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第31話:束の間のパッキング解除

城塞都市バラムを出てから数日。

 三年にわたる地下での狂気的な修行を終えた一行が辿り着いたのは、山あいの小さな宿場町でした。

 薪がはぜる音、温かいシチューの湯気、そして久しぶりに浸かる温泉の温もり。

 自分たちを「凶器」へと造り替えた彼らにとって、それは忘れかけていた「人間」としての時間を取り戻すための、束の間の休息。

 姿形は変わっても、共に地獄を生き抜いた絆だけは、何者にもパッキングできないほど強く、温かく輝いていました。

 城塞都市バラムを離れてから四日。

 一行が進む先は、かつて星屑の観測塔を経由した遠回りのルートではない。極北の地へ最短距離で突き抜ける、険しい山脈を越える軍用路だった。

 三年にわたる地下修行を経て、彼らの脚力は常人の域を超えていた。かつてなら数週間を要したはずの距離を、一歩も立ち止まることなく、呼吸を乱すことすらなく踏破していく。

 だが、その日の夕刻。

 タムが珍しく、歩みを止めた。

 「……本日は、ここまでとしましょう。前方、宿場町『トウカ』です。ここで一晩、精神的な『荷解き(オフ)』を行います」

 山あいの斜面にへばりつくようにして存在する、登山者や薬草取りのための小さな集落。

 家々の煙突からは夕食の準備を知らせる白い煙が立ち上り、どこからか薪がはぜる香ばしい匂いが漂ってくる。

 

 「宿場町……。ああ、そうか。俺たち、三年間もずっと地下にいたんだな」

 カイトが眩しそうに街の灯りを見つめる。

 

 『カイトさん! 見てください、お花が咲いてますよ! 街に色があるの、久しぶりです!』

 リナの鎧の中から、セレスの弾んだ声が響く。リナ自身も、漆黒のバイザーの奥で、わずかに目を細めていた。

 一行が入ったのは、古びているが手入れの行き届いた一軒の宿だった。

 宿の主人は、漆黒の鎧を纏うリナや、巨大な義手を持つタムを見て一瞬身構えたが、カイトの穏やかな微笑みと、タムが差し出した「丁寧な」宿泊代金を見て、すぐに愛想よく奥へと案内した。

 「まずは、食事にしましょうか。エドワードさん、あまり飲み過ぎないように」

 「わかっとるわい! だが、三年間も鉄屑とオイルの匂いしかしねぇ地下にいたんじゃ。麦酒エールの一杯や二杯、飲まねばやってられんわい!」

 宿の食堂。

 運ばれてきたのは、地元の根菜をたっぷりと煮込んだ熱々のシチューと、焼きたての厚切りパン、そして脂の乗った川魚の塩焼きだった。

 地下での修行中、彼らが口にしていたのは、エドワードが魔導合成した「高効率・高栄養だが無味無臭」のパッキング食のみ。

 「……いただきます」

 カイトがシチューを一口運ぶ。

 「……っ、うまい。うまいよ、これ……」

 カイトの瞳に、じわりと涙が浮かぶ。それは単なる味覚の感動ではなく、自分たちがまだ「生きている人間」であることを、温かい食べ物が証明してくれたからだった。

 リナもまた、鎧の首元をわずかに緩め、スプーンを口に運ぶ。

 「……甘い。野菜の甘みが、こんなに……」

 『リナさん、リナさん! どんな味!? 私にももっと詳しく教えて! 甘いの? とろとろなの!?』

 セレスが脳内で騒ぎ立てる。リナは可笑しそうに、心の中で答えた。

 (ええ、セレス。とても温かくて……私たちの魂を、もう一度包み直してくれるような味よ)

 タムは端の方で、静かにパンを噛み締めていた。

 「……糖分によるセロトニンの分泌、および塩分による電解質の補完。……悪くない数値です。精神的な不備ストレスが、みるみるパッキングされていく」

 「理屈っぽいのは変わらないわね、タム。ほら、この魚も食べなさいよ」

 リナが自分の皿から、身の厚い塩焼きをタムの皿へと放り込む。

 タムは一瞬、戸惑ったようにその魚を見つめ、それから小さく頷いて口に運んだ。

 「……脂の乗りが、過剰配送オーバー気味ですね。……美味しいです」

 その言葉に、カイトとリナが顔を見合わせ、三年前と変わらない屈託のない笑い声を上げた。

 食事を終えた後、リナは宿自慢の温泉へと向かった。

 

 湯気の立ち込める脱衣所。リナは自身の漆黒の防護外装スーツのパッキングを、一時的に最小出力まで解除した。

 鏡に映るのは、三年前よりも引き締まり、しなやかな筋肉がついた自分の裸体。だが、その胸元や手足には、セレスの魂を繋ぎ止めるための青い紋章が、深い刺青のように刻まれている。

 「……重くなったわね、私たち」

 リナが鏡の中の自分に語りかける。

 『そうですね。でも……この模様、私は嫌いじゃありません。リナさんと私が、本当に「一つ」なんだって、証明してくれてるみたいで』

 リナは温泉の湯船に、ゆっくりと身を沈めた。

 「――ああぁ……」

 『ふえぇぇぇ……溶ける……リナさん、私、溶けちゃいそうですぅ……!』

 

 お湯の温もりが、セレスを通じてダイレクトにリナの感覚神経を刺激する。

 肉体を持つリナと、魂として寄り添うセレス。二人の境界線が、温かなお湯の中で曖昧に溶け合っていく。

 

 「セレス。……怖くない?」

 天井から滴る水滴を見つめながら、リナがぽつりと呟く。

 「これから向かうのは、あの絶望が待つ場所よ。もう二度と、普通の女の子としてはお風呂に入れないかもしれない」

 『……怖いです。でも、それ以上に楽しみなんです。リナさんと一緒に、世界で一番丁寧な「お返し」をしに行くのが。……それに、こうしてお湯に浸かって「気持ちいい」って思えるなら、私たちはまだ、化け物になんてなってませんよ』

 セレスの明るい声に、リナは心の澱が少しだけ洗われるのを感じた。

 「そうね。……まだ、パッキングを解けば、私たちはただの女の子に戻れる。……今は、そう信じていましょう」

 湯煙の向こう。

 三年間、地下の闇で「兵器」として生きてきた少女たちは、今この瞬間だけは、どこにでもいる仲の良い親友同士のように、温かな安らぎの中に身を委ねていた。


 ***


リナとセレスが温泉で羽を伸ばしている頃。

 宿の裏手にある小さなテラスでは、男たちが夜風に当たっていた。

 標高の高いこの宿場町からは、見上げるような星空が広がっている。だが、北の空だけは不気味に赤黒く淀み、時折、雷鳴のような地響きが遠くから届いていた。

 「……三年か。長いようで、あっという間だったな」

 カイトが、テラスの欄干に身を預けながら呟いた。

 その隣では、タムが右腕の義手を点検している。オイルを差し、微細なネジの緩みを調整するその指先は、月光に照らされて機械的な光沢を放っていた。

 「タム、あんたに聞きたかったんだ。……なんで俺たちを、ここまで強くした?」

 カイトの視線が、タムに向けられる。

 「お嬢様を助けるためだけなら、他にもやりようはあったはずだ。でも、あんたは俺たちを『アレスと対等に戦えるレベル』まで引き上げた。それも、自分自身の命を削るような無茶な方法でさ」

 タムは作業を止め、北の空を見つめた。

 「……カイト。私は梱包師です。荷物を預かった以上、それを完全な状態で、受取人の元へ届けるのが仕事です」

 「受取人……? アレスのことか?」

 「いいえ」

 タムは静かに首を振った。

 「受取人は、この世界の『明日』ですよ。……お嬢様の魂を、リナさんの未来を、そしてお前の勇者としての誇りを。それらをゴミとして廃棄させない。……価値あるままに『未来』へと届ける。それが、私の今回の受注内容オーダーです」

 「……相変わらず、理屈っぽいな。でも、嫌いじゃないよ。あんたのそういう、仕事熱心なところ」

 カイトが苦笑し、手元のジョッキをタムの義手に軽く当てた。チン、と澄んだ金属音が響く。

 そこへ、少し離れた席で強いハード・リカーを煽っていたエドワードが、重い口を開いた。

 「のう、タムよ。わしは三年間、お主の書いた設計図通りに資材を造り続けてきたが……。一つだけ、解せんことがあった」

 エドワードは、酔っているとは思えないほど鋭い眼差しで、タムを見つめた。

 「お主、自分の肉体に施した『自己パッキング』。あれは衝撃を吸収するだけのものではないな? ……あの反動の逃がし方、あれは『一度受けた力を、自身の寿命と引き換えに数倍に増幅して撃ち出す』禁忌の術式じゃ」

 その言葉に、カイトの顔から余裕が消えた。

 「タム……それ、本当なのか?」

 タムは表情を変えず、ただ静かに月を見上げた。

 「……過剰な出力には、相応のコストがかかる。物流の常識ですよ、エドワードさん」

 「馬鹿者が! お主、お嬢様を届けた後、自分はどうするつもりじゃ! 空箱になって、そのまま崩れ落ちる気か!」

 エドワードが怒声を上げた。その声には、三年間共に地獄を這いずってきた戦友への、痛切な危惧が込められていた。

 「……配送員は、荷物が届けば、それで役割終了です。……ですが、安心してください。私は『丁寧な』男です。自分の始末パッキングくらい、自分でつけます」

 テラスを支配する重い沈黙。

 その時、食堂の扉が開き、湯上がりのリナが姿を現した。

 「あら、三人で何を密談してるの?」

 リナは漆黒の鎧の出力を極限まで絞り、その上から宿で借りた簡易的なローブを羽織っていた。濡れた翠の髪が月光に輝き、その美しさは三年前の「守られるべき女」ではなく、自らの足で立つ「孤高の戦士」のそれだった。

 『みんなー! 温泉、最高でしたよ! 次はタムさんたちも行ってきてください!』

 鎧の中から、セレスの元気な声が響く。その明るさが、テラスの重い空気をふっと霧散させた。

 タムは立ち上がり、静かにローブを整えた。

 「……ええ。お嬢様がそう仰るなら、短時間だけ休息(パッキング解除)してきましょうか」

 翌朝。

 宿場町「トウカ」の入り口に、再び一行の姿があった。

 昨夜の穏やかな表情はもうない。カイトは光の刃を宿した柄を固く握り、リナは漆黒の鎧の出力を戦時モードへと引き上げる。エドワードは巨大な工具鞄を背負い直し、タムは冷徹な眼差しで北の山道を指差した。

 「これより、宿場町トウカを出発。……目的地、『極北工廠プラント』」

 宿の主人が、不安そうに彼らを見送る。

 「お客さん……本当にあっちへ行くのかい? 最近、北の空からは化け物の咆哮が聞こえてくるんだ……。命を大事にしな」

 タムは足を止めず、振り返ることなく答えた。

 「……ご心配なく。私たちは、世界で一番『命の扱い』に長けた配送チームですから」

 一行が山道を一歩踏み出すと、背後の街の灯りが、瞬く間に白く深い霧の中へと消えていった。

 

 前方の視界が拓ける。

 そこは、三年前、すべてを失ったあの雪原へと続く一本道。

 その道の果て、凍てついた山々の間に、鈍く黒光りする巨大な建造物のシルエットが見えてきた。

 

 アレスの本拠地、極北工廠。

 

 一行の心拍数が跳ね上がり、魔力が大気を震わせる。

 「……さあ、行きましょうか。……三年前の『不在届』を、血と鉄で上書きする時間です」

 第31話をお読みいただき、ありがとうございます。

 

 休息回でありながら、タムの「自己パッキング」の恐ろしい真実がエドワードによって示唆される、緊張感のある幕切れとなりました。

 タムは自分の寿命さえも資材として、この配送を完遂しようとしています。カイトたちが強くなった一方で、タム自身もまた、後戻りできない場所へと足を踏み入れているようです。

 

 いよいよ物語は最終決戦の地、『極北工廠プラント』へ。

 三年前の絶望を乗り越え、彼らはアレスに届くのか。

 

 次回、第32話。

 工廠の入り口で彼らを待っていたのは、アレスが「梱包」した、想像を絶する『不備の化け物』たち。

 新生チームの初陣が始まります!

 どうぞ、ご期待ください。

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