水晶体。
「……左後輪の車軸、コンマ五ミリの歪みを確認。……深淵竜の衝撃波による、微細な構造疲労ですね。……次の天空ステージでは、この歪みが致命的な『荷崩れ』を誘発しかねない」
ブツブツと独り言を呟きながら、タムは義手の先端を極細のドライバーへと変形させ、馬車の足回りを執拗に検品していた。
その背中に、カイトが肉を片手に呆れ顔で声をかける。
「おいタム、お前なぁ……。今は『お疲れ様会』なんだぞ? 馬車の点検なんて明日でもいいだろ」
「……いいえ。……中身(至宝)が積み込まれた以上、馬車はもはや単なる乗り物ではありません。……至宝を安置するための『外装』そのものです。……外装に欠陥がある状態で、梱包師が枕を高くして寝ることは不可能です」
タムは眼鏡の位置を直し、一切の妥協を許さない眼差しで車輪を見つめ直す。
「……カイトさん、あなたもあまり食べ過ぎないように。……天空の回廊は気圧が低く、胃袋の膨張が反射神経に影響します。……最大積載量を超えたあなたの体重を運ぶのは、馬の負担です」
「うるせぇよ! せっかくの御馳走なんだから、夢を見させろ!」
タムのあまりの仕事人間ぶりに、リナも溜息をつきながらパイを頬張る。
「……本当、あいつだけは3年前から何も変わらないわね。お父様に作られた時、情緒のパッキングを忘れてたんじゃないかしら」
***
若者たちが賑わう広場から少し離れた、世界樹の根が突き出した見晴らしの良い高台。
そこでは、エドワードと最長老イシュタルが、静かに酒杯を傾けていた。
二人の間には、タムが命懸けで梱包した『原初の粘土』を納めた小箱が置かれている。
「……して、エドワード。……あの子が触れた時、粘土は本当に『歯車を布で包んだ形』になったのだな?」
イシュタルが、深い皺の刻まれた顔を揺らして問う。
エドワードは琥珀色の酒を一口飲み、月を見上げながら頷いた。
「ええ。……800年前、あのお方――お父様が触れたときは、一切の無駄を排した、冷徹なまでに完璧な『多面体』だった。……お父様はそれを見て、この至宝を『究極の効率を持つ素材』と定義し、自らの工廠の礎にされた」
エドワードの脳裏には、若き日に見たお父様の背中が焼き付いていた。
誰よりも世界を愛し、愛するがゆえに、この不完全な世界を「管理可能な完璧な箱」に収めようとした狂気の天才。
「お父様は、魂さえも『出力』という数値で測ろうとなされた。……ですが、タム君は違います。……あの子が映し出したのは、緻密な技術(歯車)と、それを守るための不器用な優しさ(布)でした」
イシュタルは、タムがパッキングした小箱にそっと手を触れる。
「……効率を求めることは、痛みを切り捨てること。……だが、あの梱包師の少年は、痛み(深淵竜の怨念)ごと荷物を引き受けた。……それは、お父様が最も蔑んだ『非効率』の極致。……しかし、それこそが、この腐りかけた世界をパッキングし直すための、唯一の光かもしれぬ」
老賢者二人は、長い沈黙の後、同時に広場で馬車を弄っている不器用な少年に目を向けた。
「……世界樹の呪縛が解け、お父様の監視網がざわついておる。……エドワード、次の旅路は、これまで以上に過酷なものとなろう」
「フォッフォ。……望むところですな。……何せあの子は、世界で一番頑固な梱包師ですから」
夜風が、世界樹の葉を揺らす。
宴の喧騒と、馬車を叩くスパナの硬質な音、そして賢者たちの静かな語らい。
それらが混ざり合い、一行にとって束の間の、しかし最も濃密な「休息」という名のパッキングが進んでいく。
だが、この平穏が、胸元に銀の欠片を宿した少女たちの「ある誤解」によって、翌朝、爆発的な騒動に変わることを、タムはまだ知る由もなかった。
***
郷の奥深く、巨樹の根元をくり抜いて作られた「精霊の湯」は、乳白色の湯気が幻想的な帳となって立ち込めていた。天井代わりの枝葉からは月光が木漏れ日のように差し込み、水面に反射して、洞窟の壁面に揺らめく波紋を映し出している。
「はぁ……。生き返るわね、本当に」
リナは、首までどっぷりと湯に浸かり、大きく吐息を漏らした。
三年間、野宿に近い逃亡生活を続けてきた彼女にとって、清潔な湯に身を委ねる時間は、何物にも代えがたい至福だった。鎧の出力を最小限まで絞り、ほぼ全裸となったその肌は、湯気を吸って瑞々しく輝いている。
だが、その白皙の胸元、ちょうど心臓の真上には、どうしても外すことのできない銀色の金属片が、まるで守護の呪印のように埋まっていた。それはお父様の呪縛の証であり、同時に、彼女と魂を分かち合うセレスの「依代」でもあった。
「……リナさん、心拍数および体温の上昇を確認。……精霊の湯による疲労回復効果は、事前の計算値を二十パーセント上回っています」
その金属片から、いつものように冷静な、けれどどこか潤いを含んだセレスの声が響く。リナは苦笑しながら、浮かび上がる自分の鎖骨を指先でなぞった。
「セレス、あんたもお風呂は初めてよね。気持ちいい?」
「……感覚共有を通じて、液体の温度と微細な魔力振動を感じ取っています。……『気持ちいい』という定義が、この安らぎを指すのであれば、……肯定します。悪くありません」
そんな主従の会話に、少し離れた岩場からしなやかな水音が重なった。
アルウェンだ。彼女はエルフ特有の、細身ながらも鍛え上げられたしなやかな肉体を露わにし、長い銀髪をかき上げながらリナの隣へと歩み寄る。
「お二人とも、お加減はいかがですか。……外の世界は、随分と厳しいと聞きますが、リナさんの肌には、まだその『芯』の強さが残っていますね」
アルウェンがさらりと告げる。リナはその直球な称賛に少し照れつつも、自分と同じように湯に身を沈めたアルウェンを見つめ、昨夜から喉に引っかかっていた問いを投げかけることにした。
「ねぇ、アルウェン。……ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかしら」
「何でしょう?」
「……あんた、昨日タムと二人きりで何をしてたのよ」
リナの瞳に、少しばかりの鋭い光が宿る。
「……あいつ、タムのやつ、あんたに何か不埒なこと……その、……『抱いたり』しなかったでしょうね!?」
その直球の質問に、アルウェンはしばし瞬きを繰り返した。そして、水面に浮かぶ自分の肩を抱くように指先を当て、遠くを見るような、どこか恍惚とした表情で頷いた。
「……ええ。抱かれましたよ」
「っ!? やっぱりあいつーーっ!!」
リナが湯を盛大に跳ね上げ、身を乗り出した。胸元の金属片から、セレスの声が「……リナさん、魔力波形が乱れています。落ち着いてください」と警告を発するが、リナの耳には届かない。
「抱かれたって……あんた、それ、どこまで、どういう風に……!」
「……そうですね。魂の最深部まで、深く、力強くパッキング(受容)されました。……お父様から授かった呪縛の記憶も、私が独りで抱えてきた八百年の孤独も、あの方は全てを剥き出しのまま、受け入れてくださった。……あんなに濃密な『共鳴』は、生まれて初めてでした」
アルウェンの言葉は、エルフ特有の比喩に満ちていたが、内容を知らないリナにとっては、それは紛れもない「愛の告白」にしか聞こえなかった。
「……あ、あの、無自覚梱包師……! 普段は『中身が大事』だの『配送が優先』だの言っておきながら、こんな綺麗なエルフのお姉さんに手を出してたなんて……!」
「……タム様のパッキング能力は、物理的境界のみならず、魂の深層レイヤーまで無意識に浸食する傾向がありますから」
セレスまでが、淡々とした声でリナの火に油を注ぐ。リナは顔を真っ赤にし、やり場のない憤りをぶつけるように、自分の胸元――セレスの金属片をバシャバシャと洗った。
「あんたも、もっと危機感を持ちなさいよセレス! 私たちはあいつを信じて荷馬車を預けてるのよ!? なのに、あいつ、中身(私たち)よりも先に、行き先の女性をパッキングしちゃうなんて……!」
「……リナさん、洗い方が乱暴です。回路に刺激が強すぎます……。……ですが、そうですね。タム様が私以外の『中身』を優先されたのであれば、……私も、少なからず『未処理のログ(嫉妬)』が蓄積されているようです」
三者三様の想いが、乳白色の湯煙の中で混ざり合う。
だが、その騒動の元凶であるアルウェンは、クスクスと鈴を転がすような声で笑い始めた。
「……ふふ。誤解しないでください。タム様が私に施したのは、魔力の『循環』を正すための技術的な接触です。……ですが、私にとっては、それが何よりも尊い抱擁に思えたのです。……あの方の指先から伝わってきたのは、暴力ではなく、ただひたすらに私を『あるべき形』で守ろうとする意思でした」
アルウェンは、湯の中から自分の手を見つめ、静かに決意を語る。
「……私は、あの方がパッキングしようとしている未来を、もっと近くで見てみたい。……この循環の理が、お父様という巨人の絶望を、本当に塗り替えられるのかを」
翌朝。
馬車の点検を終え、いつものように冷徹な顔で「検品終了」を告げるタムを、リナがこれまでにないほど冷ややかな眼差しで射抜いた。
「……あ、あの、リナさん? 何か、積み荷のバランスに不備でもありましたか?」
「……別に。……ただ、あんたを一度徹底的に『検品』し直してやる必要があるって、セレスと話し合ってただけよ」
「……タム様、隠し事は推奨されません。……本日の走行速度は、私の判断で制限させていただきます」
「……えっ?」
困惑するタムを乗せ、そして新たに、静かな微笑みを湛えたアルウェンを仲間に加え、一行を乗せた馬車は天空へと向けてゆっくりと走り出す。
背後で見送る最長老イシュタルの眼差しは、これから彼らが直視することになる「世界の真実」を見越しているかのようだった。
一行が進む先には、雲を割り、天を穿つような巨大な回廊が聳え立っている。
第二の至宝、『恒星の脈動』。
そこは、お父様が遺した知覚の化身が、冷たくレンズを光らせて待ち構える死の舞台であった。
第43話をお読みいただき、ありがとうございます。
エルフの郷での休息、リナとセレスの絆、そしてアルウェンの加入。
タムへの微笑ましい誤解という「ノイズ」を抱えつつも、ラストマイルの結束はより強固なものとなりました。
さて、いよいよ旅は新章へ。
次なる舞台は、気圧と重力が支配する天空の回廊。
待ち構える「知覚の最高傑作」アルゴスに対し、タムたちはどう立ち向かうのか。
次回、第44話。
『絶壁の回廊:高度4000メートルの検品』。
どうぞ、ご期待ください!




