31話 : 初戦と確信
「色々とご破算ってレベルじゃねえな……」
どうしよう、とデンスケは悩んでいた。事件があった日の昼休み、教習所の食堂に漂う空気がまるで違っていたからだ。戦時でもあるまいし、と鬱陶しそうにため息をついた。
想像以上に影響が大きかったようだ。喧嘩祭りの続行にも、影響が出るだろう。昨日までとは完全に前提が異なっている。デンスケは現状を確認しながら、今後の方針について相談しようとリィに連絡を試みた、が。
(まーた繋がらねえな……い、忙しいからだよな? 連絡先聞いてきてウゼェからニセ教えとこ、とかそんなんじゃないよな?)
『自責の念が疑心暗鬼にクラスチェンジしとるぞ』
そんな娘には見えんかった、とジャッカスが呆れ混じりにフォローをする。そうだよな、とデンスケは繰り返しつつきつね蕎麦をすすっている、その時だった。
「邪魔するぞ、野蛮人」
「お前は……ミスジだっけ?」
「誰が牛の希少部位だ! ミハルだミハル!」
額に包帯を巻きながら怒る“エセ”がついた優男に、デンスケは微笑んだ。なかなかのツッコミ力持ちだと。
「それで、何で怪我してるんだ? 教習車に頭でも轢かれたのか」
「その場で死ぬわ! ……上役に殴られたんだよ、クソが」
試験後の案内が出来なかったことを責められたという。一気に信用がなくなったがどうしてくれるんだと恨めしそうな顔をするが、デンスケは知らねえよと出汁をすすった。
謝る気はなかった。喧嘩祭りというイベントを知っていた場合でも同じ対応をしていたからだ。誰が決めたかは分からないが、勝手な都合で不意打ちを仕掛けてきたどころか、見下すような発言を浴びせられて反撃もしないというのは、自分が腑抜けた間抜けの臆病者であることを証明する行為に他ならない。
デンスケがそんな理屈を話すと、ミハルは頬を引きつらせた。
『これで怒らんとは……ふむ、見下す云々はコヤツの勝手な解釈か』
(なら、話し合いの余地はある訳だけど)
そもそも、祭りが中止になる可能性だってある。デンスケが質問をすると、ミハルは舌打ちしながら付いてこいとだけ答えた。
方針が迷子の現状、虎穴に入るのも手か。ため息をついたデンスケは、不満そうな表情をするミハルに付いていくことにした。
他の教習生とすれ違いながら廊下を歩く。午前中と変わらず、所内にはそこはかとない緊張感が漂っていた。エビスのテロと関連がある、と考えている者が多いのだろう。次の標的はどこか、と少し深く考えればこの教習所が危険であることは自明の理だった。
もしも、何者かが仕組んだ事件であれば。可能性がある以上、祭りは中止にすべきだというのが普通の考えだろう。だが、案内された先、責任者が出した答えは「続行」だった。
「それで―――氷室霧八洲サンだよな? 中止にしない、できない理由を教えてくれると助かるんだが」
1階の外れ、そう広くない個室の中。案内された先で、デンスケは責任者の出した結論に疑問を返した。納得が出来る理由をくれ、とニッコリ笑顔で。周囲の者がどよめく中、言葉を向けられたキリヤスはデンスケと同じく、笑顔ではっきりと答えた。
「あれは不幸な事故だった―――それだけだ。なるべく、という前提はあるが……間抜けな話だよ」
「……ま、言われてみれば尤もスね。予想ができないからこその“事故”だし」
殺傷なしというルールがあるとはいえ、鍛え上げた戦技を持つ心石使いの殴り合い。アクシデントが絶対に起こらない、というのは机上だけの話だ。どちらが上かを競う以上、ムキになって引き時を誤る者も居る。故に、第三者の意志が介在しているかどうか、証明が難しい。
デンスケも、そのあたりは分かっていた。だが、中止をするのに事故だと断定する必要性がどこにあるのか。続行の危険性を目の前の大男が分かっていない筈がないのに、とデンスケは考えたが、判断できる材料が無いため口を噤んだ。
「……分かって貰えたようだな。そこで、君に話がある」
キリヤスは安堵のため息を吐くと、早めに初戦を済ませて欲しいと告げた。祭りはポイント制で、圧勝が3点、勝利が2点、引き分けが1点。10点になると勝ち抜けで、あとはトーナメント方式で優勝者を決める方式だ。そして追加されたルールを聞いたデンスケは、ため息をついた。
「心石の強化はあり、ね。あくまで身体能力の強化だけだと」
「ああ、言うまでもないだろうが障壁の展開は無しだ。泥仕合になる可能性が高まる」
事故防止のための対策だという。勝者はポイントを重ねて、栄光へ。一方で試合の敗者のペナルティは4時間の再戦中止だけ。何度負けても構わないというルールのため、試合自体を行わない者が損をすることになる。
「つまり―――公平性が肝要?」
「イエス、と言っておこう。……よくよく分からない男だ」
キリヤスは苦笑しながら頷いた。デンスケは困惑しながらも、肯定が得られたのならと追求はしなかった。
「分かった……指示に従う、っスよ?」
「ならば早々に試合を。今なら特例で、付き人の選定権を与えるが?」
キリヤスの背後に居た女の使い手が二人、前に出る。どちらも整った顔立ちで、片方は怜悧なイメージを、片方は勝ち気さを感じさせる。デンスケは小さく頷いた後、ならばと親指で付き人を選んだ。
「え? ……俺?」
「気絶させたのは、やり過ぎだった。謝罪を含めてこいつで頼む」
「了解した。―――ミハル」
告げて、見る。それだけでミハルは背筋を伸ばし、敬礼を返した。
「……良し。それでは、運営を妨げないように頼むぞ」
教習所の裏、人気のない場所。デンスケは一戦目の相手が来るというので、ミハルと二人で待っていた。注目するようなカードではないため、見物人も居ない。
「前座中の前座、って所か」
「当たり前だろ。相手が何人かは連れてくると思うけどね」
必須だから、と言うミハルにデンスケはぴくりと反応した。
「野次馬ゼロだと商売上がったりだもんな。メインイベンターには何人集まるのかね」
「100人は下らない、と聞いてるね。大物気取りのアンタには、一生届かない数さ」
「……さっきのやり取りか」
氷室本人は怒っていなかったが、控えている者たちは明らかに違った。尊敬されるだけではない、仰がれているのだろう。そして、畏れられている。視線だけでミハルを分からせた様子から、デンスケは責任者たる彼の実力を色々と察することができた。
「それに、強いしな。いや、結構なものをお持ちで」
「当たり前だろう、バカにしているのか?」
「いや。だからこそなんでだろうな、と―――お出ましか」
デンスケの強化していた聴覚が足音を捉えた。振り返ると、痩身の男が近づいてきた。周囲に何人かの使い手が居るが、デンスケは目の前の男に集中した。
「……アンタが遅刻した野郎か?」
「そのようだ。で、お前が小手調べの相手か」
「抜かせよ雑魚助」
「デンスケだ」
「――カリト。お前が忘れられなくなる名前だ」
痩身の男が、カリトが構える。デンスケも応じ、重心を落とした。踵を浮かせ、どのような攻撃が来ても即座に対応できる構え。張り詰めた空気に気づいたミハルが、待ったをかけた。
「まだだ! 悪いけど、急いで下さい。今にもおっ始めそうなので」
「わ、私は赤、新人に1万!」
「俺は白に1万。……え、君たちは白? 仕方ないな」
僕は赤で、とジェントルマンを気取る男。談笑しあう男女が4人。
デンスケは、気づいた。成程つまり、と仕組みを。
(――後だ、全部)
ゆっくりと、拳を上げる。ミハルは緊張した様子で、試合開始前の口上を始めた。
「赤の方―――デンスケ。白の方―――カリト。両者、尋常に」
互いの圧力が高まる。カリトは見た目に分かるほど、デンスケは静かに。
勝負、というミハルの掛け声が場を満たし、次の瞬間にデンスケは大きな拳を見た。自分の眼前にまで迫る拳を。予想外の事に避けきれず、頬の端に拳の端が引っかかった。逆らわずに首を回し、横へ。デンスケは振り返った先で、走り抜けた敵の姿を睨みつけた。
「……せっかちな野郎は嫌われるぞ」
「亀に比べれば、誰だってな」
どちらともなく、構える。
デンスケは僅かに切れた頬の内側を舌で舐めた。鉄のような味が、全身の体温を上昇させる。カリトは、気を引き締めた。重ねて4戦、初撃がクリーンヒットしなかったことはある。だが、手応えが無かったことが気にかかった。
ふう、とため息が溢れる。
「出し惜しみしている場合じゃねーな」
あの韋駄天に追いつくために。五感を強化していたデンスケがその声を耳に捉えた直後、カリトの姿が消えた。
(左!)
視界の端に捉えた影をたよりに、視線をずらす。だが、そこに敵の姿は無かった。じゃり、という音は右から。反射的に上げた腕に、足の裏と衝撃が襲った。
「ちっ!」
舌打ちしたカリトが、急いで離れる。デンスケは蹴りを受けた右腕を擦り、痛そうな顔をした。
「早いけどそれなりだな、でも―――」
「うるせえっ!!」
言わせない、とばかりにカリトが強化を高めた。漏れ出る緑色の心素が、その勢いを物語っていた。
影さえ踏ませない、と視線だけで語ってくる。デンスケは握りしめられた龍頭拳―――均等にではなく、中指だけが先に出ている拳の形を見て、ため息をついた。
吐き出された息が戻るまで、一瞬。それだけでカリトは6mの間合いを詰めきり、デンスケの顔面に向けて拳を振り抜き、殴る勢いのまま駆け抜けた。
そのまま、1歩、2歩、3歩まで辿り着き、
「く……けっ」
白目になったかと思うと、膝から崩れ落ちた。ミハルが慌てて駆け寄る。カリトが口から泡を吹き、完全に気を失っている様を見ると、急いで立ち上がり手を交差させた。
圧勝での勝利が認められた後、デンスケは気絶したカリトを見下ろし、告げた。
「言っただろうが―――せっかち過ぎるって」
「なーなー、どうやったんだよダンナ」
勝負の後、医務室。そこで治療を受けている最中に、ついてきたミハルが先程の勝負について尋ねた。起きたことは分かるが、何がどうなったのか。しつこく聞いてくるミハルに、デンスケは掌を上にして笑顔を返した。
「ぐっ! ……くそ、罰金くらって財布が心もとないってのに」
それでも好奇心が勝ったのだろう、ミハルが千円札をデンスケの掌に叩きつけた。この金額なら、とデンスケは簡単に説明した。
「カウンターの掌底で早漏サンの顎を揺らした、以上」
「それだけ?! も、もうちょっとサービスしてくれても」
「材料は与えたんだから、少しは自分で考えろよ……イエスかノーの質問には答えてやるよ」
暇だし、とデンスケが呟く。ミハルは納得いかなそうな顔で考え始めると、もしかしたらと尋ねた。
「せっかち、ってそういう事? ……そういえばフェイントとか、牽制の攻撃とかも無かったな」
「イエスだ。速度を活かして反撃しきれない死角から攻撃するとか、色々方法はあっただろうに、全部顔面狙いだった」
見るからに速度特化、ならば相手を翻弄するのが肝となるだろうに、カリトの攻撃はどれも直線的だった。二撃目の蹴りも、狙いがミエミエだった。
「あー、でも野郎がそうなった理由は分かるかも」
「……もしかして、噂の韋駄天か? 第8地区出身の」
「そうそう。前の試合で、相手を一瞬で倒したらしいよ。それも真正面からの蹴りで」
開始直後に、無防備な顔面の中心に蹴りを決めたらしい。デンスケはやっぱりおっかねえな、と予想以上の速さに戦いた。
「知り合いの担当に聞いたんだけど、予備動作も何も見えなかったって。あれに憧れたとか、真似したかったとか?」
「因縁でもあったかもな。かなりの速度特化だったし」
「早々に見切ってカウンター決めたダンナが言う言葉じゃないね」
決着まで3合、それもクリーンヒットなし。圧勝と呼ぶには十分の試合を見たミハルは、態度を60度ほど変えていた。
「……掌返しが早すぎだろ。戦術次第じゃ、一撃程度は食らってたと思うぞ」
それに、完全に見切れた訳でもない。拳の形と視線からから顔面に来るのを察知、効いたフリをして相手に若干の優位性を錯覚させた上で、制御しきれなかった心素の動きからタイミングを読み取った。最後に視覚を強化し、左手で捌きながら全く痛んでいなかった右手で心理的な死角から掌底を振り抜いた。
『万が一にも死者が出ないように、か』
「ここで犯人にされるのも拙いからな。責任者の胃を好んで痛める趣味もないし」
「えーっと、それどういう意味?」
「宮仕えは辛い、って所だよ下っ端サン」
デンスケの呟きを聞いたミハルは、意味が分からないと訝しげな表情をした。デンスケは、そういう所だよと軽く笑った。
(――賭博、か。考えてみれば、おあつらえ向きだよな)
『見てて楽しい儲けて楽しい。ありがちなキャッチフレーズだが、王道だ』
治安の良い街に一時の娯楽を、ということだろう。ミハルの言動から察するに、一般常識の範疇らしい。デンスケはこの催しを中止にできない理由も、そこから推測することが出来た。
馬であり、艇であり、自転車なのだ。出走者同士が衝突する場があれば、賭ける者が居る。一戦一戦を楽しむ者から、優勝者を当てようとする者まで。その中に偉い人物が含まれている、そういう話だ。
(金と人、どっちが大事なんだよ……って考えるのは的外れか?)
『同種のものだからな。尽きれば死ぬ以上、どちらも生命線だ』
(借金持ちには耳が痛いな)
暴力が横行する世界。金で雇われれば、人を殺せる者は大勢居るだろう。そして一般市場における生命という株価は、大空白以降に暴落した。
代わりに台頭したのは、面子、名誉、地位といった形なき名札だ。力でそれらを集めなければ侮られて、舐められる。
(野蛮人ばっかりだ。もっと文明的な生活がしたい)
『ふむ、例えば?』
(うどんにどの天ぷらを乗せれば最高の味が出るのか、という議題をつきつめたいね)
『結局は食欲か!』
(本能と言って欲しい。……ともあれ、大惨事にならない限り中止されることは無くなった訳だ)
連合からの協力を渋った理由も、そのあたりにあるような気がする。デンスケはふと、ミハルに尋ねてみた。連合からの打診について聞いたが、初耳のように虚を突かれた表情になった。
「いや、でも……今まで事故がゼロだった訳でもない。考えすぎだよ」
「気にしすぎだ、と笑い話になるぐらいがちょうど良い。徒労を感じるのがオレだけならな」
万が一の事態は既に起こっている。しかも、このタイミングで。安心できる要素なんて欠片もないと、デンスケは巡り合わせを恨んでいた。
だが、辞退はできない。この事態、止められる者は壇上に居るものだけだとデンスケは理解していた。発言力がなければ注意さえ促せないのは、キリヤスと対峙した時に痛感したからだ。
「と、そういえばミハル。お前、第7地区出身の一人にコイン当てただろ」
「え? えーと……ああ、そういえば。反応したけど遅くて掴めなかった奴ね」
完全に不意を打たれた、と愚痴っていたらしい。数多くの脱落者の中の一人だから詳しくは覚えてないけど、とミハルは面倒くさそうに答えた。
「自信満々そうに見えたけど、酷いもんだよ。テストのクリア率は年々下がってると聞いたけど、予想以上だった」
近年になって心石使いの量が増えつつあるが、質は低下し続ける一方だという。デンスケは過去の使い手の質は知らないが、基本が出来ていない者が増えていることは、副長ことリキヤから聞いていた。
「……定石通りに戦えれば、強いんだろうけど」
「言い訳にしか過ぎないね。地元しか通じない口だよ、あいつは」
川向こうの害獣は季節が変わるごとに新種が現れるらしい。初見で対処できない者は、あっさり腹の中。そうでなくても、指名依頼で他区に行けば慣れない害獣ばかりで苦労するのに、とミハルは責めるように愚痴った。
「空っぽの自信で何をしようってんだか。ま、そんな事だから実績が欲しかったんだろうけど」
「……なんだそれ。優勝したら弱い奴でも強くなるってか?」
「え、知らないの? 知名度とかあれば補正がつくんだよ。周囲の誰もが認める実績があれば、心素変換効率に影響を及ぼすって……常識だよ?」
軽度の概念暴走で、変異の一種だという。勲章や称号により、本人の存在強度―――俗にはレベルと呼ばれるものが上がるのだと。自分だけではない、誰からも強いと確信されれば、世界はそのように変質すると。
「……資格、のようなもんか。これ持ってるから強い、って感じの」
「そうそう。数字にするのは色々と難しいから、明確な基準は儲けられてないけど……影響は絶対にあるよ。使い手だと、ほら。何となくだけど、分かるでしょ?」
「言われてみれば、確かに。2階の戦技者と認められた後、出力が上がったような気がする」
自分は強いと、確固たる自信があれば出力が上がる。過去にそういった経験はあるが、功績や地位が影響を及ぼすという仕組みは聞いたことがない。デンスケは訝しんだが、確かな効果を感じている以上、気の所為だと思うことは出来なかった。
(大物を倒した後も、出力が上がったような気がしたが……あれも、か?)
あちらの世界では無かった話だ。本当であれば、参加して優勝を狙う者の気持ちと、中止できない理由が理解できる。今より少しでも強くなりたいというのは、使い手としての本能の一部なのだから。
『問題は、優勝という蜜に集うモノの習性さえ利用されていることだが』
(その可能性は高い……厄介なパーツが組み上がってきやがったぞ)
保険に、という話ではない“ど”がつく本命だ。金、力に名誉。関係性が深いそれらは密接かつ強固に組み上がっているからこそ、《《内部からの攻撃に弱くなる》》。利用しない理由はない、自分をテロリストと考えれば実行しないはずがない。
デンスケは窓の外を見て、舌打ちした。エビス事件と同様に最悪な事態を狙っているテロリストが、この街に潜んでいることを確信しながら。




