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第3話 黒を装う王子様(中世欧州風/魔女/騎士/PG12 ※医療行為)

「お前がこの村の “魔女” か?」

 早朝、裏庭のハーブ園で薬草を摘んでいると、不意に背後から声をかけられた。

 振り返ると、男がひとり立っていた。

 背が高く、がっしりしている。帽子も外套(ケープ)上衣(ダブレット)膝丈のズボン(ブリーチ)もブーツも、頭のてっぺんからつま先まですべて、黒い。

 “魔女” である私のほかに、この地域でふだん黒をまとう者はまずいない。喪に服しているのだろうか?

 目深にかぶった帽子の下をよくよく見ると、彼はとても愛らしい男前だった。金髪に青い目、甘く優しげな顔立ち、穏やかそうな表情。お忍びで地上に降り立った天使のようだ。どことなく良い家の生まれだと感じさせる品の良さがにじんでいる。地主か、もしかしたら郷紳(ジェントリ)の縁者かもしれない。

「ご用件は?」

 私の素っ気ない物言いに、黒衣の男は表情ひとつ崩さなかった。

「治療を頼みたい者がいる。詳しいことはここでは話せない。報酬ははずむ。お前の言い値を支払おう」


 扉の外に護衛兵が二人と少女がひとり。部屋の中には四人だけ。黒衣の男、若い女、私、そして寝台に横たわる男。

 小さな村の “魔女” でしかない私が、まさかこんなところに連れてこられるとは。

 ここは村の近くにある砦だ。大勢の騎士たちが駐屯する、この国で一番大きな要塞。

 私は目だけで部屋の中をきょろりと見まわした。

 大人の男が四、五人はゆうゆうと眠れそうな大きな四柱の天蓋付き寝台。伝説の騎士と神話の竜が鮮やかに描かれた手の込んだ壁掛け織物(タペストリー)。一介の騎士の居室にしては豪勢すぎる。おそらく、寝台の男は何かしら地位を与えられているのだろう。

 それにしてはやけに若造だ。おそらく私より三、四歳は年下だろう。若造りでなければ、二十二、三歳といったところか。

 私は彼の上掛けを腰まで下げ、包帯をはずした。

「これは酷い傷ですね」

 脇腹の傷自体は大きなものではなかった。しかし、化膿して黄色い膿が流れ出し、炎症による発赤がまわりに大きく広がっていた。

「ここ数日ずっと熱が下がらず、昨晩から目を覚まさないのです」

 彼の看護をしているという若い女が、不安げに私に告げた。

 彼女は、簡素だがとても質のよさそうな木綿のドレスを着ている。そしておそらく砦の騎士であろう黒衣の男に許可を乞わず、みずから私に声をかけた。

 ただの侍女や召使いではなさそうだ。

「なるべくたくさん塩水を用意してください。それで傷口を洗います。すでに発熱しているので、まずは白粉花(おしろいばな)の薬湯を飲ませましょう」

「オシロイバナ?」

 私を連れてきた黒衣の男は、いぶかしげに尋ねた。

「それは何だ? 聞いたことがない」

「荒野に生える草花です。乾燥させた塊茎を挽いた粉には鎮痛や解熱の効能があり、この地域で伝統的に飲まれています」

 緑色の灰のように見える白粉花の粉をスプーンに二杯分、淡い琥珀色の薬草湯に混ぜた。すると湯は泥水のような色に変わった。見た目は悪いが、味はさらに悪い。控えめに言って最悪だ。

「あなた、起きてちょうだい。お薬を飲みましょう」

 妻か愛人か定かではないが、若い女は彼と非常に近しい間柄にあるようだ。彼女は寝台の男を抱き起こそうとしたが、彼はぴくりともしなかった。

「それじゃあだめです」

 私はにべもなく言った。

「私がやります」

 寝台の上にのぼると、私は彼女の横に座ってほとんど意識のない寝台の男を何度か揺さぶった。すると、彼はうめきながら薄目を開けた。

「あなた」

 彼女は優しく声をかけた。

「魔女様がお薬を作ってくださいましたよ」

 彼は顔をそむけようとしたが、その拍子に腹部に激痛が走ったらしく暴れ出した。私は力強い腕に振り払われ、寝台から床に落とされ尻もちをついた。

「痛いわね、まったく!」

 起き上がりながら、私はぶつぶつ文句を言った。

「あなたは大丈夫ですか?」

 寝台の上の若い女に声をかけると、彼女はあっけに取られた表情のまま小刻みに首を縦に振った。彼女はなんとか白粉花の薬湯をこぼさず保ってくれていた。


「彼の手足を縛りましょう」

 私は黒衣の男と若い女に言った。

「そうしないと傷の治療ができません」

「そんな!」

 若い女がうろたえたように抗議した。

「我々は魔女殿に従うべきです。今は速やかな治療が何よりも優先されます」

 黒衣の男は感情を排除した声できっぱりと言った。

 正直なところ、私は驚いた。この砦の騎士であろう彼こそ、私の実際的だが無礼千万な提案を断固反対すると思った。

「彼には私を払い落す力が残っています。今なら間に合います。急ぎましょう」

 私は若い女に言った。彼女は意を決したようにうなずいた。私は清潔な布切れを黒衣の男に渡した。彼は厳しい顔で寝台の四隅に順番に移動し、手際よく横たわる男の両手両足を寝台の枠に縛りつけた。

「私が飲ませましょうか?」

 私は若い女に尋ねた。

「いいえ、わたくしがやります」

 彼女は決然と答えると、再び寝台にのぼり、男の横に座った。下に枕を入れて彼の頭を上げ、彼の鼻をつまんだ。息が苦しくなった彼が口を開けると、どろりとした薬湯を喉に流し込んだ。彼は息を詰まらせてむせたが先ほどのように暴れはせず、薬は胃の中に入っていった。寝台の男は縛られている手足を引っ張ってもがいた。若い女は彼の上に屈みこみ、優しい手つきで彼をさすってなだめた。

 その間、私は塗り薬を調合した。かき混ぜると強烈なにおいが部屋中に充満した。

「こんな無茶苦茶なにおいを嗅ぐのは初めてだ」

 黒衣の男がいぶかしげに私を見据えた。

「松脂の精油、薬草を漬けた酢(ハーブ・ビネガー)、ニンニクの搾り汁を混ぜています。傷口を洗浄してからこれを塗り、その上に蜂蜜の湿布を当てると傷が化膿するのを防げます」

 塗り薬の調合を終えると、私は木箱を開けて円筒型の器具を取り出した。

 円筒の一端には中身を注入するための針のように細い筒が、もう一方にはそれを押し出すための押子がついている。

「それは何だ?」

 器具を目にすると、黒衣の男はかすかに慄いたような表情になった。

「洗浄器です。深い傷を洗うのに用います」

 器具や薬品、包帯や布切れの山を並べると、私は若い女を見やった。

「これから行う処置は、とくにあなたのような若い女性にとって、見ていて気持ちのいいものではありません。ですが、この部屋には私たちのほかに誰も入れないそうなので、今はあなたの手を借りなければなりません」

「もちろんですわ」

 疲労と不安で血の気を失いながらも、彼女は怯まなかった。

「彼を助けられるのなら、わたくしはどのようなことでもいたします」

 称賛の笑みを浮かべ、私は続けた。

「では、私の左に立っていてください。これからたくさん布が必要になります。必要なとき、新しいものと交換してください」

「わかりました」

 次に私は黒衣の男に向き直った。

「あなたは私の右に立ってください。私が治療している間、彼の身体が動かないよう押さえていてください」

 黒衣の男は無言でうなずくと、私の右隣りにやってきた。彼の横顔をちらりと見上げた。豪奢な金髪、整った鼻筋、なめらかな頬、引き締まった顎。

 天使のように愛らしく美しい、黒を装う男。

 いかにも優しげで穏やかそうな容貌なのに、差し迫った状況ゆえの緊張感と相まって、彼がまとう空気はどこまでも硬く近寄りがたい。

 しかし、寝台の男を一心に見つめる眼差しはとても真摯で、真心にあふれている。

 このふたりを悲しませるのは避けたい。

 それに、砦から治療費をがっぽりせしめたら、さぞや気分がいいだろう。


「おふたりとも、気分が悪くなったら無理せずすぐに離れてくださいね」

 私は処置に取り掛かった。

 まず溜まった膿を出すため、小さなナイフで傷口を切開した。高熱に浮かされ意識がないにもかかわらず、寝台の男はその痛みに身体を弓なりにそらし、顔を歪めてもがいた。寝台の男が動かないよう、黒衣の男は彼の身体をしっかり押さえつけた。舌を噛み切らないよう口の中に布を押し込んでいるため、寝台の男の喉からくぐもった抵抗のうめきが絞り出された。

 私が洗浄器で傷口に塩水を注入して洗い始めると、寝台の男は悲痛な叫びを上げてもがき苦しんだ。私は何度も洗浄器に塩水を入れ、化膿した傷を洗い続けた。黒衣の男も若い女も恐怖や不安に流されず、彼のために毅然と、懸命に働いた。

 やがて、布切れに染み出す塩水は、濁ったワイン色から新鮮な血液だけを含む薄いピンク色になっていった。まもなく寝台の男は失神し、眠りに落ちたように静かになった。手間が省け、これ幸いと私は治療を進めた。

 傷口がきれいになると、布切れを丸めて調合した塗り薬に浸し、傷にたっぷり塗った。それから清潔でやわらかい木綿布に蜂蜜をつけて傷口に当て、最後に三人がかりで寝台の男のがっしりした腰に包帯を巻きつけた。青ざめて石膏のように白くなっていた彼の顔色は、うっすらと健やかな血色を取り戻し始めていた。


「これでよし」

 顔の汗を拭いながら、私は満足の声をこぼした。

「治癒は傷の奥から始まります。数日間、湿布を当てたままにしておき、そのあと傷が完全にふさがるのを待ちます」

 若い女と、寝台の男の手足を縛っていた布をほどく黒衣の男に言った。

「湿布と包帯は一日に二回、朝と夕方に替えた方がいいでしょう。今日の夜までに熱が下がらないようなら、白粉花の粉の量を二倍にしてください」

 寝台の男を見つめたまま呆然と立ち尽くす若い女の手を取ると、私は塩水ですすぎ、温かなお湯で洗い流してやった。

「彼はきっと良くなります。外の見た目ほど、傷の状態は酷くありませんでした」

 すると、若い女は華奢な肩をぶるぶると震わせ、わっと泣き出した。

「ありがとうございます。魔女様、ありがとうございます。あなたがいらっしゃらなければ、彼はあのまま……」

 彼女の声は小さくなって途切れた。ぎこちなくよろめいた彼女を支えようと腕を伸ばすと、それより先に黒衣に覆われたがっしりした腕が彼女を抱きとめた。

「あなた様も、ゆっくりお休みにならなければ」

 黒衣の男は若い女に言った。

 寝台を見つめながら、彼女は弱々しく首を横に振った。

「あなた様がお休みなっている間、我々があの方のお世話をいたします」

 黒衣の男は扉の外に控えていた少女を呼ぶと、彼女を部屋まで送り届け休ませるよう命じた。少女は若い女の侍女かなにかだろうか。


 間違いない。

 若い女は、砦の騎士であろう黒衣の男より高い身分にある。そして、寝台の男も彼女と同等、あるいはそれ以上の身分と思って間違いない。


 私は寝台の男をちらりと見やった。

 彼の怪我は、軍の訓練や偶発的な事故で受けたものではない。明確な害意をもって、人を殺める高度な専門技術を体得した者によって与えられた刺傷だ。

 この寝台の男は、当人あるいは彼を護衛する者がその者に対抗しうる力量を持っていたため、負傷もこの程度の大きさで済んだのだろう。

 そう、傷自体は大きなものではない。にもかかわらず、これほど症状が悪化したのは、おそらく剣に毒が塗られていたからだろう。毒が仕込まれていたにもかかわらず致命傷にならなかったのは、幸いにも、刺された直後に適切な処置を受けられたからと見て間違いない。

 そうでなければ、この寝台の男はすでに死んでいただろう。

 それにしても、おかしい。

 ここは軍が駐屯し、国防を担う重要な要塞だ。この砦で高い地位を与えられている者が、これほどあからさまな怪我を負わされた。

 こんなときに、砦の医師はどこで何をしている?


 まぁ、私には関係ないか。治療は終わったし。

 厄介事に巻き込まれる前に、治療代を受け取ってさっさと村に帰ろう。

 私はただちに心に決めた。


「魔女殿、しばらくこの砦に留まっていただけないだろうか」

 器材を片づけていると、黒衣の男は治療前と打って変わってうやうやしく、しかし遠慮もなく単刀直入に切り出した。

「彼の治療に当たっていただきたい」

「できません。私は村の “魔女” です」

「もちろん報酬ははずむ」

「ありがたい申し出ですが、村にも病人や怪我人はいます。彼らを放り出してここに居続けることはできません」

 がさつだが素朴で人の好い彼らは、私の育ての親である今は亡き先代 “魔女” に深い敬意と恩義を抱いている。だから、どこの馬の骨とも知れない孤児の私をなにくれとなく気にかけ、いまだに世話を焼いてくれる。そして薬を作り病気や怪我の治療を担う “魔女” として、私を頼り当てにしてくれている。

 彼らの信頼を裏切ることだけは、絶対にできない。


「治療した方や彼の看護に当たっていた方がどこのどなたかは存じませんが、本来なら、私のような者が直接言葉を交わすことさえ許されない方々でしょう」

 質問ではありませんよ、勝手な憶測を口走っているだけなのでご容赦ください、と私は続けた。

「それに、この砦には、私などよりよほど学識があり、腕の立つお医者様がいらっしゃるはずです」

「今ここに医師はいない」

 黒衣の男は淡々と言った。

「この砦の長たるセント・オーリンズ大公暗殺未遂に関与したとして、牢に繋がれている。だから私はあなたを探し、ここに連れてきた」

 しくじった。私は内心、地団駄を踏んだ。

 天使のように愛らしい黒衣の男が、私を真っ直ぐ見つめて言った。

「あなたは、セント・オーリンズ大公、第三王子ジョージ・ウィリアム殿下の命の恩人だ。連日連夜看護に当たられていた大公妃キャロライン殿下も、さぞや安堵されていることだろう。両殿下にお仕えする者として、このドウェイン男爵ダグラス・ブライスは、あなたに心から感謝と敬意を捧げる」

 第三王子ジョージ・ウィリアム殿下。

 大公妃キャロライン殿下。

 一瞬、彼の言っていることが分からなかった。聞こえるには聞こえたが、遠くの牧草地から聞こえる牧童の声のようにくぐもった音にしか聞こえなかった。

 すぐに底知れぬ恐怖がせり上がってきた。


 ドウェイン男爵ダグラス・ブライス。

 “黒衣の騎士”

 “血塗れブライス(ブラッディ・ブライス)


 この国でその名を知らぬ者はいない。

 先の戦争で敵国の名だたる騎士たちを討ち、数多くの輝かしい武勲をあげ、我が国の勝利に絶大な貢献をもたらし、年若くして国王陛下より男爵の爵位をたまわった王国の英雄。

 どれほど返り血を浴びても、血の赤に塗りつぶされない黒を装う騎士。

 戦場で彼にまみえた者は、決して生きて故郷に帰れない “死神” 。


 厄介事に巻き込まれる前に、治療代を受け取ってさっさと村に帰ろう。

 そう決めたのに、気がつくとまんまと黒衣の男の仕掛けた罠にはまっていた。

 とてつもなく強大で恐ろしい罠に。


「我々には信用のおける医師が必要だ」

 黒衣の男あらため、ドウェイン男爵が再び私に迫った。

「私は医師ではありません」

 冷や汗をかきながら、私は頑なに言い張った。

「ただの村の魔女です」

「肩書きが違うだけだ」

 彼はこともなげに言った。

「魔女殿、あなたにこの砦に留まっていただけると、我々は非常に助かる。あなたはすでに我々の事情を承知している」


 私の頭の中で割れんばかりの警鐘が鳴り響いた。

 これは希望や依頼のていを装った命令だろうか?

 これを拒否したら、どんな報復が下る? 私に? 私の村に?


 私はただの小さな村の魔女でしかないのに、この国の第三王子殿下の両手両足を縛らせ、妃殿下を看護助手のように顎で使い、戦勝の英雄である騎士に偉そうにあれこれ命令した。知らなかったとはいえ、不敬罪で処刑されても文句は言えまい。

 そして、第三王子の暗殺未遂というきな臭い機密を知った私が、のんきな野良猫のように、ふらふらと砦から出て行くことを許されるはずもない。

 この巨大な砦に君臨する彼らにとって、私や私が暮らす小さな村を消すことなど、赤子の手をひねるどころか指をつまむより容易いことだろう。


 どうする? どうすればいい? 私はどうするべきなの?

 心の中で、泣き言と罵詈雑言と悪態の限りを尽くした。

 厄介事に巻き込まれる前に、治療代を受け取ってさっさと村に帰るはずだったのに!

 いや、このあたりではちょっと見かけない品のいい男前に頼りにされ、調子づいた挙句、善人ぶってこんなところにひょこひょこついてきた時点で、すでに私の哀れな末路は決まっていたのだ。

 村長の奥さんに「あんたはおだてに弱いから、たちの悪い男に引っ掛かりゃしないか、あたしは心配だよ」と散々言われていたのに。

 私が砦に留まったら、生まれつき気管支が丈夫ではないエマの発作を鎮める薬を誰が作ってやるの? 働きづめで膝を痛めたジムじいさんの日々の治療を誰がするの? 来月にも産み月を迎えるマギーとリックの最初の子を誰が取り上げるの?

 私の振る舞いひとつで、村のみんなが酷い目に遭わされたり、村がめちゃくちゃにされたりしたらどうしよう。

 私は “治療に関すること以外、一切尋ねない” という約束を守ったのに、その約束をさせたドウェイン男爵本人から、前触れもなく秘匿されていた事実や出来事を聞かされたせいで、私は敵国の間抜けな間諜(スパイ)よろしく始末されるの?

 酷い! 酷すぎる! あまりに理不尽よ!

 あぁ、この男は天使を装う死神だったんだ……


「魔女殿」

 思いのほか優しく気遣わしげな声が、理性と打算を駆使して必死に身の振り方を思案していた私を呼んだ。

「私は何度か戦場に赴き、それなりに修羅場も目にしてきた。しかし、あなたほど冷静に手際よく怪我人の処置をする者を見たことはない。あなたは素晴らしい魔女であり医師だ」

 彼は慎重に言葉を選びながら続けた。

「あなたがこの砦に留まってくれれば、それほどありがたいことはない。だがそれは、あくまで私の個人的な要望に過ぎない。あなたがそれを断っても、あなたやあなたが暮らす村が危害を与えられることはない」

 それから、彼は臆面もなくにっこり微笑んだ。

「ただし、私はあなたがここに留まるよう断固として説得を続ける」

 私は心臓が跳ね上がる痛みで息が止まりそうになった。

 まるで小さな金色の矢で射抜かれたように。


 巨大な鎌を携え、ぼろぼろに傷んだ黒い法衣(ローブ)をまとった不気味な骸骨。

 死神はよくそんな姿で描かれる。でも、実際ひとの前に姿を現すときは、簡素な黒衣をすっきりと装い、天使のように愛らしい姿をしているのではなかろうか。

 たとえば、このドウェイン男爵のように。

 立ち居振る舞いはとても真摯で誠実そうで、言動は頼もしく思わず信頼したくなる。そうしてたちまち人間を魅了し、油断させた隙を突いて魂を奪い取っていくのだ。

 魔法を目の当たりにした少年のように青い目をきらめかせ、ドウェイン男爵が私を見ていた。一心に私を見つめる彼の眼差しには、感激と感謝と敬意と、えもいわれぬ熱っぽい好奇心が満ちあふれているように見えた。

 きっと死神お得意の魔術に違いない。

 まばたきひとつ、へまを犯せば巨大な鎌で首を刎ねられる。そんな張り詰めた恐怖と血生臭い不安で身も心も凍りついていた。それなのに私は胸を高鳴らせていた。背中に天使の翼を授けられたように、ものすごく気分がよかった。もしかしたら、その翼は死神の装いと同じ色かもしれないのに。


「正式なお医者様が来るまでのつなぎで、通いでよければお受けいたします」

 気付けば私はこんなことを口走っていた。

「もちろん、報酬は私の言い値でお支払いいただけますよね?」

「もちろんだ」

 ドウェイン男爵は満足そうに笑みを深めた。

「あなたがここにいてくれるなら、私はどんなことでもしよう、魔女殿」

 死神の黒を装う天使か、愛らしい天使を装う死神か。

 正体を探り当てようと、私はドウェイン男爵をまっすぐ見つめ返した。

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