Karte-34 病の足跡
春がまた、巡ってきた。
それまで握っていた筒を、肩から提げた鞄に放り込んで。
制服の胸に付けられた名前の分からない赤い花も、ついでに外してぽいっと放り込んで。
そうしたら、なんでかな。それまで背負っていた何かを捨てられたような気がして、心がちょっと軽くなる。
「あーあ。俺たち卒業しちゃったんだなぁ」
高い空を見上げながら、畑がのんびりつぶやいた。「高校生になるんだぞ高校生ー。俺、ちっとも実感湧かないんだけど」
「仕方ないよ。俺ら全員、進学する高校同じだもんね」
山田のやつも苦笑している。あ、高校受験してる間に、さてはこいつちょっと肥えたな。アスファルトに映る影が前より太いぞ。
おい待てよ、と中西が口を挟んだ。三人とも胸にはまだ、あの赤い花がついたままだ。
「一緒にすんなよ、俺はお前らとは違うからな! 第一志望に落ちたから仕方なく近場の東久留米高校を受けたら、たまたまお前らがいたってだけで……」
「またまたぁ。同じ都立に受かったって分かった途端、あんなに大喜びしてたくせにぃ」
「よかったな、これで高校でも俺の漫画が読めるな!」
「いやいや。それ別に嬉しくねぇから」
そうは言ってるけど、俺から見てもやっぱり嬉しそうに見えるんだよね。中西のプライドもあるだろうし、黙っておいてあげようっと。
三月十八日。
市立旭が丘中学校の卒業式を終えて『送り出された』俺たち四人は、のんびり駄弁りながら駅の方へ向かって歩いているところだった。
天気は気持ちのいい快晴だ。遠くの景色の手前に重なるように、線路の向こうに立つ建物が空の端で滲んでいる。ここのところのぽかぽかとした陽気のせいか、どこも桜が満開で、街の空気も心なしかちょっぴり浮かれていた。
「友慈、このまま病院だよな?」
不意に中西に聞かれた。うん、と俺は答えた。
「一時に病院に行くことになってるんだ。いつもの検査だよ」
「あー、あれな」
「卒業式の日まで行かなきゃならないとか、大変だよなぁ。ま、俺たちはカラオケ行ってくるよー」
えー、と俺は眉を曇らせた。そんなの聞いてないよ、それ俺も行きたかったのに……。
ま、どっちみち明日にはクラス会が開かれることになってるから、わざわざ今日遊ぶことにこだわる意味はあんまりないのかもな。
清瀬駅が見えてきた。あれじゃね、と畑の指差した先を見ると、ちょうどよく俺の乗るバスがロータリーに入ってきている。
「んじゃ、明日会おうな!」
みんなとは別の方向に足を踏み出しながら、俺はわざと声を張り上げた。おう、と三人も答えてくれた。「待ち合わせ時間忘れんなよ!」
朝九時に清瀬駅の改札口、だろ。忘れるもんか。遅刻魔の畑じゃあるまいし。
苦笑さえも今は心地いい。少し足取りが軽くなって、駆け足でバスのところに向かう。鞄から取り出したICカードが、一瞬、右側の視界に入って見えなくなる。やば、落としたかな。焦ったけれど、手のひらから伝わる確かな感覚が、すぐに安心をもたらしてくれた。
──大丈夫、大丈夫。見えなくてもちゃんと俺、手に持ってるから。
『このバスは、東都病院玄関前経由、滝山営業所行きでございます』
車外アナウンスの告げる内容を確かめてから、俺はバスに飛び乗った。
目的地は、一年前の俺が入院していた、国立病院機構東都病院。来院の目的は、月に二回の定期的な検査。
中でも今日は特別な日だ。どうしてかって言うと、俺の命を救ったあの大手術から、今日できっかり一年になるから。
俺の運命が決定的に変わった、記念すべきその日だからなんだ。
午後0時三十分。俺を乗せたバスは駅前を抜けて、一路、病院の建ち並ぶ市の西側エリアへと走り始めた。
◆
昏睡状態に陥っていた俺がようやく目を覚ましたのは、あの手術から一週間が過ぎようとしていた時だった。
自殺を図った時とまるっきり同じように、父さんも、母さんも大喜びしてくれた。松山さんもずっと目を潤ませっぱなしだったし、室田おばさんの『ギュッ』にはいつもより力が入っていた気がする。っていうかアレ、今だから言えるけど普段からけっこう痛かったし……。
だけど俺を何より驚かせたのは、あんなに苦しかった日々の症状が、どれもみんな嘘みたいに鳴りを潜めていたこと。そして、目を覚まして一番に撮影されたMRIが、信じられないような結果を叩き出したことだった。
「奇跡だ」
伏見先生までもが、一言目にはそんなことを言い出した。
ずばり──ガン細胞が急減していたんだ。全身に散らばった腫瘍の大きさは、どれもこれも見違えるように小さくなっていたんだ。
転移の根元だったあの脳腫瘍ですら、半分ほどの体積にまでサイズが減少していた。わずか一週間でここまでの結果が出るだなんて、普通だったらとても有り得ない。まさに奇跡としか呼びようがないことなんだ。
そして、その奇跡はまだ終わってはいなかった。意識が戻ってから二週間も経過する頃には、脳腫瘍を含めた全ての病状が、完全に鳴りを潜めてしまった。朝の頭痛も、呼吸困難も、意識が不意に飛ぶことも、まるで初めから存在しなかったかのように忽然と俺の身体から姿を消していた。
そのことを聞かされた時、思わず真面目に聞き返しちゃったよ。「冗談ですよね」って。せっかくのいいニュースなのに、信用できるようになるまで二日はかかったくらいだ。いつまた頭痛が来るか、いつ呼吸困難に陥るかって、今では杞憂に過ぎないと思えるようなことにいつもいつも怯えててさ……。
誰もが、俺自身でさえ絶望視していたほどの回復を、俺は成し遂げてしまったんだ。
──ところが、そう手放しで喜べるほど、現実っていうものは甘くないみたいでで。
それからの俺は一年間にわたって、たくさんの後遺障害に悩まされることになる。
脳腫瘍は脳の色んな部分を圧迫したり、破壊してしまう。先生が言うには、脳っていうのは部分ごとにそれぞれ個別の機能や役割が与えられていて、脳腫瘍にやられた部分の機能には障害が生じてしまうことがあるらしい。そして俺の場合、最初の発生場所である前頭葉と後頭葉、それから左側の側頭葉に、障害の残るようなダメージが発生していたみたいなんだ。
一通りの検査や俺への聞き取りの上、伏見先生は五つの名前を挙げた。手足の麻痺、嚥下障害、右耳の聴覚障害、右半側空間無視、そして右の同名半盲。その頃にはもうどれも自覚症状が大有りで、俺は頷いた。「合ってます」って。
嚥下障害は、食べ物や飲み物を上手く飲み込めなくなる障害のこと。半側空間無視っていうのは、視野の片側に入っているものを上手く認識できなくなってしまう障害で、俺の場合は視界の右側にあるものが上手く認識できない。それで具体的にどうなるかと言うと、右側にあるものをほとんど自動的に無視してしまうようになるんだ。最後の同名半盲に至っては、要するに視界の半分がほとんど何も見えていないってことになる。
……つまり俺は、視覚、聴覚、それから身体の動きに関して、いくつもの欠陥を抱えるようになってしまっていた。
退院する間もなく、リハビリが始まった。合計で一ヶ月近くかな、毎日のようにリハビリテーションセンターに通い詰めては、色んなリハビリに取り組んだ。あまりに長いこと寝たきりみたいな生活を送っていたから、初めのうちは立ち上がることすら厳しいほどだった。
身体が思うように動かない。
膝にかかる力を上手く流せない。
踏み切りのタイミングさえ、スムーズに掴めない。
取り組みながら、情けなくて仕方なかったよ。俺、前は陸上のエースだったのに。人間の身体でいちばん基礎的な『走る』っていう運動が、誰よりも得意だったはずなのに……。
悔しかったし、悲しかった。今まで積み上げてきたものは何だったんだろうって、時々、胸の底から叫びたくなって。
そんな有り様の俺に、手を差し伸べてくれた奴らがいた。部活仲間の山田や中西、畑だった。面会に来てくれるたび、自主的にリハビリをしようとした俺のことを手伝ってくれた。『仕方ねーなー』とか『走れるようになったらファミレスくらい奢ってもらわなきゃな』とか色々と耳元で言いながらも、手すりのない場所で身体を支えてくれたり、見えないところにある障害物を注意してくれたりして。
ちっとも歩けるようになれなくて挫けそうになる俺のこと、何度も何度も、励ましてくれた。
嬉しかった。涙が出るくらい嬉しかった。感謝の気持ちが込み上げてくるたびに、同じくらいの罪悪感に包まれた。俺、前に山田や中西に当たり散らした時のこと、まだ謝ってないのに……って。
『あの時は、ごめん』
やっとそう言い出せたのは、リハビリを初めて二週間も経った頃で。
こらえ切れずに俺、泣いた。山田も泣いてた。中西もいつもの爽やかな顔を歪めて、それでも声を震わせながら『気にすんな』って言ってくれた。空気の読めない畑がなんかよく分からない冗談を飛ばして、四人で涙浮かべながら大笑いして、それでまた、元のように仲直りしたんだっけ。
院内でのリハビリを終えて俺が退院した時、カレンダーの日付は四月も終わりに差し掛かっていた。
見送りに来てくれた人たち、みんなほっとしたみたいに相好を崩してたなぁ。我々の病院ではこのようにお送りするのが伝統なのです──とか言って、どこからか院長先生まで登場してさ。外気舎の一件でメンツを潰しちゃった人の顔、俺、初めて見た。意外と柔和な顔の人だった。
結局、俺の抱え込んでいた五つの後遺障害のうち、完全に乗り越えられたのは嚥下障害と右耳の聴覚障害だけだった。手足の麻痺は今でも時々、起こることがある。半側空間無視と同名半盲に関しては、最近は治ってきたというよりは『慣れてきた』感じがしてきてる。
リハビリのおかげで少しは走れるようになったものの、実質的には片目しか見えない上に身体もガタガタで、おまけに稀に手足が麻痺するようじゃ、まともに活動できるわけがない……。みんなには悪いかなって思いつつ、監督や後輩と何回も話し合った末、俺は陸上部を辞めることにした。──もっとも、それからも部室には入り浸ってたし、後輩たちの面倒も見てたし、大会の応援にも行ってたから、何だかんだ言って部員みたいなもんだったかもしれないけど。
入院している間につけた自習の癖を家でも頑張って発揮して、必死に入院中の授業の進度を取り戻そうとしていたら、気付けば高校受験が目の前になって。無事、隣の東久留米市にある都立高校に合格して。
毎月のうち何日かは病院に行って、経過観察の診断を受けて。会うたびに伏見先生の顔色が良くなっていってるのに気付いて、何だか申し訳なさを感じたりもして。
そうして今日がある。
右側の見えない恐怖と現在進行形で闘いながらも、俺は今、こうやって元気に元通りの生活を送っている。
──たったひとつ、今もぽっかりと心の真ん中に開いている、空洞のような存在を除きさえすれば。




