14話 : 旅立ち
1章のエピロ―グです。
「もう行くのか?」
「ええ……ここでやり残したことはないッスから」
デンスケは新たに購入した私服の上着に袖を通しながら、マサヨシの質問に答えた。行かなければならないんだと。
「……破砕から再生したものの、間もない。まだ万全には程遠いだろうに」
「そうッスね……でも、歩くことは出来るんで」
「タフだな。とても、15やそこらには見えん」
「18ですから……なんて言い訳もできないまま、アイツらは死んじまいましたが」
そういう事もある。死を受け入れているかのような物言いに、マサヨシは苦笑した。
「やはり、生徒らしくなかったよお前は。あくまで戦技者という観点からだが……掃き溜めに鶴だったな」
場違いにもほどがあったと、マサヨシは苦笑した。無理をさせたな、と侘びながら。デンスケは黙って首を横に振った。ぬるま湯だからこそ、ここは心地よかったと。
それでも、状況は自分に歩かせることを強いた。
何かが動き始めている。それを感じたデンスケは、留まる道を選ばなかった。心意覚醒を使ってしまったため、しばらくは様々な戦闘術を使えなくなったが、止まっている訳にはいかないと自分に言い聞かせた。
「それじゃあ……また、どこかで」
デンスケは別れを告げて、スクールの自分の部屋から去っていった。
―――あれから1週間、式典の最中に起きた大規模テロの騒動はまだ収まってはいなかった。下手人の正体は不明、方法も不明、どこから情報が漏れていたのかも分からない。
テロの協力犯の中に、青の国の同盟国である小国の王子が居たことも問題になっていた。特殊な異界道具を生産している国で、国力は小さいが、関係が重要視されている国らしい。もしも殺されていれば、善悪や正誤の正否に関わらず、異世界との関係は急激に悪化していただろうと、デンスケはマサヨシに聞かされていた。
あの怪物を倒した者は、見つかっていないとされている。デンスケはそれを聞いて、ホッとしていた。
あの後、血だらけで倒れていたため、道化の格好をしていたのがデンスケだとは看破されなかったのだ。何もかもが吹き飛ばされてズタボロの平凡顔は、無力で無色な生徒として手当てを受けた。
知っているのは、1人か2人だけ。
『その一人のマサの字だが、いたく感謝していたな……もっとムシれたと思うが?』
(良いんだよ、コレで)
これからあの教官は自分を責めるだろう。となれば、酒だ。祖父のように、酒を呑んで色々と吐き出せばいい。デンスケはせいぜい酒をかっくらって酔っ払って、吐き切った後に復活すればいいと思っていた。
もう一つは、あの怪物のことだ。数人だが、あの修羅場で生き残ることが出来たのは教官の教導によるものだとデンスケは考えていた。もしもその数人さえ食われていれば、どうなっていたことか。
口には出さなかったが、デンスケは感謝と尊敬の念をマサヨシに抱いていた。このスクールで得られた、数少ない縁を大事にしたいという想いもあった。
ゆっくりと、廊下を歩く。擦れる音が、簡単に耳まで届いてくる。もうこのスクールに残っている者はほとんどいない。大勢の生徒と教官が殺された結果を受けて、中央府は一時的な取り壊しと、時間をかけての再建をする方法を選んだ。
無人の静寂が漂う中、デンスケは廊下を歩きながらアキラが遺した手紙のことを思い出していた。
ありがとう、という冒頭。その後の文章は、何かを書こうとしたのだろうが、形にならないまま塗りつぶされていた。ただ、締めくくりの文章だけは記されていた。
“料理教室の代金を貯金しておきました。これで頑丈な装備の1つでも買って下さい”と。思い出したデンスケは立ち止まり、唇を震わせながら俯いた。
「あの………バカ野郎が。汚くなれと言ったのに、肝心な所で………」
戦いにもしかしたらは存在しないというのに。
だが、嬉しそうに笑ってアキラは逝った。ならば怒るのではなく、悲しむのではなく、誇りと共に送られることを願うかもしれない。
―――手紙の先は分からない。アキラが願ったことも、もう聞けない。
だが、立ち止まることだけは望んでいない筈だと、デンスケは顔を上げて歩き出した。玄関を抜けて、4月には桜が咲いていた緑の並木道を進む。
今の季節は初夏の頃。だが、過去に抱いた夏のイメージとは異なり、淀んだ雲は今日も変わらず空に陣取っていた。いつもより湿気が濃いことから、雨が降るのだろう。そんな事を考えながら空を眺めていたデンスケは、近づいてくる気配に視線を向けた。
「……アンタは」
「ようやく来たか」
スクールの敷地の外で待ち構えていたその女性に、デンスケは見覚えがあった。アキラが助けた女の子の一人で、見た目通りの年齢に見えない方だ。あの場で唯一、自分が道化の変装をする所を見ていた者だった。
「すぐに会えると思ったのだがな……何故名乗らなかった?」
「正体不明の奇妙な道化は永遠に姿を晦まして、式典を守った主役は生徒と護衛達。それで良いし、それが良い」
生徒は名誉の戦死となり、護衛達の面子も守られ、最後は美談で締めくくられる。変装にはそういう意図もあったが、正体を知る者が居るのは手抜かりだった。
こちらこそありがとうと、デンスケは礼を告げた。女性は一瞬だけ苦しそうな顔を見せた後、懐から封筒を取り出した。
「―――中央府直轄の、精鋭部隊の紹介状だ。君をスカウトしに来た、が」
女性は封筒を破り捨てた。聞くまでもないと、デンスケにその意志が欠片たりとも持っていないことに気づいたからだ。少し惜しみながらも封筒を懐に仕舞った女性は、これで私人として話ができるな、と前置いて名乗り始めた。
「私の名前はミコト……まずは礼を」
ありがとう、助かったと告げた神妙な顔でミコトは頭を下げた。手入れがされている事が一目で分かる、柔らかい髪が綺麗に流れた。
「アキラ君は残念だった。もし、君たちが来てくれなかったらと思うとゾッとするよ」
「オレは間に合わなかったけどな。全て、アイツのお陰だ」
女性を守るために身を張り、間一髪で間に合ったアキラこそがヒーローだ。デンスケがそう告げるとミコトは頷き、デンスケの目を見ながら尋ねた。
「デンスケは、これからどうするつもりだ?」
「取り敢えずは第7地区に行く。そこで依頼を募集して、好き勝手動けるような立場を得る、かな。それ以外にも色々と……仕事じゃない予定だけは山程あるが」
行きたい所、確かめたいこと、並べ始めればキリが無いが、あれこれ手を出しながら1つずつ片付けていくしかない。そう答えたデンスケだが、いい加減に気になっていると、ミコトの後ろに隠れている金髪の女の子を指差し、尋ねた。
「あの時、アンタと一緒に居た子だよな?」
「見違えただろう。そこで、君に依頼したいことがある」
ミコトは告げながら1歩だけ横にズレた。後ろに隠れていた女の子の姿が顕になり、成程とデンスケは頷いた。
ミコトの足に隠れてはいるが、金髪の女の子はその整った顔立ちに見合った洋服を着せられている。
だが、修羅場の時に少女が身に纏っていた服は質素に過ぎた。見た目の感想は良くて白い布、悪くて雑巾としか言えない、服未満のボロをまとっていた。どうしてそんな少女があんな場所に、という疑問。そしてスーツ姿だったミコトとの組み合わせはチグハグに過ぎたことから、とまで考えたデンスケは少し頭痛を覚えていた。
『想像の通り、訳ありだろうな。どんな背景があるのやら』
(……どうでもいい。事情があるんだろうし)
何にせよ死なせるつもりは無い、とデンスケは心の中で宣言した。なんのために死んだのか分からない、そんな事は誰にも思わせないと誓って。
(それに、今はちょっと………独りになりたくないしな)
『ふーむ、魅力のボディを持つ我の存在を忘れておるようだが?』
(丸、線、線の棒人間が何言ってんだ)
『少女愛好者の好み通りじゃが』
(独りにってそういう意味じゃねえよ!)
呆れながらも、気分転換になったと気付いたデンスケはジャッカスに感謝した。
そして、最低限の把握しておかなければならないと、デンスケはミコトに事情について尋ねた。ミコトはだろうな、と頷いた後、もう大丈夫だと言う言葉だけを答えた。
「……いや、それだけか?」
「追手は最早存在しない。そういう事になっている」
「えぇ……余計に恐怖が増したんだが。なに、どういう厄ネタなんだ」
「それを撒き散らしていた者は処分された……そういう話だが、聞きたいか?」
言葉を濁すミコトの様子を見たジャッカスが、馬鹿者とデンスケを叱責した。
ミコトは童顔ではあるが年長の雰囲気を持っている上、仕草や振る舞い、言葉と頭の回転が洗練されている。紛うことなき大人のミコトに比べ、金髪の女の子は子供そのものだった。遠回しに言ってきた意味も踏まえて、ややこし過ぎる事情を推測した上で、デンスケは女の子の前に歩み寄ると、膝を落として目線を合わせた。
「君の名前は? オレはデンスケだ」
「……あ、アーテ、いいマス」
お辞儀をしながら、アーテは自己紹介をした。
デンスケは驚いた後、ミコトの方を見た。
ミコトはニヤリと笑った。
「私は聞かれたから答えただけだ。挨拶の作法を教えて欲しい、と自分から質問をされては答えない訳にもいかないだろう?」
「……それはそれで複雑なんですが」
「大人びているという意味では、君も同じだろう。見た目詐欺にも程がある」
「平坦顔ですからね」
「そうか? ……怒っている時の君の横顔は魅力的に見えたがね」
不意打ちだった。言葉に詰まったデンスケの隙を突いて、ミコトは道路の方へ歩いていった。迎えに来たのだろう、見るからに高級で頑丈そうな車に乗り込み、最後に手を振りながらミコトは去っていった。
「……ったく。何歳だよ一体」
身長は150程度だろう、見た目は中学生なのにどうしてか上を行かれたような。それでいて悪い気がしないというのは、デンスケをして初めての経験だった。
「ア、アの」
「ん? どうした、アーテ」
「これ……ミコトサンから渡せといわれたミス」
「ますね、マス」
デンスケは教えながら2つの物を受け取った。
1つは、大金が入った封筒。中には領収書が入っていて、『討伐金』の名目が書かれていた。もう一つは、赤色の玉だった。こちらも手紙が同封されていた。『直通の通信球だ。首謀者もしくはそれに関連する人物を見かけたら連絡をくれ』と、念入りに名詞まで添付されていた。名前しか書かれていないが、それなりの効果は期待してくれ、ということらしい。
「500万円って……多すぎないか?」
『そこの幼女の支度金も含めてだろう。中々に律儀な小娘だ』
住居と服はこれで手配しろ、ということかもしれない。デンスケは断る理由もないと、筋の通った金であることを受け入れた。
そこに、連絡があった迎えの者がやってきた。デンスケは運転手が降りてきたのを見て、その名前を読んだ。
「おっす副長このヤロウ」
「いきなりキタね……何かあった? 前よりずっといい顔をしてるよ」
副長の質問に、デンスケは思ったままを答えた。スクールがある方向に振り返り、小さな息を吐きながら。
「色々とありました、ッスよ……良いことも悪いこともぜんぶ」
「それが人生というものだよ、若人」
「おっさんが言うと説得力がありますねぇ!」
デンスケの皮肉に、副長は言うようになったねえと笑った。
アーテの手を引いて後部座席に座る。相変わらずのタバコ臭い車だが、来た時とは違った点があった。
「お、今日は一人ッスか?」
「色々と忙しくてね……話もあったし」
少し走った後で話すよ、と告げた副長は車を運転し始めた。アーテは初めての車なのだろうか、驚いた顔で左右を見回し、窓の外の風景が流れていくのに釘付けになっていた。
デンスケはしばらく過ぎた後、窓から見え始めた三代目の通天閣を眺めながら、小さなため息をついた。
(オレは帰ってきたのか……いや、そもそもオレはどこに行っていたのか)
分からないことばかりが積み重なっていく中、デンスケは叫びながら何かを壊したい気分になった。だが、それをした事で何も得られないなと、ため息をついて暴れたい衝動を誤魔化した。
手がかりが無いこともないのだ。今回の騒動、これを追っていけば何かが得られるというそれは、予感に似ていた。
(首謀者が誰かは知らないが……あちこちに手を伸ばせる力は持ってたからな)
混沌としていた、という表現が一番正しいと思う。
元々、式典に至るまでに各国の色々な思惑が重なって泥沼になっていたのだ。そこに子供がイタズラ顔を浮かべて両足で飛び込んだように思える。泥の着地、その余波で沈んだ砂粒扱いされた者はたまったものではないだろう。たまたま踏み潰された虫に関しても。
(上位ランカーが来なかったこと、偶然とは考えられないしな)
マサヨシ曰くに、上位の化物ならばあの怪物を難なく潰せたという。そのあたりはデンスケも同感だった。弱点を看破できる要因があってなお、破砕を前提とする自爆戦術を使わなければ倒せなかった自分とは違うと。
この世界の強者達は、今の自分の遥かに上を行っている。それが知れただけでも収穫だと、デンスケは暗雲に包まれた心の中で、少しだが高揚感を覚えていた。
この騒動で、周囲に盛大にはねた泥。それが今後この世界にどのような影響を及ぼすかは分からない。
それでも何かが始まる予感だけは、確信に至っていた。あのテロリストが告げた、開幕という言葉の通りに。
「それで、副長殿? そろそろ考え事に没頭したいんスけど」
「あ、もう良い? じゃ、伝言だけど………君の3500万の借金のことだよ。あれ、無くなったから」
副長が告げると、デンスケは目を丸くして聞き返した。
「無くなっ……え、冗談?」
「本当。あちらさんに警告が行ったらしいよ。法外な金額だったからねぇ」
府知事が動いたらしいけど、どんな手を使ったのやら。わざとらしく怖がる声にデンスケは反応せず、気の抜けた様子でため息をついた。
「なんだったんだか……最初からやってくれよ」
「我々のような下々の生活はそんなものだよ。なんにしても、良かったね?」
副長は気のない声で告げた。デンスケはイラッとして、仕返しにと4ヶ月前のことで脅かそうと怖い話を始めた。
「そういえば、言ってなかったんスけどね………副長殿。月のない夜は背後に気をつけて下さい」
「え……闇討ちの予告?」
「ストーカーには気をつけて下さいって事っスよ」
「え……なんのことだい、いや本当に」
「何って、取調べしてた時からずっと居たんですよ。なんか、透明になってる人が」
きっと副長が好き過ぎる人と思いますけど、とデンスケが告げると副長は驚愕に言葉を失っていた。数秒して、バックミラー越しに副長はデンスケに問いかけた。
「なんで……あの時に言わなかったのかな?」
「てっきりそういう趣味の人かと思って。姿消す方陣術使ってるストーカーとか、関わり合いになりたくないし」
精神と身の安全を優先しました、とデンスケが答えると副長は噴出した。小さな笑いが、徐々に大きくなっていった。
しばらくして笑いが収まった後、副長は面白そうに口元を緩ませた。
「いやー、笑った。これだけ笑ったのは久しぶりだね―――それで勧誘の話だけど、無かったことにしておいて」
「え、なんでッスか?」
連絡をした時のことだ。送迎や移動の代わりに短期間だがウチで働かないか、という話をデンスケは聞いていたが、それはもう良いと副長は言った。
「君にその気が無いのは分かってるし、ね。それに、そっちの方が面白そうだ」
好き勝手にやらせた結果を見てみたい。
興味本位だけどね、と副長は小さく笑った。
「今ならサービスで、住居の手配もしちゃうけど?」
「ありがたいッスけど、自分で選びますよ。この娘と一緒にね」
話が分かっていないのか、首を傾げているアーテの肩をデンスケがポンと叩いた。
やはり意味は分かっておらず、困惑した様子が表情から見て取れるが、覚悟をしたようにアーテはうんと頷いた。
「……その様子なら大丈夫そうだね。お詫びに、良い装備が欲しいなら売ってる店を教えるけど?」
「お菓子屋を優先で。これから、アーテの歓迎会をしなきゃなんないし」
「了解」
小さく笑った副長が運転する車が、スピードを上げた。
3人が乗った車が快活の声を響かせながら、難波を去っていった。
デンスケ頬杖をつきながら、窓の外に向けてため息をついた。
―――帰還か探索かは分からないけど、長い旅になるな、と。
全身に奔る波乱の予感と、長く曲がりくねっているだろうこの先の遠い道に想いを馳せながら。
「……このまま行かせてよろしいんですか?」
「構わんよ。国内の膿出しは出来た。遠征にかこつけた趣味の悪い祭典が行われることは、二度と無いだろう……戻る故郷も、最早ない」
居住区外のビルの上、赤色の髪の男は北東の方角へ去っていく車を見下ろしながら、手出しは無用と部下達に告げた。
「それよりも、だ。15位が殺られたことで青の奴らが騒いでいる」
「ウェラハウド君ですか……それなりに慕われて居ましたからね。緑と協力して報復に動くようなら、言い含めておきますが」
「それが最善か……頼んだ」
「……ちなみに、ですが。8位が想定する最悪をお聞きしても?」
「中央府に矛先を向けることだ。だが、本当の最悪とはそれさえも含めて……いや、止めておこう」
可能性だけで論じるなら、こちらにも手が伸びていることも考えられるのだ。
続々と、上位ランカーがこの街にやってくるという情報も入っている。
何にせよ、と男はオオサカの町を見下ろしながら告げた。
「―――何もかもが動き出すぞ。この天領冥府・オオサカの街を中心に」
300年。溜まりに溜まった歪みによる弊害が、この事件を切っ掛けに顔を出すだろう。
8位と呼ばれた男の言葉が正しいように、黒く染まった雨雲の中では蠢くような稲妻の音が、重く何度も鳴り響いていた。
●あとがき●
これにて1章は完結です。
2章はまた書き溜めが終わり次第、投稿する予定です。
早ければ来週ぐらいになるかと。
また2章でお会いできましたら幸いです!
●追伸
これまでのお話について、ご意見、ご感想、ご採点を頂ければ嬉しいです。
この上ない作者のエネルギーになりますので。
読者様にはお手数をおかけすると思いますが、どうかよろしくお願い致します!




