第二話:【梱包】に閉じ込めた、消えゆく命
お読みいただきありがとうございます。
第1話では、自分のスキルの正体に気づいたタムでしたが、今回はその力が「命」と向き合うことになります。
異世界の過酷な現実と、タムが背負うことになった「重い荷物」。
二人の運命が動き出す第2話、ぜひ最後までお付き合いください。
巨大な狼を「梱包」し、その時間の止まった箱の傍らで、タムは最後の一口となった熱いおにぎりを飲み込んだ。
腹が満たされると同時に、冷え切っていた思考がようやく体温を取り戻していく。
「……いつまでも、ここに居るわけにはいかないな」
タムは立ち上がり、辺りを見回した。
足元には、手のひらサイズに圧縮された、凶悪な狼が入ったキューブが転がっている。これの中には、あの恐ろしい怪物が、飛びかかった瞬間の姿勢で固まっているのだ。
いわば、安全装置のない手榴弾をポケットに入れているようなものだ。
この力は、あまりにも唐突で、あまりにも異質だ。自分の体の一部になったかのような、しかし未だコントロールしきれない感覚が、タムを戸惑わせた。
「便利だけど、やっぱり怖いな、この力は」
自嘲気味に呟き、タムは森の出口を目指して歩き出した。
その旅路は、想像以上に過酷だった。
道なき道を切り拓き、重い倒木は「梱包」で圧縮してどかし、喉の渇きを覚えた時は清流を「梱包」して、いつでも冷たいまま飲める「水の立方体」として持ち歩いた。
タムにとっては「整理整頓」の延長でしかない。だが、魔法の法則を無視した挙動に、彼自身も少しずつ自分の異常性を自覚し始めていた。この世界で、自分の力がどれほどの価値を持つのか、まだ測りかねていた。
それから数時間。森の空気は次第に重くなり、鉄のような生臭い匂いが混じり始めた。
嫌な予感がして速度を上げると、木々が開けた街道沿いに、無惨な光景が広がっていた。
豪華な装飾が施された馬車は、原形を留めぬほどに破壊され、横転していた。車体には、鋭い爪痕や、焦げ付いたような痕跡が幾筋も残されている。
その周囲には、騎士の鎧が砕け散り、兵士たちが無残な姿で倒れ伏していた。精鋭と思しき者たちの亡骸は、数匹のゴブリンのような雑魚にやられたようには見えない。皮膚は焼け爛れ、内臓は飛び散り、まるで嵐が通り過ぎた後のようだった。
襲撃者は既に立ち去ったあとなのか、辺りは不気味なほど静まり返っている。風が吹くたびに、血と焦げ付いた肉の臭いが鼻腔を突き、タムの胃をひっくり返そうとした。
その惨劇の中心で、一人の老人が、膝をつきながら必死に杖を掲げていた。
息は荒く、顔は土気色に染まっている。それでも、その瞳だけは、狂気を宿したかのように一点を見つめていた。
「ハァ……ハァ……くそっ、止まれ、止まってくれ……! お嬢様を、まだ死なせるわけにはいかん……!」
老人の前には、一人の少女が倒れていた。
燃えるような赤髪は泥と血にまみれ、豪華なドレスもズタズタに引き裂かれている。
伯爵令嬢――セレスティア・フォン・グレンビル。
だが、その胸元は深く貫かれ、傷口からはまるで生きているかのように蠢く、不気味な紫色の光を放つ毒のような何かが溢れ出していた。
老人は、この国でも名の知れた高位の宮廷魔導師であったが、今やその顔は絶望に染まっている。彼が放つ治癒の光は、彼女の傷を癒すどころか、内側から食い荒らす「呪い」の浸食に全く追いつけていなかった。
タムの目には、セレスティアの命の灯火が、今まさに風前の灯となっているのが見えた。
「……おい、大丈夫か!」
タムは思わず駆け寄った。
突然の乱入者に気づいた老魔導師は、警戒と焦燥が入り混じった鋭い視線で彼を睨みつけた。
「来るな! 邪魔を……っ、いや、貴殿……もしや、回復魔法を!?」
「いや、俺に治癒なんてできない。でも……」
タムはセレスティアの顔を見た。
肌は透けるように白くなり、唇は紫に変色している。
その瞳はうつろで、焦点が合っていない。
今、この瞬間にも、彼女の命が終わりを告げようとしていた。
老魔導師の治癒魔法は、穴の空いたバケツに水を必死で注ぐような、虚しく絶望的な作業に見えた。
「どいてくれ! このままじゃあと数秒で終わる!」
「……っ! だが、私にしかこの呪いの進行は抑えられん! 少しでも力を緩めれば、一瞬で……!」
「抑えられてないだろ! 俺が……俺が、無理矢理にでも止めてやる!」
タムは半ば強引に割り込み、セレスティアの冷たくなった肩に両手を置いた。
震える指先から、彼女の命が急速に失われていくのが伝わってくる。
治してやりたい。彼女の苦痛を取り除いてやりたい。だが、自分にはそんな力は、どこにもない。
できるのは、彼女を「荷物」として固定することだけだ。その残酷な事実が、タムの心を深く抉った。
「……ごめん。今の俺には、これしかできないんだ……!」
タムが祈るように叫ぶと、脳内に無機質な声が響く。
『――対象を認識。パッキングを開始します』
指先から溢れ出した光の帯が、瞬時にセレスティアの全身を幾重にも包み込んだ。
バチンッ! と空間が凍りつくような音が響き、彼女の周囲に透明な立方体が出現する。
「な……!?」
老魔導師が言葉を失った。
噴き出していた鮮血が、空中で赤い滴のまま静止した。
苦痛に歪んでいた彼女の眉間が、その形のまま固まった。
今にもこぼれ落ちそうだった一筋の涙も、頬を伝う途中でぴたりと止まっている。
そして、彼女を蝕んでいた紫色の呪いの光さえも、箱の中で霧のように静止していた。
「……止まった。時間は、稼げたはずだ」
タムは激しい眩暈に襲われながら、その場に崩れ落ちた。
人間を、しかもこれほどの規模の呪いごと包むのは、狼を梱包するのとは比較にならないほどの精神力を削られた。
視界が歪み、胃の奥から込み上げる不快感に、タムは地面に手をついて必死に堪えた。
それでも、胸の奥には、彼女を「物」のように扱ってしまったことへの深い後悔と、治癒できなかった無力感が残っていた。
「あ、ありえん……。これは結界魔法……いや、時間停止か!? 伝説級の神聖魔法を、詠唱もなしに……?」
老魔導師が震える手で箱に触れようとする。だが、その指先は透明な硬い壁に跳ね返された。
「……触らないでくれ。少しでも衝撃を与えたくない」
タムが苦しげに言うと、老魔導師は弾かれたように姿勢を正し、目の前の見知らぬ青年――タムに向かって深く首を垂れた。
「……失礼いたしました。救っていただいたこと、心より感謝いたします。私はこの家にお仕えする魔導師、エドワードと申します。……恩人殿、貴公のお名前を伺っても?」
「……タムだ。通りすがりの、ただの梱包師だよ。……エドワードさん、この、箱の中の人は?」
「左様でございましたか、タム殿。……このお方は、伯爵家が令嬢、セレスティア様です。……しかし、これはいつまで持つのでしょうか」
「……わからん。けど、箱を開けない限り、彼女の状態は変わらないはずだ。……変われない、と言うべきか」
タムは箱の中の少女――セレスティアを見つめた。
助けた。確かに助けたはずなのに、胸の奥には重い石を呑み込んだような苦しさが残っていた。
これは救済じゃない。ただ、死の苦しみを永遠に延長しただけだ。
その事実が、タムの心を締め付ける。
その時だった。
『……あなたは、だれ……?』
脳内に直接、透き通るような、しかしひどく弱々しい声が響いた。
タムは反射的に飛び上がり、周囲をキョロキョロと見渡した。
「うわああっ!? な、なんだ、今の声は!」
エドワードが驚いた顔をする。
「どうなされましたか、タム殿?」
「い、今、女の人の声が聞こえませんでしたか!? 誰かが俺の頭に直接話しかけてきたような……」
『……おじいさまには、聞こえません。……魔力の、通り道を辿って……あなたに、直接……』
タムは、ハッとして目の前の箱を見た。
箱の中の少女は、依然として動いていない。瞳も閉じたままで、唇一つ震えていない。
だが、その心だけが、高い魔力を介してタムの意識に直接語りかけてきていた。
時間が止まっていても、意識だけは生きているのか。それとも、この世界の理が、自身の魔力を持つ者にだけ許された芸当なのか。
「……もしかして、あんた、この箱の中から話してるのか?」
『……ええ。……ふふ、変な感じ。……熱くも、痛くもない。……でも、まぶた一つ、動かせないの……』
タムは息を呑んだ。
彼女は、恐怖も苦痛も感じていないという。それは救いだった。だが、永遠に動けないまま、この箱の中に閉じ込められる絶望は、一体どれほどのものだろうか。
「……さっきエドワードさんから聞いた。セレスティアさん、だよな」
『……ええ。……みんなには、セレスって、呼ばれてるわ。……タムさん。……あなたが、私の時間を、止めたのね?』
「……ああ。セレスさん、か。……ごめん。今の俺には、あんたをこうして『物』みたいに固めることしかできなかった。治してやりたかったけど、そんな魔法は使えないんだ」
タムが箱に額を押し当てて謝ると、念話がふわりと温かく揺れた。
『……謝らないで、タムさん。……あのままなら、私はもう、消えていたわ。……あなたが、私を「今」に繋ぎ止めてくれたのよ……』
『……暗いところから、引き戻してくれた。……それがどれほど、有難いことか……』
タムは唇を噛み締めた。彼女を包み込む透明な箱を優しく撫でる。
「俺に梱包されたせいで、彼女は喋ることすらできず、死に損なった状態で閉じ込められている」という罪悪感は、依然として胸の奥に深く残る。
だが、彼女の、諦めの中に宿る感謝の念が、タムの心をわずかに繋ぎ止めていた。
「……セレスさん。あんたを必ず、治せる場所まで運ぶ。それまでは、その箱の中で我慢してくれ」
『……ええ。……ふふ。私の命、あなたに「梱包」されちゃったみたいね。……責任、取ってもらうわよ……?』
冗談めかした彼女の声を聞きながら、タムは箱をゆっくりと圧縮した。
一辺三十センチほど。クリスタルのように輝く、まるでオブジェのような箱。
抱えるにはちょうどいい大きさだが、その中には伯爵令嬢の命が、凍りついたまま詰まっている。
タムは、その「重い荷物」をしっかりと腕に抱き直した。
その肩には、セレスティアの命と、彼女を救えなかった無力感、そして必ず治すという決意が、ずしりと重くのしかかっていた。
「……行こう、エドワードさん。彼女を本当の意味で救うために」
一人の男と、一人の老人。そして、箱の中に閉じ込められた一人の少女。
奇妙な三人連れの、責任と無力感を背負った旅が、ここから本格的に始まった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
治してあげたいけれど、今の自分には「止める」ことしかできない。
そんなタムのやるせなさが、少しでも伝わっていましたら幸いです。
箱の中から語りかけてきたセレス。彼女を本当の意味で救うための旅が、ここから始まります。
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次回、一行は初めての街に到着します。しかし、そこでも「梱包師」ならではの受難が待ち受けていて……?




