29話 : アベノ教習所
そのビルは空に留まらず雲の先を突き抜け、更に上へ、天まで突き破る勢いで伸びていた。そびえ立つ威容は神々が住まう巨峰のように、大自然の雄大さが連想させられる。デンスケは天王寺の中央でアベノ新天空ビルを見上げながら、ただただその有様に圧倒されていた。
「非現実的にもほどがあるだろ……何がどう作用して、こんなになるんだ?」
変異と一言で済ませられるものではない。神の力が具現化すれば、こんな感じなのだろうか。大空白で世界に何が起きてどうなってしまったのか。未だに判明していない理由が、デンスケは分かったような気がしていた。それでも、人は生き続けなければならない。かつての文明の結晶や、新しい世界で生み出された力を利用して。
異変により様々なものは喪失し、変性した。知識人や開発の道具が無くなり、多くのモノが使えなくなった。その中でも、ずっと変わらずに使い続けられているものがある。その一つが、車である。居住区の内外を移動する際に用いられ、害獣という脅威を寄せ付けない4輪駆動の箱は色々な意味で重宝されてきた。
それだけに、扱いは慎重になっていった。免許を取る段階から選定されるほどに。最初に、所属している組合からの推薦状が不可欠になる。その上で教習所に300万円を支払わなければならない。デンスケは一般の狩人が10年かかって辿り着くであろう場所に立っていることを自覚しながらも、深い溜息をついた。
(……殺し屋になった覚えはないんだが)
デンスケは推薦と金額を報酬にと、組合の副長であるリキヤから出された依頼を思い出していた。
要約すると、テロの未然防止だ。狼に関連する特異害獣の出現と討伐という事件を経て、狩人組合と勇者連合がついに重い腰を上げた。本格的な調査が始まったのが、一週間前。だが、テロ組織の全体像が未だに掴めていない。候補さえ上がらないのだから、異常な事態であることが分かる。だが両組織とも、そこで思考停止をするような間抜けばかりではない。
組合と連合の頭脳組が今までの事件から、次に狙われる場所の候補を複数割り出していた。その内の一つが天王寺にあるアベノ教習所だった。免許取得のハードルの高さから、この場所は一定以上の武力や権力、金の力を持っている者が集まってくる。将来を有望視されている心石使いや、各会社の幹部など重要人物は、必ずと言っていいほどこの場所を一度は訪れる。テロの被害を大きくするにはうってつけと言えた。
故に、狙われる前に潰す。テロが起きるその前に下手人を捕縛ないしは殺害するというのが、組合から出された依頼だった。
(とはいえ、なあ)
デンスケは自分と同じようにビルを見上げながらはしゃいでいる4人組と、不敵に笑っている2人組を見た。同じ第7地区から派遣された、同じ依頼を果たさんとする同士であり、《《競争相手》》だ。
誰が言った訳でもない。だが、後金の3000万が成功報酬と告げられた時点で、協力しあうという考えは消えた。今も馴れ合わず、少し離れた位置でそれぞれに行動しているという所がその証明と言えた。
(しかし……全員が結構な使い手だな。組合の本気さが分かる)
それだけに自負がある。自分だけでいいという自信も。探るように視線を向けていたデンスケに気づいた各集団のリーダーが二人、笑いながら手を上げた。
「提案があるんだがな。ここいらでチームごとに解散、ってのはどうだ」
「賛成だ。お前はどうする?」
茶髪で長髪の男の言葉に、金髪を刈り上げた男が頷き、デンスケを見た。
「……連絡先の交換もなしに、このまま?」
「そのつもりだが、なんだ、ひとりぼっちが寂しくなったか?」
「ああ、そんな所かも」
茶髪の男、コウヤという4人組のリーダーの皮肉にデンスケは頷く。返ってきたのは、嘲笑と肩をすくめる動作だった。
「止めといた方が無難だろ。誤情報を流されてもかなわん」
「ああ、足の引っ張り合いに時間を割いてる暇もない」
競争相手である以上、互いがライバルだ。協力できる筈がない。かといって揉め事を起こし他所の地域の使い手や、地元の連中に目をつけられるのはよろしくない。合理的にいこうぜ、と金髪の男―――レオと組んでいる女は教習所に向かって歩き始めた。4人組もそれに続く。デンスケは去っていく背中を見送った後、深い溜息をついた。
「報酬と名声が最優先、ってのは分かるけどな……」
『別の地域からも狩人が派遣されている。最速で仕留めるために、安全マージンを削る方を優先しただけじゃろう』
出し抜かれるよりは、という選択だろう。デンスケは分かってはいても、黒幕かテロリストの恐ろしさを一端だが理解しているため、心配になっていた。
人を喰らうなどのプロセスが必要だが、脅威度10程度の害獣を何体も生み出せるのだ。仕組んだ本人がそれ以下だと思うのは、希望的観測に過ぎる。その上、各地に情報ネットワークを持っているであろう連合や組織、中央府からも尻尾を掴ませない程度に頭が回る。デンスケは敵が自分たちのようなヒットマンが出ることを想定してないとは思えなかった。
「とはいえ、虎穴に入らずんば虎子を得ず」
『うむ。アーテ達も頑張っている、死なない程度に気張れよ』
前金は既に受け取っている。免許を取れれば、最低限の報酬は獲得できるのだ。余計な危険を犯すよりも、自分の目的を優先しよう。そんな気持ちで、デンスケは教習所へ続く道を軽い足取りで歩き始めた。
「教室番号9、9はどこだ……あそこか」
受付を終えたデンスケは、最初の授業を受けるために教習所内を歩いていた。見かける人物はみなそれなり以上の格好をしている者で、年上ばかり。やや居心地の悪さを感じてはいたが、異世界に飛ばされた時ほどではないため、デンスケは数分で慣れていた。
教室に入り、空席を探す。後ろの方は空いていない。グループでまとまっているのだろう、数人がかりで固まり、大人とも子供とも言えない者が雑談を交わしていた。前の方はやや空いていて、ぽつり、ぽつりと個人で座っている者が多い。腕を組んだまま眠っている者、本に目を落としている者、様々いるが誰もがそれなりの使い手のように感じられた。
(しっかし広いな……探しきれんぞ、コレ)
詰めれば100人は座れるであろう、大きな教室。パンフレットを見れば、これがあと10はあるという。単純計算で1000人だ。免許を取ったものから教習所を去っていくため、常に満員状態というのはあり得ないだろうが、たった一人でこの中からテロリストを探して対処することは無理なような気がする。
そんな憂うデンスケ達の前に、教習所の者であろう教官が現れた。眼鏡をかけた、いかにも真面目そうな人物。マサヨシとは違うな、とデンスケは内心で笑いながらも、力量で言えば教壇に居る青年の方がずっと上であることを見抜いていた。
『テロを警戒した教習所がよこしたトラブルシューターか、誰かの護衛か』
(ひょっとしたら、入れ替わったテロリストだったりして)
『分からんが、可能性はあるんだろうな……というか、情報屋も居ないのにその線まで考えねばならんのか』
難儀だな、と悩む二人を置いて授業が始まった。最初に説明されたのは授業の種類と流れについて。種類は学科と実技に分かれていて、実技の方は定員があり、事前の予約が必要になるという。
学科は決められた時間割の中から授業を選択する。全部で20あるが、集中して受ければ一週間でクリアできる。後は試験で一定点数以上取ればOK。実技も同様で、両方を合格すれば免許が貰えるという流れだ。
デンスケは事前にパンフレットを読んでいたため、ここまでは予想していたこと。目を丸くしたのは、前のモニターに実技試験が行われる場所が映し出された後だった。
教習所の周辺、天王寺界隈の地図にはビルや教習所の位置と、実技が行われる待合所があった。ビル前の商店街や、商業施設も多くある。だが一箇所だけ、ビルより2kmほど離れた場所に、まるで爆弾でえぐり取られたようなエリアがあった。
過去、阿倍野付近は激戦区だったことから、その時に出来た痕ということは分かる。それでも天空ビルに近く、一等地であることは間違いない場所を復興もせず放置している理由はなんなのだろうか。
困惑するデンスケを置いて、説明に続き1時間目の学科の授業が始まった。
「ああ、それは大戦の時の焼痕だよ。当時の青の賢者の初代様が使った、大規模崩壊術式の名残だね」
放射状に広がった術式は展開していた数百の使い手を吹き飛ばしただけではなく、空間に破壊の概念を含ませるまでに至った。以来、建物を建てる以前に重機を搬入した所で原因不明の故障や部品の損耗があり得ない速度で進むことになったという。
「お詳しいこって。それで、わざわざ説明してくれる親切なアンタは誰だ?」
食堂の脇、少し暗い場所でうどんをすすっているデンスケは突如現れた優男に名前を尋ねた。頼んでもいないのにどうして、と。男は出現した時から変わらない笑みを携え、答えた。
「名前はまだ教えられない。ただ、分かってるだろ? この年で教習所にまで至ったのなら」
つまりは、各地区の将来を担う若手ということだ。デンスケは他人事のように考え、うどんをすすった。動揺しないデンスケを見て、男は少し顔色を変えながら話を続けた。
「君、使い手だろう? 興味がない筈がないんだけど」
「崩壊術式については興味あるよ。だから、一応は礼を言っとく。でも、ずっと残ってるものなのか?」
「……結果が物語ってるでしょ。色々と試したらしいんだけどね」
放射能より性質が悪いらしいよ、と男はため息をついた。無理もないな、とデンスケは窓の外をちらりと見た。天王寺はこちらの世界と異世界を繋ぐ場所、人と物が集まる重要な拠点だ。第7地区のどんな土地よりも、地価が上だろう。ビルに近い場所ということもあり、可能であればすぐにでも復興したい筈だった。
(……いや。ビルに近いから、大規模戦闘が起きたのか?)
軍事面で考えれば、どちらの勢力も絶対に抑えたい場所と言える。故に死守と奪還がぶつかり合った結果、最低限守るべき倫理のラインを超えてしまった。
(教習のルートも、な。あれだけ平地が多いのは、大戦時の名残だろうな)
開発する旨みが少ない土地だからだろう。方陣術人死にが多く、不吉な噂が蔓延したことだろう。そうでなくても、大勢の人が死んだ土地と知れ渡っているのだ。金があった所で買いたいとは思えない。
「ご愁傷様って所か。それで、なんでオレに目をつけたんだ?」
「君が牙を持ってるからだよ。自分で磨きぬいた牙を、ね」
男の説明によると、この教習所に年若くして訪れる者は2種類に分かれるという。お金持ちの子息か、才能溢れる戦技者か。大金やコネが必要なことから導き出された結論だと男は告げ、デンスケはもっともだと頷いた。
「それで、エリートさんは牙を持ってるらしいオレに何の用事だ? 生憎とこっちに到着したのはさっきなんだ。調子こいてんじゃねーぞ、と言われても心当たりが」
「いやいや。ことは簡単、試しに来ただけ、さ!」
懐に手を入れてから、抜き撃つまでコンマにして4秒。放たれたのは硬貨による指弾。羅漢銭とも呼ばれる暗器が煌めいたのは一瞬、1秒後には標的の額に刺さっている筈だった――デンスケが放った指弾による迎撃が間に合わなければ。甲高い音が一つ鳴り響き、デンスケは弾かれて返ってきた硬貨をそのまま胸ポケットに迎え入れると、何でも無いように食事を再開した。
「……成程? 第7地区、間抜けばかりではなかったようですね」
「知るか。周辺の迷惑も考えられないバカに称賛された所で、ちっとも嬉しくないね」
人が密集している食堂だ、避けていればどうなっていた事か。言外に抗議するデンスケだが、男は小さく笑った後に非礼を侘びた。
「一応、自分なりに確認したつもりなんですが」
「思っても無いことを言うな。あと飯の邪魔もすんな、不愉快だ」
答えるなり、デンスケは食事に集中し始めた。それなりの格の人間が来るためだろう、うどんの味はかなりのものだったからだ。麺は普通だが、出汁で食べるオオサカのうどんは懐かしく、昔を思い出させてくれる。それを邪魔する優男の乱入は、デンスケの機嫌を加速度的に降下させていった。
気づいているのか、いないのか。調子を変えない優男は軽く頭を下げると立ち上がり、デンスケを見下ろしながら告げた。
「それでは、お気をつけて。怪我などをされないように、祈っておきます」
「……聞きそびれたんだけどな。何が目的でオレを見定めに来たんだ?」
数秒前までのやり取りは、まるで試験のようだった。ならば、何を確認するためのものだったのか。問いかけるデンスケの言葉に、男は名乗りを返した。
「――ミハネ、と申します。目的は試験。何が起きるかと問われれば、若年層限定の腕試し大会だと答えましょう」
将来有望で才能溢れる心石使いが集まった―――ならば仮初でも、この年代での最強を確認しておく事に意味がある。自信満々に紡がれた言葉に、デンスケは何も答えなかった。あまりにも予想外の回答に、思考が停止していたともいう。
「武器はなし、殺しもなし、全員が素手で。鍛えた肉体を競うべく、拳という友情を交わし合うことが出来るのならば、というコンセプトらしいですよ。ワクワクしますね?」
「しねえよ、はしゃぎすぎだっての」
ため息混じりに、デンスケは問いかけた。
「これ、毎年恒例の行事か? 教習所にも認められてる、とか言われると頭痛が酷くなるんだが」
「どちらもイエス、と答えましょう。地元の先輩から聞かされていなかったんですか?」
「生憎とな」
あのオッサン知ってやがったな、とデンスケは毒づいた。帰ったらその眉毛をむしってやると、密かに決意しながら笑った。
「嬉しそうで何より。ああ、勿論人死は出ない方向で頼みます。祭りのようなものなので」
「それに関しちゃ同感だ。同感なんだけど………なあ」
デンスケは無言でジャッカスに問いかけた。オレがおかしくなったのか、あるいは。返ってきた言葉は、世界は広いという一言だけだった。
「……今更オレ一人がごちゃごちゃ言っても収まらんのだろうな。なら、最後に一つ」
「なんでしょうか?」
「極秘情報だ。これはお前だけに教えるんだけどな?」
デンスケは立ち上がり、スイ、と視線を横に逸した。優男もつられてデンスケが見た方向に視線を移し、直後に意識を失った。前のめりに倒れそうになる男を、デンスケは面倒くさそうに手で支える。男の掌から硬貨が滑り落ち、音を立てて転がっていった。
「―――お返しだ。釣りは取っとけ、優男」
ルールの通り、心石で身体強化していない状態での払い打ち。軽く握りこんだ拳での3連撃で顎を揺らされた男をテーブルに寝かせると、デンスケは何も無かったように食事を続けた。
「うむ、やっぱり美味い。油揚げがあったら、言うことなしだったんだが」
『言っとる場合か。どうする、参加するつもりか?』
「拒否したら悪評が立つだろうしな。臆病者の腰抜けって」
チーム『カラーレス・ブラッド』の申請は済んだ。今は4人で一組の徒党になった。結成直後の今、他所の地域だろうと無様を見せて評判を落とすのはこれからの未来に関わる。力を売り物にする以上、舐められたら商売上がったりになるからだ。与し易いと判断されれば重要な依頼も回ってこないし、見目麗しい女性ばかりということもあり、狙われる可能性が高まる。
『どれを重要視しているかは、聞かないでおくが』
「うっせーよ。鍛え直しをするには、いい時期だしな」
レベルアップには刺激が必要だ。自分は未熟で、技量敵な限界などまだ先の先にある。模擬戦であろうとも、様々な相手と戦うことは良い経験値になる。亀のように縮こまるのも一つの安全策と言えるが、今も身の危険を犯しながら成長しようとしているアーテとスミネの姿を思うと、ここで芋を引くのは違うような気がする。
『十分な理論武装だが、実際の所は?』
「頼んでないのに勝手に試そうなんて輩は大嫌いだね。見下しながら宣戦布告されるのもだ」
仏でもあるまいし、三度目を待つ義理はない。言い捨てるなり食べ終えたデンスケは、椅子を立って食器を持ち上げた。
『さりとて、一人は辛い。変に目立つのも拙かろうが』
「知り合いでもいりゃあ解決なんだが、な……あ?」
デンスケは視界の端に見知った人物を見つけ、硬直した。あちらも同じようで、大きく口を開けながら人差し指をデンスケに向けた。
それだけに留まらず、駆け寄ってくるなりデンスケの服をぐわしと掴み、叫んだ。
「み、み、見つけた! あの時の嘘つきで変な生徒!」
「………勘弁してくれよ、カミサマ」
デンスケは頭を抱えた。青のサイドテールに、凹凸は少ないが均整の取れたスタイル、見ただけで人の良さが滲み出ている顔、その全てに見覚えがあったからだ。
そして、沈痛な面持ちになった。よりにもよって連合所属のランカーに捕まっている所を公衆に晒すことになったから。数秒の後、色々と諦めたデンスケは観念した様子で口を開いた。
「それで、エビス事件解決の英雄サマが木っ端戦技者に何の用で? ―――賢者ランキング15位、巷で噂のリィ・アルバトロスさんよ」




