井伊の赤鬼と土佐の出来人
歴史に『もしも』はないが、我々はそれでも語ってしまう。この話もそんな『もしも』の話。
徳川家重鎮、井伊直政が自室で寛いでいると、ある家臣が静かに襖を開け、慇懃に頭を下げる。
「直政様、土佐より文が届きました」
「うむ、御苦労」
現在、土佐は長宗我部元親が治めている。
直政は家臣から文を受け取ると、早速広げて読んでみた。
「ほう、これはこれは……」
内容を読んで、思わずにやりと笑ってしまう。
「文には何と?」
「おもしろいぞ。奥方と一緒に馬で遠乗りしたこと。二人で市に出向き、鰹を自ら買いつけたこと。童のように野原で追いかけっこをしたこと。惚気がつらつらと書かれておる。老いて益々盛んとは、見習いたいものだ」
「左様で御座いますか」
家臣にはなぜ直政がそんな文をもらって笑っているのか、正直わからなかった。なので、思い切って聞いてみることにする。
「直政様、失礼かと思いますが某に教えて頂きたく」
「何じゃ? 遠慮なく申してみよ」
「直政様が元親様と聚楽第行幸の折、共に供奉された時から懇意にされているのは伺っております。ですが、そのような他愛のない内容の文を寄こすなど……我々にも相手にも利があるのでしょうか?」
「わからぬか?」
「はい、某には全く」
「そうか……」
直政は筆と硯を用意し、書き物の準備をする。家臣の方には一切目を向けなかった。
「今から話すことは独り言じゃ。この部屋から出たら話した内容は忘れろ。よいな?」
「はっ」
「今は太閤殿下の元、安寧の世が訪れた。思えば、井伊家も苦労した。それはよい。が、太閤殿下も人の子。もし、亡くなられたら——」
「亡くなられたら?」
「恐らく、天下を二分する大戦が起こるだろう。一方は豊臣恩顧の大名が集い、もう一方は——」
「もう一方は?」
「……」
直政は答えず、すらすらと筆を進める。
「もしもの備えじゃ。元親殿は太閤殿下に大恩を受けた。斯様な事態となればどちらにつくか大層迷うであろう。しかし、この文のやり取りで井伊と繋がっていれば、どちらに転んでも土佐にとって悪い結果にならん」
「……」
さすがの家臣もここまで言われれば、『もう一方』がどの勢力か理解し、ゴクリと唾を飲んだ。
「井伊にも利はあるぞ。もし、四国に何らかしらの動きがあれば、元親殿はいつも通り儂に知らせてくれるだろう。誰から見ても怪しまれることなく、な。まあ、惚気を書いて寄こすなら、四国は平穏ということじゃ」
「直政様のご彗眼、見事で御座います。某にはそこまで考えが至らず……」
「よい。こんな予想、外れてくれた方が儂も助かる」
最悪の事態を予測し、事前に備えるのも為政者の務め。
直政は筆を置き、紙を畳んで家臣に渡した。
「これを元親殿に届けてくれ」
「畏まりました」
キリッとした顔の直政であるが、書かれた内容はいかに自分の妻の手料理が美味いか、共に中庭を散策した際に繋いだ手の繊細さなど、こちらも散々惚気を書いたもの。負けず嫌いも甚だしい。
家臣が部屋を離れるのを確認し、直政は想いに耽る。
(太閤殿下が亡くなれば、きっと家康様は天下獲りに動く。その時、儂は再び『鬼』となろう)
慶長3年(1598年)に豊臣秀吉は亡くなる。
その後を追うように、翌、慶長4年(1599年)に長宗我部元親も死去。
直政の予想通り、慶長5年(1600年)に関ヶ原の合戦が勃発。
この合戦で受けた傷が災いして、慶長7年(1602年)に井伊直政はこの世を去った。
元親の四男、長宗我部盛親は関ヶ原の合戦で西軍に参加。それが原因で土佐を没収、改易となる。命まで取られなかったのは、直政が家康に何らかしら取り計らったと推察される。
その後、盛親は豊臣方の招集に応じ、真田信繁(幸村)らと共に大坂冬の陣、夏の陣を戦うこととなる。
相手の徳川方には、井伊直政の次男、井伊直孝もいた。
史実はこの通りであるが、冒頭で書いた通り——
『もしも』元親が関ヶ原の合戦より前に死去しなければ。
『もしも』直政がもっと長生きしていたら。
——日本の歴史はどうなっていただろうか。




