23話 : 拠点を求めて
―――ただ、圧倒的に白だった。銀や金では出せないだろう、光そのものを示しているかのような輝きがそこには在った。居住区外の一角で、ブレア・ルーネ・ウィステリオスは白光天臨閣で浄化された白の聖域から放たれる清らかな美しさを前に無言で佇んでいた。その背中から黒いものが抜けていったが、誰も何も言葉を挟むことはなく。しばらくして、デンスケは小さなため息をついた。
「……えっと。話をしても大丈夫ッスか、貴族先輩」
「ええ……人に見られたくないっていう理由も分かったし」
こんな規格外の方陣術法じゃあね、と。すっきりとした声で答えたブレアは、話の続きを促した。デンスケから提案された内容の、更にその先へと進むために。一通りの草稿を把握したブレアは小さく強い頷きを返した。
「それだけの価値があると認めるわ。何でも言って、全面的に協力するから」
「……いや、そこまで前のめりにならんでもいいような」
「するから。ええ、するわ、しやがるわよ」
逆に強く念押しされたデンスケは戸惑った。だが、悪いことではないと割り切った。方陣の提供の代わりに物質収納の装飾を処置込みで、というのはかなり割の良い取引だったからだ。
「ただ、そっちの……私、貴方に名前を聞いたかしら?」
「あ、アーテといいます。よろしくおねがいします」
「ブレアというわ。それで、物質収納だけはアーテではなくてデンスケに施したいのだけれど」
「え……いや、無理っスよね? 何をどうやっても装飾はくっつかなかったし」
最後の方は半ば意地になってたようだし、と答えるデンスケだが、ブレアは物質収納なら話は別だと理路整然と答えた。
物質収納の装飾形状は他の者とは異なり、紐のような形状になる。心石の一面に接着するのではなくぐるぐる巻きにすれば弾かれることもない。胸を張って告げるブレアに、デンスケは顔を引きつらせた。
「え、常時緊縛プレイ……?」
「……ぷれい?」
「どういう意味でしょうか」
意味がわからない2人は首を傾げた。デンスケは純粋な瞳に耐えきれず、曖昧な笑みで誤魔化した。ジャッカスの頭をがしりと掴みながら。
「え、えーと……そうか、それなら大丈夫そうだな! 装飾(物理)なら」
「でしょう! 他の装飾を付けられないっていう問題点もあるけれど」
「そういう意味じゃあ、装飾要らないオレが適任だな」
デンスケは納得した、と頷いた。ブレアはホッとした表情になると、そういえばと周囲を見回した。
「アキラは……やっぱり、あの事件の時に?」
「察しながらも直で言うのな」
察したならあえて黙っててくれればいいのに、と考えながらデンスケはアーテを見た。思った通りに、アキラを死なせてしまったという悲しみで表情が歪み始めていた。
デンスケは何かを言いたい気持ちになったが、アキラはブレアにとっても交友があった相手だと割り切った。一応は説明をするのが筋だろうと、デンスケは顛末を全て話した。
「………そう。やっぱり、死んでしまったのね………あの子が作った煮物、もう一度食べたかったのに」
「……そうッスね」
自分の知らない事実を知り、デンスケは驚きながらも告げた。練習中ですが、いつか持っていきますよと。ブレアは小さく頷くと、それじゃあとアーテを見た。
「私の住む場所も浄化をよろしくね、アーテちゃん」
「ちょっと待てそこのポンコツ。いつどこでそんな話になった」
当然のように頼んでくるブレアに、デンスケはツッコミを入れた。だが、ブレアはきょとんとした顔になった。
「え、だって……私にチームに入ってくれってことでしょ?」
「いや、なんでそうなるんだよ」
「オレに手を貸してくれとか、毎日煮物を作ってくれるとか……てっきりそういうつもりかと」
「ひとっことも言っとらんわ。つーか、それぐらい分かるだろうに、何とカマトトぶって惚けてやがんだ?」
ポンコツだが、そのあたりの機微は分からないように見えない。デンスケは何をそんなに強引な方法に出たのかと、ブレアを見つめながら考え込んだ。バツの悪い顔で目を逸らしているブレアの様子を見たデンスケは、まさか、と呟いた。
「スクールって、一次閉鎖になったんだよな……もしかして貴族先輩」
「言わないで」
「いや、言わせてもらう―――もしかしなくても、住所不定無職後輩にランクアップしちまった?」
「………ちがうの」
「あの、言い過ぎだと思います。きっと、その、ブレアさんにもふくざつな事情があるんですよ」
「そ、そう! 私には事情があるの! 事情がある女だから」
デンスケは乾いた目をしながら、ブレアの必死の説明を1つ1つ聞いた。それは、聞くも涙、語るも涙の辛い物語だった。
―――要約すると、連合寄りの貴族がよりにもよってこの時期に組合の領域に正面から入り込むとか正気がお前けーれけーれ、とお断りをされた話だった。
狩人組合と探索者組合に行ったが、笑顔で中指を立てられた後に親指を下に向けられ、迷い害獣のようにしっしっと追い払われたらしい。デンスケはどんだけ嫌われてんだ、と思わないでもなかったが、触りだけ聞いた戦争の話を思い出し、何も言えなくなった。
「あ、でも装飾屋としては? 方陣術法を売るってのもアリかと」
「……店舗の家賃と開業の頭金の話、聞く?」
「オーケーオーケー、オレが悪かった。だからそんなに凹むな、アーテを抱きしめようとすんな」
ブレアは端正な顔を歪め、眉を八の字にしていた。泣き出しそうな声で「ひっそりと売ろうとしたら、物陰に連れ込まれそうになったし」と間一髪だった話をし始めた。
デンスケはこの世界の闇を感じつつあったが、そういう事かと頷いた。
「先輩風吹かせて、オレたちにあやかろうと思ってたんだな。さっき怒ってたのもオレのせいじゃなくて」
「それは違う。私、何でもするって言ったのに。あの時、君は何の答えも言わないまま逃げたから……」
「まま待ちやがれ、人聞きが悪すぎる。ち、ちがうんだアーテ、そういう意味じゃなくてだな」
悲しそうな顔をするアーテに、デンスケは必死に弁解をした。ブレアは自分の言葉の裏の意味を理解していないのか、首を傾げていた。
『話が進まん。まとめると、体を売る以外に日々の糧を得られなくなりそう。だから助けて欲しいと、そういうことじゃな?』
「……棒の癖に」
『箱入り娘がうるさいわ。一方で、デンスケは協力者を探している。裏切らず、アーテに危害を加えない仲間を欲している訳じゃが』
「まあ、そういうこったな。そうなると、後の問題は住居だけになる訳だが」
元々、デンスケはアーテと2人で組合にチームの登録をするつもりだった。その中にブレアを加えることは可能といえば可能だ。組合は恐らく、スクールでの事件にブレアが関わっているのではないか、という疑念を捨てきれていないのだ。
デンスケからリキヤにスクールでの事件の背景を伝えれば、その疑念は晴れる。ヤスヒロの件での貸しもあるため、代価は要求されないと思われた。
だが、住居に関しては別だ。この外見でこのポンコツ加減、それも手持ちの金が少なく、連合を嫌う者が多い居住区内に一人暮らし。どう考えても事案が発生する。それも、自分たちと同じような人死にができる規模の。
(貴族パイセンは心素量が多い。典型的な術者タイプだけど、決して弱くねえだろうな……どう考えても人死が出そうだ)
手加減ができるタイプには見えないから、勝利と襲撃者の殺人はイコールになるだろう。考えたくもないが、逆の状況になったらなったで大問題だ。組合の責任能力を問われて、連合との関係悪化に繋がりかねない。
そもそも、どうして貴族っぽい立場の女性が一人でこちらに来ているのか。デンスケは軽く尋ねたが、ブレアは目を逸らすと黙り込んだ。それでは通じないと薄々感じつつも、言いたくないという雰囲気を出しているブレアに、デンスケはため息をついた。
「……無闇な詮索はしない。ただ、これだけは聞かせろ」
敬語を放り捨てながら、デンスケは問いかけた。
―――半端な真似をするようなら今すぐ国に帰れ、と。
「方陣について、入手の経緯や事情から話す必要がある。ちょっと特殊なモンでな。それを聞くだけ聞いてさよなら、っていうのは無しだ」
「……分かった、という言葉だけで納得できるの?」
もしも裏切ったら、とブレアが言う。チームのリーダーとしての資質を問いかける目だった。デンスケは、一応根拠ならあると説明した。
この期に及んで国に帰ろうとしないこと。連合に頼るという素振りさえないことから、異世界に属する人物と関わりたくないという気持ちが見えること。
裏切るにはそれだけの理由が必要だ、というのがデンスケが示す根拠だった。利益になるからこそ、今までの立場を切って新しい場所へと移動しようとする。だが、異世界には頼らず、組合にも歓迎されないブレアが何をもって自分たちを裏切るというのか。
「一気に全ての方陣を見せる、ということはしないしな。どうしたって解析と発展には時間がかかる。その中でオレ達が信頼を得られないんなら、そりゃオレ達の方が悪いんだろうよ」
「……長い付き合いの中で、関係を育もうということ?」
「同じ人間なんだ。色が違えば波長も異なる相手も居る。オレが言いたいのは、決定的なすれ違いにならないように努力したいってことだ」
裏切りではなく別れならば納得できる余地はある。デンスケは極論を言えば、絶対に裏切らない人間など存在しないと告げた。
「かといって、疑い始めればキリがない。でも、信用しようとしない奴は信用されないし……その逆もな」
ならばここで見るべきは人柄にあると、デンスケは答えた。その点で言えば、ブレアという女性は信用には値するとデンスケは結論を出していた。
装飾の作業をする時のブレアを見たアキラが何気なく言ったことをデンスケは覚えていた。彼女が何を理由に、どんな決意を秘めて一人で此処にいるのかは分からない。でも、装飾という仕事に義務感だけではない誇りをもっているだけではなく、あれだけの情熱をこめられるのなら、きっといい人なんだろうと、誰かを思い出しながらアキラが語っていた時の言葉をデンスケは忘れなかった。
「……口だけの奴よりかは信用できるから、と?」
「ああ。これから信頼し合えるかどうかは、時間の流れるままに。お互い様で努力しようぜ、ってとこだな」
「裏切られるだけのことをしなければいい……いえ、信頼できるような関係になれば。そうなった時に、本当の意味での仲間になるということね」
納得した、とブレアは頷いた。デンスケは理屈っぽいけどな、と苦笑した。
「それもアーテの方陣術の範囲次第なんだけどな。流石にオレと同室は嫌だろ?」
デンスケの言葉に、ブレアが頷く。アーテは、首を傾げながら分からないという顔をした。
「範囲、って……この方陣術ですか?」
「ああ。……そうだな。毎日使用の条件で、術を使用後の心素の残量を60%と想定しよう。その場合、どれだけの範囲まで効果を及ぼせる?」
狼の時のように最大威力ではない、少し控えめに見積もってどの程度までいけるのか。デンスケが尋ねると、アーテは何でもないように答えた。
「やってみないと分かりませんが……10棟ほどまでなら大丈夫そうです」
「……今なんて?」
「えっと……ここで、10階建てですよね? 横幅は……うん。この規模の建物なら10棟までなら、まとめて包めそうです」
答えを聞いたデンスケとブレアは、言葉を失った。その後、示し合わせたかのようにお互いの顔を見た。
「アーテの秘密が機密へランクアップした件について」
「戦略級ね……言われなくても黙ってる」
露見すれば、間違いなく軍部かそれに近い組織にさらわれる。こんなにいい子が使い潰されるような裏切りをするバカはしないと、ブレアは誓った。
そんなことをすれば私もアイツと同じレベルに落ちるから、という無意識でのブレアの呟きを、デンスケは聞かなかったフリをした。
「それでも、過信は禁物だ。強い害獣なら抜けてくる可能性はある」
怪物がそうだった、とデンスケはあちらの世界での光景を思い出していた。中位個体であれば、力づくで突破してくるのだ。
(居ないだろうけど、あっちの世界でも珍しかった特異個体―――害意さえなく人を殺してくる奴らが居ないとも限らないし)
それでも、破格の性能と言えた。これはもう頭が上がらないなと、デンスケはアーテを拝み始めた。
『何をしとんじゃ何を。時間もない、早く行くぞ』
「……ねえ。ところで、コレはなに?」
「棒人間こと参謀だ」
『ジャッカスじゃ、ポンコツの小娘。よろしくの』
「そんなに言われるほどじゃないと思うんだけどね。ていうか、本当になんなの? 害獣には見えないけど」
「知らん。気がついたら棒だった」
『会った時からの間違いじゃろ。まあ……説明が難しいというか面倒くさいので、必要になれば語ろうぞ』
詮索は無用、と言われれば語りたくない過去があるブレアは何も言えなかった。興味はあったが、今はそこまでして知りたいものだとは思わなかったからだ。
今は、目の前のことに集中するだけ。そう判断したブレアは、隠密の方陣術方の効果を念入りに確かめながら居住区外の中を進んだ。
目的は、自分たちの拠点に相応しい建物の探索だ。拠点に相応しい条件は、キンテツ線からの視界が塞がっている南側で、それなりに広いスペースがあり、内装の類の劣化が少ない家というもの。デンスケ達は他の狩人と鉢合わせにならないよう、慎重に探し歩いていた。
「それにしても……五感強化だっけ? かなり難しい強化術と聞いているけれど、普通にできるのね」
「外部干渉の才能が肥溜め以下だからな。これで内面強化の基本がヘボだったら、恥ずかしくて戦技者って名乗れねえよ」
デンスケは自分が持てる唯一の武器として、肉体や神経への強化を特に磨き抜くことを選んだ。筋力強化は基本だ。中級者ともなれば筋力制御から神経制御―――視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚の限定強化まで手を伸ばすことができる。
「触覚に味覚も? 戦闘時には役に立たないように思えるけど」
「それを活かせるように工夫するんだ。こればっかりは、強化できる奴にしか分からねえよ」
精度を高めれば理解できるのだ。触覚は、相手の意志や動き、狙いを肌で感じ取ることができるようになる。100%ではないが、手の内が読めない初見の相手だと視覚強化よりも有用性が高い。
味は舌に分泌された唾液から、自分が緊張状態にあるのか、興奮状態にあるのかを把握することができる。リアルタイムでの自己管理が可能になるのだ。
総合的に、戦闘時の判断の精度を高めることができるようになる。自慢げに語るデンスケだが、ブレアとアーテはいまいち分からないという顔をしていた。
「……昔のオレもそんな顔をしたよ。実は師匠から教えを受けたってだけで、全部を理解できた訳じゃないんだ」
だが、強くなったことは確かだ。死なないようになる、というのは案外大きいと何度も死にかけたデンスケは断言した。死にかけた時には言葉では言い表せないほどの痛みを味わうを時もあるが、それはそれだと。
「そ、それでも心素量には限界があるでしょ? ちょっと耳に挟んだけど、それなりの使い手を相手にしたらしいじゃない」
「……試験官の人、ですよね。わたしも気になっていました」
大まかな流れは聞いたけど、具体的にどうやって打ち合えたのか仲間として聞いておきたい。アーテの真摯な言葉に、デンスケは周囲を見回した後に説明を始めた。
「心石破砕の傷が癒えてないから、切り札―――上級者の技だけど、それは後で説明するとして。今使える肉体制御と感覚制御を駆使したんだ」
普通に剣で受ければ折られる、故に普通に受けなかった。
普通に斬りかかれば障壁で剣が折られる、だから弱い部分を狙った。
防御は受け流しが基本だと、デンスケは補足の説明をした。仕込み手甲の周囲に限定かつ極薄の障壁を集中して纏わせて受け止め、威力を横に逸らし続けたと。
障壁は自分の身体から離れた位置に展開するほど、弱くなる。だからデンスケは自分の身体から数ミリの範囲で展開することで、雑魚以下の障壁を実戦レベルにまで上げた、と語った。
「え……そんなことできるんですか?」
「修行次第では。アーテには不要な技術だと思うけど、そういうのもあるんだ」
才能が無いゆえの工夫だ、とデンスケは苦笑した。ブレアは、まじまじとデンスケの顔を見て嘘を言っていないことが分かると、小さくため息をついた。
「――心衣まで使えるとは思わなかったわ。それで辛勝なんて、試験官とやらはそれほど強かったの?」
「出力で言えば完全に負けてる。それなりに頭も回るし、アーテだけだとちょっと厳しかったかも」
出力で判断すると、自分が10なら相手は50程度。アーテは今の段階で80―――鍛えていない段階で末恐ろしいことこの上ないが―――30程度の差ならやり方次第でどうとでもなる。教官だったマサヨシで55で、アキラは15程度と、デンスケがおおよその数字を伝えるとブレアは感心したように頷いた。
「単純な出力で5倍差を覆す、っていうのは私にとって想像もつかないけれど……実際に勝ってるものね」
「それもやり方次第。自分が負けるはずない、失敗する筈がねえ―――なんて慢心してる奴ほど足元を見てねえからな」
デンスケは自分の基本戦法を深く理解していた。足元を見てない奴の足を引っ掛けるというものだ。そうすれば、出力は子供に等しい自分と目線が合う。あとは純粋な殴り合いになるが、その方法もデンスケは師匠から教えを受けていた。
才能があると、師匠から告げられた強みも活かせるのだ。痛みに耐性があり、生き汚く、愚直に鍛錬を重ねることができるという才能を。
戦闘についても、出力差だけで決まるほど単純なものではない。周囲の地形、環境に左右される場合もある。何もない広い荒野で2人きり、相手に油断の欠片もないという条件であればほぼ負けていただろう、とデンスケは冷静に分析していた。
今回の戦闘についても、負けていた可能性は十分にあった。殺し合いというものはシビアだ。瞬きをするタイミングを一度しくじれば、取り返しがつかない事態になっていただろう。なにせ、身体を刺されれば人間は死ぬのだから。
そのような事を話しながら歩いていると、一行は目的の条件を揃えていそうな建物を発見した。木造の家で5階建て。周囲から見ただけだが間口だけではなく奥行もかなり広く、合計の床面積はちょっとした豪邸以上にあるようだった。
「……いや、逆に怪しくないか? マンションでもないのに、広すぎる。300年前の建物だってのに押しても全然揺れない」
「それほど経っていないエリアなんでしょ。50年ほど前までは、こちらの居住区は今の倍はあったと聞いたし」
「え、なにそれ」
「だから、暴走よ。もしかして知らないの?」
呆れたブレアは、デンスケとアーテに授業を始めた。10年ほどの周期で訪れる、未踏破区域または未発見迷宮から大量の害獣が押し寄せる現象のことを。
起きる度に全戦技者が駆り出されて対応するが、時には間に合わず、それまで居住区だった地域が侵食されてしまう。民間人にも大量の死者が出る、何よりも対処すべき案件であるということは、ブレアの耳にも届いていた。
「……と、いうことはだ。ここは昔、どこかの戦技者の拠点だった可能性があるのか」
「そうね。もしかしたら、民間人が保有していたのかもしれないけど………戦技者のチームの拠点だったと考える方が正しいかもね。一家族で5階建て、というのは色々と持て余しそうだし」
使いづらいとも言えた。住居は階数が増えた方が床面積が多くなり、スペースが確保できるが上り下りの手間が増えるというデメリットがある。建物として耐久性に関しても、平屋の方が高いのだ。
その上で耐久性を上げるとなると、高強度のものを建材として利用する必要がある。だが、このご時勢に強度が高い建材を、それも多く使用するとなると費用と手間が格段に多くなってしまう。悪い業者に当たれば、劣化速度も高まる。だというのに、現時点でこの建物は十分過ぎる形と機能を保っているように見えた。
「ロマンを重視した民間人か、心石の使い手が必要性にかられて建てたか……どちらにせよ、願ってもない物件って訳だ」
お宝そのものだとデンスケは言うが、こんな立派な建物をいいのかな、という小市民的な考えも持っていた。一人でこんなに得すると、どこかからクレームとか出ないかな、と真顔で考えていた。
ズれた勘違いをしているデンスケに、ブレアとアーテは呆れがで告げた。普通の人は戦場真っ只中に拠点を設けようって思わないから誰からも文句なんて出る筈がないと、空が落ちると憂う者を諭すように。
「でも……ここに決めていいの? 探索して初日だっていうのに」
もっと良い拠点があるかもしれない、とブレアは自分なりの意見を告げた。拠点を改装、改修するにはかなりの手間がかかる。改修した後にやっぱりあっちの物件が良い、となると一から作業がやり直しになるのだ。
複数案を用意して、そこから選択するべきかもしれない。もう一度内装の改修から家具、装具の持ち運びとなればかなりの手間と資金がかかってしまう。そう提案したブレアだが、建物の中に入った途端、口元を緩めながら色々と観察し始めた。
デンスケも同じで、入り口の廊下から床材、階段の作りまで見てから。そして2階に上がった後は、笑みを浮かべたい衝動をこらえきれなくなっていた。
「秀逸なデザイン―――だけじゃなくて、機能的でもあるわね。階段の高さ、広さ、手すりの位置から床材の感触まで至る所に心を配られてる」
「攻めにくいし、守りやすい。かといって住み難い訳じゃない。どういう理屈なんだかオレ程度じゃさっぱり分からないけど」
結論から言えば、この家を設計して作り上げた者は相当な変わり者ということ。そして、この拠点は襲撃者が来るという前提で作られたものであるということだった。
「いや、内装よ内装。なんていうの、こう……フローリングのセンスが良いとか」
「そういや滑りにくいな。踏み心地も柔らかいし」
満足したように頷き合うデンスケとブレアを眺めながら、アーテは腰を落とすと、優しい手付きで床に触れた。
―――まるで何かに導かれているようだった。歩き始めてから角を何度曲がったのか、アーテは覚えていない。だが、吸い寄せられるようにこの場所に辿り着いたという感覚がアーテの胸の中から消えることはなかった。
それが良いことなのか、悪いことなのか。導かれたのか、誘い込まれたのか。まだ判断などつく筈もないが、アーテは床に触れた時の感触と、ふと下から斜め上の方向に眺めた部屋の中の風景を見た途端、笑みがこぼれた。
きっと、悪いことにはならないという予感と共に。
「これから、よろしくお願いします―――ここに住むみんなにとって、良い家になりますように」
最大限の努力はするから、とアーテが誓い。
その宣言に応えたかのように、誰にも気づかれないまま、古い家は小さく鳴動するような音を立てた。




