20話 : 夜襲(後編)
「あんたは宝箱なんだ。多くの狩人や探索者、冒険者までもがよだれを垂らす程に渇望している、莫大な富を生む金色の箱だ」
薬師の店主からはっきりと告げられたことをアーテは覚えている。まずは、自分が途轍もなく高価な貴重品であるということを認識する所から始めろ、という命令のような口調だった。
「幸か不幸か、アンタは見目も良い。あたしの若い頃とそっくりさね……なんだい、その顔は。ま、いいさ。問題はそれさえも誰かの欲望を唆っちまう香りになるって所さね」
そして、美味しい得物をみすみすと見逃すのを間抜けという。覚悟しな、と薬師は言った。
「今のアンタはド素人も同然。鴨ネギどころじゃない、白葱に水菜、出汁に酒まで揃えてると来たもんだ」
意味は分からなかったが、無防備すぎると説明されたアーテは反論できなかった。だからこそ、自分で決断する必要があることを教えられた。
「経緯も過去も関係ない。アンタが子供だからといって、手加減をしてくれるような世の中じゃない。こんな時代だ。使えるものを使える時に使わない無能はすぐに死んじまうんだ」
だから、自分という存在さえ戦って勝ち取らなければならない。待って流されるだけの怠け者に明日は来ない、と薬師は言った。
「アンタは自分がこれからついていく者を自分で選ばなきゃならない。アンタを褒めそやしてくれる者じゃない。アンタを慈しんでくれる人じゃない。アンタ自身の基準で、アンタが想いのままに決断しなければならない」
今から進んでいく道を、伴う人を、一緒に歩きたいと思える仲間を。正しい選択をしなければならない。でなければ、アンタもその人も不幸になる。理屈は関係ない、絶対にそうなると薬師は断言した。
失敗し、目も当てられない所まで堕ちた者達を多く見てきた。そう語る薬師の空虚な表情が、アーテの脳裏に焼き付いて離れなかった。頭で考えるんじゃない、心で決めるんだと胸を突付かれたことまで。
でも、もしも自分を騙そうとする人が居たらどうするのか。どう見極めればいいのか。アーテの質問に、薬師はとっておきの方法があると笑顔で教えてくれた。
「――目だ、目を見つめるのさ。言葉もいいだろう、質問はじっくりと。でも、最後は目だよ。じっと見るだけでいい。仮令どんな言葉を贈られようが、関係ない」
見るだけで美辞麗句を並べる男も、利益のためにしゃべくる男も例外なくメッキが剥がれる。素地が見えるのさ、と薬師は笑った。
「なに、もっと知りたい? 困った子だ、しょうがないねえ……」
呆れながらも、色々とアドバイスを授けてくれた薬師にアーテは感謝の念を抱いていた。たった今、まさにその知識が必要になる状況が訪れているからだ。
(ここから会う者、全てが敵だと思え。デンスケさんは、そう言った。そして……)
助けに来たと油断させて背中を抉る。その可能性も考えろと教えられた。何か、不測の事態が起きたらまず自分の身を守ることを約束させられた。
だが、それだけ。助言を受けたこと以外について、アーテは判断できなかった。階下で今も断続的に揺れていることも、その原因さえ何も。だから、アーテは目の前に居る人達に問いかけた。
「あなた達は、私達を助けに来たのですか?」
「え……なにを言っているんだい、お嬢さん」
「質問をしています。あなた達は、私とデンスケさんを襲った彼らから守るために来てくれたんですか?」
アーテの視線が、猿ぐつわをされている者達に向けられる。すると、首が千切れんばかりに男達の首が横に振られた。喋れないからだろう必死のボディランゲージを試みていたが、男に横腹を蹴られることで中断させられた。
アーテの目が、疑いの色を帯びた。
「……今、どうして蹴ったんですか? 無力化には成功しているように見えます」
「それは……あれだ。言語術を使われたら困るからだな」
嘘だろう。急に取り繕った言葉ということを看破したアーテは、更に尋ねた。
「下で戦いが起きている音がします。なのに、あなた達は仲間の援護に行かないのですか?」
「ああ。ヤスヒロの大将は強いからな。俺達が行った所で、足手まといになる」
「でも、デンスケさんも居ます。私としては助けに行ってもらえると嬉しいのですが」
「それは……ヤスヒロさんが居れば大丈夫だと信じてるからだ。それに、誰だったか、無色のあいつ。あいつも使い手を名乗ったんだから、この程度の苦境ぐらいは一人で越えるのが当たり前だろ? ……それよりも、本当に辛かったね」
「……何が、でしょうか」
「ずっと、アイツにこき使われてたんだろう? みんなから聞いたんだよ、無茶なことばかりさせられてるって」
アーテは話題を変えてきた相手に応じなかった。
男はアーテの様子に気づかないまま、更に舌を回した。
「アーテちゃんの両親は……その、言いたくなかったらいいんだけど」
「殺されました。2ヶ月前に」
「それは……なんといっていいのか。聞いてゴメンね。でも、だから心石と契約させられたのかな?」
「いいえ。私は自分から契約を志願しました」
「そう……なんだ。でも、両親を殺した相手を憎んでるよね」
アーテは男の言葉に答えなかった。気持ちが悪い、と心の中で呟いていたからだ。まるで自分を見ていないような。自分の中にあるものにこそ期待をしているような、そんな感じを覚えていたからだった。
それからの男の言葉の全てが上っ面のものばかりで、胸に来る言葉が1つもなかった。
そして何よりも、とアーテは周囲から浴びせられる言葉を聞く度に、自分の拳を強く握りしめた。
「本当……可哀想だね」
「俺達が力になってやるよ」
「もう大丈夫だ。俺達と一緒に来るなら、危ない目になんて合わない」
「貧乏な無色とは違う、贅沢だってさせて上げられる」
優しい言葉だった。耳障りの良い言葉だった。自分にとって都合の良い言葉で、幸せだけが約束されているような甘い誘いだった。
―――その全てが、アーテの癇に障った。
両親が死に、気を失い、気がつけば見たこともない町のスラム街の隅っこで。臭いゴミ溜めの中で、みすぼらしい格好をさせられていた。何がなんだか分からず、両親の最後の姿を思い出しては吐いた。気が狂いそうだった。このまま死ぬのだろうか、死んでも構わないな、という心境だった。
そして、空腹で倒れる寸前に年上の女の子に拾われた。「おまえ慣れていないな」と文句を叩きつけられた後で、どうしてか仲間に入れてもらった。
たった一人、その女の子は大都会であるウメダ近くのスラムで産まれたらしい。親が死んだ後は、先輩から教えてもらった飯捨場や、スラムの中の敵との付き合い方を必死に覚えることで、何とか生き延びたと自慢げに語られた。
全てを理解できた訳ではない。異世界の言語だからだ。だが、アーテはその背中に自分の命を預けることを選んだ。
理屈ではなかった。ただ、その人が寂しそうだったからだ。
『お前みたいに可愛くないけど……前にな。あたしにも、妹がいたんだ』
そう語ってくれた女の子は、その時だけは目を逸らしていた。
その翌日、女の子は殺された。たった一振りの斬撃、それだけで致命傷だったという。ウメダ近くに居る犯罪者―――外人の成れの果ての仕業だと、スラムの別の仲間は悔しそうにぼやいていた。
それからも色々なことがあった。毎日が試練の連続だった。だけど分かったのは、みんな、みんな、必死で生きているということだけ。
だから思い出せた。家族も、知人も、楽しいことばかりだったはずがない。不機嫌な時もあったし、酒を呑んで潰れている日もあった。みんな、何か辛いこと、悲しいことがあったことの裏返しだ。それでもみんな、諦めなかった。生きようと、生きて戦いを続けようと頑張っていたのだと、アーテはその時に理解した。
そして、自分たちを庇って死んだ人がいた。アーテは信じられなかった。会ったことのない人のために、自分の命を投げ出せる人のことを。その後のやり取りまで。
(……命が終わる。その悲しみから、あの人は目を逸らさなかった。だから、言葉を受け取ろうとした。約束を交わそうとした)
そうして、笑いながら死んでいった人が居た。だから、アーテは生きようと思った。悲しみに沈みそうだった、苦しいことばかりで嫌になっていた。それでも、必死に生きようと思うことが出来た。
(でも、いつからそう思えるようになったんだっけ……?)
もやもやとそういった想いが自分の胸の中にあったことは分かっていたが、決断したのは怒涛の事態が続いた後のことだったと思う。アーテは考えるが、思い出せそうで思い出せなかった。
そんな事を考えながらも障壁は固く、揺るぎない目でアーテは敢然とそこに立っていた。男たちはその佇まいを前に、無意識に後ずさっていた。
アーテはどことなく目を逸らす人ばかりになって、やっぱりそうだったんだと頷いた。
そうして、今の今まで我慢していた言葉を男たちに告げるために、口を開いた。
技が生まれた理由は何だと思う。そんな師匠の質問に、デンスケは格好いいからと答えた。ゲンコツを受けた。
『弱いやつが悪足掻きをしようと思ったからだ。弱いままでいたくない、勝ちたいと考えたからだ。なんだ、その不満そうな顔は。ちっと頭ひねれば分かるだろ。何もしなくても強い奴は技なんて要らねえんだよ』
極論を言えばだが、重たく鋭利な剣を誰よりも早く持ち上げられ、誰よりも相手に叩き込むことができる者に小手先の技は必要ない。何も考えず、剣を振るだけで相手を殺せるのだから。
天然でも、早く強く上手くやれる奴が勝つ。身体が大きい奴が勝つ。心素量や、心石による強化の才能がある奴が勝つ。それに異議を唱える手段が技だ、と師匠は告げた。
『つまり、技ってモンは力のねえ弱い奴が強い奴の足元を引っ掛けるために生まれたんだよ……なに、違う? 男のロマンが源? ま、それも1つの意見だが、本質は変わらねえよ』
技とは工夫だ。普通にやっても通じないから、通じる方法を編みだす。効率を上げるために手練手管を使う。弱者が強者に挑むための手段だと言われたデンスケは、納得せざるを得なかった。
『お前みたいなクソ弱い奴にこそ必要なもんだろ。理解したか? なら俺を崇めろ、褒めそやせ、でもマズ飯の増量だけは勘弁な』
分かったよクソ師匠、とデンスケは思わず本音で答えてしまった。
ゲンコツが倍に増えた。
『てめーの才能は偏ってる。自分の内面に干渉する以外の才能はクソのクソなクソ以下だ。なら、脳が足りねえお前にも分かるだろ。唯一、見込みがあるその部分を磨け抜けばいいんだ』
でも、出力差が。斬れない相手が居る場合はどうしたら。弱音を吐くと、今までで一番のゲンコツが振り下ろされた。
『泣き言なんて聞いてねえ――斬れると信じろ。そう確信できるまで磨いて磨いて磨き抜け。俺以外の雑魚相手にやる前から諦めるなんざ100年はええ。才能が無いなりに気張れ、全身を振り絞りながら戦え。余計な言い訳を口と尻から垂れ流す前にな』
分かってるよクソ師匠、と呟きながらデンスケは斬撃を仕込み手甲で受け止めながら横に流した。教えの通り、自分より強い相手に用いるための“技”で。
間違いなく格上だった。普通に斬れば剣は折れ、普通に受ければ剣は折れるだろう。心素量も数倍以上、持久戦を挑んだ所で勝ち目はない。
そんな格上を相手に勝つには、自分という土を掘り返すだけでは足りない。地力を蓄えるだけで勝てるなら苦労はしない。そこから伸び生えるものが必要だった。
技という漢字は手に枝を持つ様を示していると、デンスケは記憶していた。その名前の通り、空に手を伸ばすためには様々な樹々を育てる必要があった。色の無い涙と汗を注ぎ、ようやくいくつか成った実を武器にしてデンスケは舞った。
「くそがぁっ、なんで当たらねえ!」
ヤスヒロが叫び、デンスケは笑った。予備動作が大き過ぎる1本調子の斬撃など、当たる方が難しいと。
「当たれば……当たりさえすれば!」
ヤスヒロは剣を小さくしてスピードを重視した斬撃を繰り出し始めたが、デンスケは冷静に捌きながら呟いた。
お前の言う通り、当たれば障壁さえ貫いて致命傷を負わされるだろう。だからこそ、当たってはやれないと。
(そうさ。くだらない曲芸だ。分かってる、真っ向から打ち合えばお前が勝つ)
所詮は出力が足りない無色の悪足掻き。だからこそ一発で決めきれず、こうして戦闘が長引いている。回避し、避け、躱し、攻撃の時に生じる隙を突くことしか出来ない。
―――それでも、これがオレの全てだ。迷いなく断言できるほどの修練を積んできた自負が、ヤスヒロの障壁を貫くに至った。
間合いの調整、立ち位置の調整、間の殺し方、常に死角に入ろうとする足運び。デンスケはその全てを駆使して、方陣術法の展開の切っ掛けさえ与えなかった。
これがリキヤであれば、障壁は抜けないかもしれない。相手が狡猾で用意周到ということもあるが、基礎の技術は心構えは地位に相応しく、侮れないレベルだった。
アーテの障壁は壊せないだろう。あの女の子は常に全力だからだ。相手の攻撃に恐怖しながらも決して侮らず、常に全力で自分の身を守ろうとするあの密度の壁を壊すには、自分を犠牲にした切り札でもなければ通じない。
「だけど、お前程度なら十分だ」
どうしてか、障壁は抜ける筈がないという慢心があると強度が弱くなるポイントが出てくる。最初はカウンターで、その後は観察しながら弱い場所を探ったデンスケは、ここにきて見切れていた。
本人の血が付いた刃だと障壁の抵抗が弱くなるという特性をヤスヒロが知らないことも、デンスケの有利に働いていた。
「この……クソが、俺を馬鹿にしてんじゃねえ! どうして無色のゴミ野郎風情に!」
「そうだよ。オレ風情にお前は負けるんだ」
苦し紛れに放たれた斬撃を仕込み手甲で受ける。そのまま受けた腕の力を抜いたデンスケは衝撃を逸らしながら自分の回転するモーメントに変えると、斬撃の遠心力に変換した。
基本は忘れず、インパクトの際に両手を絞る、剣の先端に全ての威力が集中する振り方で。鍛えに鍛えたという自負と、試験の時には無かった殺意が相乗されたその一閃は、殺し合いに慣れていないヤスヒロの障壁を抜くには十分なものだった。
足の太ももを深く斬られたヤスヒロが、痛みに叫びながら動揺を見せる。その様を見たデンスケは、何をこの程度で痛がっているんだが、と思った所で気づいた。
(慣れてない。まさか、格下としか戦ったことがないのか?)
勝てる条件を整えた戦場だけを選んできたのだろう。その前提はデンスケの斬撃が通った時点で覆った。一方的な虐殺が、命のやり取りになった。
まさか、という動揺。殺されるかもしれなという恐怖が、実際の傷以上に痛みを感じさせている。動きが鈍くなったのもそのせいか、とデンスケは内心で分析していた。
呆れることはなく、憐れむこともない。
――アキラに託されたアーテを、自分の思い通りに利用しようとした。
――相手を思ってではない、自分の欲望のまま骨までしゃぶり尽くすつもりだった。
譲れない一線を踏まれたからには、デンスケは力を振り絞って殺し合う以外の答えを選ぶつもりはなかった。だが、憎みきるにはヤスヒロは小物過ぎた。この分なら生け捕りは十分に可能か。そう判断したデンスケが、自分から態と体勢を崩した。ガスの効果だと勘違いするような動きで。
ヤスヒロはそれを見て喜びに顔を歪めた。勝機、と全力で剣に心素をこめて前に突き出す。致命傷になりやすい突き技の中でも、最も回避しづらい胴突きを、よろめいたデンスケのみぞおちに向け、放ち――その直後にデンスケの姿を見失った。
――ここで決めてやる、と集中したからこその視野の狭まり。
――勝利を確信したからこその、思考の停滞。
デンスケはその意識の空白に身体を滑り込ませ、ヤスヒロの懐に入り込んでいた。
「お生憎様、毒の類には慣れてるんで」
引っかかったな、という言葉と地面を砕くほどの踏み込みは同時だった。反作用による力の伝達、小さく腕を回すことによる遠心力、その全てをデンスケの感覚は掴んでいた。
磨きに磨いた肉体強化と感覚強化の果てに見出した、自己肉体精密動作制御。それを使えば、ほんの一瞬だけだが、何十年と修行を積んだ体術の達人の極みの再現を現実に起こすことができる。
合力が意表を突かれたヤスヒロの緩まった腹筋に突き刺さり、衝撃が内部まで浸透し、爆散した。
後に訪れたのは、数秒の静寂。ゆっくりとデンスケが離れると、硬直していたヤスヒロは膝立ちに倒れ、反吐を撒き散らしながら悶絶した。
その姿を見下ろしながらデンスケが告げた言葉は、奇しくも上の階でアーテが告げた言葉と同じだった。
「勝手に人のことを見下してんじゃねーよ―――勘違い野郎」
告げたデンスケが、唇について血を拭った。ガスの効果は既に消え去っていた。あちらの世界で、毒物の耐性と分解については極まっていたからだ。
そんなデンスケの背後にあるコンクリートの壁から、砕けた欠片が崩れて落ちた。
「―――勝手にわたしのこと、見下さないでください」
はっきりと、アーテは告げた。
「わたし、あなた達に憐れまれる覚えなんて、ありません」
アーテは、母から教わった言葉を繰り返した。一度でも憐れまれることを受け入れると、戻れなくなると。意地っ張りの母らしい言葉だった。でも、ママに似ているのは嬉しいかな、とアーテは小さく笑った。
取り繕うことを、アーテは選択しなかった。我慢がならなかったからだ。自分は確かに不幸であるかもしれないが、そこまで憐れまれるほどではないと。
(わがままかもしれない。かわいくない私の思い上がりかもしれない。でも、可哀想だなんて言われても、わたし、うなずけない)
認められないという気持ちが自分の胸にあふれているんだから、仕方がない。アーテは自分の想いを誤魔化さず、退かなかった。
相手の雰囲気が変わったことに気づいてが、せめてもと顔に笑みを貼り付けた。弱みを見せるのが嫌だったからだ。
一方で男たちはアーテのその笑いを挑発と取ったのか、張り付いた笑みを止めて、真顔になった。中には明らかな嫌悪を持っている人も居た。アーテは悪化していく状況に恐怖を覚えながらも、自分の意見の否定するつもりはないと睨み返した。
だが、双方の視線は合わなかった。アーテは男たちが自分を見ていないことに気づいた。薬師に教わった通り、恐れずに相手をじっと見つめると何となくだが分かったのだ。
ただ調子づいた小娘を躾けてやろうという想いが見え透いているだけで、そこにアーテという個人を見ている者は居なかった。
だったら、なおさら退けない。そんな想いのまま障壁を展開し続けるアーテに、男の一人が尋ねた。
「何か、勘違いをしていないか? 俺達は別に敵じゃないんだよ」
「敵じゃない……というのは、うそです。あの試験官の人は、デンスケさんを殺す気です。下の騒ぎが証拠です」
「……酷い勘違いだな。組合からの信頼が厚いヤスヒロさんが、そんなことをする訳ないだろう」
「わたしは、自分の目で見たものを信じます。自分が信じられると思った人の言葉を信じます」
はっきりと答えるアーテの言葉に、男の一人が呆れるような顔をした。だが、アーテは見ていた。別の男が、一瞬だが動揺する仕草を。そのアーテの様子を見て、舌打ちをした男は仮にそうだとして、と前置いて質問をした。
「俺達が敵だとして、ヤスヒロさんが戻ってきた後はどうするつもりだ? お前の味方はいない。たった一人、いつまでも障壁を張り続けることは不可能だろう」
「……そうですね。障壁には限界があります」
「だったら尚更じゃないか。本当に信じて欲しいんだが、悪いようにはしない。君が協力してくれれば、もっといい生活が送れる。これだけは真実だ」
「……そうですね。その点は、疑っていません」
「なら、障壁を解除してくれ。君は良い生活が送れる、俺達もチームとして強くなれる。Win―Winという奴だ。誰もが納得できる、賢い選択って訳だ」
「それが嫌だと言っています」
にっこりと。アーテは薬師から教わったお断りの言葉から、相応しいものを選択して答えた。
「私……どうやら、賢しい人が好きではないみたいなので」
そうして、アーテは自分の胸中にあった想いを声にしたことで気づいた。
―――利益を優先するなら自分を高値で売り渡せばよかった。
―――こんな騒動に巻き込まれることを確信していたのだろう、そのために準備していたことが今になって分かる。
―――身の毛がよだつどころの騒ぎではない、心が凍らされるほどの恐ろしく巨大な化物だったというのに、死んだ友人との約束だからと命を賭けて討ち果たした。
そして何よりも、デンスケが目指す所と自分のしたい事がぴったり合致していたから。
だから、とアーテは告げた。
「私はデンスケさんについていきます……後ろで守られるお人形さんじゃなく、横に並べる仲間に成りたいから」
いつか、きっと、ぜったいに。
そう呟きながら、アーテは階下の震動が終わったことに気づいた。
「……戦いが終わったようですね」
「お前のお仲間とやらの命がな」
男達は最早隠そうともせず、小馬鹿にした表情で次々にアーテに告げた。
「聞こえるだろ、勝者の足音だ。ヤスヒロさんが階段を登って来る音だ」
「お前は納得していないようだがな……なんなら、賭けでもするか?」
「そ、そうだ。掛け金は……それより、お前は生き残った方の仲間になれ!」
「―――分かりました」
勝ったとして得るもののない、意味のない賭け事。このハンデならそれぐらいでちょうどいいです、と思いながらアーテは頷いた。
デンスケが負ける筈がないことを、確信していたからだ。
―――その答えを確かめる前に、アーテと男達は顔色を変えた。
足音が近づくにつれ、普通ではないことに気がついたからだった。まるで、恐ろしい怪物に追いかけられているかのような、必死に階段を駆け上がる音がついにそこまでやって来ていた。
間もなくして、勢いよく扉が開かれる。現れたのは血まみれのデンスケと、その肩に担がれて項垂れる黒髪の女性の姿。
何が、と問いかける前にデンスケは力の限り叫んだ。
「害獣だ! 全員逃げろおぉっ!!」
声が響いた直後だった。
ショートカットとばかりに階下から床を突き破って現れたナニカが、勢いのあまり上の階まで突き抜けていったのは。




