8話 : 這い上がる者
「何? 装飾が弾かれて融合できなかった、だと?」
教官用にとあてがわれた部屋の中、マサヨシはデンスケとアキラから相談された内容を聞いて耳を疑っていた。補助装飾の話もそうだが、何度も心石を壊した経験があるという事実が信じられなかったからだ。
ベテランの狩人であるマサヨシは、心石破砕の場に何度か立ち会ったことがあった。その光景は耐性がある戦技者であっても少し思い出すだけで顔が青ざめる程で、マサヨシも例外ではなかった。
アキラはマサヨシの顔色が変わったことに気づくと、どれだけ痛いのかどうしても知りたくなった。未知のままで置くと、余計に恐怖が募ると思ったからだった。
「痛みの程度か……破砕を経験した者曰く、シモのタマを蹴り上げられる感覚の、ゆうに100倍以上だそうだ」
タマはタマでも魂を直接蹴り上げられたかのように感じるらしい。マサヨシはそう言いながら、嫌そうな顔をしていた。自分の芯の芯を、根底の底の底まで抉られ捻られる感覚を上手く説明できる自信はない、と告げた友人の恐怖に染まった顔を思い出していたからだ。
公にはなっていないが、破砕経験者の職業復帰率は2割を下回っている。マサヨシは知人の組合員から現場の悲哀として話を聞いていた。恥も外聞もなく、もう二度とあんな想いをしたくない、と言い残して引退をする者がほとんどで、死亡・身体欠損の大怪我に次ぐ引退原因であると。
「無色であるが故の特異性か……ひとまずはそれで納得しておくが」
とはいえ無視できない短所だな、とマサヨシは深刻な表情で考えていた。後衛の使い手は方陣術を購入するに金がかかり、発動速度向上や範囲拡大といった補助装飾を施すのに金がかかり、術技変化の研究や、威力向上の装備である術技媒介に金がかかる。前衛が使う武技の類とは異なり、修行よりも道具を用いる方が圧倒的に手っ取り早いのも原因だった。
一方で、前衛担当の使い手も後衛ほどではないが、資金が必要になる。特に腕力向上、武技関係の向上は分かりやすい“資格”であり、レベル3以上ともなれば持っているだけで組合や各チームから一目置かれる存在にもなる。装飾の有用性もそうだが、購入できるほどに実戦に出て戦い、生き延びて金を稼いだという戦歴の証明にもなるからだ。
装飾ゼロの者というのは「今まで何をやってたんだこのグズ」扱いされる。能力的なこともそうだが、周囲からの評価という点においても洒落にもならないデメリットになる。
「でも、無理なもんは無理だしな」
「研究はすると、装飾師自身が言っているんだろう? なら、後は待てば良いだけだ」
「それはまあ、そうッスけど……ちょいちょい、終わらせんといて。オレとしては、あの装飾師さんの出自とかが気になってるんだけど」
「深追いはするな、以上だ」
端的だがこれ以上ない回答を聞いたアキラは、やっぱりかと呟き頭を抱えた。時に心石の色は変わることがある。使い手として成長すれば深みを増したり、彩りが鮮やかになる場合もある。だが、金と銀を帯びる色は特定の家系にしか現れないのだ。
継承という技法がある。先祖代々、その儀式を何百年も続けてきた家のみ、真なる貴色を輝かせることが可能になり、成した者を貴族と呼ぶ。勇者連合の筆頭戦力候補であり、アキラをして全力で係わり合いになりたくない出自の者だった。
「なに、そう心配することはない。知り合いの知り合いからの紹介で、その程度の繋がりしかない。が、色々と頼まれていてな―――ちなみにだが、何か気づいたことはあったか?」
「うーん、なんつーか昔風で言う貴族っぽいっつーか。人に命令をするのに慣れていて、それを聞いてくれるのが当たり前だと思ってる節が」
思い出したように取り繕うが、見る者が見れば一発だ。デンスケは諸々の事情を置き去りにして、尋ねた。
「追手とか護衛とか、そういう人間は居ないんだよな? 力ずくに口封じされる可能性も」
「無い、とは聞いている。少なくともこのスクールに手出しはさせんよ」
「なら、気にすることはないか」
出資者の一人として頑張ってもらおう、とデンスケは頷き口元を緩めた。マサヨシは深く追求せず、厄ネタからは距離を取った方が良いと思うんだけど、とアキラは呆れた。
「でも、ちょっと困るな。剣技とか腕力の補助とかいう、胡散臭い効果を実感したかったんだが」
「うさんくさ……間違っても装飾師の前で言うなよ」
ため息をつきながら、マサヨシは教官として説明をした。
技能の補助は過去に名を馳せた人物の技をトレースする装飾であるということ。レベルが上がれば伝説にもなった人物の動きに近づいて行き、レベル5にもなれば巨大な岩をも一刀両断出来る太刀筋を身につけることが出来るという。
「と、それがキャッチフレーズだな。実際は少し違うが」
地力が足りなければ振り回されるだけになるという、あるいはもっと最悪の事態も。だが、コントロール出来る範囲で補助をつければ、大幅な修行時間の短縮になるらしいとマサヨシは告げた。
「ふーん、モデルになった人が居るんスか」
「有名人がな。脅威度9の空トカゲを戯れの一刀で切り落とした、という程度の逸話なら、枚挙にいとまが無いらしいぞ」
それは別として習得するのには金が居るが、とマサヨシが言う。
金か、とデンスケは沈痛な面持ちになった。
「いつだって問題になるのは金だな」
「ああ、金だ。時は金なり、金は時なりだ」
多種多様な戦闘技能を身につけるには、戦技者の人生はあまりにも短い。手を増やすために金に頼るのも一種の方法だと、マサヨシは拝金主義者が言いそうな謳い文句を諳んじた。
「性格、才能、体格に合ってなければ2流3流で終わるんだがな。そういった、自分にあった戦術を見つけるのも戦技者の仕事だ」
「……ちなみに教官が修めている武具系統の技術は?」
「短槍だ。心石を変異させたものを使っているが、取り回しが良く、術式行使にも役立つからな」
マサヨシは自分が本気を出す時に使う武器を説明した。屋内や閉所でも突き、払うことが可能で、時には杖として方陣術や防御障壁の精度を上げることも可能で、攻防共に優れた、特化していない自分に適した武器であることを。
心石を変異させた武具は破砕というデメリットがあるが、心石周辺に強力な障壁を張りやすいというメリットもある。短槍はそれに加えて、突き出して展開すれば放射系の方陣術の命中精度を上げることができるという利点もあった。
アキラはマサヨシの自慢げな説明を聞くと、思い切ったように一歩前に出た。
「あ、あの! その、僕にも短槍の扱いを教えて欲しいん、です、けど」
「なに? ……そこの戦闘巧者に教わらない理由は」
「駄目だって断られました。絶対に向いてないからと」
「第一志望が無理だから第二志望を、という訳だ」
図々しいな、とマサヨシが告げるが、アキラは「はい」と頷き肯定した。手段を選んでいる余裕なんてないと、真剣な表情で。
「だから俺の技術を寄越せと?」
「……はい。今の僕に必要な技術と判断しましたので」
卑屈にならず、理由を語ったアキラをマサヨシはじっと見つめて観察した。それから10秒間、視線を逸らさなかったアキラに、分かったとマサヨシは答えた。
「基本は教えよう。後は実戦の中、独学で努めろ………補助装飾のモチーフもない、地味な技術ゆえに、これから苦労することになるが」
マサヨシが脅すも、アキラは望む所だと答えた。ならばそれ以上に必要なことは無いと、マサヨシは個人レッスンの件を了承し、予定について伝え始めた。
「言っておくが、遅刻だけはするなよ。その時点でレッスンは終了にする」
「了解!」
「馬鹿者、目上の者に対しては承知しましたと答えるんだ」
「合点承知!」
「お前じゃねえよ」
デンスケのちゃちゃ入れに思わず素になったマサヨシはすっこんでろ、と告げると頭痛を堪えるように眉間に皺を寄せた。
「……取り敢えず、こっちの阿呆に色々と言いたいことが出来た。四方、お前は退室しろ。ああ、レッスンは明後日の18:00からとする」
マサヨシが告げると、アキラは承知しましたと頭を下げると、駆け足で去っていった。その背中を見送った後、マサヨシはため息と共にデンスケを睨みつけた。
「囃し立てたのはお前か。いや、お前以外にそんな残酷な奴は存在しないな」
「必要だったからッスよ。諦められない理由があるって聞いちまいましたし」
四方明という心石使いに対する2人の見解は同じだった。長生きするに絶対に必要な素質がないこと。生き汚い部分がなく、必要となれば誰であっても刃を叩き込めるという性質を持ち合わせておらず、そんな自分を肯定する傲慢さも持たないこと。細かな解釈の違いはあるが、まず真っ先に修羅場で死ぬ類いの人間であるという結論は、完全に一致していた
「それに、オレにはアキラに恩があるんスよ。本人は自覚してないかもしれないッスけど、オレは助けられたんです」
「……成程? お前、顔に似合わず律儀だな」
「逆ですよ。平凡顔の凡人だからこそ、親切にしてくれた人の事は忘れないんです」
デンスケは思う。どうでもいい人間が死ぬ風景を見ても、少しショックを受けるだけで、翌日には変わらない日々が流れるだろう。だが、少なくとも自分に関わった人間が―――しなくてもいい親切を贈ってくれた人が無残な肉塊になるのは、少し堪える。
自分のためですよ、とデンスケは意趣返しをした。
「後味悪いのも、痛いのも。オレはどっちも嫌いなんです。できれば普通に……楽に笑って。約束のためにちょっと辛いことを飲み込みんで、後はダラダラと生きていきたいんス」
「心石破砕を経験した者が吐く言葉ではないな」
マサヨシはデンスケの人物評価に、新たな一文を加えた。情に厚いという訳でもないが筋は通す律義者(仮)で、偏屈な怠け者志望と。
「勝手に人のことを生徒の餌にした教官が吐く言葉じゃないッスね」
「……なんのことだ?」
「生徒の中に刺激物を生み出して、反発させることで成長を促す手腕は見事だなぁと思っただけッス」
模擬演習に自分を参加させた理由について、デンスケは何となくだが分かっていた。優先的に打倒した2人の才能は本物だった。地元では負けを知らず、同年代で適うものは居ない、そんな所だろう。
才能ある者は誰かが折らなければ、いつまでもその鼻を伸ばす。同時に、危機感を煽る意味でもデンスケの存在はうってつけだった。
「オレが律儀って? アンタの方が律儀ですよ。プライドも高い。良いように踊らされた事に、いつか絶対に気づく。恨まれる所までは行かないかもしれないけど、陰険な野郎だって嫌われる」
「望む所だ。教官の価値は“いかに生徒を傷つけずに嫌われるか”、これに尽きる」
マサヨシは胸元にある煙草を取り出し、火を点けながら笑った。人間は優しくされた事よりも、嫌な想いをした時の出来事の方がずっと覚えているものだ。
その嫌な記憶に連動して自分が教えた内容を思い出してくれれば、それを活かして生き延びてくれれば仕事は果たせたと胸を張れる。そういう所が分かっていないと、マサヨシはスクールの上層部を堂々と批判した。
「責任を負うのが怖いのかもしれんが……お上品にヨシヨシされて人が育つと思ってるのかね」
「美人なら育ちますよ、別の所が」
「抜かせ。……痛い目にあえば、そうそう忘れんし反省するものだ。そういう意味では、貴様は教え甲斐がないな。図太いせいか、痛みに鈍いからか」
助手がせいぜいだとマサヨシが告げ、デンスケは嫌そうな顔をした。
「タダ働きはごめんですよ?」
「そこら辺は俺も同感だ。隣のクラスの教官モドキは尊敬するよ、長々と時間をかけてタダ同然の仕事しかしていないんだから」
デンスケとマサヨシは笑いあった。そこに、校内放送が入った。マサヨシが呼ばれ、次にデンスケの名前も読み上げられた。
「―――と、いうことで付き添いを頼んだ」
「んめー棒のコーンポタージュ味を10本で引き受けましょう」
「あー、面倒くさかった」
デンスケはスクール上層部が開催した、説教という題目の“俺様が言うことは絶対に正しいんだぜ大会”の感想を一言でまとめながら、夕暮れの廊下を歩いていた。
どうして自分が正しいという結論から抜け出せないんだろう。デンスケは考えつつも、自分も他人のことは言えないか、と自嘲しながらやや薄暗い校舎の中を歩いていた。
1階の廊下の窓からは、グラウンドには訓練に励む生徒の顔がよく見える。その中には方陣術法を起動直後に潰されて落ち込んでいた女子生徒の姿もあった。周囲の仲間と真剣に意見を交換しあいながら、教官に言われたであろう忠告を活かそうと必死に頑張っているように見えた。
そんな眩い光景を横目に眺めながら廊下を歩いているデンスケは、前方にこちらを待ち構えている2人の姿を見つけた。
既に、準備は完了しているようだった。デンスケは冷静に、2人を見据えた。緑の心石に、青の心石。剣と槍、形状の違いはあれど、2人の表情は同じだった。自分の敗北が理解できない、と言った類いの感情が含まれているという点に置いてのみ。
「で、闇討ちかい?」
「違う! ……おい、1つ聞きたいんだけどよ無色」
デンスケは一般的には差別的な呼び方をされているという自覚はあったが、全て無視した。どうでも良い類の人間には、欠片ほどの興味も持たない。エリルから、唯一の欠点だと指摘された自分の短所だが、デンスケは治す気はなかった。
その範囲から幸いか不幸か外れている2人は気づかず。ただ、デンスケが緊張していない様子を察した青の槍使いことミツハルが目を細くしながら問いかけた。
「貴様、俺達を舐めているな?」
「ああ、うん。舐めたくないです」
「……そういう反応をするのが、俺達を舐めている何よりの証拠だ」
「否定させてもらう。旨味か甘みがあるなら舐めるけどな」
刃を手に戦うならば、誇り高い悪党か、殺すべき邪悪が良い。命を賭ける価値を見いだせる程の、正しくて格が上の者が良い。炎染みた敵意を抱く相手にも、相応の殺意があれば納得できると、デンスケは考えていた。
その基準から考えて、今の目の前の2人ははっきりとして敵意さえ抱いていない、焦燥感と現実逃避と自己肯定に努めたいという甘えのみ。舐めた所で腹を下すだけだと知ったデンスケは、ため息をついた。
「で? 再戦を希望とか、そういうあたりだろうけど」
「!? 鋭いな、やはり油断はできん相手か……!」
「てめえは遠回しすぎんだよ。無色、いいからさっさとグラウンドに来やがれ!」
「え、嫌だけど。あと30分でアキラ先生の料理教室が始まるし」
予想外の返答に、トシユキとミツハルが硬直した。
機なり、とデンスケは畳み掛けるように告げた。
「そんな事してる暇は無い。だって金が無えし」
「は? 助成金があるなら、いくらでも」
「ないんだよぶっ殺すぞクソが」
思わず漏れたわりかし本気分が含まれた殺気に2人が怯んだ所を見逃さなかったデンスケは、マウントを取りにかかった。
「3500万円! 借金! 返さなきゃ何をされるか分かったもんじゃねえんだよ!」
「え……お、お前、そんなに? マジでか」
「何をしたんだ、何を……だが、冗談の類には見えん」
トシユキとミツハルの目に哀れみが生じた。デンスケは思った。これマウントっていうより底辺争いだよね、と現実逃避をしながら。
「と、いうことで再戦希望なら依頼を出すこと。大負けに負けて一戦2万から」
「は、はあ!? 模擬戦程度で金取るのかよ」
「だから金ねえし時間ねえって言ってんだろダボが」
本気混じりの演技に2人は気圧された。デンスケは甘いな、と言いつつも自分の発言の7割以上は割と本音だったことに気づき、遠い目をしそうになっていた。
「そういう事でヨロシク。あ、依頼なら食堂に出しといてね」
最低限のことだけ告げると、デンスケは走り逃げていった。しばらくして追ってこないことを確認した後、デンスケは安堵のため息をついた。
『やはり、正面からでは分が悪いか?』
(真正面からの力比べなら、互角で済むと思うけどな)
あの2人が地元で経験してきただろう、相互理解を目的とする力と力のぶつかり合い、強さ比べなら負けはしないが、楽勝には程遠い。
デンスケは羨みを覚えた。純粋だな、と2人の心石武具の輝きを思い出しながら。
(この先、道が交わることはないだろうな)
力を土台にして相手への理解を深めるよりも、力による否定こそが戦いの本質だと気づけないのであれば。ジャッカスは何も言わず、それが答えとなった。
(それもいいだろ。あいつらは、あいつらなりの答えを見つければいい)
『……それもそうじゃな』
(そういうこと。今は、明日の課題より今日の晩飯だって)
アキラ監修の元、豚肉の生姜焼きもどきを作る約束をしていたデンスケは、こちらの世界に戻ってきた時以来のはしゃぎようを見せていた。
『―――いつまでもお主らしく、か』
(え、何か言った?)
『なんでもないさ、デンスケ』
ジャッカスの声は誰に聞こえるでもなく、デンスケの足音だけが夕暮れの廊下に響き渡っていった。