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君と俺が、生きるわけ。  作者: 蒼原悠
第一章 隣の君との“Connection”
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Karte-05 検査開始



 病院の朝は早い。

 ……なんてカッコつけて言いたいけど、早いのは看護師や医師だけらしい。俺たち患者が起きるのは七時以降だ。七時四十分頃になると、朝食が運ばれてくる。

 ぐっすり眠っている野塩さんを起こすのに、室田おばさんはまた苦労していたっけ。そんな二人をよそに、俺はひそかに緊張を身体に帯びていた。

 入院二日目だ。いよいよ今日の午前十時から、俺の身体に起きていることを確かめるための検査が始まる。


「よく眠れたかな?」

 主治医の先生はにこやかに笑って、松山さんに付き添われて外来棟二階の検査科を訪れた俺を出迎えた。

 伏見(ふしみ)(ゆたか)。脳の手術に長ける脳外科医で、以前は西東京市の方の病院に勤めていたらしい。中肉中背のバランスのいい体格の人なんだけど、注目すべきは百九十はあろうかというその高身長だ。威圧感こそ感じないものの、見下ろされるとあんまりいい気持ちはしないんだ、これが。というかぶっちゃけ羨ましい。

「眠れました」

 俺は真っ赤な嘘をついた。部屋に帰った時点で、もう既に午前二時を過ぎていたはずだ。五時間睡眠のおかげで正直、身体はちょっとだるい。

 でも、伏見先生は俺の言葉を鵜呑みにしたようだった。

「それはよかった。最初の夜はなかなか寝付けない、なんて患者さんが多いもんでな」

 そりゃそうだよ。だって馴れてないもん。だいたい俺だってまだ馴れたわけじゃない。

 さあ、と伏見先生はカルテをめくる。

「検査の順番と方法については、昨日説明した通りだ。松山くん、準備は終えてあるね?」

「竹丘くんなら、大丈夫です」

 俺もうなずいた。心の準備なら、できている。

 伏見先生は俺たちの顔を見て、力強い声を発した。

「始めよう」


 脳腫瘍の疑いが生じた場合、まずは症状の経過確認のために問診が行われる。これは昨日、既に済ませている。

 もちろんそれだけでは脳腫瘍かどうかは判断できない。そこで、腫瘍の大きさや位置、それから脳内の血管の様子を確認するために、複数の検査が行われる。

 俺の受けた検査の手順は、こんな感じだ。二日目、『CTスキャン』で頭部を撮影。異物らしい影の確認をもって、その日のうちに今度は『MRI』と『MRA』で再度、頭部を撮影。翌日、その結果を受けて『PET』を行った。ラストの奴の結果が出るのは入院五日目なので、四日目はお休みだった。

 『CTスキャン』──コンピューターX線断層撮影は、X線の束を照射することで頭蓋骨の内部を描き出す装置だ。画像は多少漠然としたものにはなるし、撮影時には放射線被曝することになるけど、広範囲の画像を撮影することに向いている手法だ。初期の状態確認として、この方法はよく用いられる。

 『MRI』──核磁気共鳴画像診断は、CTスキャンと同じことを磁気を使って行う。よく似た名前の『MRA』──核磁気共鳴脳血管撮影と、同じ機材を使って同時に検査が行われる。前者は頭蓋骨の中身を、後者は脳内の血管の様子を、可視化して画像に出力するんだ。放射線被曝がないから身体にいいっていう長所があって、複数回繰り返す必要がある場合の検査方法として頻繁に用いられるらしい。……ただ、機材の中は狭いし、撮影時間は長いし、おまけに結果が出るまで長い時間が要るから、率直に言って俺はこれ、大嫌いだ。

 でも、後から行った検査に比べれば、この二つの方がまだマシだったような気もするけど……。いや、それはまた別の話かな。


 ぶっちゃけ危機感のまるでなかった俺は、珍しい大型機械に飲み込まれる感覚というのが楽しみで仕方なかった。脳腫瘍の疑いは一切ありませんと言われても、MRIを受けたがったかもしれない。

 午前中の長い時間をかけて、俺はCTスキャンとMRI、MRAを受け終えた。

 CTに関しては、まぁ、何ということはなかったような気がする。入口の放射線マークにびびったぐらいで、特につらいってわけじゃないんだよなぁ。

 問題はMRIとMRAだ。……正直、ただドームの中でじっとしているだけでいいんだから楽じゃん、なんて高をくくっていたけど、現実には思っていたほど楽じゃなかった。まずもって撮影の音がとんでもなくうるさい。んで、長い。MRIも長いけど、事前に造影剤を注射して安静にする必要のあるMRAはそれに輪をかけて長い。しかもその地獄に耐えている間は、身体が痒くても一ミリも動けないんだ。うん、あれ、もう二度とやりたくない……。

「結果が出るまで時間のかかるものもある。もしかすると追加の検査が必要になるかもしれないから、申し訳ないけどそれまでは院内にいてもらわなければいけないよ」

 伏見先生はそう告げた。

 なんだ、検査が終わっても自由の身にはなれないのか……。分かってはいたけれど落胆する俺に、はは、と伏見先生は笑う。

「申し訳ないね。聞いたぞ、部活ではエースなんだって?」

「そうなんですよー。あと二日で地区予選なんですけど、俺がいないとみんな不安になるんじゃないかって……」

「うーん。地区予選は通過できそうかい?」

「たぶん大丈夫だとは思いますけど」

 そういう聞き方をされると、心なしか自信が小さくなる。俺の声は尻すぼみになってしまった。

「地区予選の次は?」

「都大会です。四月に入る直前なんで、あと一ヶ月と半分くらい」

 よし、と伏見先生はカルテを置いた。それから立ち上がって、俺に向かって腕を差し出した。

「竹丘くんが復帰できるよう、全力を尽くそう。ただし、それには竹丘くん自身の協力も不可欠だ。……わずかな時間かもしれないけれど、一緒に頑張ろう」

「はい!」

 過去最高にいい返事だったと思う、俺。


 病室に戻ったのは十二時。今度は昼食の時間がやって来る。

 俺が検査に出掛けていた間に、野塩さんも治療か何かに赴いていたみたいだ。今は身体を起こして、ぼうっと宙を見つめている。昼食を食べながら寝落ちするんじゃないか、あの様子だと。

「……あ、お帰り」

 昨夜の元気な声が嘘のように、野塩さんは寝ぼけ眼を向けながら言った。

 俺は返事をしようとしたけれど、後方から殴りかかるように飛んできた声に敢えなく押し潰された。

「お昼、持ってきたわよー!」

 看護助手の室田おばさんだ。野塩さんが今朝の朝食を完食(・・)したせいか、昨日にも増して声が大きい。ちなみに残りを食べたのは俺だ、てへ。

「栄養管理室のコックさんたちが丹精込めて作ってくれたからね! ちゃんと食べるのよー?」

「はい……」

 あーあ。野塩さん、完全に萎縮してる。これでいつも通りなんだろうけど。

 室田おばさんは俺のもとにもお盆を持ってきた。

「ありがとうございます」

 受け取った俺の耳元に、おばさんは口を寄せる。

「ごめんねぇ。味、薄いでしょ?」

「あ、はい、正直……」

「使える塩分の量が厳密に限られてるから、味は濃くはできないのよ。悪いけど、我慢してね?」

「大丈夫ですよ。空腹なんで、とっても美味しいです」

 俺はそう返した。うん、嘘は言っていない。元からそこまで期待してないだなんて、口が裂けても言えないもん。

「あらぁ、いっぱしにお世辞なんて言っちゃってぇ!」

 室田おばさんはオホホ笑いを振り撒きながら、ばしんと一発の照れ叩きを残して去っていった。

 ほんと、賑やかな人だなぁ。死にそうな病人でも治っちゃいそうだよ、あれじゃ。


「……いい人じゃん、室田おばさんって」

 お世辞じゃないのを念入りに確認しつつ、俺は今にも眠りそうな隣人に声をかけた。

「私には、オニ」

 そんな返事が返ってきた。



 病気でも何でもない一般人は、基本的には病院の建物に入る機会は少ない。そのわずかな機会のひとつが、入院患者のお見舞いだ。

 ここ東都病院では、午後の時間帯に面会時間が設定されている。今日は平日だから、その時間は十五時から二十時までの五時間だ。この間、お見舞いに訪れる人は病室内への立ち入りを許されて、患者と接することができるようになる。


 前日の宣言通り、母さんがお見舞いに来た。

 まぁ、何と言うことはない。検査はきちんと受けたのか、食事はきちんと食べているのか、行儀よくしているのか、そんなところばかりを口うるさく聞かれただけ。

「ちゃんと受けたよ。先生の言う通り、大人しくしてたし」

 俺は口を尖らせて答えた。

 行儀がいいとは自分でも思えないけど……ま、看護師さんたちの目の届く範囲では行儀よく振る舞えてるだろ。そう信じておく。

「そう?」

 母さんの目に一瞬、疑いの光がきらめいた。この人、俺に関してはほんとに鋭いんだよな……。怖いくらい。

 身を少し固めた俺を見て、何を思ったんだろう。反対に母さんは、ふっと表情を和らげる。

「……でも、安心したわ」

「何が?」

 聞き返した途端、母さんの声のトーンが落ちた。

「病院の空間って、こう言っちゃなんだけど、ちょっと気が滅入るじゃない……。友慈もそうなってないかなって、心配になっちゃって」

 確かにそこは否定しないけど、と思った。

 そりゃ、周りを見回せば病人ばかりだし、中には点滴を突き刺したままベッドを動かない人もいれば、うんうん唸って苦しんでいる人もいる。いつか何十年も経った時、俺もああなるんじゃないか。気を緩めたとたん、そんな不安が侵攻してきそうではある。

 けど母さん。悪いけど俺、そんなヤワな心じゃないんで。

「心配してんのは母さんの方でしょ?」

 俺が笑いながら聞き返すと、母さんも微笑んだ。「……そうかもしれない、わね」

「嫌だからね、俺は。部活に復帰したくてうずうずしてんだよ。ベッドの上じゃ柔軟もできないしさー」

「そんなに暇なら、問題集でも買ってきてあげようか?」

「あ、それは勘弁してください。お願いします」

「決めた。あんたの苦手な理科を買ってくるわ」

「やめて────!」

 理科は、理科だけはダメだ! あれは俺の不倶戴天の敵なんだ! 現在進行形でその理科に助けられてる俺が言えたことじゃないけど!


 浮かべた苦笑を消さないまま、母さんは病室を出ていこうとした。そしてそこで立ち止まって、部活って言えば、と口にした。

「──あんたの部活の友達が昨日、面会に行きますって言ってたわよ。そろそろ学校も終わる時間だし、来るんじゃないかしら」

「え、そうなの?」

 誰だろう。昨日、連絡を取り合っていたのは部活の監督と先輩だし、あの人たちではないと思うけどな。

 母さんの出ていったドアを眺めながら俺がぼんやりと考えていると、一分後、そのドアから答えが自分で飛び込んできた。

「おーっす!」

「友慈、倒れたんだって?」

「真っ青になってるって聞いたぞー」

 病室に入るなり声を張り上げたのは、俺のクラスの三人の部活友達だった。

 おい、やめろよ。そんな大きな声を出したら看護師さんたちが……。戦々恐々と作り笑いを返す俺のもとに、三人はどたばたと駆け寄ってくる。四人部屋に二人きり、しかもその隣人は昼はぐっすり眠っているという環境を提供してくれた東都病院に、今ほど感謝したことはないと思うな。俺。

「おー、病人らしくしてんなぁ。大丈夫なのかよ?」

 俺の隣に来て笑いかけてきたのは、ちょっと小太りの山田(やまだ)だ。投擲(とうてき)の選手で、砲丸投げをやっている。

「悪くない景色じゃん」

 と、俺はそっちのけで窓からの光景を楽しんでいるのは、髪の茶色がかった中西(なかにし)。跳躍の選手だ。専攻は走高跳。

「暇潰しに漫画、()る?」

 と、言っているそばからカバンから取り出した漫画を読み始めたのは、背の小さな(はた)。長距離選手で、普段は3000メートルとかを走っている。

 三人とも、俺が学校では一番に仲良くしているメンバーだ。

 俺は自分の現状を事細かに話した。まだ病人と決まったわけではないこと、仮にそうだとしても症状は何もないこと。

 どうして俺が入院中なのを知っていたのかは、すぐに分かった。中西の奴が自分から自白したんだ。──「えー、何だよ。先輩はお前のこと、病気にやられてよれよれだって言ってたぞ」

 どうも昨日、俺と連絡を取っていた先輩が情報を流したらしい。ひどいデマだ。許さないですよ先輩。

「大丈夫だって、俺は元気だよ」

 そう言ってやると、三人の顔に仄かに残っていた緊張はやっと消えていった。

「……早く、出てこいよな」

 まるで刑務所に収監されている囚人に向かって言うみたいに、山田は下を向きながら言った。

「お前がいないとさ、やっぱ部活の雰囲気も悪いよ。エースが欠けるのは色々とつらい」

「地区大会は任せろよな、オレたちが余裕で撃破してやるからさ!」

 口々にかけられるその言葉に、俺の気持ちが安らいだのもまた、確かだった。

 小太りの山田は、優しくて面倒見はいいけど頼りない。イケメンの中西はマイペースすぎて頼りない。お気楽主義の畑は、……遊んでばっかりで監督に怒られるくらいだ。やっぱり頼りない。

 こいつらには俺がいてやらないと。そしてそのためには、ここを出なきゃならない。なら、俺のすることは一つだよな。

「あのさ、監督に伝えといてくれるか」

 俺はにやりと口を歪めた。

「俺を戦力外だと思ったら大間違いですよ──ってさ」

「おうよ」

 三人も、笑ってくれた。


 ちなみに、三人は一人残らず、隣で眠る野塩さんの存在には気づいていなかった。

 いくらカーテンで仕切っていたとは言え、野塩さんの存在感の薄さは本物だなって思ったよ。本気になれば警備員にも見つからないんじゃないか。






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