第37話:情報の検品
精霊の森。そこは、侵入者の写し身を作り出し、自滅を誘う「鏡合わせ」の迷宮でした。
姿、形、技、そして記憶までもが完璧に複写された偽物たちを前に、一行はかつてない窮地に立たされます。
本物であることを証明するのは、力か、それとも言葉か。
偽物が決してコピーできない「不完全な本物」の正体を巡り、タムとカイトの矜持を懸けた情報の検品が始まります
『緑の回廊』を抜けた一行を待っていたのは、生命の輝きではなく、視界を完全に遮る「意志を持った霧」だった。
木々の隙間から溢れ出す濃密な魔力を含んだ蒸気が、一歩進むごとに距離感を狂わせ、仲間たちの気配を霧の向こうへと溶かしていく。
「……全員、離れないでください! 霧の密度が、物理的なパッキングの境界を曖昧にしています!」
タムの声が響いた直後、突風が森を吹き抜けた。視界が真っ白に染まり、次に霧が晴れた時、そこには異常な光景が広がっていた。
「……何だ、これ……鏡でも置いてあるのか?」
カイトが呆然と呟き、剣を構える。
霧の向こうから歩み寄ってきたのは、自分たちと全く同じ姿、同じ装備、そして同じ「傷跡」までもを再現した、もう一組の『ラストマイル』だった。
「フォッフォ、これは傑作じゃ。わしの皺の数まで一致しとるわい」
「笑い事じゃないわよ、エドワード! ……セレス、敵の正体は!?」
リナが叫ぶが、鎧の中から返ってくるのは砂嵐のようなノイズだけだった。霧そのものが高密度の魔力回路となって、セレスの探査機能を阻害している。
『……落ち着いてください。……これは精霊の森が侵入者を排除するための防衛システム。……対象の情報を「複写」し、同一の存在をぶつけることで自滅を促す、極めて効率的な排除法です』
二人のタムが、全く同時に同じトーンで、同じ解説を口にした。
「「今の発言、どちらが本物か分かりますか?」」
声まで重なり、カイトとリナは混乱に陥る。
「ふざけるな! だったら、ぶっ叩いて本物を確かめるだけだ!」
右側のカイトが吠え、左側のカイトも同時に同じ剣筋で踏み出す。
キンッ、と硬質な音が響き、二人の『カイト』の剣が噛み合う。技の速さも、力も、折れた聖剣のリーチさえも完璧に等しい。これでは、どちらが偽物か判断がつかない。
「……待ってください。無秩序な戦闘は、情報の摩耗を招くだけです」
一人のタムがスッと手を挙げ、戦いを制した。
「……鏡合わせの敵を倒すには、コピーできない『ノイズ』を見つけるしかありません。……リナさん。二人のカイトさんに、これを渡してください」
タムは鞄から、適当な大きさの石ころ二つと、予備の三角巾(布)を取り出した。
「……カイトさん。二人とも、その石を布で包んでみてください。……以前、リナさんから教わった『戦場での応急処置』と同じ手順で」
リナがハッとした表情を見せる。
「……あ、そうか! 確かに、あれなら……!」
二人のカイトは、それぞれ石と布をひったくるように受け取った。
「包めばいいんだな!? だったら見てろ、俺が本物だって証明してやる!」
二人のカイトが、必死に手を動かし始める。
片方のカイト(A)は、驚くほど滑らかな手つきだった。
布を均等な三角形に折り、石を中央に据え、指先を器用に動かして布の端を絡める。騎士団の教本に載っているかのような、流れるような美しい動作。数秒後、そこにはシワ一つない完璧な「応急処置のサンプル」が出来上がった。
もう片方のカイト(B)は、散々な有様だった。
「……くそっ、この布、滑りやがる! 結び目が、あ、痛っ! 指挟んだ!」
焦れば焦るほど指がもつれ、布はひきつり、最後には石が袋の中でゴロゴロと動くような、不格好で歪な塊が完成した。
カイト(A)が誇らしげに胸を張る。
「見たか! リナの教え通り、完璧な包み方だ! こっちの不器用な偽物を早く始末してくれ!」
リナは、出来上がった二つの包みを見比べた。
そして、一切の迷いなく剣を抜き放つと、**完璧に美しく包んだカイト(A)**の喉元へ刃を突きつけた。
「……あ、あんたが偽物よ。消えなさい」
「な、何だと!? 俺の方が完璧に包んだんだぞ! 嘘だろ!?」
「……カイトが、そんなに器用に指を動かせるわけないでしょ! 私が何度教えても、あんたはいつも『指が太くて結べない!』って逆ギレして、結局私が巻き直してあげてたじゃない!」
「……えっ、いや、それはそうだけど、リナ、そんなにはっきり言わなくても……」
不格好な包みを手にした本物のカイトが、微妙な表情で呟く。
カイト(A)の姿が、リナの言葉によって「情報の矛盾」を突かれ、霧のように崩れ始めた。
「……チッ……完璧な勇者の情報をコピーしたはずが、……『ダメな部分』こそが本質の証明だったとは……」
恨み言を残し、偽物のカイトは消滅した。
「……ふぅ。……助かったぜ、リナ」
「……少しは練習しなさいよ、本当に」
リナが呆れたように溜息をつく。
だが、問題はまだ終わっていなかった。
カイトの件を静かに見守っていた「二人のタム」が、同時に眼鏡のブリッジを押し上げた。
「「……検証、ありがとうございます。……偽物は、対象を『理想化』してコピーする傾向があるようですね。……学習しました。……では、次は私の番です」」
二人のタムが、全く同じ、冷徹なまでの「不器用なフリ」を混ぜた所作で、一行の前に立ち塞がった。
偽物のカイトが霧に溶け、静寂が戻ったのも束の間。残された二人のタムは、同時に眼鏡のフレームを指先で押し上げた。その、あまりにも「タムらしい」無機質な動作の同期に、リナは背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「「学習しました。偽物は、対象を『理想化』しすぎる。……ならば、あえて『不完全な自分』を演出し、中身を偽装する。それが次の最適解ですね」」
二人のタムは、全く同じ不器用な手つきで、足元の石を布で包み始めた。一人はわざと結び目を歪ませ、一人は布を少しだけ汚してみせる。先ほどのカイトの失敗を、即座に「正解のデータ」として取り込んだのだ。
「……これじゃ、さっきの手は使えないぜ。どっちも同じくらい『下手なフリ』をしてやがる」
カイトが忌々しげに吐き捨て、剣の柄を握り直した。
その時、本物か偽物か分からぬ一人のタムが、静かにリナへと歩み寄った。
「……リナさん。先ほどから鎧の左肩、継ぎ目のパーツが僅かに浮いています。……ガリア隊長との対峙で魔力的な歪みが生じたのでしょう。……今のうちに、私が『仮梱包(応急処置)』をしておきます」
もう一人のタムも即座に反応する。
「……いいえ、左肩だけではありません。右脚の装甲、そこもアレスとの戦闘による金属疲労が限界です。……私がパッキングし直しましょう」
二人のタムが、リナの左右に分かれて膝を突く。
彼らは手慣れた動作で、予備の魔導ガムテープを取り出した。極北の工廠で製造された、強固な粘着力と魔導伝導率を誇る特製のテープだ。
「「リナさん。……目を閉じてください。……作業に集中します」」
二人のタムの手が動く。
鎧の隙間を塞ぎ、ひび割れた装甲を固定し、魔力の漏出を最小限に抑える。その手際は、どちらも驚くほど迅速で、的確だった。派遣社員として数多の現場を渡り歩き、この異世界でも数えきれないほどの荷物を包んできた「梱包師」の技術。
リナは、目を閉じたまま、自分に触れる二人の手の感触を確かめていた。
やがて、同時に作業が止まる。
「「……完了しました。……検品してください」」
リナがゆっくりと目を開ける。
左肩の装甲は、完璧に補強されていた。右脚の装甲も、新品同様の安定感を取り戻している。
「……ねぇ、二人とも。……一つだけ、聞いていい?」
リナは左右のタムを交互に見つめ、静かに問いかけた。
「……あんたたち、この作業を、誰のためにやったの?」
左のタムが答える。
「……効率のためです。……このチームの戦力を維持し、納品先(目的地)へ辿り着くための、当然の処置です」
右のタムが答える。
「……同じです。……『在庫』が壊れたまま運ぶのは、梱包師としての自尊心が許しませんから」
答えも、表情も、やはり同じだ。
だが、リナの視線は、右脚の装甲に貼られた「テープの端」に釘付けになっていた。
「……カイト。……左側にいる方を、斬りなさい」
「えっ!? ……おい、本当にいいんだな!?」
「……いいから、やりなさいッ!!」
リナの叫びに応じ、カイトが光の残滓を纏った剣を振り下ろす。
「……効率が悪すぎる……」
左側のタムは、最期にそう呟いて、青白い霧となって霧散した。
「……リナ、どうして分かったんだ? 今の、どっちも完璧だっただろ?」
カイトが肩で息をしながら尋ねる。エドワードも不思議そうに、残された「右のタム」が巻いた脚の装甲を覗き込んだ。
「……これを見て」
リナが指し示したのは、装甲を固定している魔導ガムテープの、ほんの小さな端の部分だった。
そこには、**正確に二ミリ、内側へと折り返された「耳」**が作られていた。
「……これよ。……ただ完璧に包むだけなら、こんな無駄な工程はいらないわ。……でも、この男は、一話目で私たちが初めて会った時……いいえ、この世界に来るずっと前から、こうやってテープを貼っていたのよ」
リナは、膝を突いたままのタムを見下ろし、少しだけ困ったように笑った。
「……こうしておけば、後で剥がす時に、手袋をしていても爪を立てずにすぐ剥がせる。……『受け取った側が気持ち良いように』って。……あいつ(偽物)がコピーした『効率的なタム』の記憶の中には、こんな非効率で、誰も見ていないような『優しさ』のデータは、優先順位が低すぎて入っていなかったのね」
タムは眼鏡を掛け直し、ゆっくりと立ち上がった。
「……リナさん。……気づいていただけたのですね。……上司には『効率が悪い』と何度も怒鳴られた、私の悪い癖です」
「……悪い癖じゃないわよ。……あんたのその執着が、今の私を、そしてセレスを救っているんだから」
リナの言葉に、鎧の中からセレスの安堵したような笑い声が響いた。
本物のタムは、自分の右手の義手――ボロボロになった魔導銀の指先を見つめ、静かに、けれど誇らしげに告げた。
「……情報の検品、完了。……『理想』をコピーした偽物に、私の三十年の『無駄』は再現できません。……さて、ルートを戻しましょう。……精霊の森は、ここからが本番のようですから」
霧の向こう側で、本物の仲間の絆が、折り返されたテープの端のように、しっかりと結び直されていた。
第37話をお読みいただき、ありがとうございます。
カイトの不器用さ、そして第一話から描かれてきたタムの「ガムテープの端の折り返し」。
お父様の合理性や精霊の模倣能力では決して再現できない、泥臭くも温かい「無駄なこだわり」こそが、偽物を見破る唯一のサインとなりました。
絆をパッキングし直したラストマイル。しかし、森の洗礼はまだ終わったわけではありません。
次回、第38話。
さらに深まる緑の深淵。空間すらも捻じ曲がる「理不尽な試練」の連続に、一行の体力と精神は限界を迎えようとしていました。
絶体絶命のその時、霧の向こう側から彼らを呼ぶ「何か」とは――。
物語は、誰も予想し得なかった急展開を迎えます。




