5話 : 使い手として
「概念ってなんだよ」
『分からん。プラトンかプラントだか知らんが、私にもさっぱりだ』
分かることは、とんでもない変化が訪れたということ。やって来たというよりは、落下して爆発して飛散したと言った方が正しいのかもしれない。
昼休みの食堂の中、デンスケは深い溜息をついた。
(………本当に大阪は、というか世界ごとごちゃごちゃの滅茶苦茶になったんだな。正直言って、想像以上だった)
古代中国より伝わる杞憂という言葉がある。空が崩れ落ちたりはしないか、というありもしない危機に心を砕いていた男をくだらない愚か者だとこき下ろす諺だ。
ひょっとすれば、その男は、賢者は、今この時を予見していたのかもしれない。だが、一寸先は闇というが、突然世界が足元ごと壊れるなど誰が予想するだろうか。
人間は今この時を生きることに必死なのだ。例えば、昼食を買う金がない自分のように。
(失念してた………でも、いきなりだったし)
朝に頂戴した200円も今や30円になってしまったと、デンスケは嘆いた。
『金が無いのに怪しい液体買っとるんじゃ無いわハゲ』
(ハゲてねーし。それに気になるじゃん、スクールポーション爽やか味とか)
デンスケはどうしようもなく乾いていた喉が潤ったのと、昨日の硬いベッドで少し傷んだ背中が治ったので良しとした。だが、問題は昼からの授業だ。今は昼休み、午後からの授業で腹を鳴らさないように準備する時間。だというのに手元には30円しかなかった。
「仕方ない、んめー棒で腹を誤魔化すしか」
『ちびちびと齧るでないわ、みっともない』
「リバイバルしたんめー棒の底力を舐めるなよ。深く味わってるだけだ。虎の子の30円だったし」
夕食はどうしようかと、デンスケは悩んだ。このままでは冗談抜きでんめー棒のたこ焼き味が最後の晩餐になりかねいからだ。だが、金を借りようにも相手が居ない。見ず知らずの人が親切にも貸してくれるとは、デンスケは思わなかった。
逆の立場で考えてみれば分かる。戦う術を修めるの学び舎の中、不真面目そうにしか見えない普段着極まる男に金を貸してくれ、と言われた所で素直に貸す奴は底なしのアホか間抜けだけだ。
少なくとも自分なら絶対に貸さない。ならばどうするか、と食堂を見回していたデンスケはクラスメートを発見した。
午前の授業で教師に能無し呼ばわりされていた、ぱっと見だと女子に見える顔をした男子生徒だった。校内の生徒がよく着ているブランドものらしい灰色の戦闘服を着込んでいる彼は友人が居ないらしく、一人で定食を乗せたトレイを両手で持ちながら、不安そうな表情でキョロキョロと周囲を見回していた。
デンスケは食堂の中をパっと見回し、空きスペースを見つけると目標のクラスメートの所に駆けつけた。驚く様子をまあまあどうぞどうぞと丸め込み誘導し、まんまと同席することに成功した。
「あ、あの? 席を見つけてくれたのは有難いですけど、どうして僕を」
「やだなあ。不安そうにしているクラスメートを放っておけるはずないじゃないか。ちなみにボクはデンスケって言うんだけど」
棒読みで自己紹介をして、名前をせびる。断れない空気になったことに気づいたクラスメートは、困惑しながらも名乗り返した。
「ぼ、僕はアキラって言う、いいます。だ、第8地区出身なんだけど」
「オレは………一応、第7地区になるのか? あ、敬語はいいから。なにせクラスメートだし」
答えながらも、デンスケは出身がどうなっているのかをボカした。アキラはデンスケのハッキリしない物言いだが強引な話運びに押され、出身区を指摘することなく、おずおずと食べながら会話を続けることを選択した。
何気ない会話が進み、話は自然と共通したものに。午前の授業は、という話になると、アキラは落ち込んだ声で呟いた。
「本当に……まいったよ。まさか初日から教師に目をつけられるなんて……」
「あ、その件なら大丈夫だって。あくまでフリのレベルだったから、心配要らないと思うぞ。あの教師に個人的な怨恨を抱かれてるなら別だけど」
「え、それはないよ。全然知らない人だし……あ、でも、僕には地区出身の先輩がほとんど居ないから、ハッキリとした事は言えないかも」
「そうなのか? でも、狙い撃ちはされないと思うぜ。あの教師は、どっちかって言うと全体のレベルを上げる方に注力しそう」
デンスケがフォローするが、アキラの声に明るさは戻らなかった。デンスケは会話を続けながら、内容に引っかかったことを聞いた。
「先輩、って言うけど出身地区の先輩のことだよな。居ないってことで落ち込んでるみたいだけど、居るとすげえ頼りになるのか?」
「え……当たり前だよ。デンスケさんもレクチャー受けて来たんだよね、だったらホスト役が居るのと居ないのとでは雲泥の差だって分かると思うんだけど」
「それはアレだよ、アレ。来たというか放り込まれたというか」
ゴミ袋に詰め込まれた生ゴミのように投げ込まれたというか。思えば厄介払いされたような気がしないでもないと、デンスケはんめー棒を齧りながら悟っていた。これぞお役所仕事と言わんばかりに、たらい回しにされたような感があったからだ。
「えぇ……じゃあ地元からの助成金とかも―――ゴメン」
アキラはちみちみと小鳥のようにんめー棒を啄む姿を見て、色々と察すると同時、デンスケの目が若干死んでいるのを見て、自分はもしかしたら幸運な方かもしれないと思った。一般的に人は自分より下に見える者が間近に居た場合、見下すか、無視するか、憐れむか、手を差し伸べるという。
アキラという少年は、中途半端な解を選んだ。
「このスクール、前借り制度? いや、しょうがくきんだったかな。その制度があるらしいし、もし良かったら申請してみたら?」
「え……申請するだけで、お金様を借りられるのか?」
「様かどうかは分からないけど、利子付きで一時的に借りられるって教えられたよ」
アキラは地元代表の一人として恥をかかない程度の金額は持たされていたが、卒業生の一人から、万が一入り用になったらこういう手段もあるという、非常手段として教えられたことがいくつかあった。
「一週間の初期教育が終わった後は、スクールからの依頼も受けられるみたい。その報酬で返済、っていうことも可能って聞いたけど」
「おおおおマジで貴重な情報ありがとう! これで明日の朝日を拝めるぜ」
「………ん?」
アキラはデンスケの言葉に違和感を覚えたが聞き間違いとしてスルーし、先任からのアドバイスも付け加えた。
「で、でも滞納すると即アウトらしいけど……大丈夫そうなの?」
「何とかするさ。やるしかないともいう。頑張れば何とかできる範囲までハードルが降りてきてくれたし」
無茶振りをされるのには慣れている、とデンスケはいい笑顔で親指を立てた。そして、情報提供について感謝した。何か自分に力になれることがあったら、と考えたデンスケだが、逆に教えられる立場でしかないことに気づき、少し落ち込んだ。
「つーか、概念ってなんだよ」
「え? え、え、でもデンスケさん、かなりのレベルで言霊を使いこなしてるよね」
「言霊って……え、宣呪拳法のこと? 師匠からは何もかもセンス皆無だって酷評されたんだけど」
他の術法もセンスレスの下の下の下だと告げられたんだけど、と答えるデンスケの目が更に死んだ。アキラは話の噛み合わない感じに戸惑いを覚えるも、じゃあどうやって修行をしたのかが気になり、尋ねた。
「心石を使いこなすには最低限、自分の発する言葉に指向性を持たせる必要があると思うんだけど……でないと大変なことになるし」
アキラが言うが、デンスケはヤッパリ分からんと頭の中で頷いていた。
(ジャッカス先生、ここは1つ助言を)
『深追いはよせ。ボロが出る』
(ボロってなに!?)
『言わせるな恥ずかしい。住所不定異世界帰り無職が露見するのはまずかろう』
デンスケは渋い顔をしながもジャッカスのアドバイス通り、誤魔化すことにした。その後、昼からの授業のために教室へと移動をしながら、デンスケはアキラとの会話から色々と得た情報を整理していた。
(午前の授業の内容、あれは一般常識の範疇らしいな)
概念というものは、ある事物が持つ大まかなイメージという捉え方をしているらしい。アキラも深い意味は分かっておらず、感覚的に扱っている言葉だとデンスケは解釈を受けていた。意味内容が抽象化された、あやふやな印象そのものだとか。
阿倍野のビルで言えば、日本で最も高いビルというイメージ、存在、印象。梅田の地下迷宮は、広く、迷いやすいというイメージ。
(なら、概念暴走っていうのは人のイメージによって、存在そのものが書き換えられた……ていうか変化しちまう、って現象なのか?)
何が原因で引き起こされるのかは不明だが、言霊という単語に鍵があるのかもしれない。だが、どちらにしても非現実的な異常であり、デンスケは少しだが未知なる現象に恐怖を覚えていた。
だが、当時の市民の恐怖は想像以上だった筈だ。全国的に出生率が減少傾向にあることが問題視されていたが、旧東京圏からの移住も増え始めていたため、当時の大阪府には800万の人が住んでいたという。ビルに逃げ込めた者、地下で生きながらえることが出来た者、家に居ながら運良く生き残れたものはその内の何割程度なのか、デンスケは考えるだけで目眩がした。
『……生存者か。多くとも、3割は越えんだろうな。害獣とやらが各所で続発したのであれば』
ジャッカスの言葉に、デンスケは同意した。敵に通じる武器を持てない者は、味方にその刃を向けることがある。連鎖すれば地獄絵図だ。食料という限られたものを奪い合う必要に駆られた場合は、更に悲惨なものになるだろう。
2人が立てた予想は、事情を知らない者からすれば普通のものであり。
―――午後からの授業で、2人は自分たちの予想が外れていることを知った。
「彼らのことは帰還者、と呼ばれている。その他の呼び方は差別的表現になるため注意しろ。……結果的にだが、全府民の5割を生き残らせることができた要因なんだからな」
教師はホワイトボードに長い横線を引き、その上に3つの大きな円を書いた。
「大空白の前、世界中で失踪事件が相次いでいた。被害者に共通点はなく、解決不明の事件として世間を騒がせていたらしい」
教師の言葉に、デンスケは小さく頷いた。目撃者の証言もあり、最も多いのが“予兆もなく人が突然消えた”というものだった。
「大空白の時に、何が起きたのかは分からない。だが、消えた者達が居た場所は判明している。彼らのほとんどは、この3世界―――3国に跳ばされたんだ」
レッドラン、ブルール、グリンティア。教師が丸の中に略称を書くと、教室のあちこちから舌打ちやため息が溢れ始めた。
「過去の日本で流行っていたらしいサブカルチャーでは、異世界転移と呼ばれている現象だ。強制転移を受けた彼ら、彼女達は国に拾われ―――そこで心石のことを知った」
異世界の経緯はどうでもいいと言わんばかりに、ホワイトボードの中央に心石の文字が大きく書かれ、ぐるぐると丸で強調された。
「この地球―――いや、この世界には存在しなかったものだ。人の意思に寄るだけで、現実世界に訴えかけることができる物体など」
その石があれば、空想上の産物でしかなかった超能力、魔法といったものを現実に持ち込める。意思だけを燃料として、現実世界に現象を起こすことが可能になる。貴様たちなら知っているだろう、学んだ筈だと教師は鋭い目で生徒たちを見回した。
「肉体強化、物質変異、法則歪曲……使い手にとっては基本になるこの3つだけで、当時の科学者達は発狂寸前になったという」
デンスケは深く頷いた。なんというか、物理法則に真っ向から喧嘩を売っているからだ。想うだけで肉体が強くなる、物の形を変えられる、火や水、風、氷、雷を起こせるなど、自分が目にする前も、目の当たりにしてからも信じ難いものだったからだ。
「だが、科学者の心が柔らかかったのが原因ではない。別の大問題を抱えていたからだ」
当時の証言を、教師は語った。マンションの中で害獣に追いつめられ、落ちていく人を見て違和感を覚えたという。どういう理屈か、落下速度がまるで違うということに。
「異変前の、物が地面に落ちる速度―――重力加速度は毎秒9.8m。だが、異変後に計測した結果は場所によって異なった。7.1m/sまで下がっていた所もあったという」
「………は?」
デンスケは驚愕に目を丸くした。周囲の者は何を今更、という反応がほとんどだったが。非常識も極まる現象に、デンスケは呆然とした。
心石による干渉が無い実験での結果とすれば、それは物理法則が法則として仕事をしていないという結論になるからだ。
「それまでの当たり前が当たり前でなくなる。最悪を考えた科学者達は、狂ったように検証を繰り返したらしいが―――」
いつまでも終わらなかったという。先人が組み上げた偉大な公式で計算、予測できる筈の解が、時間と場所によってバラツキが生じる結果に終わったからだ。計器の誤差というレベルではないほどに。
「特に銃については、現実的な問題として重くのしかかっていた。貴様たちはあまり目にする機会はないだろうが………そこの剣士。そう、お前だ。銃使いが弱いとされている理由は教えられたか?」
指名を受けた真面目そうな少年は、何を当然の話を、という顔しながら答えた。
「大空白が起きた後、銃弾の威力が激減したからと教えられましたが」
「その通りだ。正式な数値は出ていないが、1発の銃弾では脅威度1の雑魚さえ倒せん。大口径の銃でようやく倒せる程度の威力しかない」
調達コストが跳ね上がった現在では、ぶっちぎりの不人気の武器として認識されているらしい。デンスケは話を聞いて、時代遅れと言われる理由が分かった。
「脅威度3以上の敵には全く通用しなかった。そして、当時のオオサカ全域の害獣の脅威度平均は5.4―――どうなったかは分かるな?」
ホワイトボードに、デフォルメされた獣の絵が追加されていくが、止める手立ては皆無。血の雨が降ったのだろう。あるいはそれ以上か。誰もが黙り込んだ中で、教師は話を続けた。
「物理現象の変動について、詳しい原因は分かって居ない。今は原因の究明とは別方向に研究がシフトしているからな………話が逸れたが、人類の劣勢を救ったのが他ならぬ心石だ。元は異世界産で、今もあちらでは広く普及しているらしい。これらを地球―――オオサカに持ち帰ったのが、赤の勇者、青の賢者、緑の戦士の通称“三傑”だ」
彼らは異世界に転移していた地球人だった。傑出した戦闘能力を持つ3人は同じ境遇の地球人と、現地で縁を紡いだ異世界人を率いて、末期的だったオオサカに帰還した。殺戮を繰り返す害獣という害獣を倒して回った彼らは瞬く間に受け入れられ、神話の如き英雄として讃えられた。
それでも、変質後の大阪は広くなりすぎていた。勇者とその手勢だけでは人手が足りなくなったことから、心石の元となる鉱物の提供と精製方法が当時の大阪の治安を維持していた組織の手に渡った。
「これが現在の、狩人、探索者、冒険者と郊外に展開している治安維持部隊の組織の前身と呼ばれている。前3つは組合のことだ。地元で世話になった者も多いだろう」
ホワイトボードの線の上に描かれた害獣が、×で消されていく。
「対抗する手段を持てたことで、ようやく自治の芽が出てきた訳だ。その後に起きた戦争のことは、授業では省略する」
「えっ?」
思わず声を零したデンスケの方さえ見ないまま、教師は断言した。
「異論は受け付けん。このスクールで貴様たちが学ぶべきは別にある。卒業後、正式な戦技者としての貴様たちが守るべき原則は1つだけだ―――殺されるな、殺せ。市民に仇をなす害獣を殺戮し返せ」
それさえ成せば誰からも文句は言われん、という教師の一言で、午後の最初の授業は終わりを迎えた。
デンスケは「次は実技だ」と言い残して運動場を指差す教師の背中を見送りながら、使い手に求められるものについて考えていた。
5割とはいえ、400万人という死者数は想像を絶する。その地獄の時代に産まれた恐怖と怨恨がオオサカに住まう人達の心の底に刻まれたのだろう。
(食い物と命のやり取りの恨みは100代続くらしいからな、爺さん曰く)
『とはいえ、それが全てではあるまい。一般人が使い手に対し、対害獣としての能力を求めている事情は分かるが―――』
(それが大半だと思うぜ。戦う力を持ってない人達にとっては憧れっていうか代弁者って奴? なら、戦技者は勝って当然、害獣なんぞに万が一にも負けて欲しくないって思うよ、そりゃ)
害獣を見下し、蹂躙する性質の戦技者が好まれるかもしれない。デンスケは気づいた所で無理なんだがな、とため息をついた。
3年間、死線の内外で鍛えに鍛えたが破壊力の一点でいえば師匠はおろか、エリルの足元にも及ばなかった。純粋な出力で言えば3流がいいところ、というのがあちらでのデンスケの自他共に認める評価だった。
(それでも、やり用は―――ん?)
デンスケは廊下に出ると、臨戦態勢に入った。背後にこちらの様子を伺っている教師の男が居たからだ。不穏な空気は感じられないが、仕掛けられる可能性がある以上、デンスケに油断はない。
「……成程。コマキ程度では相手にもならん訳だ」
「んー、なんか用スか先生? つーか男どうし、並んで歩く趣味は無いんですけど」
「教官と呼べ。素人ではない貴様に用がある」
書類は見せてもらった、と教師の男は眼鏡を押し上げながら告げた。
「次の授業、生徒たちには自己紹介を兼ねて模擬戦闘をさせる。教官である私と、お前を相手に」
「は? いや、なんでオレがそんな事を―――」
「普通の出自ではないし、実戦経験も豊富。何なら好きに使えと書かれていたのでな」
予備の入学試験の結果を聞いたが、貴様なら上手くやれる筈だ。告げられたデンスケは見るからに嫌そうな顔で答えた。
「悪いけど、教室内で恨み集めるのはゴメンです。サンドバッグの役割は先生サンだけでよろし」
「そうか断るか、1授業につき1万の手当を考えているのだが」
「……もう一声」
「1万5千だ。言っておくが、これ以上は出せんぞ」
デンスケは渋る物言いから、依頼料は横に居る男の手弁当かな、と推測した。恐らくは生徒のためだろう心意気に、男前だなあという感想を抱いたデンスケは、それはそれとして美味しい仕事だと全てを平らげる覚悟を決めた。
『こちらの使い手の戦い方を、実地で学べる絶好の機会じゃしの?』
(あの曲者の副長、ここまで読んでたのか? ……どちらにせよ、見逃す手はねえな)
目立つことになるし、逆恨みを受けるかもしれないが、デメリットよりも今日の晩飯をデンスケは優先した。
「―――承知しました。良い授業にしましょう、教官殿」