第3回 - 8月8日 - (前)
大学生の夏休みといえば、それまでの学生生活とはかけ離れた『自由』そのものな時間ではないだろうか。
さしたる課題らしい課題も出されず、元々持て余し気味だった時間はいよいよ平日と休日の境を曖昧にする。
太陽が出ているから今が日中であるということくらいしか脳が理解する情報はなかった。
1k9帖ほどの広さの学生マンションには生活に必要なものしか置かれていない。冷蔵庫の中を漁っても気の利いた料理を作れそうな材料らしい材料も見当たらない。
小腹が空いた程度の空腹に耐えるか否か。そうなると何か気を紛らわすものが必要になる。
去年の秋ごろに相場が置いていったニンテンドー64でもやって日が沈むのを待つか。手元にあるのはスノボキッズとテュロック。どうしてあいつはこうも微妙なソフトを選ぶのだろうか。
何度目か分からない飛び込みでベッドの上に寝転ぶ。YouTubeでテキトーにお笑い芸人のコント動画でも見ようか。芸人のインターネット進出もすっかり珍しくなくなってきた。TVとは違いCMに邪魔をされず、好きな芸人のネタだけを見ていられるというのもありがたい話だ。
と、今日の暇つぶしメニューを決め込んだところで端末の通知バーにチャット通知が1件届く。
『暇?』
なんとも簡素で我の強い問いかけだろうか。大方、9割はこっちが暇しているだろうという前提で向こうが話を進ませようとしているのがひしひしと伝わる。
さて何て返そうか。すぐ既読を付けて返信するのも負けた気がする。5分ほど置いてみようか、などと考えながらチャットアプリを起動して、そこでようやくこのメッセージの送り主が相場でないことに気づいた。
君嶋さんだ。同じ学科の女子。何度か一緒に課題のフィールドワークに出たことがある。
『めっちゃ暇。どうしたの?』
『今日、うち来れる?』
おいおいまじかよ。
これ、そういうアレなのか?そういうことだよな?
『行けるけど、何かあった?』
ここから君嶋さんのアパートは徒歩15分だろうか。脳内で道順を思い出しながらつい口元が緩むのを自覚して、それでも止めることはできない。
『このところ夜になると変で』
変?変とはなんぞや。
少し待ったがその先の言葉が返ってこない。こちらが既読無視していると取られかねない。とりあえず当たり障りの無さそうな言葉をフリック入力して送信ボタンを押す。
『体調崩した?』
『そうじゃないんだけど……』
じゃあ何だろう。とりあえず俺が一瞬でも期待をした流れではないようだ。
がっかりというものを今日ほどしっかり感じた日はない。深呼吸でもこうはしないだろうと言わんばかりの深いため息を吐きながらとりあえず靴下を履き、服を着替え寝癖を整える。
『とりあえず行くよ。少し時間かかるけどいい?』
そう送信すると俺はトーク履歴の上から2番目のアイコンをタップして通話ボタンを躊躇いなく押す。
少しのコール音の後、俺よりも暇を持て余してそうな気の抜けた声が返ってきた。
「うーい。お疲れ様でーす」
「相場、今からこっち来てくれ」
∮
相場を待つこと30分。大学最寄りの駅前ロータリーの日陰に入り太陽光の猛攻から身を隠していると一目でそれとわかる人影が視界に映った。向こうもこちらを認識したようで軽く手を挙げながら近づいてくる。
「随分と急な呼び出しじゃないの」
「面白そうだったから呼んでやったんだよ」
感謝しろよ、とまでは言わないが日頃こいつの課題を手伝ったり出席を手伝ったりしてやったことを考えると、感謝を受けるべきかもしれない。
「君嶋さんが夜な夜な変って話ねぇ」
「微妙に曲解するな」
「夜になると変ってことしか言ってこない君嶋さんが悪い。……つーか、俺来ちゃったけど大丈夫なわけ?向こうが呼んだのお前だけだろ?」
「そこは話をつけてある。相場が来ることを快く許可してくれたよ」
「そいつは嬉しいね」
相場と君嶋さんの接点は分からない。二人が同じ授業を取っていた記憶もないし、自分で言うのもアレだが二人の共通の知人は俺しかいないはず。しかし、俺が君嶋さんと初めて話して、次に話すときに相場がようやく君嶋さんと初対面だった。が、三回目に顔を合わせる時にはすでに両者は打ち解けていたようだった。だが特に一緒に出掛けたというような話も聞かない。それに遊ぶどころか連絡先も知らないという。なのにこいつは君嶋さんが家に上げても大丈夫と認定した男の枠に入っている。
考えても無駄だが、そういう関係にはとても見えない。そこがさらにこの二人の関係について色々と邪推してしまう要因だった。
「てきとーに酒とツマミでも買って行くか?」
と相場。
「どうせなんだかんだ言って宅飲みやって朝解散だろ」
「だと思う」
相場が鼻歌でMr.BIGの『Take Cover』を歌いながらコンビニへ入っていく。
夜。変。その二つが脳裏にずっと反響しあう音のように残り続ける。
何が変なのか。近隣の住人であればそう書くだろう。異音がするとかだろうか。でもそれも特に明記しないような理由ではない。
一体何が変なのか。思考の沼にハマりそうになり、首を横へ振って無理やり考えを切り替える。
行けば分かる。どうせ何かを幽霊とでも勘違いしている類だろう。
「なぁ、これ持っていこうぜ!」
相場はそう言いながら目を輝かせて俺に大五郎の4Lボトルを見せてきた。
「お前本当に後先考えないのな」
思考を切り替えた直後のつっこみはいつもより鋭い気がした。