第50話 新しい仲間(一)
吉原の太鼓持ちで元狩野派の絵師多賀一郎は、江戸市中で偶然巡り合った若き浮世絵師・菱川師宣の才能を見出し、吉原での胡蝶や松尾芭蕉らとの秘密の会合に連れて行く。
揚屋茶屋の二階の座敷に、胡蝶が一人で入ってくる。四人の会合のときは、新造や禿、遣り手らの付添は一階の控えの間で待たせているのが常だ。
この日の座敷には胡蝶を入れて六人もいる。
上座に芭蕉と丸木。いつものように下座に、太鼓持ちの一郎がいる。
さらに下座に、見知らぬ若い男。そして、その横にちょこんと座る初音をみて、胡蝶は目を見開いた。
胡蝶は努めて冷静に芭蕉に向かって「どういうこと?」と作り笑顔で問う。
しかし、芭蕉は頭をひねって、「オイラも今さっき会ったばかりだから」と困ったように手を広げる。
その答えを聞く前に、若い男は隣の一郎のお膳から酒を取ると、自分で酌をして、グイッと飲み干した。
ずいずいと身体を胡蝶に寄せ、「初めまして。俺っちは菱川師宣っていうケチな絵師です。それにしても俺っちは人生でこんな美しい女性を見たことがありません。こんな美人と毎日会えるならと、今日から太鼓持ちの多賀朝湖先生の弟子になった次第でやんす」と頭を深々と下げる。
無礼を超越した挨拶に、胡蝶が言葉を失っていると、初音がぷくりと頬を膨らませた。
「もう!さっきはあたしに『こんな可愛い人見たことない』って言ったくせに」
拗ねたふりをして師宣の腿をぎゅっと抓る。
師宣は「いててっ!」と顔をしかめながらも、その表情は嬉しそうだ。
「お話にならないわ。金沢屋、説明しなさい」
胡蝶がピシャリと言うと、丸木は汗を拭きながら、師宣と今日会った経緯を懇切丁寧に話し始めた。丸木が胡蝶に向ける恐縮しきった態度に、師宣は驚きの色を浮かべている。
丸木の説明が終わると、一郎が腰をあげ、懐から畳まれた一枚の半紙と、二年前に師宣が版木下絵を描いたという『武家百人一首』を取り出して、胡蝶に手渡した。
胡蝶は『武家百人一首』をパラパラと捲り、即座に評価を下した。
「構図のとり方は面白いわね。でも、絵は拙いわ」
師宣は何も言い返せない。胡蝶は続いて、畳まれた半紙を静かに開いた。
その瞬間、胡蝶の呼吸が止まる。
「なによ、これ…」
後ろから覗き込んだ初音は、不思議そうな顔で呟く。
「変な絵ね。見ていて落ち着かないわ」
胡蝶は震える手で半紙をじっと見つめ、その絵の秘密を妹分へ解き明かす。
「初音、違うわ。これは……。林檎があった瞬間を、様々な角度から分解して一つにしているの。一郎さんの絵とは違うけど、一瞬を『永遠』に閉じ込めようとしているのよ」
一郎は深く頷く。
「さすが、胡蝶さん。そうなんだ。彼の絵には、日ノ本を変える可能性がある」
胡蝶は、一郎と正面から身体を向き合って尋ねる。
「この男の子を連れてきた理由は分かったわ。じゃあ、この子がいる理由も聞かせてもらいましょうか、一郎さん」
胡蝶の鋭い視線に、一郎は「いや、それは、僕も……」としどろもどろになる。すると、初音がササッと一郎の隣に移動して正座し、口を開いた。
「あたしは絵のことはよく分かんない。でも、姐さんがたくさん見せてくれたから、今は絵が大好きなんだ。それに、姐さんが毎月、この会から帰った後、いつもいつも幸せそうだったから」
「…私が幸せそう?」
胡蝶は聞き返す。会の後、妓楼に戻ったときは努めて無表情にしていたはずだけど、と内心思う。
「笑ってなんかいないさ。でも、あたしは姐さんのことをずっと見てきたから分かるんだ。この会の後、いつも姐さんの顔が『キュン』ってなってることを」
「キュンとしてる?私が?」
胡蝶の念入りに施された白粉の頬が、少し赤くなる。
初音は言葉を続けた。
「苦手だった和歌と俳句も勉強しているの。芭蕉先生、なんか上の句詠んでみて」
「わ、分かったよ。じゃあ…」と突然話を振られた芭蕉は、少し照れくさそうに一句詠んだ。
「人々をしぐれよ江戸は寒くとも」
初音は、うーん、うーんと眉間にしわを寄せ、しばらく考えてから、下の句を詠んだ。
「鳥啼き魚の目は涙」
それを耳にした一同は、驚いて芭蕉を見た。芭蕉は、大きく手を叩いて初音を褒めて拍手をする。
「悪くない。それどころか、すっごく良い」
驚きを隠せない胡蝶が初音に問う。
「あんた。太夫になりたくなったのかい?」
初音は大きく首を横に振って答える。
「違うわ。そんなことはどうでもいい。姐さんや朝湖先生、芭蕉先生の芸術で、あたしは変わったの。あたしも姐さんみたいにキュンキュンしながら生きたいの!」
胡蝶、一郎、芭蕉、丸木の四人は、初音のまっすぐな言葉に黙り込む。
その沈黙を破ったのは師宣だった。
「吉原、最高じゃねぇか!俺っちからもお願いっす。どうか初音さんを仲間にしてやってください!」
丸木が「いや、お前が決めることじゃないし、お前も仲間にするって決まってないぞ」とたしなめる。
一郎は、俯いて微かに身体を震わせる胡蝶に、「どうだろうか?志を共にできると思うんだけど」と聞く。
並んで正座する師宣は初音の耳元に「吉原じゃ、丸木の親分じゃなくて、女郎が物事を決めるのかい?」と質問すると、初音は心底嬉しそうに「えっへん、すごいでしょ。もちろん姐さんは特別なのよ」と答える。
師宣は「じゃあ、大丈夫そうだな。胡蝶さんは優しそうだ。俺っち、さっき親分に簀巻きにされそうになったんだせ」と言い、初音と顔を見合わせて笑った。
丸木は少し困ったように「胡蝶の姐さん、いかがいたしますか」と聞く。
胡蝶は顔を上げると、きっぱりと言う。
「師宣殿のような才能ある絵師が加わってくれるのは、百人力です。でも……初音。あんたはここに来るべきじゃない」
「それでも来たの、あたいは!」と即座に初音は反論する。
『駄目よ」
『駄目じゃない!」
胡蝶と初音は鋭い眼差しを交わす。
沈黙を破ったのは、丸木だった。「お言葉ですが、姐さん」と恐縮しながら口を挟む。胡蝶に従順な丸木の行動に、一郎と芭蕉は驚く。
胡蝶はキッと丸木を睨み、「この子は関係ないでしょ!巻き込まないで」と強く言う。
初音はすかざず「関係なくなんかない!あたい、姐さんの絵をいつも預かってるでしょ」と反発する。
胡蝶は冷たく「別にいいわよ。あなたじゃなくて」と言い放つ。
師宣がオロオロして「俺っち好みの子と天女みたいな美女。どっちを応援すればいいんだよー」と言うと、丸木は「お前は黙っとけ!」と大声で怒鳴りつける。
丸木は首を振りながら、顔を何度も激しく歪めてから、「えーい!」と正座からあぐらに変えて胡蝶の顔をまっすぐ見つめ、「姐さん、明かしましょう。あの夜のことを」と覚悟を決めた表情で言う。




