フランダー家とキャンベル家
ライト・キャンベルとレド・フランダー。この二人が現在の主従関係であるように、何代も昔からキャンベル家の側に生涯を懸けて仕えるのがフランダー家のしきたりだった。それは絶対的な決まりであり、たとえ次世代に仕えるフランダー家の子が息子だろうが娘だろうが完全に覆らない事実だ。
そしてかくいうレドの母、シアンも現役でキャンベル家に仕えている世話係であった。
「レド、世の中は結構理不尽よ」
レドがライトに仕えることが正式に決まってから、シアンによる熱心な指導が幕を開けた。
「女ってだけで下に見られるのなんてしょっちゅうよ。どんなに秀でたものがあっても、その時点で見くびられる」
シアンはまるで刷り込むように同じ言葉を繰り返し、娘は母の言葉を聞きながら武術も勉学も、作法も、あらゆる分野の知識と経験を吸収していった。
「体格差があるなら小回りが利くように、体力差があるなら誰よりも速く動けるように」
性別というハンデを抱え、数年を半ば意地のように過ごす頃には従者として申し分のない能力が身についていた。おまけに腹筋も割れた。
仕上げに一人称も変え、完全に少女の面影も消すことにする。
「私は、ぼく、は、……僕は、レド・フランダー」
姿見と向き合って呟いた。
レドの性別はキャンベル家とフランダー家の血縁者しか知らない。だからこそ、世間には徹底的に「フランダー家の息子」として生きていくことを決意した。
当初、滞りない業務遂行のため、肝心の主人であるライトには女であることを黙ったまま男として仕えるつもりだったのだが。
「お初にお目にかかります。本日より、ライト様の世話係をつとめーー……」
「おまえ、女だろう」
「なっ、」
初対面、挨拶も交わしきれないまま彼ははっきりと言った。人間ふたりしかいない広い彼の自室に、間抜けな自分の声だけが浮かぶ。思わず素が出てしまうほどに狼狽えてしまった。
「世の中は結構理不尽よ」。ふと、母の言葉が頭をよぎった。また、自分は女という記号でこれまでの時間も努力も簡単に踏みにじられるのだろうか。
苦々しい感情を押し込めて手に力をこめる。呑まれてはいけない。顔を上げ、相手の瞳を強く見つめた。
「……失礼致しました。はい、たしかに、僕は男ではありません」
さあ、どこからでもかかってこい。こっちは周りから散々言われて見られて慣れてきてるんだから。むしろこの目で、言葉で、確実に射抜いてやる。
しかし意外にも、相手の返答は「そうか」のひとことしかなかった。
「…………、あの、僕は男では、ないのですが、」
「聞こえている。だから、そうか、と言ったろう」
「……えぇと、自分で言うことではありませんが、その、…………ほかに、何かないのでしょうか?」
「? 質問の意図がはかりかねるのだが」
拍子抜けしたにしても、我ながら馬鹿な発言である。
ライトは本当に意味がわからない、といった表情で首を傾げた。「おまえ、働けるのか」
「それはもちろんです。身の回りのお世話をはじめとして、用心棒も仕事のサポートも、雑用もこなしてみせます」
心からの本音だ。そのために、鍛錬を続けてきたのだから。それはこれからも変わらない。這いつくばって歯だって噛み締めて、誰もが口をつむぐほど絶対に強く生きてやる。
「なら構わない。優秀ならそこに男も女も関係ないだろう。とりあえず今日はもう下がれ」
何を考えているかわからない無表情でそれだけを述べ、ライトは部屋の机に向かった。
「だが、俺は、どんくさい奴は嫌いだ。それだけを覚えておけ」
「ーーはい、かしこまりました。では、失礼させていただきます」
椅子に腰掛け書き物をはじめている背中に深く礼をし、レドは音を立てずに部屋を出た。
その日から現在に至るまで、一分の隙もなくレドは完璧な従者として主人に仕えている。