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風を描く〜絵師・英一蝶異聞〜  作者: 紫波吉原 ※5000PV超え感謝
第三章 炎の谷に立つ――燃える廓、凍る城
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第52話 七人の仲間

(第2章のあらすじ)吉原という“境界”の中で、芸術が人間の谷を渡る手段になり得ることが証明された。

探幽は死を前に、一郎と胡蝶を「アミーゴ」として結び、二人の時間を託した。

一方で一郎は、胡蝶を救うため千枚の絵を描く現実に押し潰され、“絵師の性”そのものが壁になる苦しみを抱える。

その渦中、丸木の店で出会った若き絵師・菱川師宣が計画に加わり、さらに妹分の初音は四年前の夜、胡蝶を守るため密かに己の運命を差し出していたことが明らかになる。

胡蝶はその事実に打たれ、拒絶から感謝へと転じ、ついに“仲間”という形が成立した。

そして今、胡蝶が推薦した京の意匠家――尾形光琳が、座敷に招かれる。

 延宝三年、初春。吉原の夜は、いつもと変わらず喧騒に満ち、それぞれの茶屋では男と女の駆け引きが展開されていた。だが、この部屋に集う男女だけは、何かが違った。


 初音が呼びに行っている間、一郎は胡蝶の目を見つめ、「確か、雁金屋の当代は尾形宗謙殿。まさかその方が?」と聞く。

 胡蝶は微笑んだまま首を軽く振り「いえ、その次男坊の尾形市之丞さま、尾形光琳って名乗ってるわ」

 一郎は「尾形光琳。聞いたことがない」と眉をひそめる。京都から戻ってきたばかりの松尾芭蕉は事情を知っているようで、にやにやしながら、一郎の顔を眺める。


 初音がその尾形光琳を連れてくる。その姿を見て菱川師宣は顔を引つらせ、「けっ」っと舌を打ち不快感をあらわにした。

 自分と同い年くらいに見えるが、師宣が着る地味な麻布の着物とは対照的に、男は煌めく絹糸を鮮やかな青に染めた派手な羽織をまとっている。室内にもかかわらず、絹の頭巾を被り、右手の扇子で口元を隠しているのが、また上品ぶって、師宣には鼻につく。


 胡蝶の「意匠家」という言葉が示す通り、その身なりから小物の一つ一つまで、いちいち洒落ている。顔はまるで白粉を塗ってるかのように日焼けのない白肌で、苦労知らずの御曹司に見える。


「光琳様、こちらがお話した仲間、そして今宵から加わる菱川師宣様でございます」


 胡蝶の丁寧な紹介に、光琳は師宣を上から下まで値踏みするように眺め、慇懃無礼な口調で言った。


「ふぅん。これが江戸の絵師か。やはり京都の風流とは程遠いな。ま、しょせん東の田舎者じゃ、仕方ないか」


「てめぇ!」


 師宣が今にも掴みかかりそうな勢いで怒ると、一郎が間に入り、それをなだめた。


「まあまあ、菱川殿。光琳殿は口は悪いが、その才能は本物です。かの京都の呉服商、雁金屋の定番文様『杜若かきつばた』も光琳殿が描いた意匠なのですよ」


 光琳は「どうぞ、挨拶代わりです」と、手ぬぐいを配る。金色の流水紋を背景に青いカキツバタの花模様が考え抜かれた位置に配されている。


 一郎は「自然の無数の形から普遍的な形を抽出している。形の美しさだけじゃない、自然に対する人間の深い観想が反映されているね」と評価する。


 胡蝶がポツリと言う。

「これ、光琳殿が五歳の時に描いたんですって」


 その言葉に、その場にいた一同が驚きの声をあげた。


「これを五歳のときに!?」


 光琳は「胡蝶殿、それは内緒にしてと言ったのに」と言葉と裏腹に得意げに鼻を鳴らす。「父の商才ゆえですわ。あの文様で雁金屋は一代で財を築いたようなものです」


 光琳は師宣を見下ろしながら、「東の田舎者には考えもつかないでしょうな?京都の芸術げいのわざの深淵を」と言う。


 師宣は憮然として「だいたい『こうりん』ってなんだよ?光る玉ってか?派手なだけじゃねえか。玉が光っても、中身がなければただの石だぜ」と睨む。


 「無粋な江戸の絵師に、京都の雅を教えてやらねばならんとは。煩わしい」と光琳は睨み返す。


 師宣はふっと薄く笑うと、懐から一枚の絵を取り出した。


「じゃあ、江戸のこんな絵はどうだい」


 それは、師宣が描いた林檎の絵だった。光琳は、師宣の絵を誰が描いたか知らずに、素直に驚いた。


「な、なんと……!?こんな描き方が江戸にはあるのか。狩野派ではないはず、何派だ?」


 光琳が身を乗り出して、その絵をまじまじと見つめる。


「俺だよ」


 師宣はそう言って、胸を張った。


 「なに!こんな田舎者風情が。撤回する。構図は面白いが、どえらく下手ではないか!」


 二人の口論は、あっという間にヒートアップし、今にも掴み合いの喧嘩に発展しそうだった。


 その時だった。


「……ちく、ちくちく、ちん……」


 静かに響き始めたのは、一郎の三味線の音だった。普段の激しい音色とは違い、まるで春の陽だまりのような、優しく、温かい音色。


 その音色に導かれるように、胡蝶が静かに歌い始めた。


「散る桜 残る桜も 散る桜」


 さらに、初音もそれに続いた。


「散る花を 惜しむ心は とめどなく」


 まるで二つの声が一つになったかのように、部屋中に響く。



「……ははは!」


 二人の歌声が止まった時、部屋の隅で静かに煙管をくゆらせていた芭蕉が、愉快そうに笑った。


「どうだい、二人とも。日ノ本を変えられそうな気がしないかい?」


 芭蕉の問いかけに、ハッとした光琳は不機嫌そうな表情に戻して言った。


「まぁこいつを認めることはないが、胡蝶さんの歌の力は認めるよ」


 師宣が「なんだと、てめえ!」と声を荒げると、初音が、艶めかしい表情で師宣にそっと近づき、耳元で囁いた。


「師宣さん、わっちのためにも、ここは仲良くしてくれないかい?」


 初音の色っぽい囁きに、師宣は途端に顔を赤くし、ぱっと姿勢を正した。


「はい!そりゃあ、初音ちゃんに言われたら、どんなことだってするさ。おい、俺たちは喧嘩なんてしてねぇよな。仲良しだよな!」


 そう言うと、師宣は強引に光琳の肩を組み、満面の笑みを浮かべた。光琳は嫌そうな顔をしながらも、特に抵抗はしなかった。


「俺も、胡蝶殿の言うことはなんだって聞くぜ。なんといっても、俺と胡蝶さんはマブだからな」


 光琳のその言葉に、一郎の三味線が一瞬、乱れた。胡蝶は「はっ?」と呆れたような顔をして、光琳に軽く言い放った。


「まだお会いしたのは三回目ですよね、おぼっちゃん」


 胡蝶は座敷を見渡した。

 一郎、芭蕉、師宣、光琳、初音、丸木、そして胡蝶。

 七人。


「これで、揃ったわね」


 胡蝶の声は静かだった。だが、その言葉の本当の意味を知るのは、この場の誰もまだ知らない。胡蝶でさえも。

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