第36話 金沢屋の正体
延宝二年(1674年)十月。吉原の揚屋茶屋で、多賀一郎と胡蝶は、それぞれの「芸術」を披露し、客を魅了する。胡蝶の舞が終わり、一郎は金沢屋丸木五郎と共に、吉原の大門の外へと向かう。
吉原の大門が閉まる前の仲之町は混み合っている。しかし、「金沢屋の親分だぞ」と声が上がると、サーッと人垣が分かれ、その真ん中を、金沢屋丸木五郎がノシノシと歩く。その三歩後ろに、多賀一郎が背中を丸めてぱたぱたと付いていく。
大門の外の呼び出し茶屋が並ぶ衣紋坂の通りから一つ入ったところに、金沢屋が借りている一軒の屋敷がある。
丸木は戸をバンと開けると、中から金沢屋の手代の男が「旦那様、お帰りなさいませ」と出迎える。
丸木はズカズカと座敷にあがると、ドンとあぐらをかいて座る。一郎はその横で静かに腰を下ろして正座する。
手代が酒を運んでくると、丸木は「今夜はここで深酒する。太鼓持ちに酌をさせるから、お前は深川の店に帰れ」と命じる。
手代は黙って頭を下げると帰る準備をする。丸木は「早く、いね、いね」と手で払い、「戸締まりだけはちゃんとしとけ」と言う。
まもなく手代が出ていく。屋敷には丸木と一郎の二人だけになる。
丸木が突然、ばっと正座をして、一郎に向かって深々と頭を下げる。
「朝湖先生!生意気な態度をとって申し訳ありません」
一郎は正座を解いてあぐらにしながら、「良いって、良いって。毎回謝らなくても」と苦笑いする。
丸木は膝を擦りながら一郎に寄り、徳利を持ち上げて、一郎のお猪口に酒を注ぐ。一郎も酒を注ごうとすると、丸木はササッと膝を擦って離れて「いえ、わたくしめは自分で注ぎます」と遠慮する。
「四年かぁ…」と一郎は、任侠の大物親分にしか見えない風貌の丸木を楽しそうに眺める。
丸木は「髪の毛がツルッと無くなったのは想定外でしたが、金沢屋はもともと悪徳商人ですので、こんなナリがふさわしいのです。七福神の聖人のような格好の方が身の程知らずというもの」と禿頭を撫でながら言う。
一郎はもう一度、「四年…」とつぶやく。
真面目な顔になった丸木が「ようやく、今夜初めて、十万石以上の大大名と繋がることができました」と感慨深げに言う。
一郎は「これまで長かった…この先も…まだ」とお猪口の揺れる水面を眺める。
丸木は「金沢屋が不甲斐ないばかりに、朝湖先生には、大変なご苦労をおかけします」と謝ると、一郎は「僕のは、苦労なんて呼べないさ」と酒をクイッと飲み干す。
丸木はゴツゴツした指で目頭を押さえ、「ううっ、胡蝶の姐さんには、なんと申し上げたら良いか。謝罪はできませんが、感謝というのもおこがましく、ううっ」と嗚咽を漏らす。
多賀一郎、岡本の胡蝶、二十三歳。三ヶ月後に年が改まれば二十四になる。
吉原の外で、金沢屋丸木五郎は、一郎への深い尊敬と、胡蝶への贖罪の念を吐露する。この四年間に彼らには何があったのか?
次回:第37話 日ノ本を変える芸術




