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第27話:遺された不良在庫

かつてない暴力の前に、すべてを奪われた一行。

 あの日、雪原に響いたのは、これまで冷静に「管理」を語ってきた梱包師の、魂を削るような敗北の叫びでした。

 命を懸けた空間転送によって、舞台はかつての城塞都市バラムへと移ります。かつて希望を授けてくれた最高位治癒師との再会が、今の彼らに何をもたらすのか。

 一方で、死の雪原に一人残されたタム。

 右腕を失い、自尊心を砕かれた男が、薄れゆく意識の中で見出したのは、絶望を凌駕するほどの「歪な執着」でした。

 物語は、再起のための「空白」へと向かって、残酷に、そして静かに加速を始めます。

 熱は、すべて奪い去られた。

 視界を埋め尽くすのは、暴力的なまでに純白な雪。そして、自身の内臓から溢れ出し、急速に熱を失いながら黒ずんでいく鮮血の赤。

 タム・アカイシは、動かなくなった顔の半分を雪に埋めたまま、ただ一点を見つめていた。

 そこには、かつて自分が「完璧」と称してパッキングした、セレスのポッドの残骸があった。

 アレスの指によって無慈悲に抉じ開けられ、中身(魂の核)を引きずり出されたその箱は、もはや何の意味も持たない鉄のクズに成り果てている。

 タムの脳裏に、アレスの冷徹な声が呪いのようにリフレインしていた。

 『貴様が積み上げてきたものは、この程度の暴力で瓦解する、脆弱な自己満足に過ぎない』

 (……その通りだ。私は、間違っていた)

 タムは、凍りついた右腕の付け根に、走るような激痛を感じた。いや、痛みを感じているのは、肉体ではなく魂だった。

 この異世界に来てから、彼は救われた気になっていた。自分の「丁寧さ」が、誰かの役に立ち、感謝され、必要とされている。それは三十年の孤独な派遣社員人生で、一度も得られなかった「完品」としての手応えだった。

 だが、現実は残酷だった。彼が命を懸けて施した「梱包(救済)」は、真のプロフェッショナル――戦闘にのみ最適化されたアレスの前では、ただの「時間の無駄」であり「不備」でしかなかった。

 (私は、無能な配送員だ。届けられず、守れず、自分の体さえも管理しきれない……。アレスの言う通り、私は……誰にも選ばれない、不良在庫だ)

 雪が静かに、タムの体を覆い隠していく。

 このまま眠れば、すべてが終わる。右腕の欠損部から魔力が漏れ出し、体温が奪われ、意識が霧散していく感覚は、不思議と安らかだった。

 だが、その意識の底で、一つの「バグ」がノイズを上げた。

 『……その無力な抵抗にこそ、魂は宿る』

 幻聴か。それとも、工廠の防衛システムが周囲の残留魔力を読み取って再生した、お父様の「記録ログ」の残像か。

 視界の端に、ノイズ混じりのホログラムが明滅する。お父様の、どこか悲しげで、それでいて慈愛に満ちた瞳。

 『お前のパッキングには、私さえも切り捨てた「執着」という名の熱が宿っているな、梱包師よ』

 「……熱、だと……?」

 タムは血反吐を吐き、雪原を左手で掻いた。

 「ふざけるな……。熱など……パッキングにおいては、排除すべき『ノイズ』だ……。効率を下げ、劣化を招く、不必要な……っ」

 不必要なもの。

 丁寧さ。

 こだわり。

 執着。

 お父様の言う通り、それこそがタムをタムたらしめてきた不合理の正体だった。

 合理性を極めたアレスには、そんなものは存在しない。ゆえに、アレスは「壊れたもの」をただのゴミとして捨て去った。

 だが、タムは違う。

 彼は、この世で最も「捨てられる側」の痛みを理解している男だ。

 「……不備があるなら……包み直すだけだ……」

 タムは、震える左手で、自分の右肩の断面を掴んだ。

 肉は裂け、骨は砕けている。その欠損部に、タムは近くに落ちていた「レアメタルの破片」を無理やり押し当てた。

 「……ああああああああああああああっ!!!」

 雪原に、絶叫が響き渡った。

 それは悲鳴ではなく、狂気的な意思表明だった。

 熱変性を起こし、真っ黒に焦げ付いたメタルの残骸。アレスが「ゴミ」と呼び、セレスの心臓だったはずの破片。

 タムは自身の【概念梱包】を発動させた。だが、それは今までのような「美しく整える」ための魔法ではなかった。

 「対象……自分。状態、欠損。……これより、強制的な『セルフ・リパッキング(自己再梱包)』を開始する……!」

 タムの魔力が、血と共に逆流する。

 彼は、周囲に散らばった神殿の瓦礫、アレスが砕いた聖剣の微細な破片、そしてセレスの心臓だったレアメタルの屑を、自らの魔力膜で強引に「パッキング」し始めた。

 肉体と無機物が、魔力の糸で無理やり縫い合わされていく。

 右腕があった場所には、瓦礫と金属片を詰め込み、魔法のシュリンクフィルムで固めた、歪で禍々しい「義手」が形成された。

 「……心臓セレスを、拾わなければ。……納期が、まだ……終わっていない……」

 タムは、自分の腹部の傷さえも、魔法膜で強引に締め上げて封じ込めた。

 内臓が圧迫され、呼吸するたびに鋭い痛みが走る。だが、タムの瞳には、先ほどまでの絶望はなかった。

 代わりに宿っていたのは、濁った、しかし消えることのない「執着」の光。

 彼は立ち上がった。

 右半身は金属と瓦礫が継ぎ接ぎされた「パッキングの怪物」。

 左腕には、雪の中から拾い上げた、変質したレアメタルの小さな欠片――セレスの魂の「最後の一片」が、タムの狂気的な魔力によって、辛うじてその形を保っていた。

 「……検品。状態、最悪。納期、残り三日。……配送ルート、再計算」

 タムは、自分の欠損した右腕(義手)を、まるで使い慣れた道具のように一度だけ振った。

 瓦礫が擦れ合い、不快な音が鳴る。

 

 「カイト……リナ……エドワードさん。……待っていてください。……例え、私自身が完品(人間)として届かなくても……お嬢様だけは、必ず……『完成』させてみせる」

 タムは、一歩を踏み出した。

 雪の上に残されたのは、人間の足跡と、片方の足を引きずるような、異形の轍。

 

 城塞都市バラムへと続くその道は、絶望よりも深く、復讐よりも執拗な、「梱包師」の意地によって刻まれ始めた。


 ***


石造りの天井は、ただひたすらに冷たかった。

 城塞都市バラム、聖カトリーヌ治癒院。王国内でも最高位の設備を誇るその場所は、本来ならば生への希望に満ちているはずだった。しかし、最奥の特別診療室に漂う空気は、あの北の雪原で浴びたブリザードよりもなお、鋭く凍てついていた。

 「カトリーヌさん……嘘だろ。嘘だと言ってくれよ」

 カイトの声は、カサカサに乾いた落葉が擦れ合うような音だった。

 彼の右手には、未だに「柄」だけになった聖剣が握りしめられている。かつて黄金の輝きを放ち、魔を打ち払った伝説の剣。それが今は、単なる無価値な鉄の棒として、主の無力さを強調するように握られていた。

 「カイト様、落ち着いて。……いいえ、落ち着けるはずがないわね」

 かつて(第四話)、パッキングされたセレスを見て「これを解いたら彼女は死ぬ」と、この世の誰よりも早くその危うさを見抜いた最高位治癒師カトリーヌ。彼女の瞳には、慈愛を通り越した深い悲嘆が宿っていた。

 彼女は、診察台に置かれた「歪んだポッド」から、そっと手を離した。

 「……あの時、私は貴方に言ったわね。彼女はもうパッキングし続けるしかない、と。でも、あの時の彼女はまだ、器(肉体)と魂が辛うじて繋がった『壊れかけの人間』だった」

 カトリーヌは、ひび割れたポッドから漏れ出す、黒ずんだ魔力の残滓を指差した。

 「今のこれは……違うわ。誰かが、彼女の魂を無理やり抜き出し、純粋なエネルギー体として作り替えてしまった。……それも、この世のものとは思えないほど精密で、完璧な設計図に基づいて。その『器』となっていたレアメタルが、物理的に破壊され、因果の整合性を失っている。……今の彼女は、底の抜けた器に注がれた、蒸発し続ける水のようなものよ」

 「そんな……そんなの、あんたの魔法で、治癒師の五指に入るあんたの力で、どうにかならないのか!?」

 カイトが叫び、カトリーヌの白い法衣に縋り付いた。

 「セレスは生きてるんだ! まだ、ポッドからあいつの声が聞こえるんだよ! 痛い、熱いって……っ! あんなに頑張ったセレスを、ここで見捨てるのかよ!」

 カトリーヌは無言で、カイトの視線を隣の診察台へと向けさせた。

 そこには、リナが横たわっていた。

 彼女の全身の毛細血管は浮き上がり、魔力の暴走によって焼かれた皮膚はどす黒く変色している。エドワードが必死に維持魔法を掛けているが、彼女の魔力回路そのものがアレスによって「否定」された衝撃は、魂の根源にまで達していた。

 「リナ様も、意識が戻る保証はないわ。魔法師にとって、自分の術式を根底から書き換えられることは、自己の存在を消去されるに等しい。……カイト様、貴方の聖剣が折られたのも、同じ理由よ。貴方たちの持っていた『力』という名の定義が、あの敵によって一方的に解体されてしまったの」

 カトリーヌの声が、診察室に冷たく響く。

 「あと、三日。……それが、セレス様の魂がこの世に留まれる限界。……そして、このポッドの構造を理解し、再構築できる人間がいない限り、私にできるのは、彼女の消えゆく灯火を少しだけ穏やかに見守ることだけよ」

 三日。

 カイトの膝が、崩れるように床に落ちた。

 勇者として、どんな魔物にも怯まず、仲間を信じて突き進んできた少年。

 「タムなら、何とかしてくれる」

 その盲目的な信頼が、今の彼を最も残酷に追い詰めていた。

 あの時、タムが自分たちを逃がすために見せた、絶望に満ちた涙。自分の命をパッキングの材料にして、空間を閉じたあの白い光。

 (タムは、いない。……あいつは、あそこに残されたんだ。右腕もなくして、腹を撃ち抜かれて……。俺たちを守るために、ゴミみたいに捨てられたんだ)

 カイトは、自分の両手を見つめた。

 アレスに剣を掴まれた時の、あの圧倒的な重量感。自分のすべてを「玩具」と断じられた屈辱。

 「……俺が弱かったからだ。俺が……勇者なんていうラベルに浮かれて、ただ運ばれるだけの荷物だったからだ……っ!!」

 カイトは床を殴りつけた。拳から血が流れるが、痛みは感じない。

 心の中にあるのは、セレスを失う恐怖と、仲間を置き去りにした罪悪感。そして、何よりも自分自身への、救いようのない嫌悪。

 「カイト、泣くのは後にせい」

 部屋の隅で、崩れ落ちる寸前の精神力でリナに魔力を送り続けていたエドワードが、低く絞り出すような声を出した。

 その顔は、一気に十歳以上老け込んだかのように憔悴し、杖を持つ手は止まらない震えに襲われている。

 「タムは言った。……荷物が届かないのが、一番の不備だと。あやつは、自分が死ぬことよりも、配送が失敗することを恐れた。ならば……ここで主が膝を折ることは、あやつの最後の仕事を無にすることと同じじゃ」

 「……でも、エドワードさん。聖剣が折れたんだ……。セレスはあと三日で消える。タムは……もう……っ」

 「あやつは、死なん」

 エドワードの言葉に、カイトが顔を上げる。

 「あやつは、【梱包師】じゃ。……たとえ地獄に落ちようとも、自分自身を完璧にパッキングして、這い上がってくる。わしには、あやつという男が、そんな簡単に『完売』するようなタマには見えん」

 その時。

 バラムの街を揺らすほどの、不吉な雷鳴が響いた。

 それは自然の天気ではない。遥か北の空から届く、歪な魔力の拍動。

 

 カトリーヌが、窓の外を見つめて呟く。

 「……信じられない。この魔力の波形……。崩壊と、執着が混じり合っている。……まさか」

 カイトもまた、窓の外――雨に煙る北の地平線を見つめた。

 そこにはまだ、何も見えない。

 だが、カイトの胸の奥で、折れたはずの聖剣が、一瞬だけ、微かに震えた気がした。

 残り、三日。

 絶望の都市バラムで、少年はまだ知らない。

 雪原の果てで、自分の肉体すらも「廃材」として包み直し、化け物へと成り果てた男が、一歩ずつ、この場所へと歩みを進めていることを。

 第27話をお読みいただき、ありがとうございます。

 

 物語は「タムの変質」と「仲間の死の宣告」という二つの局面を描きました。

 第四話で登場した治癒師カトリーヌに「あと三日」という絶望的なタイムリミットを突きつけられたことで、カイトたちの希望は完全に絶たれました。聖剣を砕かれ、自分を「ただの荷物だった」と断じるカイトの葛藤は、本作における大きな精神的転換点となります。

 

 一方、雪原のタムは、もはや丁寧な梱包師であることを止めました。周囲のゴミや瓦礫、そして損壊した心臓の破片すらも「資材」として自分に縫い合わせる姿は、物流のプロというよりも、目的を遂行するためだけに動く「怪物」のそれです。

 

 「三日」というあまりに短い納期の中で、地獄から這い上がる男と、膝を折った少年たちの道は再び交わるのか。

 次回、第28話。絶望のバラムで、少年が折れた剣を再び握るための「代償」が語られます。

 どうぞ、ご期待ください。

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