第1話 多賀一郎と岡本の姫 八歳の出会い
江戸時代の絵師・英一蝶は、伊勢亀山藩(三重県)の侍医の息子で、江戸で狩野派に入門し、伝統的な絵画のみならず、市井の人々を活写した独自の風俗画で人気の絵師となる。しかし人気絶頂の元禄11年 (1698)に47歳で三宅島への流罪になるという異色の経歴も持つ。時の将軍「犬公方」徳川綱吉の生類憐れみ令を批判したからとも、吉原に出入りし大奥の関係者に女郎の身請けをさせたからとも言われるが、理由は不明。宝永6年(1709)、綱吉が亡くなると、将軍代替わりの恩赦によって江戸に戻り、それまで名乗っていた「多賀朝湖」から、画名を「英一蝶」と改める。英は母親の実家の「花房」から、蝶は、島流しされて江戸に戻ることは望み薄だったことから「胡蝶の夢」の逸話から取ったーーとの説があるが、本当の理由は本人しか分からない。そんな英一蝶と、歴史には一切名の残らない「岡本胡蝶」の物語。
万治二年(1659年)、伊勢の亀山、鈴鹿の里。夏の陽が桑畑を照らし、遠く鈴鹿川が川瀬を洗う水音が響く。庄屋喜左衛門の屋敷に逗留する多賀白庵の一行は、京より江戸へ下る途上の亀山藩侍医の一家だ。
数え八歳の多賀一郎は、京の市中では見られぬ樹齢数百年の梅の木がある庭にしゃがみ、木の枝で地面に老木を描く。
生け垣の向こうから子供たちの笑い声が響く。一郎が見やれば、村の童らが一人の少女を取り巻き、囃し立てている。少女は遠目にも麻の襤褸と分かる衣をまとうが、立ち姿には不思議な気品がある。
「岡本の姫じゃ!」「いまは水呑みじゃ!」と童らが囃せば、少女は困ったような作り笑いを見せる。
一郎はその翳りのある横顔に胸の高鳴りを覚える。京育ちの一郎は、田舎ものへの義憤もあり、枝をぽいと投げ、近づいて「亀山藩侍医、多賀白庵が嫡子、多賀一郎だ」と名乗る。村の童たちはチッと舌を打ち、散り散りとなる。
少女は粗末な着物を改めて整え、腰を少し曲げてすっと頭を下げる。ふわっと漂う名状しがたい色香に、一郎は顔を赤らめる。
少女は「多賀一郎さま。ありがとうございます。私は岡本の胡蝶と申します」と告げる。
一郎は「岡本の姫って、まさか関ヶ原の西軍の?」と驚く。
天正十八年(1590年)、豊臣秀吉に仕えた岡本重政が亀山に入り、二万三千石を領したが、関ヶ原の戦いで西軍に与して自刃。その後、武蔵国から家康に近い三宅氏が来て城番となった。以後、藩主は目まぐるしく代わり、この時の藩主は慶安四年(1651年)より近江国膳所から移った徳川譜代の石川憲之であった。
胡蝶を名乗る少女は「そのようですが、承応元年(1652年)生まれのわたしには遠い遠い昔のことなれば」と達観した目で中空を見つめる。
一郎が「なんと!それがしも承応元年生まれじゃ!」と言うと、胡蝶はぱっと花を咲かせたように笑い、「それは、それは」と手を打って、初めて子どものように喜ぶ。
だが胡蝶が庄屋の屋敷の前であることに躊躇う様子を見せると、一郎は「父上も母上も、喜左衛門殿も城下に行っており、今は誰もおらぬ。それがしでは食べきれぬ菓子を置いていったゆえ、どうぞ」と案内する。普段の一郎では考えられない行動だが、「京から」という思いが背中を押した。
胡蝶は遠慮しつつ庭に入り、縁側に座る。一郎は菓子の盆を少女と自分の間に置き、腰掛ける。しばし、気まずい静寂が流れる。
胡蝶が庭の地面を見ると、「わっ」と声を上げる。そこには一郎が枝で描いた梅の老木がある。一郎は「子どもみたいなことをして恥ずかしい。暇だったもので、つい」と頭をかく。
胡蝶は縁側からぱっと降り、絵と老木を見比べ、振り返ると目を輝かせる。「素敵!木の根が大地にしっかりと生えているところがきちんと描かれてるわ。まるで狩野派のよう!」と声を弾ませる。
一郎は「狩野派?」と首をひねる。胡蝶は「幕府の御用絵師の狩野派よ。狩野永徳とか狩野探幽とか」と興奮気味に続ける。
一郎は、「それがし、父上の医師を継ぐため、文字ばかり読み書きしており、絵のことは見たことも習ったことも…」と無知に恥入る。
胡蝶は「えーっ!絵を習わずこんなすごい絵を描けるの?!」と驚く。一郎は「まぁ、描くのは好きゆえ、こんな下手な絵をいたずら書きしたりは…」と言うと、胡蝶は「絶対、絵師になれる!こんな上手な絵、わたし初めて見たもの!」とまっすぐ顔を見て言い切る。
そのとき、生け垣の向こうから馬の音がする。胡蝶は「いけない!庄屋さまに見つかったら怒られるわ」と慌てて去ろうとする。
その背中に一郎は「それがしの絵、また見てくれぬか?」と遠慮がちに言う。胡蝶は振り返り、「もちろんよ!じゃあ、明日、村の神社の参道の下で」と言って手を振ると、軽快に走り去った。
伊勢亀山の鈴鹿の村で出会った少年・多賀一郎と少女・胡蝶。八歳の二人は、互いの存在に惹かれ合う。
次回:第2話 多賀の父、母、息子