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場末のバーの店主は意味深に

作者: 魁星

 


 静まり返った店内。いくつか配置されたテーブルに客は1人もおらず、閑古鳥が鳴いている。

 一応営業はしているのか、カウンター席の向こうでは、店主と思しき初老の男性が無意味にグラスを磨いている。


 そんな折に、不意にドアベルがなり、1人の男が店内に入ってくる。


「いらっしゃい」


 店主は短く応じ、身振りで好きな位置に座るよう促す。男は既に酔っているのか、若干おぼつかない足取りで、店主の目の前の席に腰を下ろす。

 学者なのだろうか、20代後半くらいに見える男は膝下まである暗い色のマントを羽織り、その下には紫の糸で刺繍が入った、深緑色の服を着ていた。

 貴族のお抱えなのだろう。この街を統べる貴族は、自ら招いた食客に、紫の刺繍を入れた服を着せている。傍目から見てすぐにわかるため、民や他の貴族にとっては有難いとか。


「ご注文は」


 店主は、席について意味深な笑みを浮かべる男に伺いを立てる。男は無言で店主の背後の棚を指差し、1つの瓶を指定する。

 軽く頷いて応じ、店主はその瓶の中身をグラスに注ぎ、氷を浮かべて男の前に差し出す。男は驚いた様子だったが、何か納得したような風にグラスを傾ける。


「なぁ店主さん、ちょっと聞いてくれよ」


 唐突に男が話し始める。店主は男を一瞥して、静かに耳を傾ける。


「俺さ、すっごい発見をしちまったんだよ。あ、これ口外しないでよ?」


 酒の勢いも相まってか、男の口は止まることを知らずに回る。


「見てわかると思うけど、俺クラウゼ伯爵に招かれててさ、そこで魔動具の研究をしててさ」


 男は饒舌に話し続けるが、如何せん専門用語が多く、内容はわからない。同業の者が聞けばわかるのだろう。ただの平民には理解できないことは確かだ。


「──ってわけ。はは、これ絶対世紀の発明でしょ。そう思わない、店主さん?」


 静かに聞き続けていた店主は、話を振られたことで少し考え込み、ようやく口を開く。


「……『遼東の豕(りょうとうのいのこ)』という言葉があります」


 店主が口にした言葉を、男は聞いたことがないのか、首を傾げる。

 それに目を向けることなく、店主は続ける。


「ここから遠い地……そうですね、まず普通の人なら辿り着けない地に、伝承として残っている言葉の1つです。遠い昔、『遼東』という地にて、頭の毛が白い(いのこ)、つまり豚が生まれたようです。その豚の飼い主はそれはもう大層珍しがったそうで、その豚を王に献上しようと考えました。しかし、いざ都まできてみれば、その地の豚は、皆頭の毛が白かったそうです」


「……何が言いたい?」


 訝しげに男は店主に尋ねる。突然、なんの関連もないよくわからない話を始めたのだ。不思議に思うのも無理はない。

 しかし、続く店主の言葉で、男は顔色を変える。


「『特定条件下における魔動具動力の魔石代替とその効率化』」


「!?」


 それは、男が出そうとしていた論文の題名に他ならなかった。確かに先ほどまで散々語り尽くしていたが、専門用語を用い、しかもさらに難解になるようにあえて普通は使われないような表現を用いていたのだ。こうすれば相手はわからないだろうし、自分の偉大さを示すことができるだろう、と考えていたのだ。

 そのはずなのに、ものの見事に言い当ててしまった店主に対して、男が目を見張るのも仕方ないだろう。


 そして、店主はさらに言葉を続ける。


「この論文は、約2週間前に王都学会にて承認されております。著者は”エルンスト・カウフマン”」


「な……」


 その名前は、同業者であり、男のライバルである研究者のものだった。もしこの店主の言うことが事実であれば、男はライバルに全く同じ研究で先を越されたということになる。そのようなことを簡単に認められるはずもなかった。


「そ、そんなはずはない……先行研究だって調べたはずなんだ……カウフマンに先を越されたなんて……」


「出過ぎた真似とは存じますが……一度、戻って情報を集めることを、お勧めします」


 店主は小さく腰を折る。男にとってその行為は、とても慇懃なものに映った。



 ◆◇◆◇◆◇



 その数日後、やはり閑古鳥が鳴く店内に、1人の男がやってくる。以前訪れた時と同じ格好をしているため、すぐにあの学者だと店主は気づいたが、その様子は以前と異なり憔悴しているようだった。


「いらっしゃい」


 ふらふらとおぼつかない足取りで、店主の前の席につく。酒の匂いはしないためどうやら酔ってはいないようだった。


「……あんたの言ってた通り、あの論文は王都学会で承認されてたよ……」


 俯く男は、静かに語り出す。


「……あのまま、俺があの論文を提出していたら、今頃どうなっていたかわからない。盗用や剽窃(ひょうせつ)の誹りを受けていたかもしれない……だが、それを避けられたとしても、俺がカウフマンに先を越されたことに変わりはないんだ……俺は、どうすればいいんだ……」


 どうやら、ライバルに一歩及ばなかったことが相当大きな衝撃になっているようだった。

 それを見かねたのか、ゆっくりと店主が言葉を紡ぐ。


「……『捲土重来(けんどちょうらい)』という言葉があります。”土煙を巻き上げ、再びやってくる”ことの例えです」


「…………」


 何やら話し始めた店主に、男は少し耳を傾ける。


「ここから転じて、”一度敗北をした者が、再び勢力を取り戻し攻める”、”一度失敗した者が再挑戦する”という意味を持ちます。あなたは今回、苦杯を喫したことでしょう。ですが、全てが終わったという訳でもありません。であれば、”再び挑む”こともできるはずです」


 その言葉に、男は勢いよく顔を上げた。確かにそうだ。今回は先手を譲ってしまったが、次に巻き返せばいいではないか。次こそはカウフマンに先んじて論文を出し、辛酸を舐めさせればいい。


「……はは、店主さんのいう通りだ。まだ俺は終わってない、次カウフマンに勝てばいいんだ。ありがとう店主さん、俺、ちょっと用事できたわ」


 憑き物が落ちたような表情で、男は店を後にする。

 店を出るところで、男は一度店主の方に振り向く。


「そういや、どうして論文のことを知ってたんだ? 店主さん、あんた何者?」


 店主は変わらない様子でグラスを磨きながら、表情ひとつ動かさずにただ一言答える。




「ただの、場末のバーの店主ですよ」






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