第36話:偽装の検問所
工廠から東へ。一行が辿り着いたのは、精霊の森へと続く唯一の要衝『緑の回廊』でした。
お父様の権威を借りた「特級配送パス」を掲げ、堂々と正面突破を試みるチーム『ラストマイル』。しかし、その行く手に立ちはだかったのは、かつてリナと最強を競い合った女性騎士ガリアでした。
顔を隠し、気配を殺すリナに対し、執拗に「中身」を暴こうとするガリア。
規律に生きた二人の、言葉なき心理戦が幕を開けます。
極北の凍土を離れ、一行が進む先には、世界樹の根元を抱く『精霊の森』へと続く唯一の難所、険しき山嶺を貫く『緑の回廊』が待ち受けていた。
ここは、お父様の息がかかった王国東部軍の精鋭が固める、事実上の軍事拠点である。
「……見えてきました。あそこが『緑の回廊』です。警備の密度、魔力障壁の強度……事前情報以上に、王国はここを『喉元』として重視しているようですね」
タムが、馬車の御者台から遠見の魔導具を覗き込みながら、淡々と状況を報告する。彼の右手――アレスとの死闘で内部構造が剥き出しになった魔導銀の義手は、現在、古びた麻布で厳重に巻かれ、一見すれば大怪我を負ったしがない旅人のように偽装されていた。
「フォッフォ、これだけの重武装、普通なら一目散に逃げ出すところじゃが……。お父様の名前を掲げての正面突破、まさに『毒を食らわば皿まで』じゃな」
エドワードが、懐にある偽造パスの感触を確かめながら、不敵に笑う。彼の手元にある『黒金の配送受領票』は、お父様の権威を完璧に模倣した、この旅で最も危険かつ強力な通行証だ。
馬車の荷台では、カイトが身を潜め、折れた聖剣を隠すようにマントを深く被っていた。その隣には、フルフェイスの黒鉄の兜を被り、素顔を完全に消したリナが、石像のように微動だにせず座っている。
「……リナさん、呼吸がわずかに速まっています。……かつての同僚がいる、という予測に基づく心理的負荷ですか?」
タムが馬車を走らせながら、振り返らずに問いかける。
「……いいえ、ただの『点検』よ。……私はかつて、この場所で規律を説き、不正を許さず、多くの騎士たちに疎まれた。……だから、あそこにいる者たちが私を忘れているはずがないの」
兜の奥から響くリナの声は、どこか冷徹で、けれど微かに震えていた。
やがて、馬車は関所の巨大な鉄門の前に到達した。
「止まれ! 全車両、全人員、その場で停止せよ!」
鋭い号令と共に、十数名の聖騎士たちが馬車を包囲する。彼らの掲げる槍の穂先は、一点の曇りもなく磨き上げられ、この拠点の士気の高さを物語っていた。
「検品だ。許可があるまで一歩も動くな」
騎士たちの列が左右に割れ、その中央から一人の女性騎士が歩み寄ってきた。
白銀の甲冑を鳴らし、マントを翻して歩くその姿を見た瞬間、リナの心臓が大きく跳ねた。
「……ガリア」
兜の奥で、リナがその名を小さく、けれど苦々しく噛み締めた。
ガリア。聖騎士団時代、規律の権身であったリナを最大のライバルと定め、その潔癖なまでの正義感と圧倒的な剣技に、歪んだ憧憬と敬愛を抱き続けてきた女。リナが騎士団を去った後、空席となったその地位を実力で奪い取った、かつての同期である。
ガリアはタムの前に立つと、冷徹な双眸で彼を射抜いた。
「……私は、この検問所の責任を預かるガリアだ。……お父様直属、特級配送便だという報告は受けているが、この時期に、このボロ馬車一台というのは解せないな」
「……効率の追求(最適化)の結果です。……荷の中身は極めて繊細。……大軍を動かせば、それだけ振動と不要な注視を招く。……そう、お父様は判断されました」
タムが表情一つ変えず、偽造されたパスを差し出す。
ガリアはパスを指先で弄びながら、タムの顔ではなく、その後ろ――馬車の荷台へと視線を移した。
「……配送パスは確かに本物のようね。……けれど、私の仕事は書面を確認することじゃない。……お父様がどのような『在庫』を運ばせているのか、この目で検品することよ」
ガリアがゆっくりと、獲物を追いつめる獣のような足取りで馬車へと歩み寄る。
カイトは息を殺し、エドワードは魔導回路を静かに臨戦態勢へと引き上げる。
ガリアは馬車の荷台の縁に手をかけると、フルフェイスの兜を被ったリナの目の前、鼻先が触れそうなほどの至近距離まで顔を寄せた。
「……随分と、不気味な護衛を連れているわね。……一言も発さず、気配を殺しているつもりでしょうけれど……」
ガリアは鼻を微かに動かし、リナの鎧の隙間から漏れる「匂い」を嗅ぐような仕草を見せた。
「……いい鎧ね。……けれど、中身の『鮮度』が少しばかり足りないんじゃないかしら?」
その言葉は、かつてリナとガリアが模擬戦の際、互いの実力を測り合うために交わした、二人だけの「隠語」だった。
「……ねぇ、聞いてる? 鋼鉄の案山子さん。……その中身は、規律という不純物が詰まりすぎて、今にも腐り落ちそうじゃない?」
ガリアの手が、リナの兜のバイザーにゆっくりと伸びる。
リナは一言も発しなかった。ただ、聖騎士団時代に死ぬほど繰り返した「完璧なる不動の姿勢」を貫く。指先一つの震えも見せず、感情を完全にパッキングして、目の前の執着を無視し続ける。
その、あまりにも「リナらしい」無機質な拒絶こそが、ガリアの瞳に狂おしいほどの確信を与えていく。
ガリアの口角が、僅かに吊り上がった。
「……いいわ。その沈黙、その傲慢なまでの正しさ。……ああ、やはり中身は私が思っていた通りの『特級品』のようね」
タムが二人の間に割って入る。
「……ガリア隊長。……不必要な接触は、積荷の変質を招きます。……検品を終えたのであれば、速やかな通行を求めます」
ガリアはタムを睨みつけるが、その瞳には先ほどまでの疑念ではなく、獲物を見つけた狩人のような悦楽が宿っていた。
「……ええ、ええ。そうね。……配送員さん、あんたの言う通りよ。……ここでお父様の荷物を台無しにしたら、私の首が飛んでしまうもの」
ガリアは馬車から一歩退くと、高く手を挙げた。
「……『黒金のパス』に偽りなし! 全員、道を開けろ! この特級配送便を、一刻も早く『精霊の森』へと送り届けるのだ!」
白銀の甲冑を纏ったガリアが、高らかに通行許可を宣言した瞬間、関所に張り詰めていた糸のような緊張が、一気に「困惑」へと塗り替えられた。
「ガリア隊長、本気ですか!? 護衛の騎士は素顔も明かさず、魔力反応も極めて不安定です。せめて一度、鎧を解かせて身分を照合すべきでは――」
一人の副官が、怪訝な表情で詰め寄る。その懸念は聖騎士として極めて正当なものだった。
だが、ガリアは冷徹な一瞥でそれを封じ込めた。
「お父様の『特級配送』を止めることが、どれほどの規律違反(損失)になるか理解しているのか? このパスにある黒金の刻印こそが絶対だ。中身が何であれ、お父様が『通せ』と言っているものを、お前ごときが疑う権利はない」
その言葉は、規律を愛するリナを誰よりも知っているガリアが、リナを守るために「規律」という盾を逆手に取った欺瞞であった。
「……出発します」
タムが短く告げ、手綱を握り直す。馬車がゆっくりと車輪を回し、鉄門の敷居を越えようとしたその時だ。
ガリアがふわりと風を纏うような足取りで、再び御者台のタムの傍らへと歩み寄った。彼女は、馬車の荷台で石像のように固まっているリナを、横目で、熱を孕んだ視線で射抜きながら、タムにだけ聞こえるような低く甘い声で囁いた。
「……配送員さん。一つだけ、忠告しておいてあげるわ。……この先の『精霊の森』は、今のあんたたちのパッキングじゃ、中身が腐るわよ」
タムが僅かに眉を動かす。ガリアの瞳には、かつての同僚への執着だけではない、何らかの「警告」が宿っていた。
「森は、生半可な嘘を嫌うわ。……特に、死者の魂と生者の器を無理やり繋ぎ合わせているような不自然な『同梱品』は、森の精霊たちの格好の餌食になる。……もっと『熱く』、魂の深部までしっかり守りなさい。……今のあの子は、あんたが思っている以上に脆いんだから」
その言葉を最後に、ガリアは馬車の車輪を軽く叩き、背中を向けた。
「行け! 特級配送便に遅延を許すな! 道を開けろッ!!」
号令と共に、完全に道が開かれた。
馬車が速度を上げ、関所の巨大な影を抜けていく。
カイトはマントの下で握っていた剣の柄をようやく放し、深く、長く肺の空気を吐き出した。
「……助かった、のか?」
「……ええ。ですが、ガリア隊長のあの言葉……。彼女はセレス様の状態まで、一目で見抜いていたようです」
タムの言葉に、リナがゆっくりと兜を脱ぎ、後ろを振り返った。
遠ざかる関所の門前で、ガリアが一人立ち尽くし、馬車の轍をじっと見つめているのが見えた。その姿は、規律を破った背徳感に浸っているようでもあり、あるいは、再びリナを追い詰め、その硬い鎧を剥ぎ取る瞬間を夢見ているようでもあった。
「……相変わらず、可愛げのない女。……私の癖も、呼吸も、全部あいつにはお見通しだったってわけね」
リナは毒づきながらも、どこか安堵したように口元を緩めた。
『リナさん……。あの方の視線、怖かったですけれど、不思議と悪意は感じませんでした。……むしろ、何かを託されたような、そんな感じがして……』
鎧の核から響くセレスの声も、ガリアの執着の中にあった「奇妙な信頼」を敏感に感じ取っていた。
関所から数キロ。緩やかな下り坂を下りきった一行の前に、それは突如として現れた。
『緑の回廊』という名前の通り、空を覆い尽くすほどの巨樹が連なり、昼間でも薄暗い緑の光が支配する世界。原生林『精霊の森』。
そこは、人が定めた道も、お父様が敷いたロジックも通用しない、生命の混沌が渦巻く聖域だった。
「……ここが、世界樹の根元へと続く入り口ですか。空気が、これまでの極北とは明らかに違いますね」
タムが馬車を止め、森の入り口で検品を行う。
漂う大気には高密度の魔力が満ち、吸い込むだけで肺が焼けるような錯覚を覚える。
エドワードが背負い箱から、脈動を強めている『魔導銀の繭』――リンを取り出し、その様子を観察した。
「……お嬢ちゃんの繭が、森の呼吸に共鳴しとる。……禁忌の知識に触れた彼女にとって、この生命力に満ちた森は毒になるか薬になるか……」
「毒にはさせない。……俺たちの旅は、もう始まったんだ。……行くぞ、タム。リナ、セレス、エドワードさん」
カイトが馬車を降り、一歩、原生林の柔らかな土を踏みしめた。
彼らの目の前には、巨大なシダ植物や、淡く発光するキノコ、そして時折木々の間を横切る、意思を持ったような風が渦巻いている。
「……検品完了。……これより、一つ目の至宝『原初の粘土』のピッキングを開始します」
タムが、壊れた右手の義手をマントの下で固く握り直した。
ガリアの残した警告。「もっと熱く守りなさい」という言葉の意味を噛み締めながら、一行は、深い緑の深淵へと飲み込まれていった。
リナは最後に一度だけ、ガリアのいる西の方角を見やり、前を向いた。
「……次に会う時は、この鎧の中身が『腐って』いないことを、思い知らせてあげるわよ」
言葉よりも重い再会の約束を胸に、ラストマイルの新章、その最初の試練が幕を開けた。
第36話をお読みいただき、ありがとうございます。
リナの過去を知る因縁のライバル、ガリアとの再会はいかがでしたでしょうか。
リナの「完璧な不動」から正体を確信し、あえてそれを黙認して道を開けるガリア。彼女の歪んだ執着と、別れ際に残した「中身が腐る」という不吉な警告が、リナの心に波紋を広げます。
そして一行は、ついに未知の原生林『精霊の森』へと足を踏み入れました。
次回、第37話。
人知を超えた生命の奔流の中で、一行は一つ目の至宝『原初の粘土』を追います。
しかし、森の洗礼は、想像を絶する形で彼らの「パッキング」を揺るがすことになります。
物語はファンタジーの深淵へと加速します!




