第十四話:停止した時間と、動き出す縁
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ついに王都『クレイエル』に拠点を構えた「ラスト・マイル」。
そこへ現れたのは、かつてタムに「無能」の烙印を押し、死地へ追いやったあの神官でした。
過去を笑い飛ばすように成長した者たちと、変わらぬ悪意を向ける者たち。
そして、賑やかな喧騒の裏で、独り「停止した時間」の中にいるセレス。
運び屋としての意地と、少女の静かなる孤独が交錯する、再会の第十四話。
どうぞお楽しみください。
王都クレイエルの目抜き通りから一本入った路地裏。そこには、かつて王室御用達の武具店だったという、頑丈な石造りの二階建て店舗があった。
今日からここが、特級配達員タム率いる「ラスト・マイル王都店」の拠点となる。
「……タムさん、この棚の角度ですが、あと三ミリほど右に傾けた方が、荷物の取り出しがコンマ五秒短縮されるかと!」
汗だくになりながら、重い木材を軽々と持ち上げているのはカイトだった。かつての煌びやかな聖騎士の鎧は脱ぎ捨て、今は動きやすさ重視の無骨な作業着を纏っている。
「ええ、それでお願いします。カイト君、積み込みの基本は『流線型』です。動線を意識してください」
「はい、師匠!」
その様子を、二階への階段で掃除をしていたリナが呆れたように、しかしどこか嬉しそうに眺めていた。
「……カイトも、あんなにハツラツとして。タムに『梱包の基礎』を叩き込まれてから、すっかり毒気が抜けたわね」
リナは手に持っていたハたきを置くと、タムに近づき、彼の首元に巻かれた包帯のズレを甲斐甲斐しく直し始めた。
「ほら、タム。また包帯が緩んでる。特級配達員になったんだから、身なりにも気をつけなきゃダメよ。……あ、こっちのボタンも取れそう。あとで私が縫い直してあげるわ」
リナの指先が、タムの肌をかすめる。第十三話の激闘を経て、彼女の距離感は明らかに以前よりも縮まっていた。
「……もう、じっとしてて。ほら、ここも糸がほつれてるわよ。特級配達員がそんなみっともない格好じゃ、お店の信用に関わるんだから」
リナの指先が、タムの胸元を器用に動く。物理的な距離が近づくにつれ、彼女の体温と、かすかな花の香りがタムの鼻腔をくすぐった。第十三話での激闘を経て、リナはタムを守るという使命感に加え、一人の男性として彼を支えたいという熱を隠さなくなっていた。
だが、その甘い沈黙を切り裂いたのは、鋭い落雷のような念話だった。
『――ふふ。タムさん、随分と鼻の下が伸びていらっしゃること。私、箱の中からでも、あなたの拍動が早まっているのがはっきりと分かりますわよ?』
脳内に響くセレスの声。それは氷細工のように美しく、そして底知れぬ冷たさを帯びていた。タムは反射的に背筋を伸ばし、顔を引き攣らせる。
『セ、セレスお嬢様。……これは、その、身だしなみのチェックをしてもらっているだけでして』
『身だしなみ、ですか? 私が知る限り、そのボタンは昨日まで一ミリの緩みもありませんでしたわ。それとも、リナさんが近づくだけで、あなたの服は勝手に壊れてしまう魔法でもかかっているのかしら?』
セレスの言葉には、上品な皮肉がたっぷりと詰め込まれていた。タムが返答に窮している間にも、店内に置かれた「セレスの箱」が**ガタッ、ガタガタッ!**と、まるで不機嫌な生き物のように暴れ始める。
「え、ちょっと……何、地震? それともセレス様、体調でも悪いの!?」
リナが驚いて手を止め、箱に駆け寄ろうとする。だが、その瞬間、セレスの魔力の波動がリナを拒絶するように鋭く弾けた。
『リナさん。……少し、お節介が過ぎるのではないかしら。タムさんは私の専属梱包師。彼の体の管理は、私が最もよく知っておりますの。あなたは外で、カイトさんと荷車でも磨いていらして?』
リナには言葉こそ聞こえないが、その「拒絶の意志」は十分に伝わったようだ。彼女は悔しそうに唇を噛み、タムを振り返る。
「……タム。セレス様、なんだか凄く機嫌が悪いみたい。……私、何かした?」
「い、いえ、そんなことは……! 多分、王都の気圧が影響しているんだと思います。俺が少し、調整してきます!」
「あ、ちょっとタム! 私の話まだ終わってな――」
リナの不満げな声を背後に、タムは箱を抱えて奥の作業室へ滑り込んだ。
この「実体のある隣の女性」と「心で深く繋がっている箱の中の王女」の板挟み。配送ルートの最適化よりも遥かに困難なパズルを解きながら、タムは王都での新生活の洗礼を受けていた。
***
タムは逃げるように箱を抱え上げると、奥の作業室へと飛び込んだ。
扉を閉め、厚い壁でリナの気配を遮断した瞬間、セレスの念話はさらに濃密で、熱を帯びたものへと変化した。
『……ようやく、二人きりになれましたわね。タムさん』
ふわり、と。
実体はないはずなのに、セレスが背後から耳元で囁いているような、甘い感覚がタムの全身を縛り付ける。
『あなたは、あの方と戦い、あの方に守られ、あの方と笑い……。そのたびに、私の知らない「新しいタムさん」になっていく。……私だけが、この透明な檻の中で、あなたが森で出会った時のまま、一歩も動けずにいるというのに』
それは、嫉妬という名の、剥き出しの孤独だった。
時間が止まった箱。変わらぬ若さと美しさ。それはタムが彼女に与えた最高の「保存」だが、同時に彼女を世界の流れから疎外する「停滞」でもあった。
『……ねえ、タムさん。私を磨いて。……いえ、撫でて。あの方が触れた場所を、あなたのその器用な指先で、私だけの魔力で上書きしてくださらない?』
タムは震える手で、柔らかい鹿革の布を取り出した。
箱の表面を、ミリ単位の誤差もなく、儀式のような丁寧さで撫で上げていく。その一撫でごとに、セレスの吐息のような魔力の揺らぎが、タムの魂に深く、深く絡みついてくる。
『……あぁ、そこ。……心地よいですわ。もっと……もっと丁寧に。……他の方には決して見せない、あなただけの「梱包師」の愛を、私に注いでくださいな。……あなたが私を解かない限り、私の時間はあなたのもの。……そうでしょう? タムさん』
その甘美な束縛は、ある意味でリナの直截な好意よりも、遥かに重く、タムの精神を支配した。
箱の外で成長し、関係性を変えていく仲間たち。
箱の中で、タムへの依存と独占欲を募らせていく、美しき停滞。
「……はい、お嬢様。……俺があなたを、完璧に保ちます。……誰の手も触れさせないほど、丁寧に」
タムの声は、自分でも驚くほど熱っぽく響いた。
それが彼女への誠実さなのか、あるいは深い罪悪感の裏返しなのか。
タムは、白銀に輝く箱の表面に映る、自分の「取り憑かれたような顔」を直視できないまま、ただ無心に布を動かし続けた。
***
開店準備も大詰めを迎えた昼下がり。
店のカウベルが、カランカランと乾いた音を立てた。
「おやおや、ここが噂の『ラスト・マイル』かね? 随分と立派な構えだが、中身はどうだか……」
現れたのは、豪奢だが少し汚れた神官服を纏った、あの老神官だった。
第一話で、タムの水晶玉に「梱包師」の文字が出た瞬間に失望し、彼を森へ放り出すことに賛成した男だ。
神官は鼻を鳴らし、店内の棚を値踏みするように眺める。そして、カウンターの奥に立つタムを見て、眉を跳ね上げた。
「おや、お前は……。ああ、あの時の『ハズレ勇者』じゃないか! 生きていたのか。あんな森に放り出されて、どうやって食いつないできたんだ? まさか、この店の小遣い稼ぎで糊口を凌いでいるのかね」
悪びれもせず、同情すら感じさせない無機質な嘲笑。
カイトが反射的に腰の(今は持っていない)剣の柄に手を伸ばそうとするが、タムがそれを片手で制した。
「……いらっしゃいませ、神官様。ここは『ラスト・マイル』。いかなる荷物も、いかなる場所へも届ける配達店です。本日はどのようなご依頼でしょうか?」
恨みも怒りも表に出さない、完璧なポーカーフェイス。
神官はタムのその落ち着き払った態度が気に入らないのか、さらに声を荒らげた。
「ふん、無能のくせに口だけは達者になったものだ。……まあいい。これを持って行け」
神官がカウンターにドスンと置いたのは、汚れとカビがこびりついた古い木箱だった。中からは、安っぽい酒瓶の触れ合うカチャカチャという不快な音が聞こえる。
「わしの個人的なコレクションだ。郊外の別荘まで届けてもらおう。……ああ、言っておくが、中身は非常に『繊細』だぞ。無能なお前に運べるかな?」
それは、嫌がらせに近い依頼だった。
中身は価値のない雑多な瓶。箱は今にも壊れそうで、わざと不安定に積まれている。
カイトが我慢できずに口を開いた。
「……貴様! タムさんは今や特級配達員だぞ! こんな下らない雑用を押し付けるなど――」
「カイト君。……『下らない荷物』など、この世に存在しません」
タムの言葉に、店内が静まり返った。
タムは神官の前に立ち、その汚れた木箱を、まるで国宝でも扱うかのような神聖な手つきで引き寄せた。
「……依頼、受理しました。梱包区分:精密、最短。……今から梱包を開始します」
タムの指先から、眩い魔力の帯が溢れ出した。
かつて森で狼を包み、おにぎりの熱を閉じ込めた、あの『梱包』の力。
タムはスキルを使い、木箱の隙間に一切の振動を許さない「真空緩衝材」を形成し、さらに箱の表面に撥水と防汚の概念膜を張り巡らせていく。
一分も経たぬうちに、カビ臭かった木箱は、白銀の光を放つ「芸術品」のようなコンテナへと変貌していた。
「な、なんだこれは……!?」
神官が絶句する。
「……梱包完了です。この荷物は、たとえ落雷が直撃しようとも、馬車に踏まれようとも、中身の酒瓶一滴すら揺れることはありません。……これが、私の仕事です」
タムは事務的な口調で言い切った。
価値のない荷物を、価値のある配送で包む。
かつて自分を「無能」と切り捨てた神官の目の前で、タムはその「無能」とされた力が、世界の理を書き換えるほどに洗練されていることを証明してみせた。
神官は、震える手でその美しい箱に触れようとしたが、あまりの威厳に手を引っ込めた。
「……くっ、たかが運び屋の分際で、小細工を……!」
吐き捨てるように言い残し、神官は逃げるように店を後にした。
***
「……いいんですか、タムさん。あんな奴のために、全力のスキルを使って」
カイトが悔しそうに尋ねる。タムは、白銀に輝く箱を配送用カートに積み込みながら、静かに答えた。
「カイト君。俺は彼を許したわけでも、媚びているわけでもありません。……ただ、彼に『届ける』という行為の重さを教えたかっただけです。……どんな荷物にも、敬意を払う。それが俺の生き方ですから」
その言葉に、カイトは深く頭を下げた。自分がいかに小さなプライドにこだわっていたかを、タムの背中が教えてくれていた。
その日の夕方。買い出しに出ていたリナが、苦渋に満ちた表情で店に戻ってきた。
「……タム、カイト。……最悪な奴らに会ったわ」
店の外には、着飾った騎士団の鎧を纏った、数人の女性騎士たちが立っていた。リナがかつて所属していた騎士団の後輩たちだ。
「あら、リナ先輩。……こんな路地裏で『丁稚奉公』ですか? 聖騎士団から追い出された挙句、運び屋の腰元なんて……落ちぶれたものですね」
先頭に立つ女騎士が、リナの手提げ袋をわざとらしく突き飛ばす。
リナは唇を噛み、耐えていた。彼女は自分が理不尽な汚名を着せられて解雇されたことを知っている。だが、今の自分はただの「運び屋」の護衛だ。
だが、その沈黙を破ったのはカイトだった。
彼は店から悠然と歩み出ると、女騎士たちの前に立ちふさがった。
「――騎士の誇りとは、美しい鎧を纏うことか? あるいは、自分より弱い者を嘲笑うことか?」
「カ、カイト様!? なぜこのような場所に……!」
かつての「聖騎士団のスター」の登場に、女騎士たちが色めき立つ。カイトは彼女たちの心酔した視線を冷たく一蹴した。
「私は今、この『ラスト・マイル』の助手だ。……そして、ここにいるリナ殿は、貴様らのような飾りの騎士が束になっても敵わない、真の戦士だ。……我が師の店を汚す者は、例え騎士団の者であっても容赦はせん。……消えろ」
カイトが放つ圧倒的な「格」の差。
かつて彼を崇めていた後輩たちは、その迫力に気圧され、蜘蛛の子を散らすように去っていった。
「……カイト。……ありがとう」
リナが小さく、照れくさそうに礼を言う。カイトはぶっきらぼうに「……タムさんの店の評判を落としたくないだけだ」と答え、再び荷物運びに戻っていった。
***
夜。王都での初めての食卓。
エドワードが持ち込んだ高級なワインと、リナが腕を振るった料理が並ぶ。
笑い声が絶えない賑やかな空間。カイトがタムに「梱包の奥深さ」を熱く語り、リナがそれを笑い飛ばす。
だが、タムはふと、部屋の隅にある「セレスの箱」を見つめた。
自分たちは、この数ヶ月で大きく変わった。
森で死にかけていたタムは特級配達員になり、復讐に燃えていたリナは居場所を見つけ、傲慢だったカイトは謙虚さを知った。
時間は、確実に流れている。
しかし、セレスはどうだろうか。
彼女は、タムが森で拾ったあの時から、一分、一秒たりとも「姿」が変わっていない。
梱包スキルによる時間の停止。それは彼女を守っているようでいて、彼女を世界の変化から取り残しているのではないか。
そして――。
タムの脳裏に、森の深淵で見た「コンテナの中の少女」の姿が過る。
あの少女もまた、数百年の間、時間が止まったまま、セレスと同じ顔をして眠っていた。
『……タムさん? どうしてそんなに悲しい顔をなさるの?』
セレスの優しい声が届く。
『私は、幸せですよ。……こうして皆さんの笑い声が聞こえる場所に、あなたと一緒にいられるのですから』
その言葉が、今のタムには何よりも残酷に響いた。
自分たちは歳を取り、いつかは死んでいく。だが、彼女をこのまま「梱包」し続けていれば、彼女は永遠にこの若さと美しさのまま、透明な檻の中に閉じ込められ続ける。
それが彼女にとっての幸せなのか。
あるいは、自分たちと同じ「流れる時間」の中へ、彼女を連れ出すべきなのか。
「……タム? 食べないの?」
リナが覗き込んでくる。タムは慌てて微笑み、フォークを手に取った。
「いえ、食べてますよ。……美味しいです、リナさん」
王都の夜は、煌びやかで騒がしい。
だがその賑わいの裏側で、タムは決意していた。
特級配達員として、いつか必ず、セレスという「荷物」を、正しい時間、正しい場所へと送り届けることを。
それが、彼女を梱包し続けることへの、唯一の責任だと思えたからだ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
王都での新生活。過去を乗り越えた者たちの絆が深まる一方で、箱の中のセレスが抱く「甘く鋭い独占欲」が、タムの精神を静かに揺さぶります。
進み続ける時間と、止まったままの少女。その対比は、王都の平和な夜をどこか不穏なものに変えていきます。
「セレスの愛が重くて最高!」「タムとエドワードのコンビが好き!」という方は、ぜひ【評価】や【ブックマーク】をお願いいたします!
皆様の一票が、歴史の闇に埋もれた真実を運び出す、タムたちの原動力になります!
次回、第十五話。
エドワードが語る、隠された師の遺産と挫折の過去。
些細な整理依頼のはずが、物語は世界から消されたはずの『ロストマジック』の核心へと繋がっていきます。
「梱包」とは、保存か、それとも奪取か。
お楽しみに。




