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第103話:知の検品

 中央書架の扉が開いた先、そこは物理的な「場所」ですらなくなっていた。

 世界樹が数千年の時間をかけて吸い上げ、パッキングしてきた膨大な記憶の澱。それが、形を持たない情報の津波となって一行を襲う。

 肉体を持たない文字、因果を歪める数式、そして数多の死者の最期の叫び。

 精神を摩耗させる情報の激流に対し、両手の自由を失った軍師ゼロは、自らの存在意義を賭けた「最終演算」を開始する。

 支える手を持つ梱包師タム。そして、その支えを足場にして世界のシステムそのものをハッキングしようとする軍師。

 「不備」を抱えた二人が、完全無欠な知識の聖域を、自らの色に塗り替えていく――。

 扉の向こう側にあったのは、重力も光の直進性も失われた、情報の奈落だった。

 壁という概念はなく、数億、数兆という「文字列」が、巨大な渦となって空間を埋め尽くしている。

 かつてタムが倉庫で見ていた段ボールの山。あれがすべて解体され、中の「意味」だけが剥き出しになって暴風のように吹き荒れている、そんな狂気的な光景だ。

 「……がはっ、……あ、頭が、割れる……!」

 先頭に立っていたカイトが、絶叫と共に頭を抱えて崩れ落ちた。

 勇者の聖剣という強固な精神の依代パッキングを持ってしても、この書庫が垂れ流す生身の情報の圧力には耐えきれない。

 リナもまた、セレスティアの装甲から「未定義のデータが流入しています。処理限界を突破」という異常アラートを鳴らし続け、一歩も動けずにいた。

 「カイト、リナ! 目を閉じてください! 見るんじゃない、『整えよう』とするんだ!」

 タムは叫びながら、二人を包み込むように概念梱包の薄い魔力膜を展開した。

 だが、今のタムにできるのは、情報の直接的な接触をわずかに遅延させることだけだ。この「情報の海」を泳ぎきり、最深部の海図を掴み取るには、梱包師の手だけでは足りない。

 タムの背中に、重みが加わる。

 焼け焦げた両腕を下げたまま、ゼロがタムの肩に額を押し当てていた。

 彼女の全身は、激痛と情報の過負荷によって、氷のように冷たく、それでいて火のように熱く震えている。

 「……ゼロ、しっかりしてください! 僕が情報を仕分け(フィルタリング)します。僕の義手を通して、安全な信号だけを……」

 「……く、……ふふ、……馬鹿なことを言わないで、梱包師」

 ゼロが、タムの耳元で低く笑った。その声には、死に体であるはずの肉体とは裏腹に、研ぎ澄まされた刃のような鋭利な意志が宿っていた。

 「安全な信号……? そんなノイズの抜けた出涸らしの情報で、……何が計算できるというの。……私を、そんな程度の低い軍師だと思っているなら、……今すぐその義手の糸を切りなさい」

 ゼロは、タムの支えを振り切るようにして、震える足で情報の嵐の中へと半歩踏み出した。

 彼女の瞳は、押し寄せる文字列の光を反射し、虹色のノイズに染まっている。

 

 「演算神経が焼けたのなら、……この周囲に流れる因果の糸そのものを、私の『外部神経』としてパッキングし直すだけよ。……梱包師。あなたの仕事は、情報の選別チョイスじゃない。……私の脳に直結する、この情報の奔流を……ただ、私の思考がパンクしないように『整理ストック』し続けることよ。……できるわね?」

 タムは息を呑んだ。

 ゼロは、タムを「守り手」としてではなく、自分という巨大な演算システムの一部である「外部メモリ(記憶媒体)」として定義したのだ。

 支えられるのではなく、タムという存在を自らの完璧な勝利のための「パーツ」として使い倒す。

 その傲慢なまでの自負。不備を抱えた自分を「哀れな弱者」としてパッキングされることを、彼女の魂が、何よりも激しく拒絶していた。

 「……分かりました、ゼロ様。……あなたの脳が焼き切れる前に、僕がすべての情報を完璧にフォルダ分けして、……最速でデリバリー(伝達)してみせます」

 タムは、自分の義手をゼロの焼け焦げた腕に、魔力糸で文字通り「縫い付ける」ように接続した。

 

 二人の意識が、書庫のシステムと直結する。

 タムの視界には、物流倉庫での長年の経験で培った「効率的な仕分け」のインターフェースが浮かび上がる。

 押し寄せる何万という情報のコンテナ。タムはそれを、一秒に数千回の頻度で「歴史」「魔導」「幾何学」「地図」へとカテゴリー分けし、ゼロの思考の入り口へと滑り込ませていく。

 「――来たわ。……いい配送ね、梱包師!」

 ゼロの瞳から、虹色のノイズが消え、一点の冷徹な「解」を導き出す黄金の光が宿る。

 彼女の脳内では、タムが整理した膨大な情報が、凄まじい速度で「忘却の岬」へと至るパズルの断片へと変換されていく。

 「……見えてきた。……因果の逆流地点、座標、零点。……すべて私の手の内よ!」

 情報の嵐がさらに激しさを増す。

 書庫のシステムが、自らをハッキングしようとする「欠陥品」たちを排除しようと、さらなる拒絶のプロトコルを起動したのだ。


情報の激流は、もはや濁流を超えて、精神を削り取る研磨剤へと変貌していた。

 書庫の防衛システムである「論理の防壁」が、ゼロという外部からの侵入者を、異物ノイズとして排除するためにその密度を跳ね上げたのだ。

 「……ぐ、あ、あああぁぁぁっ!!」

 タムの脳内に、耐え難い熱が走る。

 義手を通じてゼロの思考と直結しているタムの意識は、彼女が処理しきれない情報の「廃熱」を、引き受けるヒートシンクとなっていた。

 歴史上の凄惨な戦争の記録、失われた魔法の呪詛、さらには世界樹が吸い上げた名もなき死者たちの末期の執着。

 それらが、仕分け前の未処理在庫バックログとなってタムの精神を圧迫する。

 「タム、……っ、離しなさい! このままじゃ、あなたの自我が『上書き』されるわ!」

 ゼロが叫ぶ。彼女の視界もまた、情報の過負荷によって真っ白に染まりかけていた。

 だが、タムはゼロの身体を抱き抱える力を緩めなかった。

 義手の魔力回路が赤黒く発火し、シュリンクフィルムの装甲が熱で溶け出す。

 「……言ったはずだ……! 僕は、あなたの『義手』になるって……! 荷物が破損パンクしそうなら、……緩衝材クッションを差し挟むのが、……梱包師の仕事だッ!!」

 タムは、自分の前世での孤独な記憶、派遣社員として誰にも顧みられなかった「空虚」な時間を、あえて情報の濁流の前に晒した。

 意味を持たない、空っぽの自分。その「空虚」という名の広大な倉庫を、書庫の暴力的な情報を受け止めるためのバッファ(一時保管所)として開放したのだ。

 

 「……よし、……隙間が、できた……! 行け、ゼロ!!」

 タムが作り出した一瞬の「静寂」。

 ゼロはその隙を逃さなかった。彼女の脳細胞が、限界を超えたクロック数で駆動する。

 彼女はタムが整理し、空けてくれた道筋の先にある、情報の核――「世界樹の原本ルート・ログ」へと手を伸ばした。

 それは、実体を持たない、まばゆい光の糸だった。

 「……掴まえた。……忘却の岬、座標、因果の特異点……すべて、私の論理ロジックでパッキング完了よ!」

 ゼロの宣言と共に、情報の暴風域が、ピタリと停止した。

 まるで、世界そのものが彼女の勝利に息を呑んだかのように。

 浮遊していた文字列が静かに地面へと降り積もり、再び静寂が書庫を支配する。

 透明な司書が、霧の中からゆっくりと姿を現した。その体内に流れる数式は、以前の無機質な青ではなく、敬意を示すかのような深い黄金色に染まっていた。

 「――驚嘆に値する。……自らの肉体の不備を嘆かず、それを外部接続の端子インターフェースへと作り変えるとは。……君たちは、もはや既存の『人間』という完品の定義には収まらない存在だ」

 司書は、自らの胸元から、一枚の結晶化したプレートを取り出した。

 それこそが、地図にない岬への正確な「航路図(送り状)」であり、異端の治癒師マルクスへの扉を開く鍵だった。

 「マルクスの元へ行くがいい。……だが、忘れるな。……彼が求める代価は、知識ではない。……君たちが今、必死に守り抜いた『自分という存在の形』そのものを、彼は解体し、パッキングし直そうとするだろう」

 「……上等よ。……解体されるのは、私じゃなくて、この世界の不条理なルールの方だわ」

 ゼロは、焼け焦げた両腕を誇らしげに掲げ、不敵な笑みを浮かべた。

 

 タムは、崩れ落ちそうになる身体を必死に支えながら、ゼロのその姿を瞳に焼き付けた。

 彼女は、支えられるだけの存在ではなかった。

 自分という欠陥品すらも、完璧な軍師の部品として価値を与えてくれる、唯一無二の「発送人」だった。

 「……検品、終了。……受領印(座標)、確かに受け取りました」

 タムは義手でしっかりとプレートを握りしめた。

 書庫の出口からは、世界樹の麓に広がる美しい夕陽が差し込んでいた。

 だが、その光の先にあるのは、安息ではない。

 因果が逆流し、魂の接合さえも可能にするという、絶望と希望の岬。

 一行は、レガシー・ガーディアンへと再び乗り込み、最後の配送先へと舵を切る。

 「……行こう。……僕たちが、この世界の不備を全部包み直してやるんだ」

 タムの独り言は、誰に聞かせるものでもなかったが、その声には、地獄を潜り抜けた者だけが持つ、静かな確信が宿っていた。

 第103話、限界まで熱量をパッキングいたしました。

 ゼロ様が、タムの「空虚」すらも計算に入れて、絶望的な情報の嵐をねじ伏せる展開。単なる介護関係ではなく、お互いの「欠陥」をパズルのピースのように組み合わせることで、完全な人間をも凌駕するシステムを作り上げる。それこそが、二人の絆の新たなパッケージとして描きたかった部分です。

 司書の言葉通り、次なる舞台「忘却の岬」のマルクスは、既存の倫理観すらも「パッキング解除」してしまうような、極めて危険な治癒師として登場します。

 ゼロ様の両手は戻るのか。そして、その引き換えに何を失うのか。

 次回、第104話。

 『因果の外科医、あるいは魂の接合』。

 ついに「マルクス」という巨大な影が姿を現します。

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