第22話:神殿という名の集積所
極寒の地、北の凍土。そこには、魔力のロスをゼロにするという伝説の「超電導レアメタル」が眠ると言われていました。
第21話で、情報の奔流に呑まれ崩壊しかけた大魔導師リンを、冷徹かつ完璧な手際で「銀の繭」へとパッキングしたタム。彼が次に目指すのは、失われた管理概念を持つ「お父様」の足跡、そして究極の素材が眠るという神殿でした。
しかし、辿り着いたその場所は、一行の想像を絶する「形」をしていたのです。
北の凍土の最果て。神々が住まうと語り継がれてきた「神殿」を視界に捉えた時、エドワードは感嘆の声を漏らし、カイトは勝利を確信したように笑った。
だが、タムだけは違った。
「……これは、神殿ではない」
タムの呟きは、吹き荒れる雪風にかき消された。
目の前にそびえ立つのは、白亜の巨石で組まれた聖域などではなかった。それは、周囲の自然をあざ笑うかのようにそびえ立つ、巨大な銀色の直方体。窓一つなく、ただひたすらに機能美のみを追求した、異世界の住人には理解し難い「巨大な箱」だった。
「何言ってんのよタム。これこそが伝説の神殿でしょ? 早く中入りましょ、凍え死んじゃうわ」
リナが肩をすくめて急かす。彼女にとって、この異質な建物は猛烈な吹雪を凌ぐための「丈夫な風避け」にしか見えていないようだった。
「ああ、そうだぜ。この中に、あの『超電導レアメタル』が山ほど眠ってんだ。これさえ手に入れば、俺の聖剣の出力はさらに跳ね上がる」
カイトは背負った聖剣の柄を叩き、鼻息を荒くする。
彼らにとっては、ここは「宝物庫」に過ぎない。だが、タムの視界に映っているのは別の景色だった。
搬入口と思われる巨大な隙間。そこから漏れ出す、魔力の粒子を含んだ極低温の冷気。そして、地面に刻まれた、微かな、しかし規則的な「轍」の跡。
(……フォークリフトの跡、か)
もちろん、この世界にそんな機械はない。だが、重い荷物を効率的に運び出し、整然と配置するために最適化された「動線」がそこにはあった。タムの元いた世界にある、巨大な配送センターのそれと、何ら変わりはない。
「入るぞ。エドワード、遅れるなよ」
カイトを先頭に、一行は神殿の内部へと足を踏み入れた。
「わかっとるわい。若者は元気でええのう」
エドワードが杖をつきながら、どこか楽しげに後に続く。
内部は、外気よりもさらに数段低い、絶対零度に近い静寂に包まれていた。天井には等間隔で魔導光が配置され、影一つない均一な光が広大なフロアを照らしている。
「なんだ……これ……」
エドワードの足が止まった。
そこにあったのは、祈りの祭壇でも、神の像でもなかった。
広大なフロアの端から端まで、巨大な棚が整然と並び、その棚には無数の「箱」が積み上げられていた。
それは、タムが『帰らずの森』の遺跡で目にしたものと同じ――あの、茶色い魔導コンテナだった。
「うわあ、すごい数! これ全部お宝なの!?」
リナが目を輝かせ、カイトが一番手前の棚に駆け寄る。
「待て、カイト」
タムの静止よりも早く、カイトは棚から一つ、コンテナを引き抜いた。
「重てえな……。おいタム、これだろ? 超電導のメタルってのは。この中に詰まってんだろ」
カイトは腰のナイフを抜き、コンテナの封印を強引に引き剥がそうとする。
「やめろ、と言ったんだ」
タムの声は、氷のように冷たかった。
「あ? なんだよ、お前が欲しがってた素材だろ。早く中身を確認して――」
「……検品は、もう終わっている」
タムは、凍傷で黒ずんだ指先で、カイトの腕を掴んだ。万力のような力だった。勇者であるはずのカイトが、一瞬、痛みで顔を歪める。
タムの【検品】スキルは、対象に触れる必要すらない。その空間に足を踏み入れた瞬間から、彼の脳内にはこの「倉庫」の在庫データが濁流のように流れ込んできていた。
だが、それは純粋な物質データではなかった。
(……不備だ。不備だらけだ)
タムの脳裏に、かつて森のコンテナに触れた時の記憶がフラッシュバックする。
あの時、彼が感じたのは、素材の硬度でも、魔力の純度でもなかった。
それは、パッキングされる瞬間に凝固した、誰かの「悲鳴」だ。
「助けて」「寒い」「お父様」「私は、何処に行けばいいの」
セレスのオリジナル――本物のセレスティアであった少女が、意識を剥奪され、ただの「部品」として箱に詰め込まれた時の、底なしの絶望。
この茶色いコンテナ群から発せられているのは、それと全く同じ「ノイズ」だった。
「これを開けることは、梱包師としての私の誇りが許さない」
タムはカイトを突き放すように離した。
「これは資材ではない。……死骸だ。お父様と呼ばれた男が、管理しきれずに放置した、感情の残骸だ」
「……ちょっと、タム? 顔、怖いんだけど」
リナが不安そうにタムの顔を覗き込む。
タムの瞳には、カイトも、背後のリナも映っていない。ただ、この巨大な「管理不全の山」に対する、抑えきれない怒りだけが渦巻いていた。
命を「物」として扱うこと自体は、梱包師として否定はしない。だが、扱うのであれば、それは完璧でなければならない。このように、呪詛が漏れ出すような杜撰な管理は、プロの仕事ではない。
タムは歩き出した。棚と棚の間、数キロメートルはあろうかという広大な倉庫内を、迷いのない足取りで進む。
「おいタム、どこへ行くんだ! これを開けないなら、どこに目的のメタルがあるってんだよ!」
カイトの怒鳴り声も、タムの耳には届かない。タムは床の一点一点を、まるで欠陥住宅の検査官のように観察していた。
「カイト、静かにせんか。……タム、何か見つけたのか?」
エドワードが杖の音を響かせながら、タムの意図を探るように問う。
「……違和感があります、エドワードさん」
タムはある一画で足を止め、膝をついた。
「この神殿……いや、この倉庫は、徹底して効率化されている。重い荷物を運ぶための動線、棚の配置、照明の角度。すべてが最短距離で完結するように設計されている。……だというのに、この場所だけ、床の磨耗が激しい」
タムが指差したのは、何も置かれていない、ただの通路に見える場所だった。
「磨耗? そんなの、ただの汚れじゃないのか?」
リナが怪訝そうに呟くが、タムは首を振る。
「いえ。汚れではありません。これは、定期的に重い荷重がかかり、かつ『旋回』が行われた跡です。……それも、この棚に積まれているコンテナよりも、遥かに重い何かを運ぶための車両が」
タムは、周囲の棚の配置を頭の中で再構築した。梱包師にとって、空間の把握は基礎中の基礎だ。
「ここを起点に、動線が不自然に途切れている。物流において、動線が途切れる場所は一つしかありません。そこが、中継地点か、あるいは――別のフロアへの入り口だ」
タムは、ミリ単位で床の継ぎ目を観察し、魔力による音叉のような振動を打ち込む。
コン、と微かな乾いた音が返ってきた。
「ここです。……継ぎ目のシール剤が、ここだけ劣化している。頻繁な開閉に耐えられなかった不備だ。お父様ともあろうお方が、これほど初歩的なメンテナンスを怠るとは」
タムは、凍傷で黒ずんだ指先を床の僅かな隙間に差し込んだ。
「熱変性したレアメタルの反応は、この上のフロアには一切ない。……本物は、この下だ。ここよりもさらに冷え切った、地獄の最深部にある」
タムが隠されたレバーに指をかけ、一気に引き下げた。
ガガガ、と、長い間眠っていた巨大な歯車が噛み合う、重々しい音が静寂を切り裂く。
床のタイルが沈み込み、スライドしていく。
そこには、地下へと続く漆黒の階段と、貨物用の大型昇降機のような遺構が姿を現した。
そこから吹き上がってきたのは、神殿内部の冷気すら「生ぬるい」と感じさせるほどの、絶対的な死の冷気だった。魔力そのものが凍りつくような、純粋な極低温。
タムは立ち上がり、背後のリナに向き直った。
「リナさん。あなたに、最も重要な任務を任せます」
「えっ、何よ急に」
「ここで、セレスお嬢様の箱と、銀の繭の管理をしてください。一歩も動かず、一ミリの衝撃も与えないでください。特に温度管理です。このフロアの冷気を一定に保つよう、結界を維持してください。……いいですね?」
タムの射抜くような視線に、リナは気圧されたように頷いた。
「……わ、わかったわよ。完璧に守ればいいんでしょ。あんた、本当におかしくなってるわよ」
「……おかしいのは、この場所を放置した前任者の方です」
タムは一度だけ短く答えると、暗闇へと続く階段を見据えた。
「エドワードさん、ついて来てください。……カイト、お前は黙って後ろを歩け。一歩でもルートを外れたら、お前もろともこの空間ごとパッキングしてやる」
タムの言葉に、もはや誰も反論できなかった。
男三人は、無機質な階段を一段ずつ、闇の中へと降りていく。
背後に残るリナと二つの「荷物」を、絶対零度の静寂が包み込んでいく。
タムの背中は、救世主のそれではなく、不備を許さぬ冷徹な「監査官」のそれであった。
第22話をお読みいただきありがとうございました。
神殿という名の「Amazonの配送センター」。このギャップこそが、かつてこの地を支配していた「お父様」という人物の異質さを物語っています。
カイトにとってはただのお宝の山に見える茶色いコンテナも、検品スキルを持つタムにとっては、かつてセレスのオリジナルが味わった「管理不全による絶望」の吹き溜まりに他なりません。
リナに二つのデリケートな荷物を預け、男たちだけで降りる地下。そこには、神殿内さえ「生ぬるい」と感じさせるほどの絶望的な冷気が渦巻いています。
果たして地下最深部で彼らを待っているのは、求めていた「素材」なのか、あるいは――。
次回の第23話も、どうぞよろしくお願いいたします。




