9話 : 屋外演習
慣れ親しんだ場所であろうと、人の気配が消え失せれば途端に危険な場所に見えてくる。ましてや人を喰らう獣が潜んでいる魔境など、常人が赴くような場所ではない。それが居住区より外れたオオサカの町の全てであり、自分がこれから糧を得るために挑む場所である。
四方明は自分が居る場所に震えながらも、これを持っていなければ間違っても行こうだなんて思わなかったな、と自らの心石を顕現して強く握りしめた。
(頼んだよ、僕の日の下の菊苦菜)
自分の拠り所を認識したアキラの身体から、震えが止まった。地元ではバカにされたこともあったが、今では自分に合っている思えるようになった、頼もしい相棒が少し輝きをました。
そうしてアキラの視線が定まった先には、教官とクラスメートの姿があった。車が4台は通るだろう、大きな道路の中央に全員が陣取っていた。その中心に居る教官から、生徒に向けて大きな声が放たれた。
「怖がっているか? 震えているか? 逃げ出したくなったか? ―――それが正しい感覚だ。なぜならここが心石使い達が命を賭ける戦場、お前達の命の試練場だ」
害獣徘徊区域とも、狩場とも呼ばれる場所。一番に使われる名称は、戦場。獣という敵だけではなく、人という味方が死ぬ場所にもなるからだ。害獣の強さに関係なく、安心と安全を力で勝ち取らなければ生きてはいけない地獄との境目。目立つものに獄吏が殺到するのは必然だった。
教官マサヨシの大声に反応し、周囲から害獣が徐々に現れ始める。弱い個体ばかりで距離はまだまだ離れているが、全員が即座に心石を起動した。敵影を見かけたら、まず心石を変異させる。生徒たちがこの三ヶ月の訓練で、教官から叩き込まれた基本だった。
「寝ぼけている奴は居ないようだな。これなら最悪でも、死ぬことはないだろう」
アキラ達が出ているこの地域は、ミナミの重要施設の近くにある戦場だった。万が一にも暴走して居住区へ入り込んで来ることがないよう、南方面所属の狩人達によって頻繁に掃除―――害獣駆逐作業が行われていた。強い害獣を頻繁に狩ると、その地域の脅威度は徐々に低くなっていく。200年の間に繰り返された掃除の結果、害獣も脅威度1から、高くても2の種類しか出ない地域になり、演習や試験にはうってつけの場所になっていた。
基本を学んだ心石使いが複数であたれば怪我を負うこともない、難易度が低い狩場だった。最弱の脅威度1の害獣の攻撃力は低い。武具で受ければ難なく受け止められ、障壁だけで防いでも突破はされない程度の攻撃力を持つ害獣しかいなかった。
だが、害獣は害獣だ。こちらを殺すために動く所は他の害獣と何ら変わらず、貧弱な攻撃とはいえ殺す気で放たれるものだ。当たり所が悪ければ死ぬ可能性もある。今回の居住区外で行われる屋外演習の前にさんざんに叩き込まれた生徒たちは、誰もが油断なく敵を見据えていた。
「―――各自散開、戦闘を許可する。ノルマは5体、一時間以内に狩れ」
マサヨシが腕を組んで授業の開始を告げると、生徒たちはそれぞれが固まって、あちこちに走り始めた。
三ヶ月という期間は、クラスの中でのグループ分けが固まるのには十分な時間だった。人は出身地域や性格、戦闘スタイル、心石の色という背景を形成する要素を互いに分け合うことで、必要に応じてくっつきあう。人が3人集まれば派閥が産まれるという言葉通り、クラスは複数の派閥に分かれていた。
その中で特に目立つ派閥は、3種類あった。
緑の豪剣を自負しているトシユキが率いる、剣使いのグループ。
青磁の槍士として頼られたミツハルが率いる、速度重視の戦闘を好むグループ。
方陣術法使いをメインに、防御力が高い盾持ちが壁役をこなす、役割分担グループ。
いずれも強い心石を持つ者ばかりが集まっている集団で、授業にも積極的に取り込んでいるため、著しい成長を見せていた。
「凄い、一方的に倒してるね」
「ま、脅威度1だからな。斥候と単独戦闘の教材にはうってつけだけど、行けるか?」
「……うん、大丈夫」
アキラは何も考えずに頷くのではなく、自分の状態を冷静に判断した上で決断した。深呼吸を1つ挟む。吸い込んだ息を全身に巡らせるイメージをしながら、アキラは自らの心石を変異させて出来た短槍の馴染み具合を確認すると、背筋を伸ばして前に歩き始めた。
「少し、あのグループから離れようか……流れ弾が怖いし」
「だな。おこぼれを狙うのも性に合わん」
2人は頷きあうと、クラスメートが固まった場所から離れていった。
数分歩いた頃には、戦闘の音も遠く、意識を支配するのは眼前に広がる町並みになっていく。デンスケは荒廃したナンバの外れの居住区外の風景を眺めながら、顔をしかめていた。
300年前までは、この難波の南と、日本橋の電気街の間は徒歩で10分程度だったという。それが大空白によって拡張され、徒歩40分の距離となった。結界で守れる範囲にも限界がある。当時の組合と連合は、拡張された町の60%を見捨て、なんばと日本橋の電気街を守ることを選んだ。
「……捨てられた町、ね。こっちの気分まで荒みそうだ」
並んでいる建物の中には、元は居酒屋や喫茶店だったのだろう、古ぼけた看板やのぼりが残っている場所もあった。錆び付き朽ち果てて、元の形がなんであったのだろうか、見る影もなくなっていた。人が住んでいたはずだ。人で賑わっていたはずだった。他の家々も同じ、そこには誰かの帰る場所があった。
全てが、大空白で壊れてしまった。それさえも過去になり、今は残滓のみになったのかもしれない。デンスケは町の中に香る人の傷跡を前に、300年の時の経過を想った。
一方でアキラは周囲の家まで思いを馳せる余裕もなく、ただ目の前のことに必死になっていた。緊張を保ちながら、曲がり角の向こうを注意深く警戒し、慎重に歩を進めていった。
(気配、音なし。曲がるよ、デンスケ)
(……了解だ)
ブロックサインでやり取りをする。出会い頭に戦闘に入るのを避けたいというアキラの指示に従い、デンスケは後ろからついていった。曲がった後、アキラは正面、左右の路地、廃墟の上、と段階ごとに敵影の確認を済ませていった。
(焦るな、上手くやろうとするな………確実に一つづつ。見落としました、なんて言い訳を聞いてくれる人は誰もいない)
間抜けな斥候はチームの中で真っ先に死ぬ。警戒を怠った結果、誰より損をするのは先頭に居る警戒役だからだ。アキラは基本に忠実に、1つずつ自分の仕事をこなしていった。
(2車線の道、敵影なし………いや、路地の入り口に2体居る!)
短刀を構えた異形の小人が、路地の奥を向きながら警戒を顕にしていた。こちらに気づく様子もなく、敵を前に緊張しているようだった。恐らくは、こちらから見えない路地の影に別の害獣が居るのだろう。アキラはそう判断した。
時に害獣は、互いに喰らい合い、大きくなる。害獣にしても戦場は生存競争を行う場でもあるのだ。アキラは後方のデンスケにハンドサインを送った。『脅威度1のダガーマンが2体、路地裏に同程度の害獣』という意味で。デンスケが了解のハンドサインを送ると、アキラは慎重に距離を測った。
(……この距離なら、方陣術は届く。狙った所に当てられる)
アキラは成果を考えつつ、残り時間とノルマについて確認した。見える2体が路地の外まで下がっているということは、路地の中に居る害獣は最低でも3体以上か、脅威度2が1体か2体と思われる。奇襲の機会を得られたのはプラスだが、不確定要素がマイナスだ。無理をする必要があるかどうか、とアキラは考えた所で短槍を強く握りしめた。
(―――やれる。これは怯えですらない、ただの甘えだ)
全て上手くやらなくていい、多少の外れがあったとして、普通にやれば勝てる相手だ。多少のイレギュラーなど、今後いくらでも出てくる。この程度をリスクと捉えるのは、慎重ではなくただの阿呆だろう。そう考えたアキラは、奇襲、雷、矢の合図をデンスケに送り、デンスケは異議を返さなかった。
たっ、と一歩の距離を踏み出す足音。最後の間合いを稼いだアキラ、その両手から突き出された短槍の先に、純白の方陣が描かれ、間もなくして明るい黄色がその跡をなぞると、方陣は定められた通りの効力を発揮した。
「行け、サンダー・アロー!」
宣言と共に方陣から雷を帯びた矢が飛び出した。1秒で彼我の距離を走りきった矢はダガーマンに炸裂し、隣に居たもう1体まで巻き込んだ。
レベル1の雷の矢は氷や火、石とは違い殺傷能力はほぼ皆無。だが、他の2つにはない特殊な効果があった。
(脅威度1なら最大で5秒、痺れて動けないなら―――)
アキラは短槍を取り出すと、可能な限り静かな足運びで走り出した。次の瞬間、想像していた通りのことが起きた。路地裏から飛び出してきた害獣が、ダガーマンに致命傷を負わせたのだ。
(ソードマンが2体に、アクスマンが1体、距離十分、いける)
飛び道具持ちが居ないことを確認したアキラは切り倒された2体のダガーマンを無視して、新手の3体に狙いを定めた。
射線は3歩、斜め前に動いたことで確保済みだった。後ろに控えていたソードマンの1体が気づくが、もう遅い。アキラは再度方陣を起動し、狙いすまして雷の矢を放った。
直撃。やった、と呟くアキラは喜びを顔に出したが、
「残心!」
デンスケの声が響き、止まっていたアキラの思考が急速に再始動した。そして、見た。盾にした仲間を横に退かして、こちらに突っ込んでくるソードマンを。
ボロボロだが鋭利さは残っている剣を抱え込むように。一直線にこちらに走ってくる姿は防御を考えておらず、敵を突き刺して殺してやろうという意志以外は見えなかった。
(相手は剣、払いと薙ぎなら短槍で受ける、愚直な刺突なら―――)
アキラは短槍使いの教官から教わった内容の通り、斜め後ろに移動した。そのまま小刻みなサイドステップを繰り返し、その度にソードマンの視線と体幹が左右にずれていった。ソードマンやダガーマンは腕力は人並みだが、足腰は大きく劣る。
故に、左右にブレると著しく遅くなる。
アキラは余裕が出来た時間の中で間合いを測り、相手を見据えると短槍を突き出した。防御も技術も知らないソードマンは突き出された短槍を前に成すすべもなく額を貫かれ、ボロの剣を取り落しながら前へ倒れ込んだ。
小さなうめき声と大量の血液が流れ落ち、剣を落とした小人の害獣は二度と動かなくなった。
「えっと……何点だった?」
「1点。残心は絶対に忘れたらアカン」
痺れたソードマン達にトドメを刺しながら、デンスケはそれだけで9点減点と答えた。
アキラは不満そうな顔で反論した。
「ちょっと厳し過ぎない? 斥候と奇襲の両方で評価してよ」
斥候は多分オッケーだったから5点ぐらいくれても、とアキラは主張するが、デンスケは黙って首を横に振った。
「塩加減を見る時のお前ほどじゃねーよ。というのは冗談で、残心できてたら10点付けてたから厳しくない。いや本当にマジで残心は重要なんだよ」
戦技者の死因の第一位だからな、とデンスケは動かなくなった害獣を見ながら告げた。正面からなら問題なく対処できる。格上であっても、防ぐという意識が強まっていると肉体の防御力も自動的に上がるため、即死はしない。余程の格上が相手の場合は別だが、防ごうと思えば何とか死なずにすむのだ。
回復促進の装飾や方陣、薬が間に合わない死に方をするのは、大抵が意識外から攻撃を受けた場合だ。強化の間隙を突かれた場合、凶刃は文字通り使い手を“貫通”する。
「死んだフリが得意な害獣が居ないとも限らないからな。脅威度が低い害獣相手に、そこらへんの加減を覚えるのが吉だぞ」
「教官が口酸っぱくして教えてるもんね……分かってなさそうな生徒が多そうだけど」
「あれはあれで1つの対処方法じゃないか? 殺したらぁと集団で息巻いて、残心もクソもないぐらいにぶっ殺す。そこまでされたら、死んだフリとかしてる暇ないだろ」
意識すると防御が固くなるように、攻撃の威力も増す。強い想いと自信が心石で起こす全ての現象に影響を及ぼすことは、使い手ならば無意識に自覚している。
理屈と肌で世界法則という不可視の絶対を操る術を持つ心石契約者だからこそできる芸当だ。それこそが、使い手が一般の府民から一線を画した存在として扱われている理由だった。そこから先の評価は、個人の才能や努力次第になるが。
「……素質を活かす方法も好き好きに、ってことだね。教官が戦い方を強制しない理由が分かったよ」
「逐一見てられんのもあるな。あとは今のうちに色々な場数踏んで、在学中に自分なりのやり方を見つけて欲しい、といった所か?」
それが出来るのもスクールで指導を受けている内だ。デンスケはマサヨシの狙いを分析済みだった。上級生からの情報収集の結果から判明したことだが、使い手全てが裕福な生活を送れる訳ではないらしい。狩人稼業でも、波に乗れなければずっと底辺のままだという。卒業すれば才能の有り無しに関係なく、一人前として扱われる。自分の戦い方の構築等、害獣を相手に試行錯誤をしている暇はあまりなく、日々の生活だけで精一杯になる者も居るという。
「とにかく休んでる暇は無いってことだね」
「貧乏暇無しと言うしな。基本は出来てる、この調子だ」
隠密に徹するためにブロックサイン、無闇矢鱈に突っ込まない、連携のと威力の事を考えて方陣術の名前を呼ぶ。間違えても怪我で済むと、デンスケは太鼓判を押した。
「あとは、集中力が切れてきた時だが………もう少し休むか?」
「大丈夫、すぐに行ける」
アキラは体力にはまだ余裕があるとして、移動し始めた。デンスケが万が一の時のフォロー役として後に続く。
それから2人は町の中を歩き回り、戦闘を繰り返した。先ほどのようなシチュエーションではないが、群れからはぐれた個体をいくつか見つけたアキラは、その度にアタックを仕掛けた。
そうして繰り返している内にアキラの息が切れ初め、集中が途切れた時にそれは起こった。
アクスマンの一人が、武器である斧を投げてきたのだ。唸りを上げて顔へ遅い来る脅威に対して反応が遅れたアキラは、短槍で叩き落すことが間に合わないことに気づくも、体は動けず。
考えるより前に発動した障壁が、アキラの命を救った。教官やマサヨシとの組み手中に、頭部だけは死守するように、脳震盪を起こしたらその場で死ぬと思え、と何度も教えられた成果だった。
だが、窮地はまだ終わっておらず、別の個体が更にアキラを襲った。
(狙いは、足か!)
回避と逃亡といった、自分の命を守る最後の手段になる下半身は頭部の防御の次に重要だ。組み手の最中に打ち据えられた時の痛みを思い出しながら、アキラはすんでの所で横に飛び、足を突いてくるうソードマンの一撃を避けた。
続き、アクスマンが弾かれた斧を拾おうと接近してくる。ソードマンも次の攻撃のために剣を振り被った。同時に相手をするには手が足りないと、アキラは焦り。
―――違和感。
アキラは無意識に、後方へ大きく飛び下がった。ソードマンとアクスマンが追いすがって来るが、その足は遅い。アキラは自分に対し叱責を一つ入れると、短槍を構えた。
(焦るな、一度に相手をしてやる必要はない)
戦術の基本にして奥義は、自分の得意分野に相手を引きずりこむことにある。相手の意図と思惑を読むことは重要だが、それに付き合ってやる義理はない。不意打ちでペースを崩され、目の前のことで一杯になってしまったが、すぐに挽回できたのは良かった。
アキラはそう考えながら自分の獲物を握り締めた。
冷静に相手を測りながら自分の有利となる間合いで戦い、拙くも確実に、害獣達を次々に狩り取っていった。
「……これで10匹目、目標達成だ。制限時間8分前、頑張ったなアキラ」
デンスケが親指を立てて褒めたが、仰向けに寝転んだアキラは答えられなかった。全身が酸素を欲しているかのように、息も荒く空を見上げることしかできなくなっていた。1分経ち、2分が経過してようやく立ち上がれるようになったアキラは、疲れが色濃く残った身体を引きずりながらも、顔には笑みを浮かべていた。
「何とか、だね。ぎりぎりだったけど………間に合ったのは確かだ」
得られるものが多かったと、アキラは生まれて初めての達成感に浸っていた。一人でやりたいと告げたのは自分で、いけると踏んだのも自分だ。それでも、開始する前までは不安を覚えていた。実際に狩場に出たことで、自分の体力の無さや、実戦での体力の消耗度合い等、思い知らされた部分も多かった。だが、最後まで逃げなかったという点について、アキラは誇れることだと自分で自分を褒めていた。
「課題の発見も進歩の1つだと思おうぜ。さしあたって、優先して改善すべき点は見つかったか?」
「身体能力、基礎体力だね。筋肉と心肺機能がぜんぜん足りてないよ、コレ」
アキラは自分の欠点を口にするなり、落ち込んだ。脅威度1の害獣の討伐金はおよそ200円程度となる。1日2000円の成果で次の日まで影響が残りそうなぐらい消耗しているのは、問題外と言われても仕方がないレベルだった。
「あとは、気の持ちようだな。強気強気で念じれば、もうちょっと手早く片付けられただろ」
「そうだね。でも、僕にできるかな」
アキラは少し弱気な言葉で苦笑した。デンスケは何かを言おうとして考え始めた所に、横方向から声が入り込んだ。
「―――地力が足りてない雑魚がいくら強く念じたって無駄だ無駄」
「……ゴウケンジャーのハルちんじゃないか。なんだ、グループから外れて我らがボッチ同盟に入りに来たか?」
「カマ野郎の尻狙ってるテメーと一緒にすんじゃねーよ、無色」
豪剣使いことトシハルの挑発に、一部語弊があるとデンスケは答えた。
「用があるのはシリじゃない、シタだ」
「言い方ァ! ちょっ、誤解しないでねハルちゃん、料理の先生としてのアレだから!」
「誰がハルちゃんだ?! クソカマが、てめえみたいな臆病者にちゃん付け呼ばわりされる筋合いはねえんだよォ!」
さっきの鈍くさい戦闘は見てたぜ、と告げたトシハルは鼻で笑った。
「ずっと見てたぜ? ―――雑魚中の雑魚が数匹まとまった程度で苦戦してるサマとか。全力でぶん回しゃ二撃でカタがつく程度の相手に、なあ?」
お前も雑魚だがな、とトシハルはアキラを指差して告げた。
「脅威度1のゴミ相手に小細工とか……その時点で才能ねーの、お前は。分かれよいい加減」
「うん、それは分かってるから小細工してるんだよね?」
だって痛いの嫌だし、とアキラが普通に答えた。トシハルは予想外の肯定が返ってきたことに驚き、硬直した所をアキラが畳み掛けた。
「僕は僕にやれることやってんの。才能が無くても辞めたく無いし、怪我したくないの」
「というか、ずっと見てたぜって……ストーカー?」
「ハァ!? んな訳ねーだろ、手応えねー害獣ばっかりで暇だったから、そこいらを散歩してただけだ」
「いや、流石にそれは……君なら死なないと思うけど、もっと大勢で囲まれたら怪我するでしょ?」
散歩とか言いながらニマニマ笑ってるとは実はマゾなのでは、とアキラが引きつった顔になった。思わぬ変態の登場に、無意識に一歩下がった。デンスケは心石を器用にも携帯電話の形に変異させ、もしもし教官ですかここに変質者が居ます住所は大阪市浪速区~と、誰も居ない電話相手に通報を始めていた。
「オイ―――舐めてんのか、雑魚介?」
「僕は真剣に答えてるだけだよ、こっちの変人と違ってね」
「まさかの裏切り!?」
怒りの恫喝をコントで返されたトシハルは、剣に手を添えた。デンスケは、殺気はないが相当に怒ってるな、と呟きながら目を細めた。
2人の視線が交錯し、肉体強化の輝きが強くなり―――爆発する寸前、遠くから大きな悲鳴が飛び込んできた。
「誰が―――くそっ!」
トシハルは驚くも、クラスメートの悲鳴だと気づき走り始めた。
デンスケは「ジャッカス」と呼びかけアキラの懐に棒人間な小人を放り込むと、トシハル以上の速度で悲鳴の発生源に向けて走り始めた。
最初にデンスケ、次にトシハル、最後にアキラが到着した場所は、既にクラスメートが集まっていた。顔を青くしながら生徒たちが遠巻きに視線を送るその先には、泣き叫び、転がり回っている一人の生徒の姿があった。
何が起きたのか、デンスケは地面に転がっているものを見た。そこには折れた剣があり、切断面からは淡い赤の粒子が吹き出していた。
「………心石破砕か」
「う、うん……そうみたい」
経緯は不明だが、心石を変異させて作った武器を折られたのだろう。その際に破損が核にまで至ってしまい、身体をフィードバックが襲った。クラッシュと呼ばれる現象で、あらゆる方陣術以上に“痛い”の象徴として知られているため、戦技者が絶対に避けるべきものとして、素人の使い手にまで徹底的に周知されていた。
アキラは顔を青くしている生徒にそれとなく聞いて周り、何が起こったのかを大体の所だが把握するに至った。
「打ち漏らしに奇襲を受けて、か」
「気の弱い性格だったから、考えてしまったんだろうね。防げないかもしれない、って」
通常、攻撃を受けるだけでは心石は壊れない。余程の実力差が無い限り、悪くとも罅が入るだけだ。だが、防げない、止められないといった弱気が心に入り込むと剣の強度は著しく下がってしまう。
自ら膝を折った戦技者の未来は1つだけだ。痛みのあまり泡を吹いて痙攣し始めた敗北者の末路を見たアキラは震える唇を噛んで止めながら、拳を強く握りしめた。
隣に居るデンスケはその様子を見ながら、これも1つの終わりかと呟いていた。
―――沈痛な面持ちを浮かべるフリをして、全力で周囲を警戒しながら。
(あの痛がりよう……多分、いや間違いないか。自らの弱気で折れたんじゃない、圧倒的な力で折られた)
それを成したのは脅威度1程度の害獣ではあり得なかった。今の生徒のレベルなら間違ってもこのような雑魚を相手にクラッシュを受ける筈がないからだ。だとすれば、とデンスケは緊張を保ったままそれとなく周囲を見回した。
(……気配はない。遠間からの一撃か? くそっ、今仕掛けてくるなよ)
何でこんな時に、とデンスケは悪態をつきながらも臨戦態勢に入っていた。教官の目を掻い潜って生徒の心石を一瞬で折れるだけの実力を持つ者が居るからだ。遠距離からの強力な攻撃手段を持っている相手に、遊びを含ませる余裕など欠片もない。
やり方を見るに下手人は害獣ではあり得ない、戦技者。それも手練で隠密性に優れる厄介な手合だ。デンスケは冷や汗を流しながらも、処置を受ける生徒とマサヨシから離れた位置で、そうは見せないように周囲を警戒し続けた。
動いてくれるなよ、と空に居る筈の神様に祈りを捧げながら。
「あらららら。こーれーは、ちょっと困ったさんだねぇ」
少年は眼下で騒ぐ集団を見下ろしながら、深い深いため息をついた。
「折角僕が死なないように手を回してやったのに~。恩知らずとはこのことだよ」
わざわざ自ら出張ってまで犠牲者の数を減らしてやろうと、頑張った甲斐がない。心の底から残念そうにしているその顔は、言葉とは裏腹に喜悦に染まりきっていた。
「でも、しょうがないよね。この時期に怪しまれる行動をするのはもうダメダメだし」
決行日まであと1週間。本丸である計画が動き出す栄えある1歩目、万が一にも感づかれる訳にはいかないと呟いた少年は、眼下に広がる者達全ての冥福を祈った。
足止めするべきは、と注意すべき目標を見定めながら。
「……うーん、不作に不作だね。闘いになるのはあの教官一人だけかぁ。色は……多分だけど紺鼠、武器は短槍だね、珍しい……よしよし、現場の叩き上げだね。でも、こっちの意図に気づかなかったのはマイナスだよ?」
気乗りしないなあ、と呟く口元が歪に開いた。
その中から、刻印が刻まれた舌がちらりと影を見せた。
「楽しみだなあ―――良い殺し合いをしようね、みんな」




