都立ハイドランジア学園
「それでは、また放課後に迎えに参ります」
「ああ、わかった」
多くの学生であふれる校門をくぐった先の廊下で、軽く言葉を交わしてライトと別れる。
都立ハイドランジア学園。ここは王都一の規模を誇る学園であり、同時に都市に住まう十代後半の貴族たちが、将来に必要な教養や体術を学ぶために日々通っている。
なかには少数派であるものの、庶民階級ながら各分野にて優秀な成績を修める生徒もいる。
本来であれば専属の家庭教師がついているライトが学園に通う必要などないのだが、一年前、ライトの父であるリヒトが彼に入学を勧めていたのだ。
「あと数年したらおまえも一人前の貴族として立派に振舞わなければならないだろう。だが知識があれど、人間関係が希薄な者は何も得られないものだ」
ある日の昼下がり。リヒトの自室にいきなり呼ばれたかと思うと、ライトと同じ深い黒髪の彼は切り出した。そのまま、いつも温厚な目元をわずかに緩めながら続ける。
「そこでどうだろう、三年間、学校に通うというのは。きっとおまえにとって、知識以上に大切なものを築けるかもしれない」
「……父様がそう仰るのなら、従いましょう」
突然の提案に対して、とくに反抗することもなく、あっさりとライトは受け入れた。
「いや、そんな堅苦しく捉えることでもないな。なに、まあ、いろいろ経験するのも大事だということだよ」
リヒトは優しく微笑みながら言った。おそらく、彼は今後不自由になっていくひとり息子に、いまのうちに少しでも年相応な暮らしを送らせてみたかったのかもしれない。なにせ小さい頃からライトは常に部屋にこもってなにかしら学んでいたし、自ら興味をもつ事柄も人間もいなかったのだから。
もしかしたら新しい世界を知った先で、新たな友人と呼べる存在ができるかもしれない。横で控えていたレドもつい親のような視点で喜んでしまう。だから、完全に油断していた。
「ただ、僕が学校に通うのならば、当然レドも共にして構いませんよね」
「……………………ライト様?」
いやいやいや、それはどうなんだ。向かいのリヒトをちらりと見やる。ほら、目、見開いてるよ。
呆然と固まるレドとリヒトのことなど気にせず、彼はつらつらと言葉を並べていく。
「レドは幼い頃から僕の世話をしてくれている、いわゆる一番の理解者です。新たな環境に赴くのであれば、彼を連れていって問題ないどころかむしろ助かることこの上ないでしょう」
「……ほう」
「万が一僕に何かあったとしても、側にレドが居るなら父様も安心でしょうし」
「……うむ」
「レドが見ているならまず粗相をしてしまうこともないはず。なんなら僕の学校での生活も客観的に観察、報告も可能ですよ」
「あー……、レド、きみはどう思う?」
まさかここで話を振られるとは。
基本的にリヒトは優しい。だがそれゆえに、いつもレドの意見にも耳を傾け尊重してくれる。現に、息子の言い分に丸め込まれつつも、最終的にはレドの考えを訊いてくれるのだ。
「僕は……、ライト様に仕えることが仕事ですので、いついかなるときでも職務を全うさせていただく所存です」
「父様、これで問題はないでしょう」
「ええ……、本当に、いいの?」
「はい。それに、僕も一度、学校という場所で学んでみたかったので。夢が叶って嬉しいくらいです」
「父様? 何ひとつ、問題はないでしょう」
「…………ううん、じゃあ、本人も良いって言ってるしなあ」
最後はそんな簡単なノリで入学が決まった。同時に、その場では表情に出さなかったものの、レドは内心かなり喜んでいた。
学校、かあ。
もともとジャンル関係なく、あらゆる知識を勉強するのが好きだったこともあり、学校に通うのは密かな憧れだったのである。知らないことを好きなだけ学べる環境。まさか、実現するなんて。