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旅立ち

作者:
掲載日:2025/11/29

僕は彼女を愛していた。深く──とても深く。

それは家族愛であり、友愛でもあった。そう、僕と彼女はいとこ同士だった。



この街に来て二年目の夏だった。僕は付き合って一年程になる一つ年上の久坂那智に言った。

「栄がさ」

「ええ」

「卒業したら結婚するんだって」

「栄さんって、貴方のいとこでしょ?」

「そう」

そして那智は僕を見た。僕は笑っていた。

「何? その顔は」

そう言って優しく微笑む彼女が好きだった。

「相手は?」

「ホテルマンだよ。僕も一度会ったことがあるけど、悪い人じゃなかった」

それを聞くと那智はくすくす笑い出した。僕が素直に「いい人」だと言わないのがおかしかったらしい。

「貴方から見たら、誰も及第点に届かないんじゃないの?」

「栄を幸せにしてくれるなら誰だってオッケイさ」 

那智が僕を見ている。

彼女は言葉よりも目で話す人だった。核心的なことは自分から切り出さず、ただ、相手の出かたを待つ、そんな那智が好きだった。

「僕は、反対しないよ。栄が急ぐのも解るから……」

それは僕の本心だった。那智が目を細めて遠くを見た。僕も那智に倣って沈黙を守った。



僕と相井栄は四歳離れている。いとこの中でも栄のところとはよく行き来をしていたので、兄妹のように、友達のように育って来た。

栄は強運と才能に恵まれていた。また、それを活かす機会にも恵まれていた。しかし、その一方で、栄は幸薄き人間だった。

年の割にやけに大人びた栄は、同年代の目に「生意気」と映ったらしい。しょっちゅう妬み、嫉まれていた。

栄がそうならざるを得なかった事情を、僕は知っている。だから、栄を守ってやらなくてはと思った。栄を幸せにしてやらなくては……と。だが、神は不公平だった。

「そろそろ、言ってもいい頃かと思って」という書き出しで始まった手紙には、信じられないことが書かれていた。全て読み終えた時、僕は一人、部屋の中で低くうめき声を上げていた。

「どうして……!」

その言葉しか知らない子どものように、そればかり口をついて零れた。

 どうして栄ばかりがこんな目に遭うのだろう。

 どうして世の中はこんなにも不公平なのだろう。

 どうして、どうして……。

僕は神を呪った。本当に神がいるなら、どうして栄はあんなに不幸なんだ?



僕はそれを自分の胸の内にしまい続けた。誰にも言うまい、そう思って。なのに那智が現れた時、僕は決して侵してはならない禁忌を侵してしまった。

言った後、僕は後悔の念に押し潰された。そんな僕に、那智は言った。

「……言って良かったと思ってる?」

那智の問いに、「思ってない」と即答した。

彼女ならこの気持ちを解ってくれるかもしれないと思った。

那智を、失いたくなかった。

……僕は卑怯な人間だった。この上なく卑怯な人間だった。



事情を知っているだけに、僕にとって那智の存在は大きかった。また、那智は何事もサラリと流すことのできる女だった。追及もしなければ、話を持ち出すこともない。彼女のそういうところが心地良かった。

「幸せを求める気持ちが他人よりも強すぎて、結婚を急ぐ気持ちは解るわ」

ポツリと那智が零した。僕は黙ったまま頷いた。

「でも、結婚したからって、幸せになれるとは限らないのに」

「僕もそれを心配してる。いくら栄が大丈夫と言ったって、僕に言わせれば先のことなんてどうなるかわからない。栄には誰よりも幸せになって欲しいんだ。幸せにしてもらえるならそれでいい。でも、もし栄を不幸にしたら……」

那智が例の瞳で僕を見ていた。僕は辛うじて後の言葉を飲み込むと那智を見た。

やがて那智は緩やかに表情を崩し、立ち上がった。

「外に出ない?」

僕は微笑した。彼女のこういうところが好きだった。



あれから一年。僕と那智は別の道を歩き出していた。そして今、僕は栄の結婚式に立ち合っている。

式場の応接室の椅子に深く腰を下ろして、僕は受付で貰ったパンフレットを開いた。自分の座席を確認するためだ。

その時だった。視界の端に、「あの男」が映ったのは。

「まさか……」

見当違いであってほしいと思った。ここに来るはずがないと思った。しかし、僕の頭の中で危険信号が鳴り響く。

 漏れるとしたら──

僕は表情を引きつらせた。否定するまでもなくその人間に心当たりがある。

僕は立ち上がると、男の姿が消えた方へ向かった。幸い人気はなかった。



「お久し振りです、小野田さん」 

声を掛けられるとは思わなかったらしい。男は傍目にもわかるほど驚いた様子を見せたが、声を掛けた人物が誰かわかると、今度はヘラヘラと愛想笑いをし始めた。

「なあんだ、孝じゃないか。脅かすなよ」

木佐孝は不快な表情を浮かべた。それを見て、小野田は首を傾げる。

「何だ何だ。久し振りに会ったっていうのに、どうした?」

尚も小野田は言い募った。

我慢の限界だった。

次の瞬間、孝は小野田の襟元を掴むと、そのまま壁に叩きつけていた。

「な、何を……」

「今頃何しに出て来た!!」

小野田が言葉を発するより早く、孝の怒声が飛んでいた。孝の様子がいつもと違うことにやっと気付いた小野田が、逃げようとする。その襟首を更に力を込めた孝の手が絞め上げた。

「帰れ」

短い言葉。

二度と見たくないと思っていた顔。

聞きたくもない声。

何処かで野垂れ死にでもしていてくれたらと本気で願った。このまま絞め殺すことを神が許してくれるなら、そうしてもいいと思った。それだけのことを、この男は栄にして来たのだから。

 そろそろ、言ってもいい頃かと思って。

手紙の書き出しが頭の中を駆け巡る。

 知ってるかもしれないけど……

「俺は、あいつの義父だぞ……」

「ふざけるな!! 誰が認めるか、この下衆野郎!!」

そうして体を床に叩きつけると、孝は息を荒げながら、更に小野田の腕を背中側に捻り上げた。元々細い小野田の体が折れそうに見える。それでも孝は決して手を緩めようとはしなかった。

「何をしに来たかは知らないが、今すぐここから消え失せろ! そして二度と俺たちの前に姿を見せるな!」

初めは冷静にいくつもりだった。だが、小野田の態度にどうしても我慢ならなかった。自分が何をしたか考えれば、普通の人間ならこうしてのこのこやって来れるわけがないのだ。

しかしこの男はやって来た。自分のしたことを全く悪いと思っていないらしい。それが孝の理性を断ち切ったのだ。

腕を取られた状態で、小野田は低くうめいた。その唇が栄の名を綴ったのを見ると、孝は掴んでいた手を外し、小野田から離れた。小野田はだらしなく栄の名を言い続けた。その姿を見下ろしながら、孝は低く声を発した。

「早く出て行け」

壁に手をかけながら力なく立ち上がる小野田に冷たい眼差しを送る。

突き当たりに非常口があった。孝は無言でそれを指差した。小野田が肩を落として扉に向かう。扉に手を掛けたその後ろ姿に、もう一度言った。

「二度と現れるな」

果たして聞こえていたかどうか、男の姿は扉の向こうに消えて行った。



無事、式が終わると、花嫁の周りを友人たちが取り囲んでいた。それを押し分ける勇気もなかったので、僕は少し離れたところから栄を見ていた。

やがて人もまばらになり始めた頃、栄が僕の名を呼んだ。僕は笑って見せ、栄の近くに行った。

「麻生さんは?」

「奥でこの後の打ち合わせしてる」

麻生というのは勿論栄の結婚相手である。

少し話をしてから、僕は栄の名を呼んだ。小野田のことを話したほうがいいかと思ったのである。しかし、そのあどけない顔を見ると、僕の口からは全然別な言葉が飛び出していた。

「幸せになれよ」

栄は笑って、「何よ、今更」と言った。そしてその後、幸せを満面に称えた顔で、

「ありがと」

そう言って目を細めた。それから、

「じゃ、この衣装脱がなきゃなんないし、もう行くわ。また後でね」

忙しそうに駆けて行く。僕は満足だった。



「もしもし、那智?」

彼女に電話をするのは久し振りだった。

「とりあえず、那智には報告しておきたくて」

受話器の向こうで、懐かしい声がする。

「元気だった?」

僕がここを離れて三回目の秋のことだった。



僕は彼女を愛していた。深く、とても深く。

彼女は今、愛する人と共に新しい土地で、新しい人生を歩もうとしている。



END

本作品は学生時代に書いたものです。

表記など手直ししたい部分もありますが、あえてそのままにしています。

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