第46話:要塞崩壊、武の深淵
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シンジゲート最強の武官、プルソン。彼が示したのは、論理や技術を超えた「個の強さ」でした。
しかし、メイ、アスタロト、アークの三人は、それぞれが持つ全ての力を――時には自らの機体を壊してでも――一つに合わせ、その絶対的な武力を打ち破…れるのでしょうか。
空中要塞ラジエルの崩壊は、三人の旅が新たな段階に入ったことを告げる咆哮でもあります。
「……やはり、貴公か。……プルソン閣下。」
アスタロトが絞り出すように呟いたその名は、かつて彼女がシンジゲートの騎士として身を置いていた頃、畏怖と共に語られていたものだった。
クロノス・シンジゲートの幹部の中でも、他者が「論理」や「兵器の出力」に腐心する中、ただ独り己の肉体と一振りの剣のみを研ぎ澄まし続けた男。彼にとっての論理獣とは、自らが剣を振るうまでもない雑事を片付けるための、文字通りの道具に過ぎない。
「……アスタロト。オートマタに敗れて捨てられた騎士か。……組織が捨てた後は、随分と鈍ったようだな。」
司令官プルソンが、手にした黒鋼の長剣をゆっくりと正眼に構えた。
装飾の一切ない、実戦のためだけに打たれたその刃は、司令部の冷徹な光を吸い込み、不気味な鈍色に沈んでいる。
「……アスタロト、知り合いなの?」
メイがコンソールを離れ、二人の守護者の影に隠れながら問いかける。
「……ああ。……この男は、シンジゲートの『武の象徴』だ。……論理などという言葉でこの男を測るな。……来るぞ!」
アスタロトの警告と、プルソンの「踏み込み」は同時だった。
ドォォォォォォォン!!!!!
爆音。しかしそれは衝突の音ではない。プルソンが一歩を踏み出した瞬間に、司令部の堅牢な床が衝撃で陥没した音だ。
目にも止まらぬ速さ。アスタロトが超振動剣を迎え撃つように振り上げた瞬間には、プルソンの剣は既に彼女の喉元を掠めていた。
「――っ!」
アスタロトは、反射的に首を後ろへ反らしたが、わずかに遅れた。彼女の白い頬に、一本の赤い線が刻まれ、血が滴り落ちる。
「……速すぎる。……アークのようなブーストなしで、これほどの速度を……!」
『……アスタロト、……下がれ。……物理防御層、……展開。』
アークが、折れ曲がった左腕を無理やり盾として掲げ、アスタロトとメイの前に立ちはだかった。
アークの先史ボイラーが、かつてない高熱を放ち、機体周囲の空気を蒼くイオン化させる。それは、物理的な質量だけでなく、電磁的な反発力さえも利用した「黄金の壁」だった。
だが、プルソンは、その壁を前にしても歩みを止めなかった。
「質量、硬度、出力。……それらは全て『点』に集中させれば、ただの薄紙と同じだ。」
プルソンが剣を静かに引き絞る。
「――絶界、一閃。」
閃光。
アークの強固な黄金の装甲が、まるでバターでも切るかのように、音もなく上下に泣き別れた。
アークが盾としていた左腕が、肩の付け根から鮮やかに切り落とされ、ドームの床へと転がる。
『……な、……に……!? ……私の、……重合金の……フレームが……。』
アークのメインモニターが、激しいノイズと共に赤く染まる。
魔術的な爆発も、論理的な干渉もない。ただ、極限まで研ぎ澄まされた一点への「斬撃」が、アークの物理的な存在を否定したのだ。
「アーク!!」
メイが絶叫する。彼女は即座に腰のポーチから、アイアン・ルーツでゼンマイから託された「祝福のスパナ」と、高出力のバイパスケーブルを取り出した。
「……まだよ、まだ終わらせない! アスタロト、プルソンの次の動きを止めて! 10秒、……いいえ、5秒でいいから!」
「……承知した! 命に代えても!!」
アスタロトが、全身から溢れ出す闘志を剣に込める。
ネジマキ族が施した超振動機能が、アスタロトの精神状態に呼応するように、限界を超えた高周波を奏で始めた。剣そのものが白熱し、周囲の空気を焼き焦がす。
「……ほう。……捨て身の剣か。……良かろう。……かつての同胞として、……最強の武を以て引導を渡してやる。」
プルソンの黒鋼の剣が、さらに深く、暗い色を帯びていく。
その時。
ドーム全体が、不気味な震動と共に大きく傾いた。
三体の論理獣を失い、さらにメイのハッキングによって制御を乱された要塞ラジエルの動力核が、ついに臨界点を超え始めたのだ。
ドォォォォォォォン!!!!!
司令部下層で大規模な誘爆が発生し、天井の巨大なシャンデリア状の構造体が、火花を散らして落下してくる。
崩落する瓦礫。吹き出す蒸気。
極限の混乱の中、プルソンとアスタロト、二人の剣士の視線だけが、一点の揺らぎもなく重なり合っていた。
「行くぞ、アスタロト。……お前の『自由』が、私の『法』を超えられるか、試してみるが良い。」
プルソンの姿が、爆炎の向こう側へと溶けるように消えた。
「……メイ、アーク。……絶対に、守り抜く!」
アスタロトが、崩れる瓦礫を足場に、虚空へと跳んだ。
崩壊する空中要塞の頂上で、物理法則を置き去りにした、最後の一騎打ちが始まろうとしていた。
ドームの床が、凄まじい轟音と共に十五度ほど傾いた。
下層階の動力パイプが誘爆し、司令部の床下を通る支持架が破断したのだ。数トンの石材と鋼鉄が、傾斜に従って滑り落ち、司令部の端にある巨大な観測窓を突き破って、数千メートル下の雲海へと消えていく。
だが、その傾斜すら、司令官プルソンにとっては自身の加速を利用するための「斜面」でしかなかった。
「……無駄な足掻きだ。」
プルソンが黒鋼の剣を低く構え、傾いた床を蹴る。
その脚力は、足元の石材を一瞬で粉砕し、アスタロトの視界から彼の姿を消滅させた。
「――っ! 左!」
アスタロトは自身の直感を信じ、左側面に剣を叩きつけた。
キンッ!!!!!
鼓膜を突き刺すような金属音が響く。
アスタロトの超振動剣が、プルソンの放った「真横からの一閃」を辛うじて捉えていた。しかし、衝撃は想定を遥かに超えていた。剣を介して伝わる圧力は、一人の人間が放つものとは思えない。アスタロトの膝の関節が悲鳴を上げ、彼女の体は床を削りながら数メートル後退させられた。
(……なんて重さだ。剣の重さじゃない、踏み込みの一歩に全身の体重と、踏みしめた床の反動を一点のロスもなく乗せている……!)
プルソンの剣技は、魔法的な強化などではない。徹底的に無駄を省き、人体という骨格構造を最大限の効率で回転させる「物理の極致」だった。
「アスタロト、離れて!」
メイが、アークの胸部ハッチを開け、剥き出しになった制御基板に無理やりバイパスケーブルを叩き込んだ。
『……感謝。……右腕、……安全リミッターを物理的に破砕。……全エネルギーを、……ピストン圧へ転換。』
アークの右腕――あの真鍮のガトリング・ピストンが、内部の摩擦熱で真っ赤に発光し始めた。ボイラーから供給される蒼いエネルギーが、もはや制御を離れて放電現象を起こし、アークの周囲の空気をバチバチと震わせる。
『……ハァァァァァァッ!!!!!』
アークが、残された右拳をプルソンが立つ地面へと叩きつけた。
ガトリング・ピストンの連射機能を利用した、超高速の連続加圧。
ドガガガガガガガガガッ!!!!!
一発一発が岩をも砕く打撃が、一秒間に数十回の頻度で床に叩き込まれる。プルソンの足場となっていた石材の床が、激しい振動と共に粉々に砕け、さらにその衝撃波が「面」となって前方へと広がった。
「……物理的な飽和攻撃か。面白い。」
プルソンは、回避不能な衝撃の波を前に、あえて前へと踏み出した。
彼は砕け散る床の「破片」を足場にし、空中で体勢を入れ替えながら、アークの右腕の動きを見極める。
アークが放つ連撃の間隔。ピストンが引き戻されるコンマ数秒の「隙」。
「――そこだ。」
プルソンは、アークの拳が再び床に当たる直前、その拳の「上」を駆け上がった。
腕の装甲を足場にし、アークの顔面――メインモニターへと肉薄する。
「アーク、危ない!」
アスタロトが割って入る。彼女は自身の剣を、プルソンの剣を受けるためではなく、プルソンの「腕」そのものを断つために振り抜いた。
だが、プルソンは空中でわずかに重心をずらし、アスタロトの刃を自分の剣の「鍔」で受け止めた。
ギィィィィィィィィィン!!!!!
アスタロトの超振動と、プルソンの黒鋼が噛み合い、激しい火花が散る。
「アスタロト、お前の剣は『速さ』に頼りすぎている。真の武は、静寂の中にある。」
プルソンが剣をわずかに引き、アスタロトの剣を「滑らせた」。
剣士としての格の違い。アスタロトの体勢が、プルソンの巧妙な受け流しによって完全に崩された。
「……っ、体が、……浮く……!?」
プルソンは崩れたアスタロトを冷徹に見据え、とどめの一刺しを放とうとした。
その瞬間、背後からメイの声が響いた。
「アーク! 今よ! 腕を爆発させて!!」
『……全気筒、……緊急排気!!』
アークの右腕に溜まっていた超高圧の蒸気と蒼いエネルギーが、接続部から一気に爆発的に噴き出した。
それは攻撃ではなく、自らの腕を切り離すほどの「反動」。
その凄まじい爆風が、プルソンの足場を奪い、彼の剣筋をわずかに数センチだけ横に逸らせた。
「――ぐっ。」
プルソンの剣が、アスタロトの肩を深く切り裂いたが、致命傷には至らなかった。
爆風に煽られ、三人と一人は、崩壊が加速する司令部ドームの別々の場所へと散らされる。
「……はぁ、……はぁ、……メイ、……助かった。」
アスタロトが、血を流しながらも立ち上がる。
天井からは、ついに要塞の骨組みがむき出しになり、空から冷たい霧が流れ込んできた。
要塞ラジエルは、もはやその巨体を空に繋ぎ止めておく力を失いつつあった。
ドームの半分以上が崩落し、眼下には真っ暗な雲海が口を開けて待っている。
「……いいだろう。……この死にゆく鉄の塊を、貴公らの墓標にしてやろう。」
プルソンが、乱れた呼吸を整えることもなく、再び剣を構えた。
その全身からは、これまで隠されていた凄まじい「熱」が、蒸気となって立ち上っている。それは彼の肉体が、物理的な限界を超えて駆動している証拠だった。
「……墓標にするのは、貴方の方よ。……アーク、……最後の一撃、……準備はいい?」
メイが、レガシーの遠隔操縦端末を強く握り締める。
要塞の最期と、三人の覚悟。
決着の瞬間が、刻一刻と迫っていた。
司令部ドームの床が、ついに中央から真っ二つに割れた。
支えを失った鉄骨が歪み、不気味な金属の悲鳴が吹き荒れる風の中に消えていく。プルソンとメイたちの間には、今や数メートル幅の亀裂が走り、その下には数千メートルの虚空が広がっていた。
「……アスタロト、アーク。……正面から打ち合っても、奴の剣速には勝てない。」
メイは操縦端末を握りしめ、冷たい汗を拭った。
「奴は『床』を蹴って加速している。……なら、その足場を物理的に奪うしかないわ。」
『……メイ、……了解した。……ボイラーの余熱で、……ジャンプ・ブーストを行う。……一瞬だけだ。』
アークが、残された右腕のシリンダーから高圧蒸気を噴出させ、姿勢を制御する。
プルソンは、崩れゆく床の端で静かに立っていた。
彼は状況を冷静に分析していた。要塞が墜落するまで、残り時間は長くない。だが、彼は逃げることなど考えていなかった。目の前の「不確定要素」を排除することこそが、彼に課せられた唯一の法だからだ。
「……足場を奪うか。策としては妥当だが、私に届く前にお前たちが地に落ちるのが先だ。」
プルソンが動いた。
彼は割れた床の「縁」を蹴り、まるで重力など存在しないかのように、虚空を跳んでメイたちの方へと迫る。その剣先は、メイの心臓を最短距離で射抜こうとしていた。
「――今よ、ゴールデン・レガシー!!」
メイが端末の赤いレバーを最大まで倒した。
ドームの外、ホバリング待機していたゴールデン・レガシーが、補助スラスターを全開にして司令部へと「突っ込んできた」。
メイが狙ったのは、プルソンへの直接攻撃ではない。
ドームを支えている、最も太いメイン・シャフトの接続部だ。
ズゥゥゥゥゥゥゥン!!!!!
黄金の船体が要塞の構造材に激突し、凄まじい衝撃波が司令部全体を襲った。
プルソンが着地しようとしていた側の床が、レガシーの衝突による慣性エネルギーで、一気に下方へと叩き落とされる。
「……なにっ!?」
完璧な武を誇るプルソンの顔に、初めて動揺が走った。
いかに神速の剣を持とうと、空中に投げ出されれば「踏ん張る」ための摩擦を失う。物理法則の限界だ。
「アスタロト、アーク! 合わせて!!」
アスタロトが、崩れ落ちる瓦礫を足場に、プルソンの側面に肉薄した。
「――これで、最後だぁぁぁぁっ!!」
彼女は剣を振るうのではない。折れかけた剣身をプルソンの黒鋼の剣に「絡ませ」、自らの体重を乗せて力任せに横へと押し込んだ。プルソンの重心を、わずかに数センチだけ横へ、空中に浮かぶ「無防備な点」へとずらす。
そこへ、アークの最後の一撃が重なった。
アークは右腕を切り離した際に残った、右肩の強固な「接続部」そのものを、巨大な鉄槌として突き出した。
『……私の……質量は、……お前の剣では……断ち切れん!!』
ドッ!!!!!
アークの肩の塊が、プルソンの胸部に直撃した。
防磁装甲が砕け、プルソンの体は弾丸のような速度で、崩壊した観測窓の向こう側――吹き荒れる嵐の空へと弾き飛ばされた。
「……お、見事……だ……。漂流、……者……。」
プルソンの声が、風の中に霧散していく。
彼は黒鋼の剣を手放すことなく、崩れ落ちるラジエルの瓦礫と共に、深い雲海の底へと沈んでいった。
「――急いで! レガシーに乗って!」
メイが、ドームに突っ込んだままのゴールデン・レガシーのタラップを指差した。
要塞ラジエルは、もはやその輪郭を保てていなかった。あちこちで火柱が上がり、巨大な鉄の巨塔がゆっくりと、垂直に折れ曲がっていく。
アークがアスタロトを小脇に抱え、最後の一跳びでゴールデン・レガシーのデッキへと滑り込んだ。
メイが操縦席に飛び込み、エンジン出力を全開にする。
「バイバイ、ラジエル! ――全速前進!!」
ゴールデン・レガシーの後部ブースターが火を噴き、要塞の瓦礫から強引に離脱した。
背後では、シンジゲートが誇った空中境界要塞ラジエルが、凄まじい爆発光を放ちながら、雲海を割り、奈落の底へと墜落していった。
静寂。
風の音だけが、損傷したレガシーの機体をなでていく。
「……はぁ、……はぁ。……勝った……のよね? 私たち。」
メイが座席に深く背を預けた。
アスタロトは、血を拭いながら、遠ざかる爆炎を見つめていた。
「……ああ。……だが、プルソン閣下がいたということは、シンジゲートの本隊も近い。……奴らは、この敗北を黙って見過ごしはしないだろう。」
『……損傷率、……85パーセント。……だが、……航行に支障はない。』
アークが、腕を失った無骨な姿で、メイの隣に立った。
『……メイ、……新しい地図を。……私たちは、……まだ止まらぬのだろう?』
メイは顔を上げ、前方の霧が晴れ始めた空を見据えた。
そこには、これまで隠されていた未知の空域が広がっていた。
要塞ラジエル、攻略完了。
三人の絆と、物理的な力が、世界を遮っていた巨大な「法」を打ち破った。
物語は、いよいよ霧の海の「深部」へと進んでいく。
第46話、いかがでしたでしょうか。
最強の武官プルソンを退け、鉄の要塞から脱出したメイたち。
ボロボロになったアークと、翼を休める場所を求めるゴールデン・レガシーが辿り着いたのは、霧の先に隠されていた、生命の輝きに満ちた「碧き浮島」でした。
次回、第47話「碧き箱庭、浮遊庭園の三柱」。
緊迫した戦いから一転、三人が挑むのは「自分たちの居場所」作り。
青い空の下、失われたアークの腕を、そしてレガシーの機体を、この島に眠る未知の資源で蘇らせます。
誰も知らない秘密の楽園で、三人の新たな冒険の準備が始まります。
次回の更新も、どうぞご期待ください!




