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第26話:闘争の最高傑作

 かつての神殿を後にし、ついにセレスの「究極の身体」を求めて『極北工廠』へと舵を切ったタムたち。

 右腕を失いながらも、タムの瞳には「完璧な納品」への確信が宿り、一行は過酷な雪原の中に一筋の希望を見出していました。

 しかし、お父様が遺した領域は、それほどまでに甘い場所ではありませんでした。

 一行の前に立ちはだかったのは、自然の猛威でも、単なる魔物でもなく――お父様が作り上げた「もう一つの答え」。

 その出会いが、タムたちが積み上げてきたすべてを、残酷なまでに解体していくこととなります。

 神殿から数十キロ。吹き荒れる雪を遮るようにそびえ立つ断崖絶壁の前に、その男は立っていた。

 全身を鈍色の重装甲で包み、その隙間から漏れ出すのは、セレスの青白い光とは対照的な、血のように不吉な赤黒い魔力の脈動。

 その男が歩を進めるたびに、世界から音が消えていった。

 吹き荒れるブリザードの咆哮も、凍てつく大地の軋みも、アレスという「暴力の絶対零度」の前では、存在を許されない不純物として排除される。

 タムの【検品】が捉えたのは、絶望などという生ぬるい言葉では言い表せない「終焉」だった。

(勝てない。……物理的に、因果的に、この『物流』の先に勝利という名の納品先は存在しない)

 「……逃げろッ!!」

 タムの声は、喉が裂けるような悲鳴だった。

 常に冷静沈着、どんな異常事態も「想定内の不備」として処理してきた梱包師の、それが初めて見せた「敗北」の宣言。

 だが、その叫びさえ、アレスの放つ威圧プレッシャーによって無残に叩き潰される。

 「逃走という選択肢を、誰が許可した?」

 アレスが指をパチンと鳴らした。

 瞬間、リナの全身から鮮血が噴き出した。

 「あ、が……っ!?」

 攻撃を受けたのではない。彼女が展開しようとした防御魔法の術式を、アレスが「外部から強制的に書き換えた」のだ。守るための盾が、肉体を内側から引き裂く刃へと変貌する。

 「リナ!!」

 カイトが叫び、彼女を抱き留めようとするが、その腕が届くよりも早く、アレスがカイトの目の前に「存在」した。

 「勇者、といったか。その肩書き(ラベル)に価値があると思い込んでいるのは、この世界で貴様らだけだ」

 アレスの拳が、カイトの持つ聖剣の腹を叩く。

 パリン、と、拍子抜けするほど軽い音が響いた。

 神が授け、魔王さえ討つと言われた伝説の聖剣が、ただの硝子細工のように粉々に砕け散る。破片がカイトの頬を切り裂き、彼の拠り所としていた「選ばれし者」としての誇りを物理的に削ぎ落としていく。

 「俺の……俺の聖剣が……。嘘だ……こんなこと……」

 「玩具を失った子供のような顔をするな。不快だ」

 アレスの裏拳が、カイトの顎を捉えた。

 バキバキという不快な咀嚼音が雪原に響き渡る。カイトの身体は、数十メートル後方の氷壁に深々とめり込み、その衝撃で肺の中の空気がすべて血と共に吐き出された。

 勇者として、仲間を守ると誓った少年。その信念は、アレスの「一振り」にすら満たない動作によって、完全に粉砕された。

 タムは、凍りついた右腕を引きずるようにして、雪の上を這った。

 「やめろ……。もういい……。私が、私が身代わりになる……。だから、彼らには手を出すな……!」

 アレスは返答の代わりに、タムが左手で必死に抱えていた「セレスのポッド」を、泥にまみれた重装甲の足で踏みつけた。

 『いや……っ! やめて……タムさん……! 助けて……っ!!』

 ポッドの隙間から、セレスの悲鳴が念話として脳に突き刺さる。超電導の心臓が、恐怖という名のノイズによって激しく脈動し、ポッドの外装がミリ単位で歪み始める。

 「……この心臓ゴミが、持続性の最高傑作だと? 笑わせるな」

 アレスはポッドを拾い上げると、タムの目の前で、それをゆっくりと、なぶり殺すように握りつぶし始めた。

 「やめろぉぉぉ!!」

 タムは残された左手でアレスの脚に縋り付いた。

 梱包師として、人生のすべてを捧げてきた「丁寧な仕事」。お嬢様を傷つけないために、一ミリの隙間もなく、完璧なクッション材と断熱材で包み上げた、彼の「誇り」。

 アレスは、そのパッキングを、指先ひとつの力で「解体」していく。

 バキ、バキ、と、超電導レアメタルが歪み、中から青白い魔力の液体が、セレスの涙のように漏れ出した。

 「見ておけ、梱包師。貴様が『完璧』と称したこの箱は、私にとっては、ただの潰しやすい空き缶に過ぎない」

 アレスの指がポッドを貫き、中のレアメタルを直接掴んだ。

 『ああああああああっ!! 痛い……熱い……! タムさん! 壊れる……私、壊れる……っ!!』

 「お嬢様!! お嬢様ぁぁ!!」

 タムは血反吐を吐きながら叫んだ。

 自分の右腕が凍りついた時も、派遣先で罵倒された時も、彼は一度も泣かなかった。

 だが今、目の前で、自分の「仕事」が、愛する「荷物」が、ただの無意味な物質として蹂躙されていく。

 その屈辱と無力感が、赤石保という男の魂を、最深部から抉り取っていく。

 「エドワード!! 飛ばせ!!」

 タムは、口から溢れる血を拭うこともせず、魔法回路を逆流させて叫んだ。

 「私を……私を『壁』としてパッキングしろ!! 残りの全員を、強制排除エジェクトしろ!! はやく!!」

 「しかし、タム! お主は……っ!!」

 「荷物が……、届かないのが……一番の不備なんだよぉ!! 行けぇぇぇ!!」

 タムの全身から、白い魔力の炎が噴き出した。

 それは救済の光ではない。自分の命という「在庫」をすべて燃やし尽くし、無理やり「空間の蓋」を閉じるための、破滅の光だ。

 光が爆ぜ、カイト、リナ、そして傷ついたポッド(セレス)を包み込む。

 その瞬間、タムの視界に最後に映ったのは、折れた聖剣の傍らで、絶望に瞳を濁らせたまま消失していく仲間の姿。

 そして、自分の「仕事」を完璧に否定し、満足げに鼻を鳴らす、暴力の最高傑作の冷笑だった。

 光が消えた後、そこには静寂だけが残った。

 右腕を失い、魔力を枯渇させ、誇りをズタズタに引き裂かれた梱包師。

 アレスは、興味を失ったようにタムの頭を踏みつけ、氷原に押し付けた。

 「……配送完了だ。この、化け物……」

 タムの意識は、真っ赤な雪の中に沈んでいった。


 血の臭いと、焦げたオゾンの臭いが、凍てつく空気の中に混じり合う。

 雪原に投げ出されたタムの視界は、自身の額から流れる血で赤く染まっていた。視界の端では、カイトが叩きつけられた氷壁が赤く染まり、リナは糸の切れた人形のように雪の上に折り重なっている。

 そして、目の前には、セレスのポッドを、まるで「無価値な空き箱」として弄ぶアレスの姿があった。

 「……やめろ……。お願いだ……」

 タムの声は、もはや言葉の体をなしていなかった。それは、三十年間、誰にも顧みられず、ただ「丁寧であること」だけを唯一の存在証明としてきた男の、最後の鳴き声だった。

 アレスは、踏み潰したポッドから漏れ出す青白い液体――超電導レアメタルの冷却媒体を、興味深げに眺めた。

 「見てみろ、梱包師。貴様が『命を懸けて守る』と豪語したこのパッキングは、私の指がわずかに動くだけで、これほど無残に液漏れ(不備)を起こす。……貴様が積み上げてきたものは、この程度の暴力で瓦解する、脆弱な自己満足に過ぎない」

 「違う……。私は……お嬢様を……」

 「救う? 守る? 否。貴様がやっているのは、ただの『執着』だ。死にゆくものを、腐敗から遠ざけ、箱の中に閉じ込めて眺めているだけの、悪質な収集癖だ」

 アレスは、ポッドの亀裂に指を突っ込んだ。

 ミシミシ、という断末魔のような軋み。

 『あああああああああっ!!』

 セレスの悲鳴が、物理的な衝撃を伴ってタムの鼓膜を震わせる。

 「やめてくれ!! 私を殺せ!! その子には……その荷物には、手を出さないでくれ!!」

 「殺す? 価値のない在庫を処分するのに、なぜ私が労力を使わねばならない」

 アレスは無慈悲に、レアメタルのコアをポッドから引きずり出した。

 それは、タムが絶対零度の調整をミリ単位で施した、究極の心臓だった。だが、外気に触れた瞬間、激しい熱変性を起こし、シュウシュウと白い煙を上げて変色し始める。

 タムが作り上げた「完璧な世界」が、アレスの乱暴な『開梱』によって、音を立てて崩壊していく。

 「貴様は、物流を語り、管理を語った。だが、真の管理とは、圧倒的な力によって環境そのものを支配することだ。……貴様のような、欠陥品にんげんの分をわきまえぬ工夫など、私から見れば、ゴミの上に飾られたリボンに過ぎない」

 アレスは、変色し始めたレアメタルの核を、タムの目の前の雪原に放り投げた。

 「ほら。これが貴様の仕事の成果だ。……拾ってみろ。この『不備の塊』を」

 タムは、凍りついた右腕を雪に擦り付けながら、這った。

 指先が、熱変性を起こしてドロドロに溶け始めたレアメタルに触れる。

 熱い。右腕は絶対零度で凍りつき、指先は溶けたメタルの高熱で焼かれる。

 相反する苦痛がタムの肉体を苛むが、それ以上に、彼を絶望させたのは「自分の手では、もうこれを包み直せない」という事実だった。

 「あ……あぁ……。ごめんなさい……お嬢様……。私の……私のパッキングが……甘かったせいで……」

 涙が雪を溶かし、血と混ざり合う。

 タム・アカイシという男の人生は、常に「丁寧さ」を否定され続けてきた。それでも、この異世界でなら、自分の技術が誰かを救えると信じた。だが、その自信さえも、お父様が遺した「真のプロ(アレス)」によって、徹底的に嘲笑われた。

 「絶望したか。……だが、不備を認めることが、唯一の救いだ。貴様は、このセレスという荷物を届ける資格も能力もない、ただの『不良配送員』だ」

 アレスは、カイトとリナが消えた方向を一瞥した。

 「仲間を逃がしたつもりか。……無駄だ。空間パッキングによる強制転送。その座標を割り出すなど、私にとっては朝飯前だ。……一人ずつ、貴様が見せた『甘い梱包』の代償を払わせてやる」

 アレスはタムの髪を掴み、強引に顔を上げさせた。

 「……貴様はここで、自分の無能さを噛み締めながら、氷漬けの標本となれ。……それが、お父様の領土を荒らしたゴミにふさわしい、最後の『パッキング』だ」

 アレスの拳が、タムの腹部に沈み込む。

 内臓が破裂する感覚。意識が遠のく中、タムの瞳に最後に映ったのは、雪原に散らばった、自分の右腕の破片と、無残に砕かれたセレスの器。

 

 『タム……さん……。……ありが……とう……。……でも……もう……』

 セレスの念話が、途切れた。

 それは、通信障害ではない。魂の灯火が、物理的な破壊に耐えきれず、消え去ったことを意味していた。

 「お……じょ……」

 タムの手から、溶けたレアメタルがこぼれ落ちる。

 意識の断絶。

 赤石保は、三十年間の孤独な人生で積み上げた、たった一つの「自分への誇り」を、この北の果てで完全に喪失した。

 第26話をお読みいただき、ありがとうございます。

 あまりにも悲惨で、あまりに絶望的な敗北を描写いたしました。

 タム(赤石 保)がこの異世界で初めて手に入れた「仲間」と「自負」。それらを、アレスという「暴力の最高傑作」が物理的にも精神的にも踏みにじっていく姿は、書いている私自身も胸が締め付けられる思いでした。

 

 勇者の剣は砕かれ、魔導師は術を否定され、そして梱包師は命より大切な「荷物」が壊れていくのをただ見ていることしかできませんでした。タムが流した涙は、肉体の痛みではなく、彼が人生のすべてを懸けてきた「梱包(救済)」が根底から否定された屈辱の証です。

 

 バラバラに飛ばされた仲間たちの行方、そして雪原に一人残されたタムの生死……。

 物語はここで一度、順調だった歩みを完全に止め、静止した「空白の期間」へと突入します。

 この地獄の淵から、彼らが再び立ち上がる日は来るのでしょうか。

 次回、第27話。絶望の余韻の中で、新たな物語が胎動を始めます。

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