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君と俺が、生きるわけ。  作者: 蒼原悠
第四章 君と涙と“Valediction”
33/48

Karte-30 愛


 そこは、俺たちの病室──七○五号室だった。

 時間はいつぐらいだろう。あの見慣れた大窓の外には、とっぷりと夜に沈んだ病院の周りの街並みが見えた。少なくとも病室の電気は落とされていなかったから、消灯時刻よりは早かったんだろうけど。

 眩しい照明を反射して、窓は鏡みたいに病室の中をありありと映し出していた。そこになぜか、俺の姿は見当たらなくて。

 代わりに俺の目に入ったのは、ベッドから上半身を起こした状態の愛と、いつものようにカルテを脇に抱えた松山さんだった。二人はじっと、見つめあっている。

 ……って、これ、どういう状況? いつもの夢とは違うのか? あそこに寝てるのはアイツじゃなくて、本物の愛なのか?

 困惑する俺のことは二人にはまるで見えていなかったようで、愛はやがて小さくため息を吐くと、俯いた。

『……そうですか』

『ええ。ついさっき、ね。個室に移動されてからまだ半月も経っていなかったのに、残念だわ……』

 松山さんも、目を伏せている。

『これで、四人目になるのかしら』

 愛は黙って頷いた。聞き覚えのある数字に、俺の記憶が反応した気がした。四人……?

『とりあえず今のところ、七病棟の収容能力にはそれなりに余裕があるから。あなたはひとまず自分のことを考えなさい。ここのところ毎日のように、朝の頭痛、続いてるじゃない』

『……うん』

『半月前みたいに院内をうろつき回るようなことを繰り返せば、あなただって救えなくなるかもしれないのよ。もう分かってるとは思うけど、そこのところはきちんと弁えておきなさいね』

『分かってます。変なこと聞いて、ごめんなさい』

『こんなことを聞くの、あなたくらいよ』

 松山さんの口許に、笑みにも似た何かが浮かんだのも一瞬。松山さんは踵を返して、病室を出て行ってしまった。

 松山さん、愛に何かを尋ねられて、それに答えるためにここへ来てたのか?

 そもそもこの夢、いつのことなんだろう。俺の寝ているべきベッドには、俺の姿はもちろん私物もないし、服もない。ってことは、俺が検査入院するよりも前か……。

 他に誰もいない四人部屋の病室に、愛は独りぼっち。部屋が大きいんだか、愛がちっちゃいんだか。前から知ってはいたことだけど、とにかくものすごい存在感の薄さだった。“生きる力”が弱いと、存在感も薄れるもんなのかもしれないな。


 ……その瞬間、俺は思い出した。

 そうだよ、どうして今まで気付かなかったんだ。『四人目』っていう言葉に俺が既視感を覚えた理由。そんなの、簡単じゃないか。

 四人っていう数は、俺より前に愛との相部屋を経験していた人数だ。──つまり、愛に“生きる力”を吸い取られて、命を落としていった人の数なんだ。


『……また、ダメだったかぁ』


 不意に愛は、てへっ、と微笑んだ。

 それから布団を思いっきり剥いで、立ち上がった。愛が夜行性だってこと、今の今まで忘れかけている自分がいる。道理で目がぱっちりしてるわけだ。

『お婆ちゃん、最初はすっごく好い人だったし、仲良くなれるかなって思ってたのにな。……けど、私、悪くないよね。敗血症だって確定したあたりから、お婆ちゃん明らかに私のこと、遠ざけようとしてたもんね。その挙げ句が「もうこんな子とは同室にしないでちょうだい!」だもん』

 うわごとのように言いながら、愛は俺のいる窓辺へやって来る。やっぱり愛、俺のことはまるで気付いていないみたいだ。そうは言っても触れるのは怖くて、俺はふらふらと歩いてくる愛を避けた。

 町明かりを反射した愛の目は、潤んでいた。

『私、何もしてないのに。悪いことなんてしないし、できるはずなんてないもん。私……ただ、仲良くしたかっただけだもん』

 へにゃりと顔を崩すように、愛はおっかない動作で笑おうとする。さっきの微笑みはもう、とうの昔にどこかへ消えてしまっている。

『勝手にここを出て行って、勝手に死んじゃったのは、お婆ちゃんだもん』

 笑おうとするたび、愛の身体は不安定に揺れる。

『私……悪く、ないよね』

 絞り出された声は弦で引っ掻いたみたいに掠れていて、窓に映る愛の顔はどう見たって、笑えていなくて。

 その顔を眺めながら、俺は考えた。

 そうか。半月前に愛に別れを告げて出て行った患者の婆さんのその後の顛末を、さっき愛は松山さんに尋ねていたんだな。んで、ちょうど婆さんは死んだばかりで、そのことを松山さんは愛に告げたんだ。俺は、そこに居合わせているってわけか。

 俺が死んだら、こんな光景がまた、見られるのかな。

 心なしか透き通って見える掌を、愛に向かって翳そうとした刹那。──愛の瞳から、何かがきらりと煌めいて落ちていった。

 愛、泣いてる。

 そう気付くのに、少しの時間が必要だった。


『なんで……!?』

 ごつん、と愛は額を窓にぶつけた。跳び跳ねた涙の滴が、窓にぶつかって派手にひしゃげた。

 それでも愛は窓を睨み付けて、また額を打ち付けた。重たい音が病室に連続して響き渡った。

『どうしていつもこうなっちゃうの!? どうしてよ!? 私はもう誰とも仲良くできないっていうの!? そんな権利は私にはないっていうの!? どうして、どうしてぇ……っ!?』

 やめろよ愛、そんなに頭を打ったら……。さっき松山さんも言ってたじゃんか、ただでさえ頭痛が収まってないんだって!

 止めに入ろうと伸ばした腕が、愛の身体を突き抜けた。愛はついに窓に額を押し当てて、そのままずるずると(くずお)れてしまった。

『……分かってるよ』

 しゃくり上げながら、愛は叫ぶ。冷たい窓に向かって。

『私がお婆ちゃんを殺しちゃったんだよ。そんなの分かってるよ! 分かってるけど、そんなの、私にはどうしようもないんだもんっ……! 私がそうしたくなくたって、私の身体は勝手に……勝手に、ぃ……っ』

 もう、声になってない。それでも愛は叫んで、泣いて、また叫ぼうとする。


 俺が死んだら、こんな風にまた、愛は泣くのか?

 俺は胸に手を押し当てた。さっきよりも明らかに、鼓動が早くなっていた。

 愛が俺を殺したことになるんなら、俺は……愛を泣かせたことになるのか。大切に思ってきた人のこと、涙が枯れるまで、泣かせちゃうことになるのか……。


 二分くらいの時間が経った頃。涙でよれよれになった顔を、愛は腕で力強く拭った。病的に細いあの腕が、明るい月に照らされていっそう青白く見えた。

 それから腰を上げて、また、窓の前にふらりと立った。

 俯いたままの顔には髪がぼさぼさと垂れ下がっていて、表情も、目元も、ほとんど(うかが)えない。

『……私、いつまでこんなこと、繰り返せばいいのかな』

 使い古された弦の弾くバイオリンの音色みたいに、愛の声はボロボロに朽ちて聴こえた。

『もう、嫌だ……。早く死んじゃいたい……。このまま誰かに迷惑をかけ続けるくらいなら、私なんてもう、死んじゃえばいいのに……。でも、私がそんなことしたらお父さん、きっと、怒るよね。せっかく生き延びた命、棄てるんだもん。怒るよね……。

ねぇ、お父さん……。私、次こそは強い人に出会えるかな。私が“生きる力”を横から吸い取ってしまっても死んじゃったりしないくらい、強くて、優しくて、こんな私でも好いてくれるような人……。そしたら私、もう誰も死なせないで済むよ。ずっと憧れだった普通の生活、送れるよ』

 ぽつり、髪の間から白い光の糸が落下して。愛はまた、笑っていた。

『私、諦めないよ』

 笑っていた。

『欲張りだって言われたって、諦めないもん』

 笑っていた。

『諦め……ない……もん……』

 笑って。




 ──そこで、目が覚めた。


「はぁ……はぁ……」

 信じられないくらい息が上がっていた。勢いよく起き上がった俺は、胸の動悸を押さえ付けるのに躍起になった。くそ、呼吸のできない苦痛に比べれば、こんなもの……っ。

 左胸に手を当てて、何度も、何度も深呼吸をして。ようやく落ち着いた瞬間、視界がゆらりとぼやけた。

 かと思うと、その靄は一滴の涙に変わって、あっという間に頬を駆け落ちて行った。

 全身から力が抜けた状態のまま、俺はしばらく茫然としていたような気がする。


 愛はいつから、自分に“生きる力”を他人から奪う力があること、知ってたんだろう。

 もしかすると、ずいぶん早くから気付いてたんだろうか。だって愛はさっき、『お婆ちゃんを殺したのは私だ』って言ってたんだから。

 ──そうだとすれば、愛は同時に気付いてもいたんだな。そのことを知ったところで、愛自身にはどうしようもないんだってことに。自分は放っておいても誰かの魂を弱らせて、吸い取ってしまうんだってことに。

 そういや昔、俺に謝ったこともあったっけ。竹丘くんのことも巻き込んじゃったみたいだね、って。

 たはは。何だか恥ずかしくなって、ざらざらした声で俺は笑った。残響はあっという間に壁に吸い込まれて、狭い七三四号室はすぐにしんと静まり返った。

 あーあ。あの時の俺にはまだ、愛のことを受け入れてあげられる余裕があったのになぁ。

 余裕どころじゃない。俺、意気込んでたくらいだよ。俺が別の何かから無尽蔵の“生きる力”を手に入れて、そんでもって愛を助けてやるんだ──ってさ。できもしないのに、正義のヒーローなんか気取っちゃってさ……。


『私が“生きる力”を横から吸い取ってしまっても死んじゃったりしないくらい、強くて、優しくて、こんな私でも好いてくれるような人……』


 いつか愛の放った台詞が、その時、俺の心をどんと衝いていた。


 ……考えたこともなかった。

 あの言葉は、愛にとっては理想の隣人の姿なんだ。言い換えればそれは、愛の夢を叶えてくれる“希望”でもあったんだろう。そして、その“希望”に添える人間がいるとすれば。

 震える指を、俺は一本一本と折っていく。いくら“生きる力”を吸い取っても死ななくて、強くて、愛のことが大好きで、勝手に片想いなんかしちゃって……。

 そんなはず、ない。そんなわけあるか。だって愛にとって俺は──。そこまで声が出かかったところでようやく俺は、その『俺は』より先の答えを自分が持ち合わせていないことに気付かされた。そういえば俺、分かんない。愛が俺のことをどう思っていたのか、俺、一度でも真正面から愛を見据えて、尋ねてみたことがあったっけ……。

 そうこうしている間にも、かつて愛のかけてくれた言葉が次々に蘇っては、病室の隅の虚空へと消えていく。

『──いいよ。私、覚悟ならいつでも決められる。キスでもいいし、カノジョにだってなる』

『でも、何だか特別な関係みたいで……すごく、嬉しいな』

『友慈は、今まで私が出会ってきたどの『隣人』さんよりも、優しくて、私を気にかけてくれて、心配してくれて、何より……隣にいることを嫌がらないでくれる』

『ねぇ。信じても、いいんだよね。友慈のこと』

 俺、今までずっと、愛はただの“隣人愛”から、あの言葉をかけてきてくれているんだとばかり思ってた。愛はあくまで大切な友達(ルームメイト)として、俺に接してくれているんだって。

 でも、それは思い込みだったんだとしたら?

 自分が人の命を奪ってしまった事実に気付いていながら、抵抗する術を持たなかった愛にとって、俺はそんな悪循環を断ち切る可能性を秘めた救世主かもしれなくて。

 なおかつ、『自分を好いてくれる』──つまり心の拠り所にすることのできるかもしれない相手で。

 俺を“大切”だと言ってくれるその言葉の裏には、そこまでの意味が含まれていたのだとしたら……。


 俺、バカだな。

 本っ当にバカだな。

 自殺未遂なんて四字熟語じゃ語り尽くせない、俺がやらかしてしまったことの真実が、今に至るまで分からなかったんだから。


「愛」


 照明の消え失せた暗闇に、俺は呼び掛けた。

 なぁ、愛。お前ってほんとに存在感が薄いって言うか、そこにいるのが気付かれにくいって言うか……とにかくそういうやつだったのに、どうしてか俺、数日前まですぐそこで一緒に苦しんでた愛の存在感、忘れられないんだよ。今もそこで静かに寝息を立ててるんじゃないかって、そんな気がしてならないんだよ。これってやっぱり、図々しいのかな……。

 苦しいのを我慢して、立ち上がる。力が入らずにぐらつく足を、それでも懸命に前へ動かした。そうやって辿り着いた向かいのベッドに、愛の姿はない。

「愛……」

 もう一度、名前を呼んだ。やっぱり返事は返ってこない。

 はは、そうだよね。愛はどっか別の病室にいるんだったよ。伏見先生の言葉を記憶の中から捻り出して、バカみたいに笑った。病室の番号を完全に失念してしまってることに気付いて、もっと、もっと笑った。

 思い出したよ。愛、自分から別室を選択したんだっけ。俺から離れることを、自分の意思で選んだんだったっけ。


 愛にとっての俺は、身体と心の両方の支えになる存在だったんだ。俺が愛の存在を生き甲斐にしたように、愛は俺の存在が生き甲斐みたいなものだったんだ。

 その生き甲斐であるはずの俺が、引き止めた愛を力一杯突き放して、呆気なく命を絶とうとした。愛からすれば、それは『自分は誰のことも殺してしまう』ことと、『自分は誰からも愛されない』ことを、決定的に裏付けてしまう出来事だったんだろう。単なる衝撃とか悲しみとか、そんなありふれたもんじゃない。俺が自殺を企てたことは、愛を見捨てたこと──或いは愛に完全な絶望を突きつけたことと同じことなんだ。そのくらいのことを、俺は無自覚のうちにしでかしてしまったんだ。

 こんなことになる前に気付きたかった。もう、手遅れなのかな。手遅れだよな。

 そうだよな、と力なく俺は呟いた。

 この狭い病室には、もう俺しか残されていないんだもの。

 もう俺の声も、言葉も、何一つとして届かないほど、愛は遠くに行っちゃったんだもの……。

 手遅れでもいい。この先、俺がどんな責め苦を負ったっていい。それでいいから謝りたい。愛の気持ちをズタズタに引き裂いた俺の愚行を謝りたい。そう、強く思った。

「愛」

 震える声で、名前を呼んだ。

「愛、俺だよ。友慈だよ」

 返事がないのは分かっているのに、そう呼び掛け続ければ何かに届くような気がしてならなくて。

「ごめん、愛」

 俺は言葉を声に乗せ続ける。

「俺、愛を傷付けたいなんて思ってなかったんだ……。本当だよ。本当だから、信じてよ。もうほんの少しで死んじゃうのでも構わないから、俺……前みたいに愛と笑ったり、泣いたりしたいよ……」

 愛の声を笑い飛ばすことなんて出来やしない。肺も、喉も、ほんの二週間でひどく傷んでしまった俺の言葉は、どれも死にかけの病人然とばかりに掠れてしまっている。今ここに鏡があるのなら、そこに映った俺の顔も、きっと。

 愛はこんな俺のこと、怖がるかな。俺は怖がらないよ。愛がどんなに(やつ)れたって、顔を歪めてたって、大好きな人を醜いとか怖いなんて思うもんか。恐れていたのはむしろ、俺の方だ……。

「どこにいるんだよ。教えてよ、そしたら今からそっち、行くよ」

 ──それとも俺になんか、もう教えてくれない?

「愛!」

 ついに俺は怒鳴った。ああくそ、部屋の機械がうるさいんだよ! 特にお前だぞ、頭の脇に据えられてるベッドサイドモニター! 心電図がうねるたびに不快な音を立てんの、ずっと前から気に入らなかったんだよ!

 壁の吸い込みきれなかった声が、乱反射して部屋の空気を揺らす。

「聞こえてるなら返事してよ! どこにいるんだよ、愛……っ!」

 嗄れた自分の声に四方から包まれながら、それでも俺、叫んだ。

 気付いた時には、涙が溢れ出していた。何の涙だったんだろう。もうさっぱり、分からないよ。

 病室のドアが開いた。あんまりうるさくしていたからか、夜間当直の清戸さんが様子を確認しに来たんだ。

「ど、どうした竹丘く──」

「愛はどこですか!?」

 戸惑いを隠しきれずに駆け寄ってきた清戸さんに、俺は吼えるように尋ねた。清戸さんは愛のことをよく知っているはずだ、だったらもしかすれば……。

「ちょっと待って、とにかく落ち着こう。今はまだ夜中なんだぞ」

「いいから教えてください! でないと俺、俺……っ!」

「落ち着きなさいっ!」

 清戸さんの一喝。俺は勢いを削がれて、ぐらりとベッドに座り込んでしまった。

 ああ。清戸さんの向こうに、病棟の廊下が明るく浮かび上がってる。あの光を背に受けた清戸さんの姿は、大きい。あそこに立つと誰だって大きく見えるんだ。

 落ち着きなさい、と清戸さんは押し殺した声で繰り返した。

「いいかな。野塩さんに限ったことじゃなく、他人の病室のことを私たちは安易に口外してはならないんだ。病棟を管理する立場上、知っていなきゃならないのはもちろんなんだけど」

「だったら──!」

「野塩さんに関しては、教えないでほしいと本人から特に要望が来ている」


 ……その答えだけでも、俺にはもう、十分だった。

 そっか。愛はもう、一人で病気と戦う覚悟を決めたんだ。

 だからこそ、俺との関わりを断とうとしてるんだ。

 俺なんかに愛の本心なんて分かるはずもない。でも多分、そう。


 俺はもう、清戸さんの目を見ることすらできなかった。

「眠れないなら……」

「いえ、いいです」

 提案の内容が容易に予想できて、俺は即、断った。

 ホットミルクなんて要らない。あんなのを飲んだら、また思い出してしまいそうになる。あの夜、夜の病院を見下ろしながら愛と交わした会話を。温かな吐息を、柔らかな肩を。愛しさを。

 じわりと滲むように頭痛が始まった。清戸さんには悟られたくなくて、俺は懸命にこらえながら元のようにベッドに寝転がる。清戸さんがそっと優しく、布団をかけてくれる。

「…………」

 俺が泣き喚いていた理由には一切触れないまま、清戸さんは黙って病室を立ち去っていった。後にはただ、俺が鼻を啜る音と、心電図が時を刻む音だけが、いつまでも響いている。俺に終わりの時が近付いていること、こうやっていると嫌が上にも分かってしまう。だから心電図は嫌いなんだ……。




 もしも、心電図を嫌わなかったら。

 CTやMRIを嫌わなかったら。

 放射線治療の線形加速器(リニアック)を嫌わなかったら。

 夢に出てきた愛のようなアイツを、嫌わなかったら。

 何もかも嫌うことなく、素直に受け入れていたなら。

 愛との距離を近付けるのを、怖がらなかったら。

 ……こんな後悔なんて、しないで済んだのかな。


「愛…………」


 自分で口にしたその名前に溺れ、沈んでいくみたいにして、俺はまた眠りの中へと落ちていった。







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