ささやかな願い
「……あの、リヒト様」
「なんだい?」
ライトが部屋を退室したのち、その場に残ったレドはこっそりとリヒトへ声をかける。
「まず、僕も学校へ通わせていただけること、大変感謝致します。けれど、ひとつだけ、お願いがございまして……」
「おや、なんだろう」
「できれば、ライト様とは別のクラスにしていただきたいのです」
「それはまた、なぜ?」
「たしかに僕がいればライト様も安心でしょう。しかし、新たな級友や思い出をつくるには、身内側の人間である僕は離れるべきだと思うのです」
どこにいても家の者がべったりしていると、ライトの周囲の学生も、ライト本人との距離を計りにくいだろう。
いまの彼に必要なのは、家柄もなにも関係ない純粋な友人だ。たとえば、ライトを身分家柄関係なく、ひとりの人間として接してくれるような。
そんなレドの言外の意味も理解したのだろう、リヒトは眉尻を下げて安心したような表情を浮かべた。
「きみがライトの世話係で、本当によかったと思うよ」
「え?」
不意に褒められて驚いてしまう。いまの発言のなかで、特別なことはなにも言っていないはずなのに。
ぱちくりと目を開くレドの反応を面白がるように、リヒトは眉尻を下げた。
「単純に側に仕えるだけじゃなく、ライト自身のことも考えて行動している」
「いや、そんな、あたりまえのことですよ。僕はライト様に仕える者の立場ですから。」
「……そうか、あたりまえかあ。なんだか、きみのお母様やおじい様を見ているようで、嬉しくなるよ」
「………………ありがとう、ございます」
出てくると思わなかった人物が登場したけれど、レドはいまいちピンとこなかった。
たしか自分のおじい様は、かつてリヒト様のお父様に仕えていたのだっけ。憧れのひとではあるけど、実際にはどんな人物かはあまりわからない。
だがリヒトはその面影をレドに重ね、真面目な口調になって言った。
「聡明で清く正しいレド、これからも、僕の息子をよろしく頼むよ」
「! …………、はい。精進してまいります」
主人の父親直々のお願いに、深々と頭を下げる。
真剣な眼差しでレドの返事を聞いたあと、一転してリヒトは悪戯を思いついた少年のような瞳になった。
「それにしても、楽しみだなあ。当然ずっとレドが自分にくっついてると思いきや、実はまったく別のクラスになってるってオチ。これはライトも怒るだろうなあ」
「へ?」
話の方向が急激に飛んで気の抜けた声が出てしまった。
それに構わずリヒトはにやけている。
「だってあいつ、レドがいなきゃやだ〜って駄々こねてただろう」
「駄々……」
「最後は得意気に僕をまるめこんだつもりだったようだけど、どうやらこちらが一枚上手のようだ」
ちらり、と視線を向けられる。ライトの理詰めの言い分を可愛いわがままのように表現できるのも強烈だが、リヒトの楽しそうな様子もなかなかに圧巻であった。
「いえ、僕は別にそんなつもりは……」
「わかってるわかってる。ライトを思ってのことだろう。だが、……っふ、あいつ、絶対悔しがるよ……、ふふ」
ライトもライトで横柄という問題があるが、その父親も父親だった。
ひとしきりその場で小さく笑った後、複雑な表情のレドに向き直り、あらためて口を開いた。
「ありがとう、レド。僕はね、きみもライトの世話をするだけじゃなく、ひとりの学生として、これからの毎日を楽しんでほしいと思ってるよ」
そっと頭を撫でられる。どこかの記憶にある、はっきりとは思い出せない懐かしい感触。いつぶりだろう。
ひさしぶりに感じたひとのあたたかさに、レドは嬉しい気持ちと、なぜか泣きたいような気持ちになっていた。
「きみにも新たな出会いと喜びがあることを願って」
窓から射す西日が、優しくレドを包んでいた。