第42話:至宝の形状
世界樹の深淵、800年の怨念と対峙する梱包師。
タムは自らを「回路」として、森が抱き続けたお父様への恐怖をパッキングし、再び循環へと還していきます。
そして、ついにその指先が触れる、伝説の至宝『原初の粘土』。
お父様の冷徹な極致とは異なる、タムの魂が描き出した「正解」の形とは――。
第一の至宝編、ついに完結。
「――――あッ」
タムの視界から、現実の光景が剥落した。
指先が深淵竜の冷たい樹皮に触れた瞬間、彼の意識は肉体を離れ、情報の濁流へと叩き落とされた。それは、かつて彼が扱ったどの荷物よりも重く、どの劇物よりも毒性の強い「記憶」のパッキングだった。
(……熱い。いや、これは、痛覚の混線か……?)
脳が焼けるような異臭が鼻腔を突き、鼓膜には数万もの精霊たちが同時に上げた断末魔が響き渡る。
そこに見えたのは、800年前の「地獄」の記録映像だった。
空を覆い尽くす、幾千もの飛行魔導機械。太陽の光を遮るほど巨大な、お父様の工蔽が放つ冷徹な影。それらが一斉に、当時まだ「生命の楽園」であったこの森へと降り立った。
お父様の目的は、世界樹の根に眠る莫大な魔力の徴収。
「非効率だ」
その一言と共に、精霊たちが愛でてきた花々は鋼鉄のキャタピラに踏み躙られ、数千年の時を刻んだ巨木が、魔力抽出のための「杭」を打ち込まれて無残に裂かれていく。
お父様にとって、この森は「美しい自然」などではなかった。
単なる、管理の行き届いていない「乱雑な貯蔵庫」に過ぎなかったのだ。
(……ああ、これは。……パッキングと呼ぶには、あまりにも乱暴な仕分けだ)
タムの意識が、その光景を見て不快感に震える。
お父様の手口は、中身(森の生命)への敬意が欠片もなかった。ただ無理やり箱(魔力電池)へ押し込み、溢れた端から切り捨てる。そんな「暴力的な納品」が、800年前、世界樹の魂に深い傷跡を刻んだ。
深淵竜――それは、その時に流された精霊たちの涙と、大地に染み込んだ怒りが凝り固まった「傷の防衛本能」そのものだった。
『……キエ……去レ……オ前モ……アノ男(オ父様)ト……同ジ……奪ウ者……ッ!』
タムの精神を、ドラゴンの凄まじい「拒絶」が侵食する。
黒い泥のような怨念が、タムの義手の回路を伝って彼の心臓へと這い上がってくる。
「……いいえ。……私は、あの方とは違います」
暗黒の記憶の淵で、タムは静かに、だが鋼のように硬い意志を放った。
彼の眼鏡の奥の瞳は、これほどの絶望を前にしてもなお、一人の梱包師としての冷静さを失っていなかった。
「……あの方は、あなたを『部品』と見なした。……ですが私は、あなたを『荷物』として預かります。……800年も抱え続けてきたその痛み、……今のままでは、あまりにも配送効率が悪すぎる」
タムは、右手の義手に残る「アルウェンから授かった循環の理」を全稼働させた。
これまでのタムは、お父様から与えられた「魔力を奪い、動力に変える」技術しか持っていなかった。だが今、彼の腕にはエルフの郷で学んだ「熱を回し、大地に還す」という、真逆の知恵が宿っている。
「……濾過プロセス、開始。……憎しみを動力に変換するのは、私の主義に反します。……この重すぎる『ノイズ』、私が責任を持って、純粋な『循環』へと精製し直してみせます」
タムの義手が、眩いばかりの緑色の光を放ち始めた。
それは、深淵竜の抱える「黒い泥」を無理やり消し去るための光ではない。
泥を掬い上げ、回路の中で一滴ずつ丁寧に濾過し、それを再び世界樹が飲み込めるほどの「穏やかな生命力」へと変換していく、気の遠くなるような精密作業だった。
(……カチ、カチカチ……。……ここの波形が、まだ尖っている。……もっと、滑らかに。……世界樹の呼吸に、パッキングのテンポを合わせて……)
現実世界のタムの肉体からは、血の混じった汗が吹き出していた。
義手の人工筋肉は限界を超えて軋み、魔導回路からは白煙が上がっている。脳には過負荷による焼けるような熱痛が走り、リナたちの叫び声ももはや遠い。
だが、タムは手を離さない。
お父様が捨て去った「痛み」という名の不良在庫。
それを誰かが引き受け、正しくパッキングしなければ、この森に本当の意味での配送完了(平和)は訪れないからだ。
どれほどの時間が経っただろうか。
タムの意識が情報の奔流に耐え忍び、一万回目の回路修正を終えたその時。
『…………。……熱イ……デモ……心地良イ……?』
深淵竜の「拒絶」が、ふっと消えた。
あれほど世界を呪い、侵入者を粉砕せんとしていた巨躯の咆哮が、静かな、あまりにも穏やかな溜息へと変わっていく。
タムがパッキングしたのは、単なる魔力ではない。
「お前たちは敵ではない」という、職人の誠実さそのものだった。
800年間、誰もその傷に触れず、ただ恐れるか利用しようとするだけだった世界樹の痛みに、タムは「梱包師」として真正面から向き合ったのだ。
「……よし。……内容物の安定を確認。……これにて、怨念の精製、完了です」
タムが最後の一押しとして義手に魔力を込めると、深淵竜の身体を構成していた無数の蔓と樹皮が、内側から溢れ出した柔らかな光によって解けていった。
それは、暴力的な「消滅」ではない。
役目を終えた守護者が、再び森を育てるための「光の花粉」へと還る、美しい循環の始まりだった。
「タム……ッ!?」
カイトやリナが駆け寄る中、崩れゆくドラゴンの光の粒子が、タムの頬を優しく撫でて空へと舞い上がっていく。
深淵竜という名の「怒り」は消え、そこにはただ、清涼な空気と、800年ぶりに安息を取り戻した大地の静寂だけが残された。
そして。
光の霧が晴れた祭壇の中央で、それは静かに、しかし力強く鼓動していた。
「……ようやく、会えましたね」
黄金色の燐光を放ちながら、ドロドロとした泥のような、それでいて命の源流そのものであるかのような質量。
第一の至宝、『原初の粘土』が、ついにその真姿を現した。
静寂が戻った『泥の空洞』。
深淵竜が遺した光の粒子が、雪のように黄金色の至宝へと降り注いでいた。
『原初の粘土』。
それは、神が世界を形作る際に余った粘土だとも、あらゆる命の設計図だとも言われる伝説の至宝である。
「……これが、お父様が探し求めたもの……」
リナが、畏怖を込めて呟く。
お父様の研究ノートには、こう記されていた。
『粘土は、触れる者の内面を暴き出す鏡である。私がこれに触れた時、粘土は一切の無駄を削ぎ落とし、全方向へ完璧な対称性を持つ「冷徹な正多面体」へと変貌した。それこそが世界の真理であり、私の魂が到達した効率の極致である』と。
タムは、膝を突き、荒い息を整えながらその至宝へ手を伸ばした。
義手は白煙を上げ、回路は焼き切れんばかりに熱を持っている。だが、その指先は一毫の迷いもなく、黄金の塊へと吸い込まれていった。
「……見せてください。今の、私の『中身』を」
粘土に触れた瞬間、黄金の泥が激しく脈動した。
リナやカイト、エドワードが固唾を呑んで見守る中、粘土は液状化し、タムの魔力に呼応して急速に形を編み上げていく。
お父様が見たような、冷たく美しい多面体ではない。
そこに現れたのは、驚くほど歪で、複雑で、そして温かな「矛盾」の塊だった。
中心部には、数千、数万という極小の**「緻密な歯車」が、生き物のように噛み合い、静かに回転を続けている。それは技術への終わなき探求心、そしてお父様の設計を塗り替えようとする梱包師としての矜持。
そしてその金属的な歯車群を、まるで壊れ物を慈しむかのように、厚く、柔らかな「毛織物」**が幾重にも包み込んでいた。
「……なんだ、これ。歯車を……布で包んでるのか?」
カイトが呆然と口にする。
「……ああ。……あれこそが、タム君そのものじゃな」
エドワードが、慈しむような眼差しで言った。
冷徹な技術(歯車)を持ちながら、それを「誰かを守るため、包み込むため」に使うという、歪で、非効率で、しかし何よりも尊いタムの魂の在り方。
お父様が「効率」のために切り捨てた「慈愛(布)」が、そこには確かにパッキングされていた。
「……安定を確認。……ですが、この至宝は周囲の感情を吸い過ぎる。……すぐに蓋をしなければ、再び暴走します」
タムの言葉と同時に、粘土が放つ光が不規則に明滅し始めた。周囲に漂う「驚き」や「不安」さえもが、粘土にとっては過剰な負荷となるのだ。
「ここからは、梱包師の仕事です」
タムは鞄から、世界樹の枯れ枝、深淵竜の残した硬質な樹皮片、そしてセレスの装甲から剥がれ落ちた魔導銀の破片を掻き集めた。
「カチ、カチカチカチッ!」
義手の人工筋肉が限界を超えて鳴動する。
タムの指先は、もはや視認できないほどの速度で、素材を編み、回路を刻み、物理的な箱ではなく「魔力の波長を完璧に相殺する牢獄」を組み上げていく。
お父様のノートには、この封印作業に数日を要したとあった。
だが、今のタムには、アルウェンから学んだ『循環』の理がある。
「……外からの悪意は、この樹皮で弾く。……中からの魔圧は、セレスの銀で反転させる。……そして、その隙間を、この森の優しさで埋める」
一秒、二秒。
タムの手の中で、ガチリと全てのパズルが噛み合った。
「……『共鳴防護箱』、封印完了」
黄金の輝きが、黒ずんだ木箱の中に吸い込まれるように消える。
同時に、空洞を支配していた異常なプレッシャーが霧散し、至宝はどこにでもある「古い小箱」へと姿を変えた。
アレス級の強敵にすら勝てない一行が、お父様ですら手を焼いた至宝を、わずか数秒で「納品物」へと変えてみせた瞬間だった。
それから数刻後。
一行は、長老やアルウェンに見送られながら、再び馬車を走らせていた。
「タム、本当に大丈夫なの? その腕……」
リナが、包帯の巻かれたタムの義手を心配そうに見る。
「……ええ。……少し、パッキングの容量を間違えましたが。……納品物が無事なら、梱包師に怪我はつきものです」
馬車は世界樹の結界を抜け、次の至宝が眠るという『絶壁の回廊』へと舵を切る。
第一の至宝、『原初の粘土』。
それを手にした達成感と、少しばかりの安堵が、一行を包んでいた。
――しかし。
至宝が「蓋」をされたその瞬間、世界中の魔力の流れ(レイライン)を監視する、ある巨大なシステムが激しく反応していた。
場面は変わり、遥か東。雲海を突き抜けるほど巨大な、お父様が遺した最高高度観測要塞『天眼の塔』。
その最上階、無数のモニターが浮遊する静寂の間で、一人の男――いや、一体の人形が、冷徹な瞳を細めた。
アレスのような無骨な装甲はない。
細身で、優雅な執事服を纏ったそのオートマタは、お父様の最高傑作の一つ。
知覚の最高傑作:アポストル・セカンド『監視者アルゴス』。
「……北のプラントでアレスの追跡を逃れた際、ただの『運の良いネズミ』だと思っていましたが。……世界樹のノイズを完全にパッキングするとは」
アルゴスの瞳が、カシャカシャとレンズを調整するように回転する。
モニターには、森を抜けて街道を行くタムたちの馬車が、鮮明に映し出されていた。
「……アレスは力で追い回し、獲物の価値を損なった。……ですが、私の検品(狩り)に、逃げ場はありません」
アルゴスが指先を動かすと、馬車の進路の先、次なる目的地『絶壁の回廊』に、無数の死の照準が重なっていった。
「……さあ、次の荷物を配送してください。……それを奪い取り、あなたたちの『魂』の価値を、私が底値まで買い叩いて差し上げましょう」
暗闇の中で、アルゴスの背後に控える十数対の「瞳」が、赤く冷たく発光した。
第42話をお読みいただき、ありがとうございます。
タムの魂が映し出した「歯車と毛織物」。それは、中身(セレスや仲間たち)を守るために技術を磨き続けた彼らしい、歪で温かな形でした。
ですが、至宝を手にすることは、お父様が遺した監視網を激しく刺激することでもあります。
アレスという「暴力」の追跡を逃れた一行に、次はどのような「絶望」が迫るのか。
次回、第43話。
新たなる至宝の地、空に浮く『絶壁の回廊』へ。
しかし、一行の背後にはすでに、アレスを凌ぐ「知覚」を持つ最高傑作の目が光っていました。
どうぞ、ご期待ください!




