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『とにかく今日は連れて帰る』という千里の言葉を信じて、小夏は少しでも休もうとベッドに入ったのだった。
次の日、小夏は朝から誰にも邪魔されることもなく身支度を整えて出勤し、昨日やりかけだった仕事に取り掛かろうとデスクに付いた。
『マルナガ屋、40店舗確定…… へぇ、凄いな』
「…… い、居るの? 」
すっかり油断していた小夏は背後から聞こえてきた涼太の声に反応し声を潜めて確認した。
『おう、おはよう』
「おはようじゃないわよ、邪魔しないでくれる? 」
『別に邪魔なんかしねえって、他にやる事ねえからさ、良かったら手伝ってやろうか? 』
「あなたに何が出来んのよ? 」
『そうだなぁ…… 肩でも揉んでやろうか』
「やめてよ! 余計に肩が重くなりそう、それより消えてくれる? それが一番仕事が捗るから」
「小夏? 電話中? 」
前に座る同期の一ノ瀬ユカが聞いてきたので小夏は慌ててイヤホンで会話しているフリをしたのだった。
「うん、そう、じゃあまた電話する…… ごめん! ユカ、何かあった? 」
「もしかしてマルナガ屋の黒川課長? 契約数もどんどん伸びてるしちょっと小夏! アンタ仕事にかこつけて黒川課長を喰っちゃったんじゃないでしょうね」
ユカが冷かすように聞いてくるが、確かに大手スーパーのマルナガ屋は担当が小夏に代わってから明らかに発注が増えている。しかも黒川課長というのがマルナガ屋の御曹司で数年後には重役、そして将来は社長の椅子が約束されている人物だから一番近くに居る小夏のことを社内の女子の誰もが羨んでいるのだった。
「馬鹿言わないでよ、大切なお客様の一人…… ってだけなんだから…… そりゃまあ食事に誘われたりしたけどさぁニヤニヤ」
「はぁ? 小夏、アンタもう出来てんの? 」
「ちょっと声が大きいって! まだよ! まだ誘われてるだけ」
「いいなぁ、私もどこかイイ男が居る店に担当代えてくれないかなぁ」
小夏が勤めるのは社長が独立してまだ3年という出来たばかりの、主にケチャップやソースなどを卸し販売している会社で、小夏やユカのような若い女性社員が営業の先鋒となってどんどんと新規顧客の開拓をしている真っ最中だった。
『おーい…… おーい…… 』
「静かにしてよ、何よ」
空気と化していた涼太に呼ばれて小夏はまた小声になって話始めた。
『お前の仕事の相手ってスーパーなのか? だったらスーパーニシマルとか知らないか? 』
小夏は涼太に言われたその店の名前にピンと来ず、仕事用のPADで開拓リストを開いてみた。
「市内3店舗と近接地域に4店舗、ああ、一度営業行ってるけど門前払いってなってる、なんとなく思い出したわ、で? そこが? 」
『俺のバイト先、本社の竹田部長って人が居るから訪ねてみろよ、悪い人じゃないしもしかしたら仕事に繋がるかもよ』
「あ、ありがとう…… 考えとく…… ん? ちょっとどこ行くのよ? 」
『ユカちゃんがトイレ行ったみたいだから俺も一緒に』
「そうはさせるか! 」
小夏は涼太より先にトイレに走って行くと千里に貰った手鏡を袋から出して涼太がトイレに入って来るのを阻止した。
「ったく、なんで私が幽霊の監視までしなきゃなんないのよ! ちょっと川越さん! 居ます? 居たらなんとかして下さい」
『ここに居るぞ』
小夏の問いかけに即応するように千里が背後にぼんやり現れたのだった。
「ひぇっ! 」
『自分で呼んでおいて驚くことはないだろ』
「だっていきなり現れるんですもん、それに川越さん幽霊としての迫力有り過ぎますよ」
『そうか? 田上は恐くないのか?』
「初めはびっくりしましたけどアイツはバカっぽいから全然、すぐ馴れました」
『しょうがない、私が付いといてやろう』
「そうしてもらえると助かります…… って、だからどうして私がお願いしなきゃならない立場なの?」
こうして二人の幽霊と小夏のおかしな共同生活が始まって行くのでした。