~新しい人生をありがとう~ 嫌いだった義妹へ ④忘れられない記憶
ルギウス(アルミスカ)がサフランに焦がれるのには、過去に関わる理由があった。
それは彼女の先祖まで、遡っていく記憶だった。
ルギウス(アルミスカ)にはずっと昔、人に助けられたことがある。
それはもう、どんな名前を名乗っていたかも忘れた遠い昔のことだ……………………。
◇◇◇
人間は自分達吸血鬼のただの餌であり、何の感情もない道端の石ころのようなもの。
そう思いながらその夜も、見目だけは美しい女を探し吸血しようとしていた。
ダンスホールで踊る彼女はバーバラと呼ばれ、数人の男達とクルクルとホールを回る。
その立ち姿は背筋が伸びて凛とし、まるでバレエの演舞を見ている気持ちになった。
決して男達に媚びず体も必要以上に触れることなく、ダンスそのものを楽しむような。
夜のダンスホールでの目的にそぐわない様子に、少し戸惑いを覚えたほどだ。
そんな彼女を後目に、今夜の赤い美酒の相手を他へと目を向ける。
ふと目が合った彼女は、とても上等なドレスを着ていたが、胸元が強調されて背中も広く開き、一見すると商売女にも見えた。
そうでないことは、周囲を囲む高そうな背広の貴族達の対応で何となく分かる。
「高位貴族の甘やかされたお嬢様か?」
彼女はきっと、自分は他の令嬢とは違って自由で、大胆なドレスも着られるスタイルを持っていると、特別視されたい願望があるのだろう。その時はそう思えた。
長く生きた自分から見れば、それは何となく滑稽であり、意味のないように思えるだけだが。
親が権力を持ち彼女が美しくても、嫁いでしまえばその家に縛られ、個性は簡単に潰されるだろう。
それを知った上で今を楽しんでいるなら、賢いと言えるだろうが。
そんな彼女は、再び僕に目を留めた。
今日の僕が着ている衣装は、クラシカルスタイルの背広姿だ。
吸血鬼は魅了の術をかけずとも、遺伝なのか皆美しいと言われる造形をしている。
彼女は僕も衣装に拘りのある仲間だと思ったのか、こちらに歩を進め、「踊りましょう」と誘って来た。
目立つことは避けたいが、もう今さらだ。
僕の躍り慣れたダンスに、彼女が呟いた。
「お上手なのね」
「そう? ありがとうと言えば良いのかな」
「何も求めていないわ。ただの独り言よ」
「そうか」
「そうよ」
彼女は他の男とのダンスとは違い、僕にしなだれてきたりしなかった。
僕がそう言う目で、彼女を見ていないせいだろう。
「貴方なら分かるかしら? こんな服を着させられて、微笑まなくてはならない女の気持ちが」
どうやらこの姿は、彼女の本意ではないらしい。
「私は公爵家のやっかい者なの。子を成さないようにした筈の、愛人が生んだ娘。男だったら殺されてたわ。
公爵は私を政略の駒にしたいのよ。たまたま美しい容姿だったから、役に立てようとしたのね。
あそこで群がっているのは、公爵家の力が欲しい婿候補。仮に私が嫁いでも、愛人を持って良いと言われているらしいわ。
私との子を成して、家をその子供に継がせれば良いと。所詮私の役割は、公爵の息のかかる貴族を増やす為に過ぎないの。
大事にされる保証もないわ」
饒舌に回る唇は、少し酔っているようだった。
こんな姿をしていても、彼女は純潔だ。
それは、吸血鬼であるから感じ取れる事実。
血液に毒素がないか区別する為の。
人との性的接触が増えたり老いるほど、血が濁っていく事実があるからだ。
彼女は公爵に、誰かへの誘惑を命じられたのだろうか?
◇◇◇
哀れな彼女のことが、少しだけ気の毒に思えた。
吸血する時、僕の牙から伝う唾液には多幸感を得られる物質が出ると言う。
だから少しだけ興味を持った、彼女の血を呑んでみようと思ったのだ。
暇潰しでされた不幸話のお礼の代わりに。
自身の指先を傷つけその血液が狭い空間に舞えば、軽い酩酊状態に陥る。
僕は彼女と手を繋ぎ、ホールから出て外へ向かう。
吸血できる場所に移動する為に。
そして建物の影に隠れた僕は、彼女の細い首に牙を突き立てようとしていた。
彼女は僕の血液で、酩酊状態が続いているから、恐怖もない筈だった。
けれどそこに、彼女の護衛が現れた。
吸血鬼の魔力を含んだ血液の霧は、人間には抗えるものではないのに。
護衛の太ももにはアイスピックが突き刺さり、正気を保っていたようだ。
職務に忠実な護衛。
人間にしては強い精神力だ。
「この化け物が。お嬢様を離せ!」
どうやら彼は吸血鬼の存在を知る者らしい。
それならば吸血鬼が、人並み以上の怪力を持つことも知っているのだろうか?
無闇な殺人はしたくないが、彼は危険な存在かもしれない。
それならば…………。
僕は彼女を離し、彼の元へ走った。
狙うのは頸動脈。
爪は鋭く尖り、狙いを外すことはないだろう。
けれど彼は瞬時に僕の動きを見切り、手にしていた剣を僕の腹部に突き刺した。
「グバァ、バカな、ただの剣ごときで…………」
僕には普通の物理攻撃は効かない。
ダメージを受けても即座に回復するからだ。
けれどこれは、僕に損傷を与えている。
そんなものは一つしかない。
「聖女の祈りを受けた銀のレイピアか?」
銀製の剣は切れ味が悪く、普通使いすることはない。
魔物に対してのみ発揮される効果。
「お嬢様、ご無事ですか? しっかりして下さい!」
僕を放置し彼女の元に走る彼。
その声には、護衛よりも気持ちの入ったものが感じられる。
「アラン、どうしたの? 血が出てるわ!」
正気に戻った彼女は、泣きそうな顔で彼に叫んだ。
何があったか曖昧だろうに、彼の膝に刺さるフォークから滴る血液に怯えたのだろう。
「こんなもの大丈夫だ。だが貴女は魔の者に魅入られた。すぐにここを離れましょう」
彼に体を抱えられた彼女は、彼の胸に頬を寄せて呟く。
「アラン、聞いて。今日は私、お父様の指示でレスマグ様を誘惑して、抱かれるように言われたの。
……でも、私には無理。私はアランが好きなの。
………………もう、消えて無くなりたい」
抱えた彼女を強く抱き、彼は彼女に告げた。
「共に逃げよう。俺はずっと貴女が好きだった。けれど身分の違いから諦めていたんだ。
贅沢はさせられないし、逃亡生活になる。
それでも良いか?」
彼女は顔を上ゲ、彼を見つめ微笑む。
「身分なんて……私はただの愛人の子よ。公爵家に認められてなんていない、子を産むだけの器。跡取りが生まれば殺されるか、幽閉の未来しかない。
こんな私で良いなら、何処にでも付いていくわ」
「君しかいらない。ずっと傍にいてくれ」
「勿論よ、アラン」
深い口づけを交わし、二人は走り去った。
当時のルギウス(アルミスカ)を残して……。
◇◇◇
「不覚だった。あの護衛はきっと、彼女が好きだから僕の術が薄れてたんだろう……うわぁ血が止まらない、どうしようかな?」
このまま身動きできず、朝日を浴びれば僕は塵となって消えるだろう。
「まあ仕方ないか。さてはて、彼女は幸福を掴めるかな?
はははっ。くぅ、痛ぇ!」
そんな時に近付いて来たのが、ダンスホールにいたバーバラだった。
「あらっ? 貴方ったらさっきホールにいた方ね。
銀のレイピアってことは、魔の者なのかしら?」
恐れも嘲りもなく傍に来てしゃがむ行為は、令嬢らしくない。普通は叫んで逃げるか、助けを呼ぶのではないだろうか?
地面に横たわる僕は、どうでも良いようにそう思った。
「ねえ、助けて欲しい? 私の願いを聞いてくれたら、助けてあげるわよ」
死にそうな魔物にずいぶんと余裕の提案だ。
まあ僕が、死にかけてるせいか?
「望みは何だ? 金か? 若さか?」
焦りもなく尋ねる僕に、彼女は笑う。
「そんなの要らないわ。そうねえ、じゃあ、貴方のしているブローチを貰っても良い?」
それは花を形どった、中心部が琥珀のブローチだった。
「こんな物で良いのか? 金ならポケットに、結構な額が持っているぞ」
反応が楽しくて、ついからかう口調になる。
けれど血が流れ過ぎて、意識が朦朧としてきた。
「じゃあ、この可愛いブローチ貰うわね。あら貴方……もう限界じゃない? っ痛い!」
「ザシュッ」
彼女は落ちていたレイピアで左の手首を切って、僕の口元に血を滴らせる。勢い良く流れた血液は、手首を朱の色く染めて滴る。
ゴクゴクと、多量の魔力が含まれた血液を飲み込んでいく僕。
傷は見る間に塞がり、生気を取り戻す。
「ああ、良かった。助かったみたいね。私はもう帰るわ」
彼女は何でもないような顔で、その場を離れようとしていた。
「どうして僕を助けたの?」
これは単純な興味からだ。
少し考えた彼女は答える。
「うーん、そうねえ。これからすることの贖罪かしら?」
聞けば彼女は侯爵家の令嬢だと言うのに、嫡男の弟の代わりに、魔力を用いて戦う為に戦場に赴くと言う。
「きっと私はそこで死ぬわ。そしてその前にたくさんの人を殺すのでしょう。私、義母は嫌いだけど、弟とは仲が良かったの。
あの子生まれつきの喘息があるから、発作を起こすたびに私が面倒看ていたの。だから逃げたりしないわ」
彼女の思考からすれば、これから多くの人を殺めるだろう自分の方が、化け物だろうと言う。
彼女はその魔力の故に、僕がダンスホールに入って来た途端に気付いたそう。
そして血液の霧にも、影響を受けなかったようだ。
「母が死んでから、初めて欲しい物を手にしたわ。本当に綺麗な琥珀。私のお母様も好きだったの」
彼女と共にいたのは、同じ戦場に行く仲間だと言う。
平民が多いその隊は、先陣を切るそうだ。
「なあ、最後に踊らないか? 僕は割りとダンスが上手なんだ」
まだ少しふらつくけれど、ダンスくらいは余裕だ。
彼女は楽しそうに「良いわよ」と、手を差し伸べてくれた。
ホールには戻らず、夜空の下で二人だけ。
彼女も命も、数日後には消えているかもしれない。
でも今だけは、そんなことは気にならない。
クルクル、クルクルと、何度も躍り語り合って微笑む魔物と人間。
夜明け前に僕は寝ぐらに戻るから、ダンスはこれで最後。
「さようなら、元気で」
「貴方も油断しないように。じゃあね」
僕は蝙蝠に変化し闇に紛れる。
彼女はダンスホールに戻り、まだ朦朧とする仲間達を連れて軍に戻るのだろう。
「元気でなんて無理かな? でも……卑怯だと言われても逃げてしまえば良い。君ばかり重荷を背負う必要はない」
助けて貰ったせいか、僕は彼女のことばかり考えていた。
凛として冷たそうなのに、本当は人の心配ばかりしているバーバラ。父親に褒められたいと、魔法の勉強を頑張った彼女は、残念ながら父親からの反応はなかったそうだ。
ただ大好きな弟が、羨望の眼差しで称えてくれたそうだから、きっと大事な姉のことを思い、彼の心配は尽きないだろう。
サフランは彼女に似ている。
願わくば生き延びた、彼女の子孫であれば良い。
そうでなくとも生まれ変わりなら、今度こそ幸せになって欲しい。
幸せになって欲しいけど……「アズラインはなくない? 全然僕に似てないし。まあ似てるから良いと言う訳でもないけどさ」と、口に出してしまう。
アルデは笑って「そうですよね」と、相槌だけはうってくれるが、恋の手助けはしてくれない。
今も彼女との接点は、パンを買うことだけである。
空の散歩でもしようと飛び立てば、アルデも付き合ってくれるから寂しくはない。
「今日は満月ですね。同族も月のパワーを得る為に飛んでいますよ」
「ああ、美しい月夜だ。星が霞むようだ。ちょっと遠回りして帰ろうか?」
「はい。お供します!」
元気な返事に、頬が緩む。
月夜の夜の夢。
今も時々、あの時のダンスを思い出す僕だった。