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ナギセンキ  作者: 匙郎
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第一話

 

「いーざーなーうーみーこーとー。そーらーのーはーしー」


 懐かしい歌だ。子供の頃はよく歌っていた。歌っているのは…父さん?ということは…

 目が覚めると見慣れた光景が広がっていた。巣立ちを阻むかのような深い深い森。忙しなく鳴き続ける虫たちの声。


「あのぉ…」


 しわがれた声がする方へ顔を向ける。シミズさんにしては珍しく、丁寧な呼びかけだ。


「どうしたんですか?シミズさん」


 僕の一言にシミズさんは酷く驚いた様子を見せている。同時に、シミズさんと僕との距離が知人では無い事に違和感を覚える。祖父母がいない僕にとって、シミズさんは心を許せる数少ない大人だ。なのに何故、こんなにも僕と距離を取っているんだ?


「ワシは…。シミズという名なのかね?」 

「え?」


 その日、僕の平穏は終わりを告げ、新たな日常が廻りだした。


 街にはまだ戦争の爪痕が生生しく残る。2つの小国が起こした小さな火種はやがて業火へと変わり、この世界を飲み込んだ。それは僕が暮らすこの国にとっても例外ではなく、一時は労働力を求める大人と、食料を求める子供で溢れかえっていた。僕が生まれ育ったヤタノ村は幸運にも戦争の災禍を免れたが、大人の男たちの中には、戦地に向かいそのまま帰ってこなかった者もいる。僕の父もその中の一人だ。シミズさんは父さんがこの村から出ていった時から、よく僕の遊び相手になってくれた。狩りの練習、文字の読み書き、歴史や文化など生きるために必要な知識を改めて学ばせてくれた。


「ワシにとってはナギくんが孫みたいなもんだからなぁ」


 2人の孫を戦争によって亡くしたシミズさんの口癖だった。温かくて、優しくて、面白くて、大好きだったシミズさんは−


「えぇと、どなたか存じませんが、ワシの事を知っているんですかな…?」


 記憶を、失っていた。


「何言ってんの…?じいちゃん、僕だよ。ナギだよ。」

「すまんが、分からないんじゃ…。君の事も、ワシの事も…。」


 これが演技だとしたら今すぐに役者を目指したほうが良い。そう言えるくらい今のシミズさんは真剣に困惑していた。まっすぐ見つめる僕の瞳に対して、シミズさんは見つめ返す事なくジロジロと僕の全身を見ている。少しでも情報が欲しいという考えが言葉にしなくても伝わってくる。だが、情報が欲しいのは僕の方だ。そもそも僕はなんでこんな場所にいるんだ?目の前に広がるのはヤタノ村の村民には馴染み深い森だ。稲作に加え狩猟採集も行う僕らにとって森は神聖な場所ではあるが、立ち入ってはいけないという掟は無い。故に獣や木の実などを求めて村民の多くが立ち寄る訳だが、僕は今日森に来た記憶が無い。そもそも今日は村の外れにある神社で昼寝をしていたはずだ。何故、僕はここにいるんだ?


「ごめん!じいちゃん、ちょっと僕村行ってくる!」

「お?お、おう…」


 戸惑うシミズさんを置いて、村に向かって駆け出す。やけに呼吸が苦しいのは、少しでも早く状況を理解しようと、いつもより速足になっているからだろうか。等間隔の足音に不定期に訪れる小枝を折る音。何百回と通った道なのに時々転びそうになるのは、浮かび続ける疑問符に脳の容量を割かれて足元がおぼつかなくなってるからだろうか。誰か、誰か教えてくれないか。一縷の望みに賭け、自宅があるヤタノ村へ走った。


「えぇと、どなたかしら…?」

「何もおぼえてないんだよ…君はなんで記憶があるんだ?」

「こっちが教えてほしいんだけどね…」


 表現に差はあれど、結論は皆同じだった。自身のことも、僕のことも、村のことも覚えていない。村民に話しかける度に、困惑と嫌悪を滲ませた返答を受けるため、抱いていた希望は少しずつ砕かれていった。中には自分のことや村のことを詳しく聞こうとする人たちもいたが、正直今は自分のことで手一杯だ。困惑と恐怖がパンパンに詰め込まれた僕の脳内に、他社を思いやる気持ちが入り込む余裕は無かった。

 川の土手に腰を下ろし、意味もなく空を見上げる。昨日まで正常に働いていた世界の歯車が、理由も分からずに突然狂ってしまった間隔だ。僕はこの村しか世界を知らない。外の世界があることはシミズさんから習ったが、この村から出て生きていく自信がない。意味もなく引き抜いた雑草が、僕の手を離れひらひらと川へ舞い落ちる。土で汚れた右手を見ながら、無意味に時間を消費していく。瞬間、思い出す。


「神社…」


 そうだ。僕の記憶のもっとも新しい位置にいるのは神社で昼寝をしていたことだ。

 乳酸が溜まった足に鞭を打ち、身体を神社へと向ける。どうせ何も無いという諦念を、何かあるかもしれないという願望で上書きしながら、一歩一歩進んでいく。空は既にオレンジに染まっており、小さく鳴る腹の音がいつもの夕食の時間であることを告げている。

 たどり着いた神社はいつもと変わらない姿でそこにいた。朱色の鳥居には子供がつけた傷が残り、本殿には至る所から苔が生えている。建立当初は大切に扱われていたであろう神様も、現状を見たら嘆くのではないか。そんなことを思いながら本殿の扉に手をかける。外観からは異常は見つけられない。この中にも何も見つけられなかったとき、僕の視界は本当の意味で真っ黒に染まるのだろう。開けたい、でも開けたくない。僕の右手は数分逡巡していたが、やがて決意を固め扉を開いた。


「あーっ!!やっと来たーー!!」


 金色の髪。真っ白な服。まだあどけない顔立ち。そして、背中にー


「会えて良かったー!もうどうしようもないかと思って泣いちゃうところだったー!」 


 翼が生えている少女が、僕を待っていた。





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