「あおぞら」
中学生になってから、最初の夏休み。私は田舎のおばあちゃんの家に行った。
学校は全然楽しくないし
お父さん、お母さんはいつもガミガミ。
早く夏休みが来て、おばあちゃんの家に行きたかったから、この時を心から楽しみにしていた。
家に着いた時、おばあちゃんに、「着いたとこでしょ。疲れてるだろうし、良かったらその辺探索しておいで。ここの近くの丘から見える景色は特に綺麗よ」と、言われた。
「丘?どこにあるの?」と私が聞くと、
「ここからもう少し上の方に行くと、あるわよ」
と、教えてもらった。私はおばあちゃんに「ありがとう。行ってみる」と言うと、
部屋に荷物を置いて、その丘へ行くことにした。
青空が綺麗で、日差しが強い日だった。私は汗を浮かべながら丘の上に登った。
しかし、丘の上は、涼しい風が吹いていた。そこからは、私の住んでいる街が一望でき、まるでキャンバスに色とりどりの絵の具を散らしたかのような、心が踊るような、美しい景色だった。
しばらくその景色に見とれていたけれど、目線の角の方に白いものが映った。気になってその方に目線をそらしてみると、白いワンピースに、水色のリボンのついた白い帽子、長い黒髪の少女が立っていた。見た感じ、年齢は私よりも2、3歳年下くらいの子だった。
(あの子もここの景色を見に来たのかな…?)
私がしばらくその子を見ていると、その子は自分の持っているポーチから小さなカメラを取り出した。そして、カメラを上に向けて写真を撮り始めた。どうやら空の写真を撮っているらしい。
(え、景色を見に来たんじゃないのかな?)
私は少し疑問に思って、少女を見つめていた。すると、少女が私の方を振り返った。
少女は怪訝そうな顔をうかべ、
「…さっきからなんですか。あたしに何か用でも?」と、私に向かって言ってきた。
「あ、えっと……景色じゃなくて、空の写真を撮ってるんだなって思って。ほら、ここはなんというか…景色が綺麗なとこなので…」
私はドキッとして、慌てて答えた。すると、少女はカメラをそっと下げた。彼女は、少し悲しげな、それでいて嬉しそうな顔をしてカメラを見つめていた。
「…空、好きなんです。」
少女は小さくそうつぶやいた。
「そうなんですね!どうして好きなんですか?」と、私が聞くと、
「空って、自由なんですよ。泣きたい時に泣けるし、笑いたい時に笑える。怒りたい時には怒ってる。あたしも空のように、自由なりたいんです。自由な姿になりたいんです。」と、少女は答えた。さっきよりも明るく、楽しそうな声だった。
私は、
「そうなんですね!とっても素敵です。」
と答えたけれど、
(空…自由?なんだかよく分からないな)
と、感じた。
「はい。空ってとっても素敵です!」
少女はそう言って、にっこりと笑った。
すると、その瞬間強い風がビュンと吹いた。
「わっ」
私は風の衝撃で目を閉じた。
再び目を開けると、少女の姿は無かった。
「あれ、いなくなった…。」
彼女がいなくなった後、ほんのり暖かい風がふわりと流れた。
私はとてつもなく不思議な気持ちになった。
まるで異世界に行ったかのような、空気が変わったかのような気分だった。
そして丘を後にして、おばあちゃん家に戻った。
おばあちゃんに、一連の流れを話し、その少女を知っているか話してみると、
おばあちゃんは
「うーん、そんな子は知らないねぇ、ここは若い人も少ないから。多分、観光客か誰かじゃないかな?」と言って、首を傾げていた。
きっと、急に風が強くなったから帰ったとか、何かだと思った。
次の日も、よく晴れた青空の日だった。私は、また丘へ向かった。すると、その日は既に少女が丘の上に立っていた。
昨日と同じく、彼女は小さなカメラを持って、空の写真を撮っていた。
「あ、こんにちは。また写真撮ってるんですね。」私が言うと、少女は振り返った。
「今日も空が笑ってるから。綺麗だなって思って撮りました。」彼女は優しい笑顔で笑った。
私は、昨日のことが気になったので、少女にたずねてみた。
「そういえば…あなたは、ここの街に住んでるんですか?」
少女は首を横に振った。
「いいえ、今は住んでません。ここが好きなので、よく来るんですよ。」
少女はふわりと笑って答えた。
(やっぱり、観光客なのか)
私はそう思った。
少女は透き通った黒い瞳で、まっすぐと青空を見つめていた。その瞳は好奇心に溢れていたが、悲しさも感じられた。
私も、彼女と同じように青空を見つめてみた。
青空を見つめていると、吸い込まれるような、心が洗われるような、快い気分になった。
私が青空に見とれていると、
少女は私の耳元で
「ね、空って、とっても素敵でしょ」と、
囁いた。私が隣を見ると、笑顔の少女が目の前にいた。
「はい!とっても素敵…」と答えようとした時、昨日と同じような強い風が吹いた。
私は思わず目を閉じてしまった。
すると少女はいなくなっていた。
(え、どういうこと…?)
私は不思議に思ったが、また彼女に会いたいと心から思ったので、次の日も丘に行ってみようと思った。
しかし次の日は、嵐の日だった。
(今日はさすがに丘には行けないな…)
そう思いながら、私は部屋の窓から、丘の方を眺めると、視界に白いワンピースが写った。
驚いて目を擦って再び見ると、間違いなく黒髪の少女だった。
少女は丘の上に立っていた。
(え、こんな雨の日に…?)
彼女はまた空に向かってカメラを構えている。遠くて表情はわからないが、なぜだか悲しい雰囲気を感じた。
(今日はこんな天気なのに…あぶない!)
風がどんどん強くなってきて、窓がガタガタ音を立て始めた。強い雨が窓に打ち付ける。
その後、私は、大量の雨粒で窓の外の少女の姿を見ることは出来なかった。
そして、また強い風が吹いた。
その瞬間に
「ごめんなさい、いい子じゃなくて」
という声が聞こえた気がした。
(いい子…じゃない?)
雨が少し弱くなり、窓の外を見たがそこに少女の姿はなかった。
その次の日は晴れたあおぞらの日だった。
私は、
(今日は丘に行ってみよう)
と、決心して行くことにした。
昨日の嵐で、周りの木々や草が水で濡れていて、まるで宝石のように輝いていた。昨日の嵐が嘘のように、落ち着いた、心地の良い天気だった。
丘に行くと、白いワンピースの黒髪の少女ではなく、短い髪の綺麗な大人の女性がいた。
女性は空の写真を撮っていた。そのカメラを見た瞬間、私は驚いて目を疑った。
そのカメラは、黒髪の少女が持っていたカメラだった。カメラポーチも、少女が持っていたものと同じだった。
「え、そのカメラ…」
私が呟くと、女性が振り返った。
「えっと…このカメラが、どうかしました?」
女性は不思議そうに首を傾げて私を見つめる。
「あ、す、すみません!知り合いが持っていたカメラにそっくりだったので…!」
私は慌てて答えた。すると女性はにっこり笑って答えた。
「あら、知り合いのカメラに似てるんですか?これはとっても珍しいものなのに、なんだか不思議ですね…。これは、私の姉の形見なんです。」
「形見…なんですか?」私が言うと、
女性は頷いて、優しくカメラを撫でた。
「姉は生まれつき体が弱くて、姉の療養のために家族で田舎のここに引っ越して来たのですが、姉は空の写真が好きなのか、毎日毎日、ここの丘で写真を撮ってたんです。私もよく付いていって写真を撮ったなぁ、懐かしいです。」
すると女性のカメラを持つ手が震え始めた。彼女の目には涙が浮かんでいた。
「ごめんなさい…。辛いことを思い出させてしまって」と、私が言うと、女性は首を横に振り、「いいんですよ。知り合いの方が姉と似たカメラを持っているというあなたと、ここで会えたのもなにかの縁ですしね。あなたには話しておきましょうか。」そして目に浮かんだ涙を拭って話を続けた。
「ですけどね…ある時、姉の体調が悪くて、なかなか丘に行けなかった時があったんですよ。
その後姉の体調は良くなりましたが、そこからも連日大雨が続いて行けず…
我慢ならなかったのか姉は、
嵐の日に『雨でも写真撮りに行きたい!』と言って、両親も私も必死に止めましたが、その手を振り払ってこのカメラをもって、1人で写真を撮りに行ってしまったんです……。」
最後の方の言葉はかなり震えた声だった。彼女の目からは涙がどんどん溢れてくる。私は何をすればいいのかわからず、彼女の背中を優しく撫でることしかできなかった。
「ごめんなさい。ありがとう…話を続けますね。」彼女は一呼吸おくと、話を続けた。
「父は、その時、私と母に『絶対に外に出ず、必ず家にいるように』と私に伝えて、嵐の中、丘に行ってしまった姉を追いかけていってしまいました。だけど、丘の上で、雨で足を滑らせた姉を助けようとした父は、姉と共に丘の下に落ちてしまい…そのまま、2人とも二度と帰らぬ人となりました。」
女性の目から溢れ出た涙はカメラに滴り落ちる。彼女はカメラに落ちた涙の雫をそっと手で拭き取って続けた。
「今日は姉と父の命日なのです。毎年、命日にはここに来てお参りしてるんです。もう20年も前の話なのに、未だに昨日の事のように思い出すんですよ。」
その話に、本当に驚いた。
「それって私…、あなたのお姉さんに会ってたんだ…」
「……?どういうことですか?」
私はその話を聞いて、これまであったことを彼女に話した。彼女は涙を流しつつ、私の話を最後まで真剣に聞いてくれた。
「なるほど…。空のように自由に生きたい…それが姉の願いだったんですね。私たちは姉の気持ちを考えもしないで、我慢させすぎたのかもしれないですね…。」
彼女はふわりと私に笑いかけて言った。
「ありがとうございました。あなたの話が聞けてよかった。良かったらまた会えたらいいですね。」
「いえ、こちらこそありがとうございます。どうか、強く生きてください。自由に生きてください。ここにひろがる、あおぞらのように。私もそうしていきます。それがお姉さんの願いだと、私は思うから。」
私が言うと、女性は
「ふふっ、きっとそうですね」と、笑った。
おばあちゃんの家に帰ると、おばあちゃんが夏の野菜がたっぷり入ったサラダを作っているところだった。
「あら、おかえりなさい。また丘に行ってたのね。そろそろお昼にしましょうね。いっぱい食べて、大きくなるのよ。」
おばあちゃんはにっこり私に笑いかけた。
これが、生きるってことなんだね。
また明日も丘に行ってみようと思った。