7話 : 飾れない男
「心石の3大能力の1つ、法則歪曲。これを使っている所を見たことが無い者は居ないだろうが、説明はしておく」
1つ、心石にストックした方陣に一定の心素を流し込むことで完成する“方陣術”。
2つ、心素を燃料に、強い言霊で効果を成立させる“言語術”。
3つ、方陣と言霊をバランス良くかけ合わせることで複雑な効果を生じさせたり、従来では考えられないほどの大威力を出すことが出来る“心言魔法”。
「主に使われているのはこの3つだ。方陣術法は各地域の専門店で販売している。購入後は、カスタマイズすることも可能だ。自分で1から作り出すことも出来るが、高い技術、知識とセンスが必要になるため、おすすめはしない」
最低でも10年の研鑽を積まなければ難しいだろう、とマサヨシは告げた。
「中には心素をそのまま方陣状に展開する者も居るが、あまり現実的ではない。リスクも大きいし、効果的ではないからな」
便利な道具を使え、とホワイトボードに描かれたオオサカの地図のあちこちに点がつけられていった。
「―――この通り、方陣ショップは各居住区に存在する。ラインナップは地域によって様々だが、実に多種多様だ。原因は、周辺の狩場に出没する害獣に適した術法に偏っているから等……まあ、色々だ。見るだけで勉強になるため、機会があれば優先的に立ち寄っておけ。その価値はあるぞ」
方陣術法の長所は速射性に優れること、習得に長時間を必要としないこと、少ない心素でも確かな効果を得られること。長年の研究で効率化が進んだ結果、言語術法を上回る利便性を持つようになった。
「弱点は………昨日の演習中が正にそれだ。方陣の規定に無い心素を強引に混ぜられると術式が失敗、反作用が起こる」
マサヨシは告げた直後、失敗をした女生徒を睨みつけた生徒と、馬鹿にしたような笑いを零した生徒が出た。マサヨシは予想はしていたが、と呆れた顔のまま用意しておいた石礫を投げた。スコーンと軽快な音が鳴り響いた後、2人の生徒がもんどりうって倒れた。
「いちいちくだらないことしか出来んのか、未熟者共め。言っておくが、俺は昨日の失敗を問題にはしていない。逆に感謝を捧げて良いぐらいだ」
「え……でも、私は基本的な注意事項も忘れて」
「逆上したのは拙いが、注意を怠った結果がどうなるかを実地で学べただろう。周囲の者達もだ、死なずに痛い目を見れた。得難い経験になった訳だ」
次に活かせなければ本当の愚か者だが、とマサヨシは女生徒を見据えて告げた。
「必ずと言って良いほどついてまわる問題だ。方陣の起動直後であれば暴走したとしてもほぼ無傷で済むが、規模の大きな方陣であれをやられると普通に死ぬ。そのための対策の方法は色々とあるが……分かるか?」
今の貴様ならすぐに思い浮かぶだろう、と。
問われた女生徒は慌てながらも、すぐに答えた。
「は、はい。干渉を防ぐため、方陣を剥き出しにせずに障壁を盾のように展開して―――あ、でも術の妨げになっちゃうし」
「そのあたりは創意工夫が基本だが、幸いにして何百万人もの後衛術士が築いてきた知識がある。まずは自分で考えることが前提だが、考えをまとめた後で俺なり地元の先任にでも聞けば良い」
「は……はい!」
「他の者もだ。方陣の暴発は唯一の短所だが、その対抗策を他の先任が考えていない筈がない。どうなるのかを学んだら、次は反省と対策だ」
これからの授業はそれが基本になる、とマサヨシはホワイトボードにPDCAサイクルと書き込んだ。
「模擬戦とは、グラウンドの上で行うだけじゃない。P・D・C・Aをする。机上で繰り返すだけで、金をかけずに戦闘力を上げられる手法だ。………ただでさえ後衛術者は金がかかる。補助装飾が必須とも言われている役割だからな」
マサヨシは苦い顔で、そういった者が居ることも知っておけ、と後衛術者以外の者に視線を向けた。
「補助装飾だけに金をかければいい前衛オンリーの使い手とは違う役割を持つ者が居ること。それを認識するだけで、チームの解散率は5割減る。才能の差はあるが、それはケースバイケースだ」
特に心言魔法にまで至った者は、1つ上のクラスとして扱われる。害獣の暴走に際しては緊急収集が義務付けられる。報酬は一桁か、場合によっては二桁違ってくる。だが、報酬を得られた当人が快活な笑顔を浮かべることは少ない。その域に至るまでに積み重ねた借金返済するため走り回っていた、という者の方が多かった。
「言語術法に関しては、使い手の数が少なくなっている。センスも必須ということで、更にだな。学びたい奴は隣の研究棟へ行け。言語術法を専門に学んでいる奴もそうだが、装飾技術者も居る」
「え……でも、研究棟に居るのはまだ学生の技術者なんですよね?」
「その通りだが、料金は驚くほど安いぞ。……ここだけの話だが、卒業後にも同じ悩みを持つ者が出るだろう。正規の認可を取っている者ほど、中央府に払う税金が多くなる。必然的に料金も高くなる訳だが―――」
年々税金が高くなっているせいで、正規の術者ばかりを頼っていると生活が成り立たないという戦技者が多くなっていた。信用は抜群だが、効果に見合っていないと苦情を言う者が増えてきたのだ。
そのため、本当に重要な装飾以外は在野の―――中には本物の天才も居るが、口だけのクズも多い―――装飾屋を頼む者の方が多くなっていた。
「目利きが必要になってくる訳だ。その目をここで学べばいい。悪質な者は入学の時点で弾いているから、最悪でも多少の損をするだけで済む」
実践的な教えに、生徒達は黙って頷いていた。デンスケはその光景を見て、先日のカマシが効いているな、と内心で頷いていた。荒っぽいが確かに大きな効果が出ていると、教官に関心していた。
その一方でデンスケは、初耳過ぎる単語を前に真顔で疑問符を浮かべていた。
(―――装飾、っていうか補助ってなんだ)
「えええ!? デンスケさん、補助装飾付けてないの?!」
「というか、さっき初めて聞いた。……なんだ、そんなにおかしいか?」
『そのようじゃな。まるで化粧道具を持っていないオナゴを見る目じゃぞ』
(例えが分からん。つーかなんで乙女目線だよ)
デンスケは研究棟の中を歩きながら、意味不明だという顔をしていた。支給された灰色の戦闘服は使い込まれたもので、ぱっと見は歴戦の使い手に見えないこともない。だが、目立った凹凸のないデンスケの顔のせいでアンバランスな印象が強まり、仮装しているようにも見えた。
(つーか、建物古いな。罅多いし)
築年数で言えば、先程まで居た棟の方が研究棟より新しく思える。爆発が起きたように見える跡もあり、デンスケは新進気鋭の学者が集まる学校と言うよりは、古い役所のような辛気臭い建物だな、という感想を抱いていた。
隣のアキラはキョロキョロを左右を見回しながら歩いているせいで、やたら目立っていた。それでも、挙動不審ではなく好奇心が光っているようにも見える。そもそもなんで付いてきたのだろうか、と不思議に思ったデンスケは率直に目的を尋ねてみた。
「あ………駄目だった?」
「駄目じゃないけど、上目遣いはヤメロ」
女にしか見えん、とデンスケはため息をついた。
「俺がここに来たのは教官に勧められたからだが、お前も聞いてただろ? これから会いに行く技術者は、特に偏屈で気難しい奴だって」
時間の無駄で、鍛錬でもしていた方が有意義とも言えた。あるいは、昨日の授業で後頭部に受けた傷を治すことに専念するか。疑問を問いかけたデンスケに、アキラは恥ずかしそうにしながら答えた。
「……興味本位、って言ったら怒る?」
「そんな事でいちいち怒らねえって。でも、戦技者の授業を受けてる時より目が輝いてるように見えるけど」
元はそっち志望か、とそれとなくデンスケが尋ねる。アキラは、そうじゃないんだけど、と頬をかきながら答えた。
「母さんが装飾技術者なんだ。地元では結構、名が売れてるんだよ?」
2日連続で休みが取れる日は祭りの前後のみだと、嬉しそうに語るアキラは女子にしか見えなかった。それも純粋に可愛い系の。女っ気がないからだろうか、周囲の研究員らしき生徒がちらちらとこちらを見ているのに気づいたデンスケは、歩く速度を若干速めたが、アキラはそれに気づかず話を続けた。
「教官って、強引だけどかなり凄い人だし。授業も分かりやすいっていうか実践的だよね? そんな人が無責任で面白味の無いただの技術者を勧める筈ないって思ったんだ」
「つまりは、あのど畜生な教官が勧める人物が一筋縄ではいかない奴だと確信して、面白そうだから野次馬を?」
「と、いうよりは糧にするために? ほら、土産話にもなるし」
顔を輝かせているアキラの様子に、デンスケは本当に母親が好きなんだな、と少し遠い目をしていた。
「……アキラがスクールに通うようになったのは、母親に勧められたからか?」
「え……それは違うよ。一定の適性がある以上、拒否権なんて無いし。それに、使い手として活躍すれば地元に報奨金も入るしね」
デンスケは色々と説明を受けた。出身地区が助成金を出してまで地元の心石使いをスクールに通わせるのは、卒業後の補助金が目的だということ。狩人になるにしろ、探索者になるにしろ、心石使いは高給取りが多い。脅威度3の害獣を10体討伐すれば、一ヶ月の稼ぎになる程だと。
「探索者は詳しくないけど、貴重な鉱物とか異界道具を持ち帰って売ると、それはもう凄いらしいよ」
「え………ち、ちなみに具体的な金額は?」
「実体験で聞いた範囲だと、最高で8億7千万。ガセも多いけど、その人のチームは地元に凱旋して宴会まで催してたよ」
地元への補助金は報酬の1割から2割。そして、補助金を多く還元した者ほど、地元での立場が強くなるとアキラは真剣な顔で呟いていた。
「2等級まで上がれば、旅行にも行ける。環状線の使用許可もでるからね」
「親孝行のためにか……叶うといいな」
「うん! あ、到着したみたいだよ」
最上階の奥より1つ手前の部屋。教えられた通りの場所は先程までとは打って変わって静かになっていた。違和感を覚えたデンスケだが、別に取って食われはせんだろうと開き直ると、入り口の扉をノックした。
「……あれ? 反応ないね。でも、気配はあるけど」
デンスケはアキラの言葉に頷き、もう一度ノックした。数秒の後、返ってきたのは小さな舌打ちだった。間もなくして人が歩く音が。直後に入り口の扉が開き、そこから部屋の主と思われる女性が現れた。
白衣をまとったその人物は深い青色の長髪を伸ばしっぱなしにしている。手入れがされていないのが丸わかりだった。睡眠不足なのか、青い両目の下には深い隈が広がっていた。水分補給も満足にできていないのか、見た目は10代の半ば程度だろうが、不相応にカサカサな唇が小さく動くと、その中から雰囲気通りの不機嫌な声が飛び出た。
「なんのよう」
「……マサヨシ教官から紹介を受けた。あんたが装飾技術者か?」
デンスケの質問に返ってきたのは、二度目の舌打ちだった。だが、紹介者の名前が無視できないものだったのか、技術者の女は不機嫌そうな表情で2人を部屋の中に招き入れた。
「暗い……なんだ、ここ」
「あちこち触らないで。そこ、座って……その前に」
女は本棚の一角を指差した。そこにはファイルが2つ置かれていた。デンスケは視線だけはこちらに、無言で指をさす女を見返しながら、相手の意図が読めずに困惑した。
「ん」
「いや、分かんね―んだけど」
「ん」
繰り返し、んしか言わない女にデンスケは顔を引きつらせた。隣に居たアキラが、ひょっとして、と本棚のファイルを指差しながら女に尋ねた。
「……あ。の、もしかして、アレがカタログなんですか?」
「ん」
女は小さく頷くと、話は終わりだとばかりに部屋の奥にある机へ引っ込んでいった。あちこち石が転がっている、作業場とおぼしき場所へ。
「………無愛想ってレベルじゃねーんだが」
「で、でも………可愛い顔してるね、彼女」
「そこでフォローするあたり、お前は良いやつだよな」
デンスケはむしろアキラの方が可愛いと思ったが、口には出さずにファイルを広げた。汚い字で、装飾の項目と金額が書かれている。その内容と金額を見たデンスケは、うんうんと頷き、叫んだ。
「高っっっっ?! え、なにレベル1で10万ってどういう冗談だ!?」
「ちょ、デンスケくん……! 静かに!」
「いや、だって」
「そ、相場から言えば別に高くないよコレ。むしろ安いぐらいで……ひっ?!」
アキラは不穏な何かを感じてふと顔を上げた直後、小さな悲鳴を上げた。青髪の女が視線だけで人を殺せそうな目を向けていたからだ。切れ味が良さそうなノミが実際に振り上げられているあたり、物理的にも殺される一歩手前だったかもしれない。焦るアキラだが、デンスケはいやいやいやと納得がいかなそうな顔でカタログを指差した。
「レベル1って、昨日のあいつが使ってたやつだろ? あれで10万かよ………ちょっと待て最高レベルって」
「5が現代の最高峰とされているね。種類にもよるけど、大体で3億ぐらいはかかるらしいよ」
「……それもう事件じゃん、事件」
半端ないわ、とデンスケは頭を抱えた。現実の厳しさと自分の見通しの甘さに頭痛を覚えていたからだった。
「つーか、無理。ムリムリムダのかたつむりだって特にオレとか」
「あー……えーと、かなりの借金があるんだっけ」
「えげつない額のな。でも、何もしないっていうのもなー……」
接客どうこうではない、人としてちょっと、という技術者など必要でないなら二度と顔を合わせたくない。そう考えたデンスケは、カタログの中から一番安い装飾を探し始めた。
「つーか順番がランダム過ぎて見辛いんだよな、ちきしょうが……一番安いのはど、れ、か、な―――って、コレか」
デンスケは最後のページの下の方に書かれていた装飾を見つけた。
効果:目覚まし時計、金額:1000円と。
「……デンスケ。それ使い手というより、装飾師が練習に使うやつだよ。初心者が付け方と外し方を覚える、小手調べにやる装飾で、使い手用じゃないから」
呆れているのか怒っているのか。どちらかは分からないが、妙に綺麗な笑顔で呼び捨てにしてくるアキラに対し、デンスケは早く済みそうだしこれでいいんだよ、と答えながら青髪の女に声をかけた。
「と、いうことで目覚まし一丁、よろしく頼むぜ」
「…………バカ?」
「いいから。簡単なんだろ?」
「1分で済む―――心石出して」
「え、お前こそ正気か?」
「で、デンスケ君!」
アキラは何も知らないデンスケに色々と説明をした。変異させていない心石でなければどんな装飾も施せないと。
剥き出しの心石は防御能力も無く、その気になれば容易に壊すことが可能だ。もし破壊されれば、人によっては再起不能になる可能性があった。心石が壊された使い手は、言葉では言い表せない激痛に襲われるからだ。
一度経験すれば、あの恐怖を二度と味わうのは、と考えてしまう。記憶にある激痛に怖気づいてまともな戦闘が出来なくなった者は、年に2,3人の頻度で出てくる。
「……怖いの? だったらさっさと帰って」
「いや、どっちかっていうと信用という意味合いで……あー、面倒くせえ」
時間がもったいないと吐き捨て、デンスケは心石を剥き出しで展開した。
無色で全く輝いていない心石を見た女は一瞬だけ目を丸くし、小さく驚いた表情を浮かべた。
だが、一瞬の後に表情をそれまでと同じ「どうでもよさげなもの」に戻すと、深呼吸をした。
そのまま凝視すること、3秒。それだけで何かを把握したのか、女は部屋の奥に戻っていった。しばらくして戻ってきた両手には、処置用の道具が握られていた。
女はデンスケの心石の前に立つと、更に深呼吸を1つ。その行為を開始の合図として、装飾を始めた。右手に握られたチューブから鈍い灰色の光が飛び出し、いつの間にか左手に出現していた細やかな筆に巻き付くようにして展開していった。
「え、もう見極めたの……?」
「解説のアキラさん、説明をお願いします」
「装飾は使い手の心石に、加工した飾り石を融合させるのが基本なんだけど」
接着しやすい面を見極めるのに、簡易の石なら10分要するらしい。アキラからの説明を聞いたデンスケは、そりゃ早いと呟いた。接着面の処理を始めた、女の筆さばきを見ながら。
「……成程、接着面に方陣を描いてんのか」
「うん、性質が異なる心色だと反発するから。一時的に断面を接着、融合させた後に還元すると装飾は心石の一部となるんだけど……この速さ、信じられないよ」
アキラは驚愕の声を上げた。自らの知る限りだが最高の腕を持つ母と、ほぼ同じ速さだったからだ。才能ある者が十何年も研鑽を積んでようやくたどり着ける域に、10で達しようとしている女の腕を前にして、ただ言葉を失う他に出来ることはなかった。
「……できた」
女は誇らしく告げると、デンスケに視線を向けた。
デンスケは自分の無色の心石に、小さな時計の形をした細工がくっついているのを見ると、アキラに尋ねた。
「で、これを取り込めばいいのか?」
「あ、えっと……うん。普通に自分の中に還元すれば完成、なんだけど」
「急いだ方が良いのか? 時間経つと外れそうだし」
「―――侮辱するにも程がある」
「いやだって、ほら」
デンスケが心石を指差す。
すると、時計の細工がぽろりと外れて作業台の上を転がった。かつん、という軽い音が1つ。その後は痛い沈黙が、部屋の中に満ちていった。
「………うそ。え、だって、わたし………?」
「ふつーに取れたんだが。ちなみに解説のアキラさん、これってオッケー?」
「え……セーフかアウトで言われると、思いっきりアウトだよ。接着後の完全剥離なんて、問題外というか普通にやっちゃ駄目なレベル、なんだけど……?」
でも処置は完璧に見えたし、と悩むアキラの言葉に、青髪の女は顔を上げた。鬼気迫る表情で、デンスケに告げた。
「もう一回……料金は要らない。ううん、無料にするから」
「別に構わないけど、本当にできんのか?」
「できる! ……やるの、だから」
「分かった。あーでも、暇だからなんか面白いものない? カタログとかそういうの、装飾とは別で」
「っ………そこの棚に、方陣のカタログも置いてある」
「分かった。じゃ、頼んだ」
デンスケは頷くと棚のカタログを取り出し、椅子に座りながら読み始めた。アキラは混乱しながら2人の顔を交互に見ていたが、すぐ後に慌てた様子でデンスケに話しかけた。
「い、いいの? もし酷い失敗をしたら、心石に損傷が」
「大丈夫、それほど柔じゃないって。あ、ここ笑う所だから」
無色の心石の硬度は他のものよりも低い。剣などに変換すると別だが、変異前の心石は殴れば壊れてしまうほどだ。激痛が起きる可能性も考え、心配するアキラにデンスケは小さな声で囁いた。
(ほら、かなり真剣になったし。それに、技量は確かなんだろ?)
(……うん。正直、嫉妬するぐらいだよ。でも、なんで融合しなかったのか……原因が欠片も分かんない)
(俺も分からん。でも、やりたいってんなら頼むさ。ていうか断ってたら多分だけど術法が飛んできてたぞ)
どうしても断りたい理由があるわけでもなし、ならばどんな方陣があるかを学習しながら待てば良い。商売はウィンウィンが基本だと、少しズレた意味の言葉を自慢げに語りながら、デンスケはカタログに目を落とした。
「フレイム・アローのレベル1が、5万……フリーズ・アローは8万か」
普通に高え、とデンスケは自分の目が乾いていく感覚に陥っていた。
「性質、形状、範囲、威力の4要素で価値が決まるんだな」
「うん。スクールを卒業していないぺーぺーはアロー以外使うなって言われたよ」
ブレス、ストームといった広範囲攻撃は発動が難しいこと、使い所が難しいこと、発動した所で周囲を巻き込みかねないこと。火災の原因になりかねない火の性質は特に扱いが難しく、卒業して初年度までの戦技者は使用禁止と、組合法で定められていた。
「あ、バレットもある。珍しいね、ちょっと高いけど」
「20万でちょっとかよ……ていうかバレットって、銃弾の形状か? 威力が弱くなったら意味ないと思うんだが」
「えーと、ね……方陣術法で打ち出された弾には影響ないんだよ。物質か心石で組み立てられた銃だと、授業で教えられた通り威力が減衰するんだけど」
「へー、そうなんか。……でも、そこまでいくとなんだか怖いな。世界自体が、銃を使った攻撃を禁止しているかのようだ」
「それは言いすぎだと思うけど、助かったって母さんは言ってたよ。銃は戦争で多くの人間を殺した、呪われた道具だったって伝えられてるしね」
「……まあ、それは言えてるな」
誰にでも簡単に使えて、放たれた銃弾は冗談のように人を殺す。人を呪う厄介な道具だと言われれば確かにな、と考えていたデンスケだが、ある事に気づいた。
「あれ、方陣術法ってオレ使えないじゃん」
「今頃気づいたの!?」
「いや、なんていうかこう、ノリで使えるようになればなーとか思って」
「いや……そんな適当な話ある?」
「いや、戦ってる時も結構そういう部分多いぞ。ぶっちゃけ、理論とか言われてもあんまり……師匠も感覚でしか物言ってなかったし」
「ええぇ……ていうか演習の時にも思ったけど、補助とか無しにどう戦ってるの? お師匠さんっていう存在が居るなら、余計に何がなんだか分からないよ」
「どうって……その時その時の気分次第? わざと隙とか見せて誘導して、隙を生み出させてそこを突いたりして」
デンスケは師匠の教えを思い出していた。
心石握って念じると力が出る、その力を千切って色々とできる。色なしは強化か防御ぐらいしか取り柄がないから、千切って剣とか身体を強化して気合、防御は普通にスタミナで負けるから気合で回避、といった大変分かりやすい教えを。
(方陣術は塗り絵の早塗りだとか言ってたな。言語術は強く叫んで火を熾すのと同じ、とか言うんだろうな……)
『補助も要らんとか言いそうだな。俺は別に困ってねえし、と面倒くさそうに』
ジャッカスの言葉に、デンスケは無言を貫いた。師匠が言いそうな言葉であると同時に、自分もそう考えていたからだ。
『ともあれ、この世界の方陣術に関しては知っておいて損はなかろう。対処方法を学ぶ意味でも』
(だな。ただ、なんていうか技術的に遅れてるんだよなぁ……)
あちらの世界にも方陣術は存在していたが、ここのカタログに記載されている4要素は前提条件でしかなかった。デンスケは、あちらの世界での方陣術使いを思い出し、やっぱり単純すぎると思っていた。
(あっちじゃ、最低でもあと2つ―――“誘導”と“浄化”がなければお話にならないレベルだったんだけど……)
人を殺すには4つで十分かもしれない。だが、あちらの世界に出てくる怪物を、特に災害級を相手にする方陣使いは、最低で7つ以上の要素を盛り込むことが必須だった。使えないなら引っ込んでろ、と味方を危険にさらした未熟者に怒鳴るエリルの姿を、デンスケは何度か見たことがあった。
『他人事のようなことを言うな。“異次元化”と“螺旋変形化”に“超速回転”の組み合わせを考案したのは他ならぬお主だろうに』
完全にマスターした後に彼女に付けられた二つ名は、万象貫通のエリル。決戦方術の使い手の一人で、泣く子も黙る最終兵器だった。本人は断じて認めていないらしく、その名前で呼ぶと不機嫌ゲージがみるみると上がり、八つ当たりされたことをデンスケは忘れていなかった。
「? どうしたの、手が止まってるけど」
「いや、世の中の理不尽というものを考えていただけだ。例えば今日の朝食とか」
食堂の飯に、デンスケは満足していなかった。コストパフォーマンスは認める所だが、なんていうか懐かしい故郷の味という感じがしないのだ。何故だろうかと呟くデンスケに、当たり前だよとアキラが呆れた声を出した。
「異世界で強引に改良されたものだし。オオサカ産の天然物なんて頼んだ日には、5倍は取られるよ」
「ごっ………マジか。いや、贅沢言ってるのは分かってるんだけどな」
「別に変には思わないよ? 天然物が食べたいから狩人になった、っていう人は珍しくないし。でも、合成の素材でも調理方法次第でどうにかなるものだよ?」
「マジか。いや、マジですか………貴方が女神か」
「男だって。良かったら教えようか?」
「分かった。対価は訓練とかでよろしく頼む」
「……要らないよ。入学試験ではお世話になったし」
「ん、どういう意味かよく分からんが」
「僕、一人も倒して無いんだよ。君の後ろについていっただけで」
アキラの言葉に、デンスケはそういう事かと頷いた。合格するには必ずしも試験官を倒す必要はない。たどり着ければ誰であれ入学を認められるのだ。アキラはデンスケが迎撃して手薄になった所を一気に駆け抜けたんだ、と卑屈な顔で笑った。
「だから、借りがあるのは僕の方なんだ……卑怯者でごめん、軽蔑した?」
「ああ、するな。そういうことを言う奴なら」
デンスケがきっぱりと告げると、アキラは怯えるように硬直した。その様子を見たデンスケは、だが、と言いながらカタログを閉じた。
「卑怯と臆病は軽蔑されるもんじゃないだろ。誰だって怖いものは怖いし、逃げたい時は逃げたい。どうしようもないじゃん。だって痛いの嫌だし、死にたくないし―――お前も、オレと同じようなことを思ってんだろ? だったら認めろよ。それもお前なんだから、アキラ」
そして、自分だ。デンスケは跳ばされてからの自分を、弱音ばかり吐いていた頃の自分を思う。死にたくなかった。帰りたかった。どうしても帰りたかった。だから、震えながらも鍛えた。デンスケは忘れない。逃げるように鍛えながらも、結局は弱音しか吐けないでいるクソな自分―――それもお前だ、と告げた師匠の笑顔を。
「勇敢になれない、強くなれない、卑屈だ、卑怯だ、臆病だ、弱虫だ、才能がない、覚えが悪い―――それがオレだ。だって仕方ないだろ、オレなんだから」
「なに、それ」
気狂いを見る目で、アキラは言う。
「卑怯なのは駄目で、臆病は、弱いのは罪になる! それが使い手の常識で、求められてる役割なんだよ! だから、そんな……そんなの、どこ行っても通用しないよ……」
「そう言われたら、こう言ってやる。オレがオレであることに文句あるのかと」
遠州界という男、デンスケと名乗ることを選んだ自分。それはどんな世界であっても2つとない、唯一のもの。そう主張して、デンスケは笑った。
「とやかく言われても誰だお前って感じだよ。だってオレというオレは希少価値なら全世界同率一位なんだぜ? お前もだ、アキラ。誰でもないアキラというウルトラレアなブランドに責任を持て」
「……なにそれ。僕は。アキラっていう、僕だけの僕だからそれを誇れって?」
「ああ、他に誰も居ない。居てくれないんだ。でも、そいつを一度認めちまったら、いつか言い訳ができなくなる時が来るけどな」
自分を自分と認めて進む道がある。人によっては日陰の、暗くジメジメとした道かもしれない。だとしても、どんな道であろうとも岐路は必ず訪れる。
必ずやって来ると、師匠は言った。その道を歩んだ遠州界にしか出来ない、デンスケにしか出来ない、成し遂げられるものがいつかきっと。
「それでも、嘘つくより気持ちいいじゃん。義務感で生きてる訳じゃねえし。体裁のために言い訳ばかり繰り返して、自分を嫌いになるより百倍マシだ」
「……卑怯なことばかりしてたら、自分が嫌いになりそうだけど」
「負けて死ぬよりマシだ。言っとくけど、正義貫いて死んでも美談で終わるだけだぞ、オレなら嫌だね、そんなの」
「嫌われるし、悪口ばっかり言われるよ。疎まれるし」
「そこはアレだよ、格好をつけて帳尻を合わせるんだ。あとは、人として最低限の線を守ればオッケー。他人なんて、どうでもいい奴は無視しとけ。あっちもどうでもいいって思ってるから」
「……全部、自分基準じゃん。デンスケは、そう言い続けてきたの?」
「思い続けてきただけだ。オレを認めてくれた師匠と戦友を」
馬鹿だな、と呆れた顔。バカ、とふてくされながらも笑っていた顔。馬鹿野郎と、本気で怒ってくれたバカ共。相手にとっては唯一じゃないかもしれないけど、受け取った時の思い出は2つとない、自分だけの血肉になった。
困ったことに、あると分かったら怠けられなくなった。弱くても、と一歩前に。逃げたいと思う、卑屈な自分が居る、でもちょっとは格好をつけようと思えるようになった。仕方ねえじゃん、弱いのは分かるけど、あいつら痛がってんだし、と逃げようとする自分を説得したくなった。
「特別じゃなくていい、あるんだろ? アキラにも、アキラだけのものが―――アキラをアキラのままにしてくれる人が」
最低限の線として、自分を守ってくれるものが。デンスケの言葉に、アキラは言葉を失い、俯き。しばらくした後、呟くように答えた。
「……うん、ある。あるよ、僕だけのものが。デンスケにも、あるんだよね」
「ある。色々とな。例えばクラスメートから買った恨みとか」
「あとは、凄い額の借金とか?」
「ああ。3500万の返済に挑んでいる、それもオレだ。泣きたくなるし実際若干泣きが入りつつあるけど、オレだけのものだ………で、でもこれなら分けてやってもいいんだが?」
「遠慮しておくよ、それは君だけのものだ」
尻ばかり見てくる奴と連帯保証人の笑顔には気をつけろと母さんから言われているんだ、とアキラは顔を上げ、いい笑顔で答えた。
すると、作業場の中から「ぷっ」という小さな笑い声が溢れた。
「……聞きました、奥さん?」
「奥さんじゃないけど聞こえたよ。作業の音が止まってるようだけど……」
大丈夫かな、と心配している所に青髪の女が戻ってきた。手の中には、最初の状態のままのデンスケの心石が乗っていた。
女は気まずそうな顔で、頭を下げた。
「ごめんなさい……何をやってもくっつかなかった」
装飾師失格だね、と何かを諦めたような声。デンスケは何も答えられなかった。先程とは違う雰囲気の中に、危うさを感じたからだ。
そこに、アキラが言葉を挟んだ。
「ぼ、僕は……装飾師さんが原因じゃないと思うんだ。だって、さっきみた作業風景は本当に……感動したし」
最初の処置の時にアキラが見出したのは、乱雑じゃない、適当じゃない、無駄がない整った動作。確かな訓練や特訓に裏打ちされた、一種の芸術をアキラは感じていた。
「だから、原因は、その………デンスケの心石にあるんじゃないかな」
「……アキラさん? さっきのそれもお前だ発言に怒ってらっしゃる?」
「違うよ。だって、デンスケは色々と、その……変だし」
「え、酷くない?」
「そ、そういう意味じゃなくて。普通の心石とは少し違う感じがするんだ」
「普通だって、ほら」
デンスケはいきなりの変人扱いに文句を言いつつ、自分の心石を手に取った。途端、青の女の目が鋭くなった。
「今、本当に、本当の少しだけど……変化した。ううん、違う」
見えるようになった、と女は呟きながら自分の心石を起動した。他の生徒とは一線を画する、光を帯びた青が部屋の中を照らした。
「き、貴色……!?」
「静かに。……えっ? ……違う見間違いじゃない、これは……これ、は」
女は顔をしかめた。どうして生きているの、とデンスケの心石に語りかけるように呟きながら。
「くっつかないのも納得―――あなた、どうして? なんで、何度も心石を砕いているの?」
「……え?」
「ショック死してもおかしくない。なのに、どうして………その割には身体に影響が出てないし」
「弱いからだと思うぞ。実際、痛いのは痛かったけど、死ぬ程じゃなかったし」
無色だからだろ、とデンスケは何でも無いように笑った。答えられた女とアキラは、そのあっけらかんとした様子を前に、次の問いかけを思いつけなかった。無色の心石が砕かれた例など聞いたこともないし、強く使い手と結びついている心石使いほど、砕かれた時の影響が大きいという教えを受けた覚えがあったからだ。
「おかげで、こんなことができるようになった」
デンスケは心石に力をこめると、形を紐に変化させた。びよーんと伸びる心石を見た2人の顔が盛大に引きつった。
『変異だけは一人前に、というのが師匠の教えじゃったのぅ』
(お陰で今のオレがあるんだけどね……ところで、なんでこんな顔してるんだろ)
デンスケはひょっとして足りないのか、と考えると紐を更に細くしたり、伸ばしたりした。それを見た2人は、ゆっくりと一歩後ろに退いた。
「え、なんで逃げるの?」
「そんなの、だって、やだ………キモいし」
「酷くない?」
「これもデンスケなんだね………うん、色々とごめんね」
「え、もっと酷くない?」
素で怖がってる2人を見たデンスケは、衝撃のあまり泣きそうになった。
「それより……キモいのはキモいけど、言霊無しでこれだけ変異させるとか聞いたことない。あなた、何者?」
「オレはオレという他に言葉が。それ以上はちょっとな。アンタにも、深く尋ねないでおくから」
「………そう。でも、このままじゃ引き下がれないわ」
決意に満ちた表情で、女は告げた。
「明日もここに来ること。色々と調査したいの」
前例のない心石とか興味あるし、と女が言う。決定事項のように話す様に、デンスケは笑顔で答えた。
「お断りします。装飾も無理なら無理でいいし、何より金がない」
生活費を稼ぐには依頼を受けなきゃならない貧乏暇なし、と一声で答えたデンスケの目は真剣そのものだった。女は後がない清貧者の裂帛の気配に圧されるも、それならと条件を加えた。
「調査協力費として、1日……1万。それでどう?」
「1万5千でお願いします、お嬢様」
「ぐ………分かったわ。でも、呼びかけたら絶対に来なさい」
「アフターは別料金ですが」
「何の話よ!」
怒る女を見て、デンスケは笑った。何が何だか分からないが、先程までの死人染みた表情よりはマシになっていると感じたからだった。
「ああ……だからヒモってそういう」
いつの間にか有利な契約を結ぶデンスケの姿を見たアキラは、それが君なんだね、と苦笑を零した。美味しい料理を教えてあげようと、妙にはりきっている自分の感情を受け入れながら。
誰のものかは分からないが『うむ』と答える声さえ聞いたような気がした。
「まあ、授業料として3千円は頂戴するけど」
努力は前提として、強くなるには、補助装飾を増やすためには、どうあがいてもお金が居るのだ。今まで誤魔化していた事実を見据えたアキラは、汚くなろうと小さく頷いた。
いつか来るだろう日に備えて、自分を嫌いにならない自分で居るために。