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風を描く〜絵師・英一蝶異聞〜  作者: 紫波吉原 ※5000PV超え感謝
第二章 日ノ本を変える芸術
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第49話 師宣と初音

 「吉原の太鼓持ちの弟子なんて絶対に嫌だよ!」と菱川師宣(ひしかわもろのぶ)(あらが)う。


 丸木五郎が「お前、吉原に行ったことがあるのか?」と聞くと、首を横に振りながら「貧乏絵師の俺っちが行けるわけないっす」と答える。


 多賀一郎は「知らないのになんでそんなに嫌がるんだい?」と尋ねる。


 師宣は「俺っちは女の子が大好きだから、宵越しの銭は全部、下町の茶屋の女の子との酒に使っちまったんすよ。茶屋の子の話じゃあ、吉原は天国と思われてるけど、女はもちろん、門をくぐった男にとっても、待ってるのは地獄だって」と熱弁する。


 一郎は「天国で地獄か。あながち間違ってはないね」と頷く。


 丸木はやれやれといった表情で、「今ここで、この人の本当の顔を明かすわけにはいかんのだ。今夜ちょうど、吉原でとある会がある。お前の弟子入りとも関係があるから、付いてこい」と命じる。


 師宣は「でも、俺っちは銭持ってないっす」と言う。

 

 丸木は「林檎代は負けないが、今夜の吉原の揚げ代は俺が奢ってやる。吉原への船に乗るか、それとも海に沈められる船に乗るか、どっちか決めろや」と凄む。


 師宣は「選びようが無いじゃないですか!行きますよ、吉原に」と悲鳴をあげる。


 一郎は「安心していいよ、師宣くん。君が今夜見るのは天国だけさ」とニッコリと微笑み、立ち上がる。続いて丸木も立ち、奥座敷を出て、番頭を呼びつける。



 この日の夜は、ちょうど胡蝶、芭蕉を含めた四人の定期的な会合の日だ。


 宵闇が迫る江戸の町を眺めながら、一郎、丸木、師宣の三人は猪牙舟で北へと進む。隅田川の水面は、揺れる屋形船の提灯の明かりを映し、きらきらと輝いている。師宣は、初めて見る川からの夜景に、目を奪われていた。


 川面を渡る風が、彼の頬を撫でる。その風は、どこか妖しい匂いをまとい、ハッと我に返った師宣は、不安そうに「多賀朝湖(ちょうこ)、あんたいったい何者なんすか?」と聞く。


 一郎は「多賀朝湖は太鼓持ちだよ。あと君と同じ絵師…かな」と言う。


 師宣は「絵師なんすか! じゃあ、俺っちを弟子にして、なにをさせるつもりで?」と聞く。


 一郎は「君には林檎でなく、風俗画をたくさん描いてもらうつもりだ。今はそれ以上は話せない。詳しくは吉原である人の了解をもらったら説明するよ」と口元に人差し指を置く。



 三人が吉原の大門をくぐる。提灯の明かりが、色とりどりの着物をまとう遊女たちや、賑わう男たちの顔を照らし出す。師宣は、人々のざわめき、三味線の音、江戸の郊外に現れた巨大な色町の華やかさに圧倒され、思わず息を呑んだ。


 その時だった。師宣の鼻腔が、ふんわりとした甘い香りを感じると、隣を歩く一郎の顔の後ろから、白く柔らかな手が伸び、一郎の目をそっと覆った。


 「朝湖さ~ん!」


 愛らしい女の声が、師宣の耳にも響く。


 一郎が振り返る前に、茗荷(みょうが)屋の初音が目隠しした手を外して、いたずらっぽい笑顔を浮かべている。


 初音は、化粧気のない素顔でありながら、吉原の並みの遊女たちとは一線を画し、周りを明るくさせる華のような輝きを放っている。


 その姿を足元から顔までまじまじと見た師宣は、「か、可愛い!こんな可愛い女の子、見たことがないっす。知り合いなんすか?」と興奮気味に言う。


 一郎は冷静に、「やぁ、初音ちゃん。今日は休みなのかい?」と聞くと、初音は「そうよ。髪洗いの休日なの」と答える。


 初音はふんわりと洗いたての髪を揺らして、師宣のほうを見ると、「あら、吉原には、ただでさえ若い男が珍しいのに、朝湖さんよりも若くていい男じゃないの」と、師宣の腕を気軽に組んでくる。


 師宣は顔を真っ赤にして、「うぉーっ。あんた、女神っすか!俺っちはちんけな絵師やらせていただいてる菱川師宣っす」と声を上げる。


 初音はくすりと笑い、「あたしは初音よ。よろしくね、お兄さん」と名乗り、師宣の腕を組んだまま、一郎の腕も組み「ねぇ今夜って、胡蝶の姐さんと四人で集まりをする日でしょ。あたしも、そこに行きたいなぁって、休みを合わせたの」と一郎を上目遣いで見つめる。


 丸木が横から「それは駄目だ」と即座に断るが、初音はわざと頬を膨らませて、「えー。師宣さんはどう思う?」と聞く。


 師宣は「おうよ!彼女が行かないなら、俺っちはあんたの弟子にはならねぇよ」と粋がる。


 丸木が「てめぇ、調子に」と凄むが、一郎は「まぁまぁ、今日は師宣くんを胡蝶さんと芭蕉さんに紹介するだけだから」と認める。


 初音はぴょんと飛び上がって、「あーん、やっぱり朝湖さんは優しくて、素敵!」と一郎に抱きつこうとする。しかし、一郎は身体をひねってさっと避ける。


 初音は少しよろけると、「もう、イケズなんだから」と拗ねたように唇を尖らせる。


 すぐに初音は、師宣のほうに顔を向けて、「言っておくけど、あたし、そこそこ有名な女郎なのよ。こんなこと滅多にしないんだからね」と胸を少し張って言う。


 一郎は頷きながら、「本当だよ。彼女は五十人もいない『格子(こうし)女郎』の一人だよ」と話す。


 丸木が「お前が十回簀巻きにされても、とても揚げられる格の女郎じゃないんだぞ。今日は休みだから特別だ。お前、なかなかの幸運の持ち主かもしれんな」と続ける。


 師宣は「太鼓持ちってこんな女の子たちと毎日会えるんすか? なります!太鼓持ちの弟子になります」と舞い上がる。


 初音はケラケラと笑って、「この子、朝湖さんの弟子なの?じゃあ、あたしも今夜は太鼓持ち見習いになろっかな」と言うと、師宣は「いいね、いいね。俺たち、なんか仲良くなれそう。運命なのかも」と踊りださんばかりに浮かれている。


 一郎は頭をかいて、「僕は君を弟子にするのが不安になってきたよ」と呟くと、芭蕉と胡蝶と待ち合わせている揚屋茶屋へと歩き出す。

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