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図書室にいる『王子様』の本性を、私だけが知っています。

作者: 百崎千鶴

 ある学校の図書室に、毎日やって来る男子生徒が1人。

 みんなは彼を、『王子様』と呼んでいました。


 そんなものに興味のなかった1人の女子生徒は、来る日も来る日も「王子なんかどうでもいい」と叫びます。


 しかし、周囲から『王子様』の話を聞かされる内に、彼女は噂の彼に会ってみたくなりました。


 そんなある日、女子生徒は思い切って図書室へ行ってみます。

 そこにいたのは、噂通りの美しい王子様……ではなく。


 女子生徒は「王子は狼だった」と必死で叫びますが、誰も信じてくれません。

 そして彼女は、



「そんなに、僕のことが好き?」



 狼に、喰われてしまいました。



 ◇



 森中彩花もりなかあやか、高校2年生、17歳。好きな飲み物は苺牛乳。

 好きな人――……図書室の、王子様。


 私は、特に読書が好きというわけではありません。むしろ逆。

 読書は、苦手。

 そんな私がここ数ヶ月、足しげく図書室に通っている理由は、



(……いた!)



 好きな人に、会うため。



(今日もかっこいいなあ……)



 いつものように本棚のかげに隠れ、お目当ての彼を遠目に眺めながらニヤニヤ、ニマニマ。


 彼に初めて出会ったのは、2年生になったばかりの頃。

 1年生の終わりにさしかかった時期、学年にとある噂が流れました。



「図書室に王子様がいる」



 王子様なんてそんなばかな。どうせちょっとかっこいいだけでしょう? ふんっ、興味ないし!

 ……なんて強がっていましたが、



「昨日もいたよ! かっこよかったー!」

「私、話しかけちゃった! すごく優しかったよー!」

「やっぱり王子様ステキー!」



 ……とか、お友達が騒ぐものだから気になって気になって。


 見に行きたい。

 でも、普段から本なんて全く読まない私が図書室に行くなんて不自然ですし、



「王子様なんて白馬から落ちちゃえばいいんですよ」



 ははん! くだらねぇ!


 と、大口を叩いた手前……今さら「王子様が気になるから一緒に見に行こう」と友達を誘うこともできない。


 どうしよう。気になる。見てみたい。


 しばらく悶々と過ごし、2年生になったある日――……新しい担任の先生から任された、とあるお願い。



「森中ー。悪いけどこの辞書、図書室に返しといてくれるか」

「喜んで!」



 グッジョブ! 猿渡先生!

 今まで猿とか秀吉とかハゲわたりとか陰で呼んでてごめんなさい!


 心の中でガッツポーズをしながら辞書を片手に抱え、心なしか弾む足取りで図書室へ。

 なるべく静かに扉をスライドさせ、中を覗きます。


 放課後だからか『王子様』効果によるものなのか、やけに人が多いです。



(王子様、とやらは……どこでしょうか……)



 図書室へ入りきょろきょろと辺りを見渡しつつ、辞書を(元あったであろう)本棚へ。


 机で勉強している数人の生徒の中に、王子様らしき人は見当たりません。



(というか、)



 そもそも『王子様』の特徴も知りません。

 皆さんが言うには、



「見たらすぐにわかる。オーラが出てる」



 らしいけれど。



(そんなオーラ、あるわけ……)



 ぴたり。

 ある場所に目をやった瞬間、自然と足が止まる。


 図書室の少し奥にある机。そこで、1人の男子生徒が顔を伏せて眠っていた。



「……っ、」



 綺麗。

 それが、横顔を見て真っ先に思い浮かんだ言葉。


 窓から射し込む夕陽に、くるくると跳ねた茶色い髪が照らされて、きらきら光る。

 それから、透けるように白い肌。



(……きれい)



 ただ眠っているだけなのに、とても綺麗だと思った。


 つい、ふわふわの髪に手が伸びる。

 もう少しで触れてしまう……その直前で、私の手は細く長い指に掴まれてしまった。



「……なに?」



 ゆっくりと持ち上がる瞼。まだ眠そうな、低い声。

 ビー玉みたいな黒い瞳と目線が交わった。



「……っ、ごめんなさい! つい、」

「……いいよ。……気にしないでください」



 あ、敬語。それと、微笑み。


 優しいそれに私の心臓はどきりと音を立てて、ぽとりと恋に落とされた。






 そして、今。

 私の最近のマイブームは、王子様が読了した本を後追いで読むこと。



(この前、読んでいたのはたしか……あ、あった!)



 しかし、せいいっぱい背伸びをしてもあと少しのところで指が届かない。



「んっ、ぐっ……! あと、ちょっと……!」



 小さく唸りながら頑張っていると、



「これですか?」

「えっ、」



 背後から手が伸びてきて、本を取りこちらに差し出す。


 ありがとうございます、と言ってそれを受け取り、顔を上げた。

 そこにいたのは、



「どういたしまして」



 優しく微笑む、王子様。


 すぐそばにいるせいでどきどきして、一瞬で頭が真っ白になってしまった。



「……君、最近よく来ていますよね」



 だから私は、



「……好きです」

「え?」

「好き、です……」



 そんなことを口走ってしまったのです。


 少しの間、彼は困ったように笑っていたけれど、私がぼうっと見つめ続けていると、



「……あー、」



 ふいと目線を逸らしてしまいました。


 それからまた少しの間を置いて、無表情になる王子様。

 ひらひらと片手を振りつつ言い放った言葉は、



「悪いけど、貧乳に興味ない」

「え、」

「だーかーらー、興味ないです」



 ……今、私は問いたい。

 彼が『王子様』だなんて、誰が初めに言ったのか。



「……えっ?」



 今、この人は……この自称・王子様は何と言いましたか……?

 初対面の女子に向かって、いうにことかいて「貧乳」だと!?


 この際「興味ない」という言葉はスルーしましょう。それよりも許せないのは「貧乳」という言葉の方です!

 失礼な!



「ひ……っ! 貧乳じゃ、」



 とん、顔の横に置かれる王子の片手。

 もう一方の手は、私の口を塞ぐ。


 混じり合う、彼の体温。



「しーっ。ここ、一応図書室ですから」

「……っ、」



 どきどき、ばくばく。

 私を見下ろす瞳から、目が離せなくなる。



「静かに、ね」



 私が頷いたのを確認してから離れる両手。

 そして、王子様は何事もなかったかのようにその場を立ち去ろうとした。


 待ってください。

 確かにどきどきしてしまいましたよ、ええ。けれど、



(前言撤回をしてもらわねば!)



 逃してなるものかと、カモの子供みたいに自称・王子様の後ろをついて歩き、彼が座った席の隣に腰をおろす。


 一方で、私のことなど無視して頬杖をつき、本のページを開く王子様(仮)。



「あ、あの!」



 できるだけ小さな、けれどきちんと彼に届く程度のボリュームで声をかける。

 けれど彼は、そんなの知ったことかと言わんばかりに本を読み始めてしまった。


 ……イラッ。



「もしもし!」

「……」

「もしもーし!」

「……」



 ペラリ、長い指でめくられるページ。


 絶対聞こえてるだろ返事しろやゴルァ!

 ……なんて、女の子らしからぬ本音を必死でおさえる。



「あの!」

「……」



 貴様の耳はお飾りかアアン?

 言いたい。言ってやりたい。舌打ちを食らわせてやりたい。


 ぎりぎりと奥歯を噛みしめつつ、諦めずに声をかけた。



「すみません! あの! 聞いていますか!」

「……ちっ」



 ちっ!?

 いいい、今、舌打ちしましたかこいつは!?


 舌打ちしたいのはこっちだ、と言う代わりに睨み付ける。

 いくら好きな人だろうと、ムカつくものはムカつくのです。



「貧乳って言ったの! 取り消してください!」



 ひそひそと物申す。


 すると、



「……なぜです?」



 以上の一言のみ。

 目線は本に向けたまま、王子様は返事をした。


 やっと反応した!



「わっ、私は、貧乳じゃありません!」



 そう返せば、ページをめくりかけていた手がぴたりと止まる。



「……」



 ゆっくりと移動し、こちらに向けられる目線。

 お腹から制服のシルエットをたどるようにして上がってきたそれは、胸をじっと眺めると、



「……ハッ」



 ……鼻で、笑いやがりました。


 古い表現で今の感情を表すならば、むっきー!



「なぜ! 笑うんですか!」

「ひーんーにゅーうー」



 わざとらしく、嫌味ったらしく、再び言われた『貧乳』。

 そして、自称・王子は優雅に読書再開。


 私は怒り心頭です!



「貧乳じゃありません!」

「へー」

「Bカップあります!」

「貧乳」



 また! また言いましたね! これで3回目ですよ!



「貧乳じゃないです!」

「……はぁ」



 大きなため息と共に、パタンと本が閉じられる。

 彼が椅子の背もたれに体を預ければ、髪の毛も一緒にふわふわと揺れて。


 その瞳に、私が映された。



「君もしつこいですね」

「そうです! しつこいんです!」



 ぷんすかと怒りをあらわにしつつ言葉を返す。

 すると彼は、くすりと小さく笑った。



「何がおもしろ、」

「君が」

「え、」



 こちらに伸ばされる、綺麗な手。

 気付いた時には、それがぽんぽんと私の頭を撫でていて。


 今までの怒りなんか全て吹っ飛んでしまい、心臓が高鳴った。



「君が、面白い」



 向けられたその微笑みだけで「やっぱり王子様だ」なんて思ってしまうのです。



「僕に文句を言ってきたの、君が初めてです」

「……っ、あ、」



 なでなで、さらり。髪をすく指。

 ふわり、微笑む王子様。

 どきどき、どきどき。うるさい心臓。


 さっきまであんなに腹が立っていたというのに、



「面白いね」



 頭を撫でられただけでどきどきしてしまう私は、ゲンキンなのでしょうか。


 恥ずかしくて、頭の中がふわふわして。

 細められた瞳から、思わず目を逸らしてしまう。



「……場所、変えましょうか」



 ◇



 所変わって、裏庭へ。

 そこに着く頃には胸の鼓動もすっかりおさまっていました。


 とことこと、再び王子様の後ろをついて行く私。

 王子様は、特に何も喋りません。


 ……沈黙。少ししてから、



「それで?」



 設置してあるベンチに本を置きながら、口を開いた王子様。



「……それで、とは?」



 貧乳と言ったことについて、謝る気にでもなったのでしょうか?

 ははん、粘ったもの勝ちですね! と、少しだけ胸を張る。


 すると、王子様はふわふわと髪を揺らしながら、ゆっくりとこちらを向きました。



「さっきの告白、なに?」

「……えっ!?」



 今さら掘り返されるとは思っていなくて、『貧乳』の漢字二文字に支配されていた脳みそが熱を上げる。

 だって、「興味ない」と一蹴したじゃないですか。


 何と説明しようか、どう言い訳しようか、それとも誤魔化そうか。

 もじもじと手を動かし目線を泳がせる。



「……はぁ」



 王子の口から吐き出された溜め息。

 びくりと肩を跳ねさせると、彼の眉間にしわができる。



「女子生徒にストーカーされていると思ったら、いきなり告白されました」

「す……!?」

「さて、僕はどうしたらいいのでしょうか?」



 先生みたいに、腕を組んで威圧感を放ちながらそう言い放つ王子様。

 そもそも私はストーカーなんて、して……いた、かもしれない。


 少し泣きそうになりながら俯くと、耳に届く低い声。



「まず、僕と面識ありましたっけ?」

「ないです……」



 ええ、ありません。名前すら知りません。

 顔と声がとても好みで、読書が好きと言うことしか知りません。


 何度目かの王子の溜め息が聞こえ、さらに肩をちぢこませる。



「面識がないのに好きになるなんて、どんなおめでたい脳なんです?」



 逆に聞きたいです。

 なぜ私は罵られているのでしょうか。


 言われるがままなのは気にくわなくて、伺うように王子を見上げながら呟きました。



「……眠っている姿が……綺麗だなと思って、」

「はい?」



 ふわふわ、きらきらしていて、綿菓子みたいで。

 声も、甘くて。


 本を読んでいる姿が、まるで一枚の絵のようで。

 ページをめくる指まで綺麗で。



「……本当に、王子様みたいだったから……」



 気になりだしたら、目が離せなくなりました。

 いつの間にか図書室にいて、貴方の姿を探していました。


 気がついたら、夢中になっていたのです。



「……なるほど。君もあの噂を聞いて、わざわざ僕を見に図書室まで来ていた野次馬の一人ということですか」



 呆れたような声を出し、



「くだらない」



 冷たい目で私を見てそう吐き捨てた。


 ……くだらない?

 王子が好きで、会いに来ていた女の子が?


 私のことなど二の次で、その言葉自体に『怒り』という感情を思い出しました。



「王子を好きな人が、くだらないというんですか」

「ええ、そうです」



 彼はそう言って、トンと人差し指で肘を叩く。



「恋は! くだらなくなんてありません!」



 場所が変わったことで気を配る必要もなく、声を張り上げた。


 王子は少し驚いたように目をまん丸くさせる。



「人を好きなことは! 素敵なことです!」



 食らいつくようにそう続けると、彼はぱちくりとまばたきをした後プッと吹き出した。



「な、なぜ笑うんですか!」



 人が真面目な話をしている時に!


 王子は声を出してけらけら笑ってから、また私の頭に片手を置く。

 それだけで、顔に熱が集まった。



「お前、犬みたい」

「はい?!」

「ほら、お手」



 この人は私をバカにしているんでしょうか!

 いえ、確実にバカにしていますね!


 差し出された片手をぺいとはねのけ、頭上に置かれていた手も振り払う。



「犬じゃありません!」

「わんわんうるせぇ」

「なっ……!?」



 わざとらしい敬語がなくなると、途端に口の悪さが目立つ王子(仮)。


 あの喋り方はカモフラージュですか!



「あと、王子って呼ぶのやめてくださいね」

「でも、」

佐伯(さえき)



 名前を知りませんと言いかけた時、王子の声が重なる。



佐伯彗(さえきけい)



 さえき、けい……くん。



「も、森中(もりなか)彩花(あやか)です」

「あや」



 ぽつり、呟くように呼ばれた名前。

 どきり、跳ねる心臓。



「じゃあ、彩。僕に、その『恋の素晴らしさ』とやらを教えてください」



 ふわり、咲く微笑み。



「ずっとそばにいて……僕を、恋に落としてみせて?」



 そう続けた……佐伯、くん。

 告白にも似たその言葉は、



「……宣戦布告、ですか?」



 途端、ハッと鼻で笑い飛ばす佐伯くん。


 呆気にとられていると、ベンチに置いていた本を持ってどすりと腰かけました。



「答えは、ノー。違います」

「……でも、」

「思い上がるなよ」



 ふんぞり返るように背もたれに寄りかかり、優雅な動きで長い足を組む。


 見下すような眼差しを私に向け放ったのは、



「奴隷宣告、だ」

「ど、れい……?」



 佐伯くんの言葉に、本気で耳を疑いました。


 聞き間違いですよね。そうですよね。うん、きっと聞き間違いだ!

 仮にも王子様と呼ばれているお方が、いたいけな女子高生を捕まえて「奴隷だ」なんて言うわけが、



「そ、奴隷です」



 にこやかに繰り返され、思考回路がショート。

 モクモクと煙をあげます。


 奴隷とは、人間でありながら所有の客体即ち所有物とされる者を言う。

 人間としての名誉、権利・自由を認められず、他人の所有物として取り扱われる人。

 所有者の全的支配に服し、労働を強制され、譲渡・売買の対象とされた(Wikipediaより)



「……ちょ、ちょっと待ってください!」



 ようやく動き出した頭で反論を口にする。


 そんな私など知らん顔で、佐伯くんは本のページを開いた。



「奴隷なんて嫌です!」

「そうですか」



 目線もこちらにくれず、冷たい声で淡々と佐伯くんは話します。



「では、明日から近寄らないでくださいね。僕はそれ以外の名目で君をそばに置く気はありませんので」



 開いた口がふさがらない。

 奴隷になる気がないならそばに寄るな、と……?


 奴隷になるか、三行半を受け入れるか。

 その二択しかないだなんて……。



「ど、奴隷にはなりません!」

「では、」

「でも! そばにはいたいです!」



 拳を握りしめて訴えれば、佐伯くんはちらとこちらを見やる。


 そして、大きなため息を一つ。



「なぜそんなに粘るんですか」

「……だ、だって、」



 好き、だから。

 言いかけた言葉を唾と一緒に飲み込んだ。


 しばらくの沈黙。

 ただじっと私を見る佐伯くん。


 それからまた少しして、パタリとページが閉じられた。



「……」



 黙ったまま、組んでいた足をおろして。

 ことり、本を横に置く。


 生暖かい春の風が頬を撫で、佐伯くんのふわふわの髪を揺らした。


 あ、やっぱり綿菓子みたい。

 そんなことを考えていると、彼はゆっくりと立ち上がる。



(……かっこいい……)



 そんな単純な仕草すら、王子様は絵になって。

 すらりと伸びた長い足で、こちらに歩み寄ってきた。



「……」

「……っ、」



 反射的に後ずさると、背中にコンクリートの壁が当たる。

 じわりと染みる冷たさが、“これ以上後ろには逃げられない”と告げていた。


 佐伯くんは無言で距離を詰めてきて、



「――っ!」



 トン。

 顔の横に置かれた両手が、逃げ場を塞いだ。


 彼との間に距離がなくなって、ばくばくばくばく心臓が暴れる。

 佐伯くんの顔を見る余裕なんて、しゅわしゅわと泡のように消えてしまった。



(熱い)



 顔が、熱い。


 春には似合わない汗が背中にはりつく。



「……彩、」



 佐伯くんの声がとんと響き、私の名前をなぞった。


 返事をしなきゃと開いた唇は、ただ震えるだけで機能しない。



「ねえ、」

「……っ、」

「僕の言うこと、聞けない?」



 聞けない、聞きたくない。


 そう言いたいのに、覗き込む瞳がそれを許さない。



「彩花」



 ゆらり。2つの黒いビー玉が揺らいで、甘い声がまた名前を呼ぶ。


 そうしたらもう、何も考えられなくて。



「き……きけ、ま……す」



 それしか、言えませんでした。



「じゃあ、僕の奴隷になってくれる?」

「それは……っ!」



 弾かれたように顔を上げると、佐伯くんの指が私の顎に触れる。


 そのまま真っ直ぐに固定され、彼は唇が触れてしまいそうな距離まで顔を寄せてきた。



(ちか、い)



 だめ、近い。


 かかる息が、頭に思いついた文句を消してしまう。

 一瞬でふっと、たんぽぽの綿毛を飛ばすみたいに。



「返事は?」

「……は、い」

「いい子だね、彩」



 ふわり、微笑み。

 顎から離された手が、優しく頭を撫でる。


 けれどそれもほんの数秒で、すぐに意地悪そうな笑みを浮かべた。



「じゃあ、奴隷決定ですね」

「……へ?」

「いつまでアホ面してるんですか」



 ぎゅむと鼻をつままれて我に返る。


 そうだ……!奴隷なんてそんな、冗談じゃないです!

 そう言わなくては!



「ですから! ど、奴隷なんてお断りで、」

「彩」



 一度は離されていた距離が、再びなくなった。



「嫌、じゃ……ないよね?」

「え、あっ、」

「返事」

「……はい」



 返事を聞くと体が離れ、そこで改めてはっとする。


 ま、また! 流されてしまいました!



「や、嫌です! お断りです!」

「あのさ……」



 本を手にとり、首だけでこちらを振り返りながら佐伯くんは鼻で笑う。



「いい加減に、抵抗するなんて無駄だと理解したらいかがです?」

「なっ!?」



 惚れた弱味に漬け込んだだけじゃないですか! 最低です!


 佐伯くんは後ろ手にひらひらと手を振って「明日からよろしくお願いしますね、奴隷さん」と捨て台詞。



「奴隷じゃありません!」



 悔しい、悔しいです。


 何より、今だにどきどきと音を立てる心臓が……悔しい。

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