2話 : 聴取と試験
「遠州界、18歳。出身はカワチナガノ。一時期、オオサカ市内に住んでいた過去アリ。ある日突然異世界に飛ばされて、苦労の末に戻ってきたら300年が経過していました、と……キミはカメでも助けてしまったんだね、多分」
バカにした物言いで、男は言う。
「“界”の漢字の田と介でデンスケ、ねえ………なに、本名出せないことでもやらかしちゃった?」
「……違います、師匠のせいっス。『オレと同じ名前とか100年早い』ってしばかれました。じゃあ、ってことで名付けられて、それから仲間内ではずっとそう呼ばれてたッス」
「ふーん。で、飛ばされた当時は15歳。異世界での戦闘経験、結構有り。長所はどこでも寝れること、か………こんな荒唐無稽な嘘八百を並べられても、おじさん困っちゃうんだけど」
暗い地下室の中、糸目の監査官の男は深いため息をついた。だが、取り調べの対象―――机越しに対面しているデンスケの表情を見ると、その顔を不機嫌なものに変えた。
「なに、なんか文句でもあるのかい? 狭い部屋でおじさんと2人きりはムサいだけだって? ああ、こっちも同感だね」
毛先ほどの感情もこめていない口調で、男は軽く笑った。
「それともこんな所で取り調べを受けてる状況が不満とか? そりゃそうか、中央府で取り調べを受ける予定だったもんね。それがこーんな僻地の支部に追い払われたんじゃ、割りに合わないよね~」
男は嫌味な口調でねちねちとデンスケを責めた。重箱の隅をつつくように文句を重ねてくる様は、地面にしつこくへばりついたガムを思わせた。デンスケは少し苛立ちながらも、目の前の男の肩書きの方が気になっていた。
(なんていったっけか……天領冥府オオサカ所属、環状線東部方面狩人連合、第7地区支部副長って名乗ったよな………どこからツッコめばいいんだよ、オイ。東部、っていうかこの場所は位置的にはツルハシ駅? の少し東らしいけど)
大阪の『環状線』は電車の線路の名前だ。デンスケは子供の頃に乗ったことがあるため、その単語は理解できていた。
大阪市の中枢部を中心にして、ぐるりと円を描くように線路が走っている。その円の北の端が梅田で、南が天王寺になる。天王寺駅の周辺は、阿倍野とも言われる。そう、あの奇想天外な変形を遂げていた、超巨大ビルが建っていた場所だ。
デンスケは少しだが、地理は理解できていた。だが、『狩人』という単語はあまり理解できていなかった。力で何かを奪うことを生業にしているのは確かだろうが、狩る対象が何か、あまり想像がつかなかったからだ。だが、目の前の副長なる男が腰に下げている剣らしきものを見て、嘘やハッタリの類いではないな、とデンスケは気を引き締めた。
(……冷静に。ここは、オレが知る平和な日本じゃない。戸惑っているだけじゃ、何も進まない)
デンスケは、阿倍野の超弩級ビルなる驚天動地な事象を見てから、逆に冷静になっていた。ショックの度合いが一回転して、開き直ったともいう。
(日本が、大阪が……この世界に何かが起きて、色々なものが変わったのは分かった。だが、どんな風に何が変わったのかがさっぱりだ………情報が欲しい。状況判断ができる材料がほぼゼロなのは、流石にヤバ過ぎる)
五里霧中の中、闇雲に行動して全てが上手くいく筈もない。今は指標を定めるための土台が必要だと、デンスケは情報収集に努めることを決めていた。
「……ずっと黙り込んで、考え事かい? この状況で随分と余裕なんだ。―――ああ、心石を持ってるからな?」
話を急に切り出した副長に、デンスケは虚を突かれたように硬直した。全くの予想外となる単語が出てきたからだ。
正直に答えるべきか、否か。デンスケは迷った後、素直に答えることにした。
「……まさか、こっちの世界で聞くとは思いませんでした。ストーンって、あの石の事ですよね……こっちにもあるんですか」
「当たり前の二乗だよ。異世界からもたらされたと言える唯一の恩恵……アレが無ければ、オオサカ府民は全滅してた」
「……そうッスか」
デンスケは心石がもたらす恩恵と力を思い出し、確かに、と頷いた。それを巡り、色々と争いが起きてしまったことも、理解の範疇だった。何故こちらでも心石がとも考えたが、デンスケはひとまずは置いておくかと呟き、小さなため息をついた。
「それで? デンスケ君。キミがアレを持ってる前提で話すけど―――あ、分かってると思うけど、ここで展開したら問答無用だからね」
「そこまで馬鹿じゃないっス。それで、さっきの質問に戻りたいんですけど……余裕とかじゃなくて。なんていうか、分からないことだらけでそういう問題じゃあないんですよ。こっちもめっちゃくちゃ聞きたいことがあって、それが分かればいくらか答えられると思うんスけど」
「質問に質問、ねえ………尋問受けてる犯罪者が言うことじゃないのは分かってるよね。キミ、組合舐めてるの? 自分の立場分かってる?」
「……実のところ、全然分かってないかも知れないから」
「ほーん、へーん、はーん、あ、そうなの。まあ現実逃避もしたくなるのは分かるけどね。いきなり3500万円の借金持ちになるとか、僕なら考えたくな」
「はぁっ?!」
デンスケは男の言葉を遮るように、勢いよく立ち上がった。
副長の男は笑顔になって、口を閉じた。
デンスケはその手がさりげなく腰に伸ばされたのを見ると、一瞬だけ迷ったが、大人しく座ることにした。その様子を見て、男は微笑みながら嬉しそうに告げた。
「キミを連行してきた、自称市民の盾の奴らさ。業突張りだよねぇ。ま、よりにもよって祭りの日に緊急出動させられる事態とか、ね。盛大にやらかしたキミが一番悪いんだろうけど」
「祭りって……それより、費用? 捜索費とか依頼費がオレ個人に? ぜ、全額じゃなくても、いくらかは市とか国が出したりするんじゃあ―――」
デンスケはそこで口を噤んだ。副長なる男の目が呆れを通り越して、気狂いを見るようなものに変わったからだ。話が通じない相手だと判断されれば、最悪の事態になりかねない。そう考えたデンスケだが、何を言うべきか分からなくなり、言葉に詰まった。
「あらら、またダンマリ。ま、費用の話をするけど、割高なのは僕も同意するよ。でも、必要にかられてってことじゃない? 隊員に渡す危険手当とか、奴らが持つ時代遅れのボロ武器の整備費とか。ふっかけてきてるのは間違いないけど」
「なっ、えぇ? 銃がよりにもよって時代遅れって、どういう……」
「そんなもん地元で教えられる初歩の初歩でしょ? あんな豆まき用の玩具、狩りで使ったら大恥かくよ。一応、質と数をかなりのレベルで揃えられたらそれなりに使えるけどねぇ……と。念の為聞いておくけど、ここまでの話。なんていうか、冗談で言ってるんだよね?」
「まさか。つーか、こんな所で嘘ついてなんになるんスか?」
「そうだよねぇ……」
副長の男は部屋に備え付けられている灯りを見ると、深い溜息をついた。デンスケは何度もその仕草を見ていたが、行動の意味が分からなかった。事態が悪化している訳ではないため、特に気にすることもなかった。
「……確定、か。つまり、全部本当ってことなんだ。キミが異世界から帰って来たばかりっていうのも、300年前に飛ばされたらしいってことも」
「そうっス。信じられないかもしれませんが、嘘は言ってません」
「いや―――信じるよ。業腹だけど、過去にいくつもの事例があったのは確かだし」
「はっ?」
「とはいっても、一番新しい事例が150年前……詳細が分かる資料も皆無と。でも、これだけは聞いておこうか。キミが行ってた“地域”はどれだい?」
“赤”か“緑”か“青”か、それとも“白”か。
その問いかけに、デンスケは首を傾げた。
「いや、意味分かんないんだけど……なんスか、その色分け」
「あー、ごめんごめん。こっちじゃ常識なんだけどね。その色は通称でね。正式には、確か……レッドランか、ブルールか、グリンティア。あとは、ワイト地方か。これで分かるよね?」
デンスケは名前と色の繋がりは分かったが、それ以外は聞いたこともなかったため、訝しげな表情のまま首を横に振った。
「……いや、やっぱり分からねえ。なんスか、その名前」
「異世界の国の名前だよ。それはもうけったいな異世界の中に点在する国のな・ま・え。心当たりがないのなら、平穏平和な草原生い茂るワイト地方になるんだろうけど」
「……へい、わ? ―――ああ、年号の話っスね」
「いや、分からないから。300年前にしか分からないボケだろ、それ。……嘘じゃないのが頭痛いなあ。参考までに聞くけど、キミが居たのはどんな世界だったのかな?」
問われたデンスケは考え込んだ。強いて言えば、飢えと暴力と怪物と廃棄物が主役を張っていた世界だった。死にかけた回数は両手両足じゃきかない程に。
だが、色々と説明するのが難しい世界だった。とはいえ、赤か緑か青という表現が適しているかと言われれば、はっきりと“否”だった。
色彩豊かではありえず、明るいものは酷く少ない。だが、決してそれだけではなかった。それだけではなかったとデンスケは頷き、答えた。
「“黒”っスね。誤魔化そうとしましたが、駄目です。超絶ブラックでした」
必死に生きなければ死ねという神様が作ったのだろう、理不尽極まる極寒の。食べるために戦う他になく、勝ったとして生き残れるか分からない。一言で言えば、何もかもが終わりを迎えていた世界だった。
「ふーん……これも嘘はなし、か。困るね全く、面倒くさい」
「そんな事言われても知らねっス。……ていうか、他の世界はどうだったんスか?」
「他ぁ? ……まあ、真っ黒と言われるほど酷くは無かったんじゃないかな。当時の証言によると、異世界に渡った日本人の中で死亡者は2名だけだったらしいよ……戦争が起こる前は」
「せ、戦争って……?」
「まあ、そんなことはどうでも良くてねぇ」
話を遮るように、男はため息をついた。
「犯罪者が嘘ついてるだけなら手っ取り早かったんだけどねぇ……時期が時期だし」
「……ちなみにっスけど、嘘ついてたら?」
「要らなくなったゴミへの対処は決まってるじゃないか。焼けるか焼けないかは判断する必要があるけどね。キミがそうじゃないのなら、まあ……ウチも一応は公的機関だし、建前と分別いうものがある」
「……結局は、ゴミ扱いされてるような気がするんスけど」
「似たようなものだね―――さて、これだけは言っておこうか。キミの境遇はかなり珍しいが、特別ではない」
ここ重要、と男は強く告げた。
「所属区はないし、心石登録の義務を怠っている。つまり、キミはその点だけを見れば立派もご立派な外人だ。最低限のルールを守っていない輩は、権利も道理も適用されない」
事実だけを告げる声に、デンスケは無言で頷いた。
更に、話は続けられる。
「今のキミは不法入府者以外の何者でもない。ただの厄介者だよ。そして、地元との繋がりもコネも役割も無いキミを、厄介事そのものである若者を好んで拾いたがる物好きはいない」
さりとて、どうしたものか、という呟きに含みをもたせた副長に、デンスケはしかめっ面になった。『ゴミではないと主張できる価値がお前にはあるのか』、と問いかけてきている気がしたのだ。そして、それは間違ってはいなかった。
デンスケは静かに、拳を強く握りしめながら考え始めた。
(話の筋は―――通ってる。嘘じゃない。そう信じることしかできない)
嘘か真実かの判断さえできない。その上で、とデンスケはもしも「価値がない」と答えた後はどうなるかを想像した。
(……刑務所か、留置所か。あるかどうか分からないけど、犯罪者の烙印は押される。荒廃したこの町で、法を犯した奴がどうなるのか)
少なくとも、想像より悪い扱いを受けるだろう。ここで引き下がれば多分終わる。抗うには、命のやり取りになる。正しいか、悪いか、全く分からない状況で逃げるために暴力を振るうことになる。
―――決まったな、とデンスケは身体から力を抜きながら、口を開いた。
作戦名、なるようになれ。デンスケはノリに合わせて話し始めた。
「ゴミよりは“カモ”として働けってことッスね? ……ちなみに、弁護士を呼んだり請求を拒否する権利とかは」
「好きにすればいい。金と信用とコネがあるのなら、キミは無実を勝ち取れるだろう」
「うわー………ほんっと、日本に何が起きたのか」
「……何が起こった、か。それは僕も知らないね。何十億人もの人間が求めても、何も得られなかった」
副長は肩をすくめながら、言った。
「決定的なことが起こったらしい西暦2119年の10月21日。その16時37分から17時17分の間は、神の時間だよ。自分が何をしていたのかさえ、覚えている者は居ない―――誰一人として」
大空白。起きた事象を総括して、男は小さく笑った。
「当時から今までの300年間。それこそ事情発覚から50年の間は、徹底的に調査したらしいね。そりゃそうだ。世界ごとしっちゃかめっちゃかになっちまったんだから」
「……他人事のように話すんスね」
「そりゃそうさ。僕たちは生まれた時からこの世界だった。文献を見て、年寄に話を聞かされて、多少の憧れを持てども、それ以上は望まないない。終わった話だからね」
デンスケはその言葉を聞いて、重くも軽いと感じた。自分が日本に居た頃とはまるで違う、命の喪失が済んだ話として受け入れられすぎているような。
端的に言えば、慣れているような。はたして何百、否、何千万、否、何十億と死んだのか。考えたデンスケは、少し怖くなった。
その内心を察した副長なる男が苦笑したのを見て、デンスケは息を呑んだ。
芝居とは思えない、諦めた表情を見て、動悸が激しくなったからだ。
ビルを見た後、市内に入った後は大阪市内の様子は見ることができなかった。車の窓に黒いシートがはられていたからだ。何らかの対策だろうが、聞くことは出来なかった。
そして、携帯の端末のようなものでやり取りを―――かなり怒声が混じっていたが―――した結果、支部の建物の地下まで運ばれた。自分を捕縛した者たちは書類を渡し、それきりだった。
(たったそれだけのやり取りで………借金おっかぶせられた事もそうだけど、まともな法が整備されていないよな、コレ。……そこまで壊れたか。死んじまったか)
『信じるな、誰が言ったか、世も末世』。21世紀末に世を儚んで詠まれたという句を、デンスケは思い出していた。
そう、世紀末だ。今のこの日本では、生きるために勝ち取らなければならない。デンスケは、それを確信した―――何よりも、あちらの世界の戦友との約束を果たすために。
「……それで? これから始まる話をしたいんスけど」
「おっ、いきなり乗り気になったね。でも心配しないでくれたまえ。なあに、すぐダンジョンとかに潜れーとか、そんな無体はしないから」
「あ、あるんスか、ダンジョン。大阪に」
「それはもう多種多様にー。一番有名なのは、ウメダの地下に広がってるアレだね」
「梅田って………梅田ダンジョン?」
「正確にはウメダ地下大迷宮だね。日夜、一攫千金を夢見るアホな探索者が張り切って死んでるよ」
笑顔の副長を他所に、デンスケは「ウメチカかよ」と内心でツッコミを入れていた。確かに、迷宮と言われれば納得できそうな規模と複雑さがあったが、ダンジョンになっているとは露とも思っていなかった。
「……って、ウメチカがダンジョン? ハルカスは、アレで………」
「まあ、一部だけど。結局はそういう事さ。キミが狩人になるのか、探索者になるのか、冒険者になるのか、旅人になれるのかどうかは未知数だけど―――」
副長の男が立ち上がった。安っぽい椅子の足が床を擦る音がした。
「――最低限の確認は必要だ。腕の方の価値を証明してもらおうじゃないか」
「はーい、それじゃあテストを始めるよー」
「……いや、まあ装備は返してもらいましたけど」
「パクられないで良かったね? ま、奴らが身ぐるみ剥がさなかったのは、色々と言い訳できないから、とかそういう理由だと思うけど。いやらしいよねー」
「あくまで金強請るのが目的だから、って話っスか。ま、オレが平坦顔の野郎だったから、って理由に一票投じますけどね」
「見目麗しい女性なら、って話? 良かったね、男でも見目麗しくなくて」
「いま怖すぎる言葉が……いや。つーかオレ、今からなにやらされるんスか?」
「就職試験だよ。今後のご多幸をお祈りされないように気張ってねー。……掃除屋に念仏とか唱えられないよう、ほんと頑張って」
処理にもお金かかるから、と怖いことを告げる副長なる男の言葉に、デンスケは顔をひきつらせた。
改めて周囲を確認する。元は工場らしき建物の1階で、車庫か作業場かしらないが、広いスペースの中で一人立たされていた。目の前には人間大の大きさのコンテナが一つで、出口は全て錆びきった扉か、廃材で封鎖されていた。
副長の男と、新たにやってきた組合員らしき女性はタラップを登った先にある壁付けの歩道の上に居る。
まるで、ステージだ、闘技場ような。デンスケは周囲を確認した後、嫌な予感が―――と思う前にコンテナが光り始めた。
ゆっくりと蓋が薄れ、デンスケはその姿を見た。
(大きな獣、狼のような―――それも3匹同時に!)
荒ぶったその息が物語っていた。命が、血が、肉が欲しいと。
「飢えた脅威度3の獣型が3頭、心石無しで勝てる相手じゃないよ」
デンスケから溢れる歯切りしの音を無視して、副長は言った。
「生きるは自由、その逆もまた―――選ぶかどうかは意思次第。使い手としてのキミを見せてもらうよ」
「こっ……んの、クソッタレの陰険野郎がァ!」
「ああ、ようやくキミの本音が1つ聞けたね」
デンスケは罵倒をしながら、握りこぶしを前に、集中を始めた。
戦うための宣誓を。
「―――遠州界の名の下に告げる」
初めての実戦、契約の時のようにデンスケは心の元に謡い、儀式は完璧に成った。
「今一度ここに誓う! 共に来てくれ――――無色の塩塔」