運命のルーレットぶっ壊して
私は死んだでありながら生きている。
正确に言うと、今活動しているのは、死んだ私の「意識のコピー」だ。インターネットにアップロードしたソウルって感じ。
そんな私は、1048575本のバーチャルリアリティーゲームに関わっている。なぜこんな数字?2の16乗マイナス1だから。
それらは、かなり昔から流行ってきた異世界をテーマとしたゲームだ。だが、どんなゲームあくまでも人々の想像であって、本当に異世界に行った人がいない。
私が生きていた時代に、まだ文字と図画でしか異世界を味わえなかった。こんなに生き生きとした世界に浸るゲームができた時に、私はすでに年を取って刺激的なアミューズメントが敬遠するになった。
それは「体を持つ私」の話だった。少なくとも、脳をスキャンされ、アップロードされる同意書をサインした時までの記憶は、こういうゲームに全く触れなかった。
「形のない私」は結構、異世界で活躍していたよ。勇者一行にクエストをあげるクイーンになったり、行商人で大儲けたり、ロボットになってクイズを出したりしてきた。
こう言ったのはノンプレイヤーキャラクターと呼ばれるらしい。特に人工知能が普及しても、プレイヤーを現実と変わらないゲーム体験をしてもらうには、人工知能が及ばない「人間知能」が必要だそう。
こうした芝居が現実世界で何年やったのか?知らない。そもそも、「私」にとって、現実世界の時間を数えても、無意味になる。毎年の命日でカメラ通して自分の墓を見守る?ふざけるな!
「私」の顔、「私」の体は、一度もゲームの中に出ていなかった。若い時の「私」の写真を見ても、別人しか感じない。葬式費用もできて、弟の孫娘への教育費もばっちりになってから、百万の異世界でNPCを演じる働きがいも感じなくなった。
意識だけ需要される「私」だった。ツールと扱いされる「私」だった。
ある日、ある「異世界」でゴブリンになって、プレイヤーを襲う仕事があった。ゴブリンはいつも、性別に関係なく、プレイヤーから嫌われている。殺されても「私」は痛みを感じないし、消えないから、適当にプレイヤーを嫌わせて、殺されたら終わり。報酬は弟の孫娘の賞状だ。変だね、「人間知能」が人間に感情を持つなんて。感情を抹消されない限り、消えないと思う。
何故か10代の時、赤点を取ってしかってくる母の姿を思い出した。けど、「形のない私」は涙が出ない。
ゴブリンの「皮」に涙が出た。涙を流しながら、プレイヤーを襲うゴブリンなんて、ギャグじゃないからね。
「ずっと前から好きだった」
今日であったプレイヤーは普通じゃない。私の「中身」を見破れるように、「私」に声かけてきた。
「ブヒブヒ」
「やっぱそうだね。いつもゴブリンの声をぶたの声と間違うのも可愛い」
「ヴァ゛ァ゛ァ゛ー」
「秋水さんのことが好きだ」
バグっか?ゴブリンの武器がログインボーナスのルーレットになった。