15話 : 心石登録
お待たせしました。
2章、開始です。
「だからさ。僕が確認したいのは、たった1つだけなんだって」
郊外の建物の地下室の中、紫色の髪の男が土下座しながら震えていた。その姿を見下ろしながら、銀色の髪を持つ美しい少女は笑顔のまま更に問いを重ねた。
「“次は上手くやれるのか”。そのご自慢の操心の特殊方陣術を使って、ぼく達に利益をもたらしてくれるのか。それだけを聞きたいんだよ」
「は、はっ! 必ずや、次こそは念入りに計画を練って……!」
「嘘だね」
少女は1つ指を上げながら、笑顔で語った。
「準備段階から実行まで、抜かりはなかったんだ。僕もそう思うよ? でもね、世の中は結果が全てなんだ」
戦乱を呼び込む計画は水泡に帰し、証言から操心の技があることが露呈してしまった。王子が死ななかったことが、致命的な誤算になった。
「今回のテロリストの首謀者に、賞金がかけられたよ。それもSランク級だって。首刈り専門の使い手や、面子を潰された勇者連合は血眼になって君のことを探すだろうね?」
「……それ、は」
「操心の心石装置からこちらの事までたどり着かれるリスク……それを抱えるに足る価値があれば、僕は喜んで君を助けよう。その、どこから持ってきたのか分からない方陣だけど、有用なのは有用なんだから」
だから、と少女は笑った。
「もう一度聞くよ? 次、君は本当に上手くやれるのかな―――ねえ、おしえてよおにいちゃん」
天使のような美貌を持つ少女の声が変わった。先程とは異なる、聞くだけで高揚する程の美しい声色になった。だが、土下座ししている男は知っていた。今の少女の目の前で嘘を付いた者が、どんな末路を辿るのかを。
男は、必死で打開策を考える。連合を出し抜ける策を。だが、咄嗟により良い計画が生み出せる筈もない。そう考えてしまった男は、ちらりと出口がある方を見た。
「―――ざんねんだね」
悲しそうな声と共に、空気が変わった。男が気づき、汗まみれの顔を上げたが何もかも遅かった。
ぱん、と少女の両手が蝿を叩くように打ち鳴らされると、男は平たくなった。まるで両横から迫った壁に押し潰されたかのように。
どちゃり、と男だったものが倒れて、床に血が流れていった。少女の近くに居た虫も、全てが男と同じ末路を辿っていた。
「……よろしかったので?」
「うん。そしきはいちまいいわでないといけないんだよ?」
おじいさまが言ったんだから、と少女は自慢げに胸を張った。傍に控えていた男は、少女の可憐な様子を見て陶酔した顔になった。
「――持たざる者の悲しさだね。でも、本当に予想外だったよ。僕の目から見ても計画に穴はなかったのに」
知性に溢れた声に戻った少女は、顎に手をあてて考え始めた。実験体No.52の遺体状況も気になる、と少女は呟いた。身体に傷はなく、距離も壁も何もかもを無視したかのように、核だけが切り裂かれているというのは、少女が持つ膨大な知識でも当てはめることが難しい異常現象だった。
「イレギュラーは予期できないものであるからこそ、イレギュラーと言うのですよ。戦場においてこそ、摩擦は生じるもの。何もかも上手くいくなぞ夢物語です、お嬢様方」
男は指を鳴らして、火種を出した。小さな火は潰れた男にたどり着くと一瞬だけ大きくなり、男の身体が蒸発した。周囲の空間温度に、一切の影響を与えないままに。
「で、あるなればこそ次を。その次も用意しております。大きな演目ではありませんが、各地区に混乱の種も仕込んでおります。直に芽を出し、大輪の花を咲かせるでしょうね」
男の不敵な笑みに、少女は満足したように頷いた。
「それじゃあ、楽しみにしておくよ? ―――つぎはたのしいおまつりになるといいね!」
無邪気な声が地下室に響き渡り、男の唇の端が喜悦に歪んだ。
受付という仕事は組合の中で重要な役割として認識されている。狩人の一日は受付に始まり、受付に終わるからだ。朝一番で受付に嫌な対応をされた狩人は、午前中ぐらいはずっと嫌な思いをするだろうし、一日の締めにしたってそうだ。
(ゆえに、受付の女性は組合員の中でも有数の、可愛い者が選抜される。我ながら完璧な理論だわ)
受付窓口の栗色の髪の女こと、四瀬可奈は自分だけしか知らない持論を展開したあと、ふんすと気合を入れた。今日も一日、新人やベテランの中から玉の輿候補を物色するために。
だが、今日も今日とて狩人達が集う第七支部は代わり映えのしない顔ばかりが並んでいるだけ。2階に上がることを許されていない者達が、依頼を吟味しながらあーでもないこーでもないと騒ぎ立てているだけだった。
カナはため息をついた。ベテランが妻帯者または愛人持ちなのは必然だから仕方ないとして、新人のレベルが下がっている事に対して、カナは「これじゃあ害獣がのさばっちまうじゃないの」と内心で呟き、未来を憂いた。
平和な日常の中でお金を持つ金持ちな旦那様と、笑顔と一緒に高い酒を交わし合うのがカナの夢だからだ。両方の意味で、その未来が閉ざされようとしている。由々しき事態だわ、とカナは考え込んだ。
(冗談じゃ済まないレベルの事件があったし。式典の襲撃犯の首、生死不問でまさか4億だなんて)
事件の情報は概要レベルだが、既に各地に流れていた。第七地区のお歴々は「ふーん」という反応しかしていないが、それはちょっとまずいんじゃないかな、とカナは考えていた。懸賞金にしても4億という額は尋常ではないからだ。だが、有名チームの幹部格にそう主張しても「戦争になってないからいいじゃん」と答えられるのは目に見えていた。
(ここは1つ、新たな風が欲しい所ね………ん?)
カナは建物入り口の扉にぶら下がった鐘の音と共に入ってきた人物を見ると、一気に目を奪われた。先頭の地味な黒髪に地味な顔をした中肉中世の少年ではない、後ろに居る長身でも冴えない第七地区の副長でもなく、おずおずとした様子で周囲を見回している女の子だ。
なんというか、ちっちゃくて可愛い。人形のような整った容姿と輝くような金色の髪、そして珍しい紫色の瞳はカナのコンプレックスをいたく刺激した。それでいてドロドロとした嫉妬を覚えないのは、あまりにも自分と違う生き物だと感じられたからだ。
雰囲気が完全に一般人のもので、女の子らしい仕草丸出し。だというのに、灰色い戦闘服に身を纏っているあたりが、実に印象的なギャップ萌えに昇華されていた。
端的にいうと目立っていた。1階に居る狩人の5割が思わず見てしまうぐらいに。
副長の子供かと思ったが、そんな話は聞いていない。隣に居る地味男の妹、という雰囲気でもない。ならば、どういった素性の子供なのだろうか。好奇心に支配されたカナは、じっと奇妙な一行の様子を観察し始めた。
「……なんちゅーか、色々と隠さない奴だな」
組合登録の申し込み手続きをした後、デンスケは1階の端にあるテーブルに座り、ため息をついていた。登録にあたり簡単な試験があるため、待機して下さいと言われたからだ。
(しっかし、広いなここ)
天井は高く、並の家屋の2階分はある。広さも相当なもので、室内の端から端に声を届かせようと思ったら、力の限りの大声を出さなければいけないほど。
壁と天井、梁と床は全て木製だった。デンスケはテーブルを叩き、感心していた。使われている木材は木の柔らかさを持ちながらもそう簡単に曲がりそうにないぐらいの頑丈さがあるように感じられたからだ。それでいてコンクリートとは異なり、見る者の心を落ち着かせる効果を持っている。
デザインに長けている者が設計したのだろう、組合という名前とは裏腹の、それなりに清潔な空間が保たれていた。
「この雰囲気をぶち壊しにするのが、受付嬢だとは思わなかったけど」
「それがカナちゃんなんだよねぇ……仕事は出来るんだけど」
環状線東部方面狩人連合、第7地区支部の副長こと蔵峰力弥は苦笑しながらストローでカフェオレを呑んだ。『私はあなた達に興味津々です』という態度を隠すどころか全力でアピールしてくる、大きな目の受付の娘の方向を見ないようにしながら。
「……異世界の人も、結構居るんですね」
金、緑、青に赤と、髪の色がカラフルだ。連合とは仲が良くないんじゃないんですか、とデンスケが視線で問いかけると、副長は肯定も否定もせずに理由を答えた。
「混血が進んだからね。はっきりと連合と分かれば別なんだけど、そうでないなら敵意を抱いたりしないよ」
「混血って……異世界人とのハーフ?」
「もっとだよ。クオーターなんて居ないんじゃない? それどころじゃ無かった時期があるから」
それでも、連合は別だという。なんというか、連合の使い手やこちらに隔意を抱いている者は、見れば分かるというレベルだとリキヤは小さくため息をついた。
「話は変わるけど、キミは狩人になってどうするつもりだい。ああ、今後のことだよ。なにか目標でもあるの?」
「やりたいことはそれなりに。でも、取り敢えずは足場と立場固めるために実績積むしかないっしょ。一応の目標は冒険者って所で」
デンスケは車の中での世間話だが、冒険者と旅人の組合に推薦される目安を聞いていた。どちらとも、信用度はAランク以上が前提。
冒険者は依頼達成数が100以上で、総合獲得金が3000万以上。旅人に至っては、依頼達成数が500の、総合獲得賞金が1億以上に登りつめてようやく、推薦を受けられる。
そこまで行かなくても、居場所のない自分たちが最低限落ち着いて生活するためには、立ち位置を明確にする必要がある。異世界に飛ばされた経験があるデンスケは、そのあたりの機微を理解していた。
「そうだね……たちの悪い奴が居ない訳でもなし」
「やっぱり居るんスね。組合で取り締まったりは?」
「彼らが動くのは、もっと上の事態になってからだね。あるいは、被害が出てから調査することになる」
戦技者どうしの細かい諍いなど、1から10まで収めていてはキリがないし不可能だ。断言した副長は、まず手を出されなくなるだろう冒険者になれるまでの時間について説明した。
「ドカンと大きなヤマを当てれば、最短で1年。コツコツやれば……冒険者で5年、旅人で10年とは言われてるかな」
「でも、やっすい依頼ばっかり受けてたら箸にも棒にもかからないと」
デンスケの言葉にリキヤは頷き答えた。
だって死ぬし、と。
「未踏破区域ってアレよ? 人口建築物と森が融合した、見通しが悪い空間なんてザラな訳よ。足場も悪いってレベルじゃない。その上で高脅威度の害獣があちこちに徘徊してるの」
聞きしに勝る魔境だった。アーテが、緊張に唾を呑んだ。
「そんな中で挽き肉になった未熟者の遺体の一部を持って帰らなきゃならない仲間の気持ちって想像できる?」
「したくねえっス」
「そうだよねえ。人命は貴重なんだ、掛け替えのない資源なんだ。無駄使いはできないの。そんな当たり前のことが分かってないやつが居んのよねぇ……毎年2、3人は必ず出てくんの。安全第一だってのに。あまつさえはこんな奴を推薦すんなってこっちの組合に文句つけてくんの」
リキヤは疲れたため息をつきながら少し俯いた。その様子を見ていたアーテは心配そうな顔で、リキヤを覗き込むように言った。
「だ、ダイじょうぶ……?」
「ん? あー、平気だよ。ほら、大丈夫だから……良い子だねぇ君は」
思わず心配になるほど、とリキヤはデンスケに視線を向けた。デンスケが小さく頷きを返すと、なら大丈夫か、と言い残してリキヤは席を立った。
「それと、これは念のために」
「……これが必要になるって?」
デンスケはリキヤから渡されたものを見て、顔をしかめた。リキヤは「必要にならないのが一番だと思うんだけどね」と苦笑しつつ、そうはならないだろうな、という顔をしていた。
「少しでも話せば分かるよ。キミもそう思うだろ?」
「ノーコメント、と言いたい所だけど同感っス」
この状況で誰かを気づかえるのならば、とはデンスケは思うだけで口には出さなかった。
「だからこそだよ……それじゃ、そろそろ行くよ。また面白い話があったら聞かせてね~」
腕をひらひらと振りながら、リキヤは去っていった。デンスケは語られた内容から、狩人と冒険者の危険度についてジャッカスと話し始めた。
(狩人は……自分で狩場や地形も選べるし、その気になればすぐに撤退できる。慎重にやればそうそう死なないんだろうが)
『冒険者はハードルが高いぞ。どんな環境でも戦える技術はもちろんのこと、偵察・斥候といった敵との遭遇を回避する術を持つ人間は必須だろう』
どう考えても、一人では手が回らない。仲間が、チームが必要になる。
時間がかかるな、とデンスケは呟いた所で自分に向けられた視線に気がついた。
「アーテ? どうしたんだ……あ、ケーキは宿に着いてからな」
「ち……違い、マス」
勇気を出して、という感じだった。デンスケは少し思いつめている様子を見て、何事かと周囲を見回した。
『敵じゃないわアホ、気づけ』
(え、何を?)
『……もういい。ただ、一度きっちり話はしておけよ。過去やこの世界に来た経緯など、確認しておかんとどんな地雷があるか分からん』
それに、とジャッカスの声色が変わる。デンスケもアーテとは違う視線に気づき、その方向を見た。
そこには、2mは確実に越しているだろう屈強な体格を持つ男が居た。明らかにこちらへ近づいてくるのを見たデンスケは、もしかして、と椅子を引いた。
「ああ、そのままで良い。察しの通り、君の登録前の試験を担当する者だ。ヤスヒロという、よろしく頼むよ」
巨漢の男は優しい口調で告げた。変異した心石だろうか、帯刀はしているが害意はなく、柔らかい表情で2人が居るテーブルのすぐ傍で止まった。
「確認だが、心石登録を行うのは君だけか?」
「はい。まさか、こんな小さな子を戦わせる訳にもいかないでしょう」
「そうだろうな。では―――」
轟音。
直後に吹き飛んだのは、ヤスヒロの方だった。吹き飛ばした本人デンスケは―――ヤスヒロが剣に手をかけるより前から動き、テーブルを掴みながら飛び蹴りを放った後だが―――着地して間もなく、心石を剣に変えた。
「……警戒心に、残心は十分。威力はかなり足りないが」
ヤスヒロは自分の剣の柄から左手を話し、デンスケの蹴りを受け止めた右手の感触を確かめながら告げた。
―――合格だ、と。
「取り敢えずは6点という所かな。それじゃあ、この用紙を持って心石登録へ」
「了解」
「……さっぱりとし過ぎなように見えるが、副長が何か君に?」
「あの曲者のオッサンが、そんなくだらない真似をするとでも?」
「くだ……いや、それもそうか」
ヤスヒロが苦笑した。アーテは事態についていけず、目を見開きながらデンスケとヤスヒロを交互に見ていた。
「ああ、連れに失礼をしたね。これは物見遊山で狩人になろうとする戦技者をふるい落とす試験なんだよ」
心石と契約できる人間は多くはないが、少なくもない。居住区外でクズ石を拾い、自分で契約をする人間も存在する。だが、戦闘の心得となれば話は別になる。ヤスヒロはそう前置いて、素人の使い手が戦場に出た場合の死亡率を告げた。
「95%が死亡する。運良く生還できたとして、99%が再起不能になる……身体か精神か、その両方に深い傷を負ってな」
自分にも出来ると思い込んだ者から早死する。根拠もなく躍り出て、そのまま喰われて取り返しのつかないことになるのが、お定まりの結末だった。
「癒やすにも元手が必要になるが、そんな金があるならそもそも戦場に出ない。結果、戦技者の原則から外れた外人が増えてしまう訳だ」
未然に防止するための試験で、不意打ちをまともに受ければ0点。試験管が剣を握った直後で気づくも防御できなければ1点、防げて2点、間合いに入られた時点で警戒し回避、あるいは反撃に成功すれば4点。
あとは威力次第で加算される。デンスケは対応が5点、威力が1点と告げられた。
「次は測定だ」
「これに手を当ててくれ。あとは、こちらの質問に対しては嘘をつかないように」
「……えっ、と。これ何スか?」
厚い木の壁に覆われた部屋の中、大きな水晶の前に案内されたデンスケはあんぐりと口を開けたまま尋ねた。
「測定器と、登録器です。相互認証式の」
「……ん?」
「簡単に言えば、両者が同意しなければ発動しない道具のようなものだ」
心石の色と心素量を測定することができる、というヤスヒロの説明にデンスケは成程と頷いた。人によっては心石の色を隠したがる者が居るし、心素量を知られたくない者も居る。そういった相手の能力を看破することは困難だ。
それを覆すこの道具は、相手が看破されることを言葉で受け入れなければ発動しない、そういった仕組みで作られている。
「とはいえ、なあ……」
「どうした、隠したい類の色か」
「ある意味ではそうッスね」
「……心石の名前を読み上げる宣誓でも構わないが」
「あー、いいっす。応答式の方で」
デンスケはため息をつきながら、水晶の前に立った。手をかざし、視線で測定員を促す。
「―――名前を名乗りなさい」
「デンスケ……遠州界っス」
「色は」
「無色」
「……これから心石登録を行いますが、よろしいですか?」
「うーっス」
デンスケが答えると、水晶が僅かに輝いた。測定員は苛ついた顔をしたが、取り繕った無表情に戻した後、これで終わりですと告げた。
「それにしても……無色、ですか」
「何か問題でも」
「いえ?」
測定員は何もないと答えたが、表情には嘲りが含まれていた。それを見たヤスヒロが、大きく咳をした後、測定員を睨みつけた。
「差別は良くないな。試験時の彼の対処能力は素晴らしいものだった」
「あ……いえ、そんなつもりは」
「俺に言っても仕方ないだろう」
「……申し訳有りません、カイさん」
ヤスヒロに叱責を受けた測定員は謝罪をしたが、デンスケは受け取らなかった。
「別に、どうでもいいって。それより心素量は出たのか?」
「ええ……新人の平均値ていどですね」
測定員の言葉に、デンスケはそんなもんかと頷いた。元より分かっていたからだ。自分の心素量の少なさを。それを侮られる所まで。
「それじゃ、オレ達はこれで。心石登録とやらは済んだんだろ?」
「完了しました。心石の使い手として、その役割に恥じぬご活動を」
「待て。―――そこのお嬢さんが、何か言いたそうにしているが」
お定まりの言葉を背に部屋を後にしようとしていたデンスケが止まった。振り返ると、真っ直ぐに水晶を見つめていたアーテの姿があった。
その目を見たデンスケは、小さなため息と共に目を閉じた。
「ヤスヒロさんだったか……5分でいい、外に出ていてくれ」
「訳ありか……いや、分かった」
ヤスヒロが部屋を出た後、デンスケはアーテの前にしゃがみこんだ。その紫の瞳に目線を合わせながら、静かに問いかけた。
「心石使い、じゃないよな。見れば分かるし」
アーテは小さく頷いた。つまりは、ここで心石との契約をしたいということだ。冗談で言っているようには見えない。デンスケは、アーテの瞳を見つめながらに問いかけた。
「俺が信用できないのは分かる。だが、アーテのような幼い子がここで使い手に……戦う者になるっていうのは賢くない選択だ。それは分かるだろ?」
デンスケの言葉に、アーテは首を横に振った。
「……どうしてもか? さっきの話、聞いてはいたんだろ。心石使いとなれば非常時には呼び出される。どんな状況にあろうともだ。予想外の事態に巻き込まれる可能性もある」
マサヨシから聞いた話、人の命が資源という副長の言葉からデンスケは察していた。いざという時に、真っ先に命を捨てる役割を担わされるのが戦技者という存在だと。
戦う術を持つ者は、いずれ戦いに巻き込まれる。否が応でも、戦いの傍に身を置くのならばいざという時が訪れる。そう告げて、デンスケは安心するように言った。
「無理をしなくてもいい。最低限の生活は守るし安全も、だから―――」
「わたし、やりたいこと、ありマス」
一言で、デンスケは止められた。アーテは言う。
「でも、わたし何も持っていない……わがままもイヤです。わたしが望みを叶えるために、必要なんデス」
「オレを利用しても良いんだぞ? それぐらいの甲斐性は期待して良い」
「それで私は何もしない、というのはダメです。それはイヤな奴です……意味も、ありまセン。それに、それに、わたしは……」
「……ひょっとしてだけど、誰かに復讐するために強くなりたいのか?」
デンスケが問いかける。
アーテは少し考えた後、静かに首を横に振った。
「お荷物なるの、嫌デス。いざという時、何もできないのいや……目の前で誰かに死なれるの、もっとイヤ」
「……嫌、か。どうしても嫌なんだな」
「ハイ」
小さな手をギュッと握りしめながらも、視線だけは真っ直ぐに。アーテの瞳を見たデンスケは、小さく頷きを返した。
「嫌なら仕方ないな……ないよな。だけど、辛いぞ?」
「わかって……いえ、がんばりマス」
「そうか……やるからには、中途半端は無しだ。嫌だと泣き叫んでも関係ない、最後まで鍛える。引きずってでもだ。それでも構わないな?」
「ハイ」
退くつもりはない。それが分かったデンスケは立ち上がり、測定員の方を見た。
ジャッカスが、呆れたように問いかけた。
『助かりはするだろう。が、心情的に言えばお前は止めると思っていたが』
(アーテはオレの奴隷でも、保護の対象でもない。託されただけで、言いように使うのは違うだろ……心の底から望んだ事を力ずくで止める権利はねえよ)
安全のために、という理屈は通じない。デンスケは先の騒動で、こちらの世界であっても死ぬ者はどう足掻いても死ぬ時には死んでしまうということを学んだ。いざという時に死から逃れる術を得るには、使い手になるのが手っ取り早く、何よりも有効だ。
(それも、心石と契約できればの話だけど―――)
デンスケは懐から、リキヤに念のためと渡された未契約状態の空の心石を取り出しながら確信していた。きっと分かっていたのだろうと思う。何の根拠もない話だが、この契約は“成る”と。
「……深呼吸をして、心を静かに」
デンスケに言われた通りにしながら、アーテは目を閉じた。
敏い、と思いつつデンスケは続きを言葉にした。
「あとは、分かるはずだ。何をすればいいのか、どう感じればいいのかも」
デンスケは、自分のことを思い出していた。3年か4年前のことだというのに、遠い昔のように感じられる、契約の時のことを。戦場の最中、怪物を前に絶体絶命の時。
それまではずっと無理だった。師匠に叩かれてもできなかった。
だが、純粋な気持ちを―――死にたくない、生きたい、帰りたいからと必死に手を伸ばせば、握りしめた石は輝きと共に応えてくれた。
目の前で輝き出した、アーテの心石のように。
アーテの顔が、柔らかく綻ぶ。妖精のような笑顔で、謡うように名前が告げられた。
「うん―――いっしょにいこうよ、月白色の霞草」
閃光、と言う他になかった。
水色を帯びた白の輝きが部屋を覆い、デンスケは思わず目を隠した。その中心で、金色の少女は月白色の輝きの中で目を開くと、驚いたようにあたりを見回した。
「し、白!? それに、この心素量は………!」
測定員が驚くが、無理もないとデンスケは思った。鍛えていないというのにこの輝き、心素量はおよそ自分の30倍以上だろう。
だが、あまりにも清廉な光を前にして、デンスケは嫉妬の念を抱かず、ただ高揚感に包まれていた。
―――何かが、これから始まる。とても長く、それでいて鮮烈な何かが。
そんな期待感に似た予感だけで、デンスケの胸は満ち溢れていた。
『大したものじゃの。喜ばしいことじゃが、さしあたっては―――』
(分かってるって、ジャッカス)
扉の向こう、微かに漏れた気配を感じたデンスケは、決意と共に治療途中の自分の心石を握りしめていた。
●あとがき
アレティナグマは異世界の色の名前です。
月白は日本の伝統色の名前から。




