第28話:砂の時計、折れた剣
死の宣告から、三日。
最高位の治癒師カトリーヌをもってしても救えない、セレスの魂の霧散。
勇者の誇りを折られたカイト、意識の戻らぬリナ。絶望に沈む城塞都市バラムで、残された時間は砂時計の最後の一粒を数えようとしていました。
「三日間、あいつを門で待つ」
根拠のない確信だけを胸に、折れた剣を腰に差し、門前に立ち続けるカイト。
約束の納期、一秒前。凍てつく霧の向こうから、誰もが予想しなかった「異形」が姿を現します。
それは、自らの肉体すらもパッキングの資材へと変えた、男の執念の姿でした。
城塞都市バラムを、冷たい秋の長雨が濡らし続けていた。
かつて活気に満ちたバラムの街並みも、聖カトリーヌ治癒院の奥深く、重厚な石壁に閉ざされた「特別診療室」の静寂を揺らすことはできない。
そこにあるのは、規則正しく、しかし残酷な速さで刻まれる「死」へのカウントダウンだけだった。
「一日目。……セレス様の魂の流出が加速しているわ。これ以上は、私の治癒魔法でも抑えきれない」
カトリーヌの声に、カイトは答えなかった。
彼は一日中、病室の隅で膝を抱えて座り込んでいた。手元には、アレスによって無残に叩き折られた、柄だけの聖剣がある。カイトは時折、その折れた断面を指でなぞる。そこから伝わる冷たさは、あの日、アレスに「玩具」と断じられた瞬間の屈辱を、鮮明に思い出させた。
「カイト……。何か、少しでも食べておかないと。」
エドワードが、震える手で運んできた粥を差し出す。エドワード自身、リナへの継続的な魔力供給で瞳の輝きを失い、頬はこけていた。だが、それでも彼は「大人」として振る舞おうとしていた。
「……支える? 何をだよ」
カイトが、低く濁った声を出した。
「聖剣は折れた。セレスはあと三日で消える。……タムだって、あの化け物の前で……。俺に何ができるって言うんだよ。俺はただ、タムが運んでくれた『荷物』だったんだ。勇者なんて、ただのラベルを貼られていただけの……」
カイトの言葉は、自らを傷つける刃のようだった。
彼は、タムがどんな時も「丁寧」であろうとした理由を、今さらながら理解し始めていた。丁寧であることは、信じることだ。いつか誰かに届くと、この価値が認められると、一秒先の未来を疑わないことだ。
だが、カイトの未来は、アレスの一撃で完全に「賞味期限切れ」を言い渡されてしまった。
「二日目……」
リナの容態に変化があった。
意識は戻らないものの、彼女の体が激しく痙攣し始めたのだ。アレスによって強制的に「否定」された彼女の魔力回路が、自分自身の存在を拒絶するように暴走している。
「リナ!!」
エドワードが必死に術式を唱え、暴走を抑え込む。だが、カトリーヌは悲しげに首を振った。
「……魔力という概念を書き換えられた影響よ。彼女の意識は、今、底なしの暗闇の中で『自分が自分である理由』を奪われ続けている。……このままだと、リナ様の心は、セレス様よりも先に壊れてしまうわ」
『……カイト……さん……』
不意に、微かな念話が響いた。
ひび割れたポッド。その奥で、魂を繋ぎ止めていた超電導レアメタルが、赤黒い酸化物に侵食されながら、最期の灯火を散らしている。
セレスの意識が、混濁し始めていた。
『痛い……のは……もう、いいんです……。それより……タムさんは? タムさんは……どこ? ……私を……迎えに……来て……くれる……?』
「セレス……っ!」
カイトはポッドに駆け寄り、その冷たい外壁を抱きしめた。
「……ごめんな。タムは……。タムは……」
言えなかった。「あそこに残してきた」とは、どうしても言えなかった。
あの日、タムが流した涙。自分の腕を失い、自尊心を削られながらも、最後に見せたあの「白い光」の温もり。
タムは、あきらめていなかった。自分たちが「無価値なゴミ」であることを、誰よりも否定しようとしていた。
「……タムは、来る。あいつは、絶対に納期を破らない」
カイトの口から、無意識にそんな言葉が漏れた。
それは希望ではなく、呪いに近い確信だった。あんなに丁寧で、あんなにしつこくて、あんなに「荷物」に固執する男が、このまま完売(死)を受け入れるはずがない。
「カトリーヌさん。三日目の朝まで、あとどれくらいだ」
カイトが顔を上げた。その瞳には、まだ絶望がこびりついている。しかし、その奥に小さな、狂気に似た火が灯っていた。
「……あと、十二時間よ。明日の夜明けと共に、セレス様の魂は空気に溶ける。……カイト様、何を……?」
カイトは立ち上がり、折れた聖剣を腰に差し直した。
「……梱包だ。タムがいないなら、俺が、俺たちの居場所をパッキングしなきゃならない」
彼は、病室の窓を開けた。
雨はいつの間にか雪へと変わり、バラムの街を白く染め始めていた。
北の空を見つめるカイトの背中には、もう「勇者」の輝きはない。あるのは、ただ一人の少年が、大切なものを守れなかったという「欠陥」を背負ったまま、それでも立ち上がろうとする無様な姿だった。
「三日目の朝、俺はあいつを……タムを、門で待つ」
カイトのその宣言が、静まり返った診療室に、微かな、しかし確かに明日へと続く振動を刻んだ。
三日目の朝が、バラムの地平線から這い出してきた。
空はどんよりとした鉛色で、雪と雨が混じった霙が、石畳を容赦なく叩いている。
城塞都市バラムの北門。巨大な鉄の扉の前で、カイトは一人、彫像のように立ち尽くしていた。
「カイト様、もう戻りましょう。……朝日は、もう昇ってしまったわ」
背後から、カトリーヌの沈痛な声が響く。彼女の腕の中には、もはや光を失い、冷たくなり始めたセレスのポッドがあった。
「魂の流出は、もう止められない。……あと数分で、彼女の意識は完全に霧散する。……最後は、温かいベッドの上で看取ってあげて」
「……いやだ」
カイトの声は、震えていたが、折れてはいなかった。
「あいつは来る。納期一秒前になっても、絶対に荷物を放り出さない男なんだ。……俺がここで待ってなきゃ、あいつは……タムは、自分の居場所を見失っちまう」
エドワードも、憔悴しきった体を引きずるようにしてカイトの隣に立った。
「……カトリーヌ殿。もう少しだけ、付き合ってやってくれ。……わしらもまた、あやつという『不合理な男』に、人生という名の荷物を預けてしまった身での」
沈黙が、バラムの門前を支配した。
通行人も、門番も、何事かとこの奇妙な一行を見つめている。
一分、また一分と、残酷に時間が過ぎていく。ポッドの表面から、青白い火花が儚く散った。セレスの魂が、この世からログアウトしようとしている合図だった。
カトリーヌが、瞳を閉じて首を振った、その時。
「……おい、あれを見ろ」
門番の一人が、震える指で北の平原を指差した。
霧の向こう側から、何かがやってくる。
それは、人間には見えなかった。
不規則な金属音が、雪に湿った地面を叩く。ガシャン、ガシャンと、壊れた重機が無理やり動いているような、不快で、しかし凄まじい執念を感じさせる音。
霧が晴れた瞬間、カイトの息が止まった。
「……タム……?」
そこにいたのは、血と泥にまみれ、右半身に「瓦礫と廃材の鎧」を纏った異形だった。
右腕があった場所には、神殿の鉄骨とレアメタルの屑が、魔法のシュリンクフィルムで歪に固定された「巨大な義手」が突き出している。
腹部の傷は、魔法膜で強引に締め上げられ、歩くたびに破れた肉から血が溢れているが、その男は止まらなかった。
タムの瞳は、片方が潰れ、もう片方は濁った赤色に染まっていた。
だが、その視線は、カイトの手元にあるセレスのポッドだけを、真っ直ぐに射抜いていた。
「……検品……。対象、セレスお嬢様。状態……臨界点……」
タムの声は、喉が焼けたように掠れていた。
彼は門の前で膝を突き、崩れ落ちそうになりながらも、左手に握りしめていた「何か」を差し出した。
それは、雪原で必死に拾い集めた、セレスの心臓の「最後の欠片」――アレスが踏み潰した、最も純度の高い超電導レアメタルの破片だった。
「……配送、完了です。……納期……一分三二秒前。……受領印を……」
「タム!!」
カイトが駆け寄り、ボロボロになったタムの体を抱きしめた。
冷たい。タムの体は、死人よりも冷たかった。だが、その右腕の義手からは、周囲の雪を溶かすほどの、異常なまでの魔力の「熱」が立ち上っていた。
「あんた……、何だよ、その体……! 何で、生きてるんだよ!」
「……不備が、あったからです……。私が、自分自身の管理を……怠ったせいで、荷物が破損した。……だから……自分で自分を、パッキングし直しました……」
タムは、カトリーヌの腕の中にあるポッドを指差した。
「カトリーヌさん……その破片を、中心核へ。……私が、これより……お嬢様の魂を、この廃材の腕で……再梱包します」
「そんな無茶な! 貴方の体はもう……!」
カトリーヌが叫ぶが、タムの瞳にある「狂気的な自負」に、言葉を失った。
タムは、瓦礫の義手を、震えるポッドの上にかざした。
「……私は、梱包師です。……ゴミでも、廃材でも、命でも……。使える資材は、すべて投入します。……お嬢様を、欠陥品になど、させない……!」
タムの義手から、黒ずんだ、しかし強固な魔力の糸が噴き出した。
それはバラムの朝を、かつての丁寧さとは正反対の、執念に満ちた「強制的な救済」で塗り替えていく。
バラムの正門前。
三日間の絶望を突き破り、地獄から帰還した配送員が、最後にして最大の「返品作業」を開始した。
第28話をお読みいただき、ありがとうございます。
ついにタムが帰還しました。しかし、それはもはや以前のような「物静かな梱包師」ではありませんでした。自分の体を廃材で補修し、血を流しながら納期を守るために歩き続けたその姿は、カイトたちに衝撃と、そして底知れぬ恐怖に近い敬意を与えます。
アレスという「暴力の最高傑作」に否定されたタムが、自らを「不備の塊」として受け入れ、その不備を強引に包み直して歩む。丁寧な管理を信条としていた男が、「執着」という名の狂気的な熱を宿して立ち上がる姿は、物語の大きな転換点となりました。
「配送、完了です」
その一言が持つ重み。次回、第29話では、バラムの門前で行われる禁忌の「再梱包」が始まります。失われゆくセレスの魂を、タムはどう繋ぎ止めるのか。
どうぞ、ご期待ください。




