第十六話:質量保存の虚構、あるいは聖域の検品
完璧な仕事には、常に理由があります。
かつて「丁寧すぎる」と蔑まれた赤石保のこだわり。
それは、この異世界において、国家規模で隠蔽された真実を暴くための唯一の武器となりました。
特級配達員の権限を手にし、タムが足を踏み入れたのは王国の物流の聖域。
そこに眠る膨大な帳簿は、一見すれば完璧な平穏を示していましたが、
タムの「目」は、八百年間、誰もが無視してきた『誤差』の正体を見逃しません。
少女を愛でる父の眼差しと、荷物を管理する職人の手つき。
その境界線が曖昧になる時、タムは自分が守り続けてきたものの「重み」を再定義することになります。
王都クレイエルの中心部にそびえ立つ、巨大な円筒形の建造物――『中央大書庫』。
そこは知の殿堂であると同時に、王国の物流を統べる「発送と到着」のすべての記録が帰着する、情報の巨大な集積所でもあった。石造りの外壁には、数千年にわたる雨風に耐えた魔導刻印が刻まれ、その威容は訪れる者を圧倒する。
タムは、胸元に鈍く光る特級配達員の銀色徽章を指先でなぞりながら、その重厚な石の門をくぐった。
「……御用件を」
入口を固める鉄格子の内側で、武装した書記官が低く問いかけてくる。その瞳には、新参の特級配達員に対する隠しきれない疑念と、職務に対する傲慢さが混じっていた。
タムは無言で、銀の通行証を提示した。
「特級配達員、タム。……物流監査権限に基づき、過去八百年分の『クレイエル領発・王都着』の総重量記録の閲覧を要求します」
書記官の眉が、わずかに跳ね上がった。手元の名簿とタムの顔を何度も見比べる。
「八百年分だと? そんな膨大な記録を……一介の配達員が何のために。今は戦時でもなければ、大規模な横領の疑いも出ていないはずだが」
「一介の、ではありません。特級です。……荷物の流れに淀み(ノイズ)がある。それを検品するのが、私の仕事です」
タムの声には、かつて派遣労働者として冷遇されていた頃にはなかった、静かな、しかし抗いようのない威圧感が宿っていた。それは自らの技術に対する絶対的な自負と、守るべき「荷物」のために真実を暴こうとする覚悟の表れだった。
数分後、彼は書記官の案内に従い、書庫の最下層、陽の光すら届かない「総質量管理室」へと案内された。そこは空気すらも乾燥し、古い紙とインク、そして微かな魔力の匂いが凝固した、歴史の残骸のような場所だった。
***
ひんやりとした冷気に包まれた室内には、革張りの巨大な台帳が数千冊、壁を埋め尽くすように並んでいた。
エドワードやリナは、大書庫の外で待機させている。これは、特急配達員の資格を持つタムにしか許されない、孤独な「検品」だった。
「さて……」
タムは白手袋をはめ直し、第一話から変わらぬ丁寧な仕草で、最初の台帳を開いた。
八百年前。エドワードの師匠、カリンが存命であった時代の記録だ。
タムの目は、ページをめくるごとに加速していく。
小麦、三千キロ。石炭、五百キロ。ワイン、二百リットル。
発送時の数値と、王都到着時の数値。そこには必ず「誤差」が存在する。輸送中の飛散、乾燥、あるいは不慮の事故による損失。通常の監査官であれば、その誤差が「規定の範囲内」――すなわち零点三パーセント未満であれば、適正として受理の印を押す。
だが、赤石保という男の目は、その「誤差」の中に、あまりにも不自然な整合性を見出した。
(……おかしい。乾燥による目減りなら、天候や季節によって変動があるはずだ。雨の多い月なら湿気で重くなり、乾季なら軽くなる。それが自然の摂理だ)
タムは懐から、特急配達員専用の計算盤を取り出した。指先が弾く算珠のような音が、静まり返った書庫に小気味よく響く。
彼はクレイエル領から届く、数百、数千の荷物の「誤差」だけを抽出した。
ある荷物からは「零点五グラム」。
ある荷物からは「一・二グラム」。
それらはあまりにも微細で、現場の配達員すら気づかないほどの欠損だ。しかし、タムがそれらを年ごとに合算し、一つのグラフとして構築したとき、背筋に凍りつくような悪寒が走った。
一時間。
二時間。
静寂の中で、ペンが走る音と計算盤の音だけが響く。
そして、一つの計算結果が出た瞬間、タムの呼吸が止まった。
「……五十二・四一〇キログラム」
どの年も。
大干ばつで荷が極端に軽くなった年も、大雪で輸送が停滞した年も。
最終的に合算された「不明な欠損質量」の合計は、正確に、一ミリグラムの狂いもなくその数値で固定されていた。
それは、一人の少女の質量であり、同時にこの世界における「魂を定着させるために必要な最低限の肉体構成要素」の数値であった。
「……分割配送。それも、数千の荷物に紛れ込ませた、究極の隠蔽工作か」
タムは戦慄した。
この国を支える物流システム、そのルールを作った者たちは、最初から「これ」を運ぶために制度を設計したのだ。
一般の荷物は、ただの「カモフラージュ」に過ぎない。
王国の物流網という壮大な網の目を使い、一人のオートマタを「誤差」としてバラバラに運び、王都の地下で再び組み上げる。その作業は八百年間、一度も途切れることなく、時計の歯車のように正確に繰り返されてきた。
なぜ、歴代の特急配達員たちはこれを見逃したのか。
タムは台帳の隅に記された、承認済みの署名を追った。そこには、王国の歴史に名を残す偉大な物流師たちの名が並んでいた。
だが、彼らの署名の横には、特級配達員にしか解読できない特殊な暗号が添えられていた。
『――荷物の安全よりも、配送計画の完遂を優先せよ』
『――誤差は、王国の血肉なり』
彼らは気づかなかったのではない。
自分たちの職務の本質が「隠蔽」にあることを理解し、この巨大な詐欺に加担することこそが、特急配達員の真の役割であると教育されていたのだ。
タムは、自分が憧れ、死に物狂いで手に入れたこの称号の、底知れない汚濁に目眩を覚えた。
そして、八百年前の初代監査官の欄。
そこには、かつてセレスが思い出した「お父様」と同じ、ペン先を強く叩きつけたような力強い筆跡で、こう記されていた。
『――愛を永遠に保存するには、世界そのものを梱包材にする他ない。セレス、私はお前を、時間の流れという摩耗から切り離し、完璧な配送物へと昇華させた』
「……狂ってる」
タムは静かに、しかし力任せに台帳を閉じた。その音は、墓石が閉まるような重い響きを持って、地下室に反響した。
***
店に戻った時、王都は黄昏に包まれていた。
店内では、リナが鼻歌を歌いながら大根の皮を剥いており、カイトは新しく導入した馬車の車輪のガタつきを真剣な表情でチェックしている。
そして、カウンターの奥で。
セレスの箱が、いつものように穏やかな魔力を灯していた。
『お帰りなさい、タムさん。……今日は、何か大切なお仕事でしたの? 眉間にしわが寄っていて、まるで難しいパズルを解いているみたいですわ』
セレスの念話が届く。いつもの、春風のような声だ。
タムは彼女の箱に歩み寄り、その透明な天板に、そっと手を置いた。
かつて、第一話で彼女を梱包した時の、あの独特の抵抗感。
物理的な重さだけではない、因果が絡み合うような、指先に残った粘りつく感触。
あれは彼女が拒んでいたのではない。
八百年の間、数え切れないほどの荷物に分散され、再構成されるたびに削り取られてきた、魂の摩耗が叫んでいたのだ。
「……お嬢様。……あなたは、自分がどれだけ重いか、ご存知ですか」
『あら、失礼な質問ですわ。女の子に体重を聞くなんて、梱包師失格ですわよ? それとも、私の箱が重すぎて、運び屋としての自信がなくなってしまいましたの?』
くすくすと笑うセレス。その声は、どこまでも純粋で、悪意の一片も感じられない。
だが、タムには見えていた。
彼女の笑顔の裏側に、八百年分積み上げられた、冷徹な帳簿の数字の羅列が。
彼女が「自分」という存在を保つために、この国の数百万の荷物から盗み取られた、膨大な「誤差」の歴史が。
自分が磨いているこの「箱」は、彼女を守る家などではない。
彼女を永遠に、この「不滅の配送計画」の中に留め置くための、牢獄の最終工程。
そして、今の「伯爵家」とは、彼女を愛する家族ではなく、定期的に届くこの「荷物」をメンテナンスし、劣化すれば新しい「器(身体)」へと詰め替えるだけの、ただの管理施設に過ぎないのだ。
「……いいえ。あなたが重いのは、この国そのものを背負っているからかもしれませんね」
『まあ。タムさん、たまには詩人みたいなことを仰るのね』
タムは、自分の手が届けているものが、もはや「令嬢」という名前の付いた少女ではないことを悟った。
それは、八百年前の狂気が生んだ、終わりのない「物流」という名の怪物だ。
だが、その怪物の中に閉じ込められている魂は、今もこうして自分に語りかけ、夕飯の献立を楽しみにして、明日が来るのを信じている。
(……プロの配達員の仕事は、届けることだ。だが……)
タムは、自分の「梱包」スキルを意識の底で展開した。
もし、彼女をこの「システム」から切り離して梱包することができたなら。
国の物流網という呪縛から解き放ち、本当の意味で「彼女自身」として、どこか誰も知らない場所へ届けることができたなら。
それは、王国への叛逆であり、物流の歴史に対する冒涜となるだろう。
だが、赤石保という男の胸に灯ったのは、かつて倉庫で理不尽に解雇された時のような虚無感ではなく、一人の「梱包師」として、これ以上ないほどに丁寧な仕事を完遂させようとする、静かなる闘志だった。
「……カイト君。リナさん」
「はい、師匠!」
「なあに、タム? ご飯もうすぐできるわよ」
タムは、二人の仲間の顔を見た。
この歪な真実を知ってもなお、自分についてきてくれるだろうか。
いや、迷う必要はなかった。自分たちはもう、同じ箱の中にある運命の共同体なのだから。
「……明日の朝、クレイエル伯爵邸へ向かいます。……予定よりも早く、『納品』を済ませる必要があります」
タムの言葉に、店内の空気が一変した。
それは、八百年の歴史に終止符を打つための、宣戦布告だった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
驚愕の事実が明らかになりました。
八百年間、誰も気づかなかった誤差「52.410kg」。
それは、一人の少女を「部品」として分散させ、国そのものを隠れ蓑にして運び続けるという、狂気のロジスティクスでした。
赤石保が歩んできた「梱包師」としての道。
その丁寧な仕事が辿り着いたのは、愛情と冒涜が表裏一体となった、あまりにも残酷な真実でした。
「52.410kgの謎に鳥肌が立った!」「特急配達員の真の役割が怖すぎる……」という方は、ぜひ【評価】や【ブックマーク】をお願いいたします!
次回、第十七話。
王都の地下、再構築の祭壇。
現・クレイエル伯爵が動きます。
新しい「器」への詰め替えを急ぐ伯爵家に対し、タムは配達員としての「最大の拒絶」を示すことになります。
お楽しみに。




