表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君と俺が、生きるわけ。  作者: 蒼原悠
第四章 君と涙と“Valediction”
30/48

Karte-27 最期の衝動





 ──その手首が、誰かに掴まれた。


「────!?」

 誰だ、邪魔すんな! そう思って振り払おうとした腕が、ずきんと強く痛んだ。くそっ、点滴を刺した痕の痛みだ……!

 その間に背後の誰かは、俺の手からシャープペンシルを強引に奪還しようとする。

 させない……っ!

 必死に抵抗しようとした俺の耳に、にわかには信じられない音色の声が飛び込んできた。

「友慈っ!」

 愛の声だった。

 どうして? どうして愛がここに!? 寝てるんじゃなかったのか……!? 混乱した拍子に力が抜けて、すかさず愛がシャープペンシルを手から掠めていった。ペンがすり抜けていった軌道の上に、金属の冷たい感覚が鮮やかに残っている。

 正面の窓に映る愛は、肩で息をしながら俺の背中を見つめていた。その腕から、一筋の血が流れ落ちているのが見えた。俺と同じことをしたんだ──俺にはすぐに、その訳が分かった。


「ずっと、起きてたの」

 愛の声は震えていた。

 その足が一歩、二歩と後退したかと思うと、腕を伸ばした愛は静かに病室のドアを閉めた。

「そしたら、友慈が起き上がって、何かを私の枕元に置いていった。トイレだったら看護師さんを呼ぶか、点滴のスタンドを連れて歩くはずだし……。どこに行くんだろうって気になってついて行ったら、ここで……友慈が、首元に……」

 くそ……! 病室のドア、ちゃんと閉めて鍵くらい掛けておけばよかった!

 後悔で歯ぎしりでもしたい気分だった。せっかく、せっかく孤独になれたのに。せっかく訪れたチャンスだったのに。愛の目の前でなんて、死ねないよ……!

「友慈。これ、どういうこと」

 いっこうに何も口にしない俺に、愛はシャープペンシルを見せた。暗闇に鋭利な光がきらめいて、俺はいつでもお前を殺せるぞ、って言ってるみたいだった。

「こんなの首元に刺したら、友慈、死んじゃうよ……。どうして……?」

「…………」

「教えて、友慈……」

「……死にたかったんだ」


 迷いはあったけど、結局、俺は正直に答えてしまった。

 そうせざるを得なかった、っていう方が正しいかもしれない。だって、愛は俺がシャープペンシルを突き刺そうとしているところを、後ろから確かに見ていたんだぞ。今さら他に、どんな言い訳ができるっていうんだ……。

 だけど本当は言いたくなかった。言ったら最後、愛に抵抗されるのは分かりきっていたから。

 そして案の定、愛の表情は一瞬のうちに引きつった。

「……どう、して」

 さっきと同じ言葉を口にした愛の瞳が、暗かった。まるで刷毛でなぞったみたいに、尋ね返す声もひどく掠れていた。

 やっぱり話さなきゃ、駄目か……。早々に観念した俺は、手始めにため息を一つ漏らして、それから口を開いた。




 俺が、死にたい理由。


 もう余命がない。どうせあと少しで死ぬんだから、自分の意志でどうにかなるうちに自分の手で、この命を終わらせたい。

 もう余命がない。救われる見込みもないのに延命に励んで、その分の治療を行えなかったどこかの誰かに死なれたら、責任はきっと、俺にある。

 もう余命がない。いま死んでも後で死んでも俺からしたら大して変わりはしないけど、“入院”している状態が長引けば、うちの家計はきっと厳しくなる。そうでなくても俺、色んな治療を受けてるから、費用がかさんでいるに違いないのに。

 もう……余命がない。




──『本当に、そんだけかよ』


 その時、不意にどこからか、俺を嘲るような誰かの声が聞こえた。

 そうだよ。それだけだ。それだけで何が悪いんだよ。

 言い返した俺に、誰かの声はひび割れた笑い声を上げる。そうだ、これ……ずっと前に聞いた、理性の声だ。

 灯火を消すように笑い声を止めたその声の主は、俺の耳元に口を寄せて、目を見開いた。

──『違うだろ。お前にはまだ、隠してる本音があるんだ。もしくは気づかない素振りをしているだけか』


 正直……俺、驚いたよ。

 自分がそのことにちゃんと気付いているなんて、思っていなかったから。




「──っげほごほっ!」

 急に喉の奥から上ってきた何かを、俺は受け流すことができなかった。思いきり噎せて、咳き込む。

「大丈夫!?」

 愛が駆け寄ってきた。

 愛、お前ってほんと、優しいな……。だけどその優しさ、今の俺には嬉しくないよ。背中を擦ろうとした愛の手を撥ね退けて、俺は咳をしながら言った。

「もう、長いこと、頻繁にこんな風に苦しむことが続いてるんだ……。頭も痛いし、身体中も痛いしさ。病気で苦しめられ続けるのが、どうしても、どうしてもつらくて……」

「友慈……」

「それにさ……、もう先の長くない俺だもん、わざわざ長生きできるようにするのもムダだし……なんか、バカらしく思えてさ……」

 ああくそ、言ってるそばから吐き気が……!

 何度も何度も喉につばを飲み込んで、床に手をつきながら必死に吐き気に抵抗する。そんな俺を、愛は真横に立ち尽くしながら見つめている。

 明らかに、動揺してる。

 今なら、あのシャープペンシルを奪い返せるか? 目を細めて算段した俺は、押し倒してしまえばそれが可能なことにすぐに思い至った。そうだよ、愛はすぐ隣にいるんだぞ。ちょっと勢いを付けて飛び掛かればいいんだ。簡単じゃんか。

 今ならまだ、間に合う。本当のことを話さないまま、愛の前から消えることができるんだ。愛の気持ちを、一番ましなカタチで傷付けられるんだ。

 早く。早く。早く!

 何回も、何回も、そうやって俺は自分を奮い立てようとした。……だけど身体がついに、動かなかった。

 そしてそうこうしているうちに、手遅れになった。愛は首をぶんぶん振って、涙目で俺に訴えてきたんだ。

「分かるよ。痛いのも、苦しいのも、私には分かるよ。私だって同じ病の患者だもん……」

「…………」

「だけど私、やっぱり友慈には死なれたくないよ……。余命がどんなに短くても、友慈には生きること、諦めてほしくない……」

「……どうして」

 俺は静かな声で、そう聞き返した。

 この声、前にも母さんに対して吐きかけたことがあったなぁ……。あの時の罪悪感が込み上げかけて、頭をぶんぶんと振って追い出した。疼痛で首が千切れそうになった。

 分かんない、と愛は首を振る。

「なら、いいよな。そのシャーペン、返してよ」

「嫌だ」

「だったら教えてくれよ。俺、具体的に何をしたら、前向きに生きられるようになるって言うの」

 畳み掛けるたび、愛は唇を噛んでうつむいてしまう。

 意地悪な質問なのは分かっていた。そんなの承知の上だ。ここで愛が説得力のある答えを出してくれるんなら、むしろ俺、シャープペンシルなんて床に放り出して、喜んでそれを受け入れただろう。

 だけど、愛はとうとう一度も、口を開くことはなかったんだ。

 ああ。血のように広がっていく失望の感覚が、自殺したいっていう気持ちをまた熱く熱く燃やしていく。

「……死なせて」

 ぺたんと座り込んだ愛の手から、俺はそう言ってシャープペンシルを取ろうとした。

 ダメ、と愛が呟いた。愛は途端に手に力を込めて、シャープペンシルを強く強く握りしめた。

「理由なんて、分かんないよ」

 声がまた、震えてる。

「だけど……。友慈は私の大切な人だって、前にも言ったじゃない。大切な人に死なれたくないって思うことに、理由なんて……っ」

 すがるように俺にすり寄った愛は、シャープペンシルを握る手の力は決して緩めないまま、俺の顔を覗き込んだ。そうするのが一番に効果的なのを、知っているみたいに。

「友慈が私のことをどう思ってくれたって構わない……! でも私は、私には、友慈は…………!」




 やっぱり、俺。

 駄目みたいだ。


 愛の顔を直視した、その瞬間。俺はそう確信した。

 何だかんだと理由をつけて、誤魔化してきたつもりだったけど。やっぱり、誤魔化しきれなかったんだ。

 俺が愛のことを、好きだったんだってこと。

 寝顔を眺めると安心して、経験もないのに一度は無謀な告白に挑もうとして──そのくらい愛のことが大好きで、愛しくてたまらないんだってこと。

 胸に感じる本物の苦しさなんて、そんなものはどうだってよくて……。

 俺が、俺が本当に苦しくて、死にたくなるほどつらかったのは……!




「お前のこと、俺はもう守ってやれないからだよっ────!」


 気付いた時、俺はそんな魂の叫びを愛に向かって叩き付けていた。


 しまった……!

 何を口に出してしまったのかを悟った俺の顔からは、血の気がものすごい速度で引いていった。

 愛は無言で応答した。ぽかんと開いた口が、目が、俺の抱える絶望をいっそう深くしていく。

 ああ。ついに言ってしまった。今さら隠し通そうとしたって無駄だ。俺の最後の願いも、希望も、今この瞬間に絶たれてしまったんだ。バカ、俺のバカ……っ!

 俺は、うなだれた。それから、目尻に浮かんだ涙を、そっと拭った。

「……俺、約束しただろ。愛の力になるって。愛に“生きる力”を注いでやれる存在になるって……」

「うん……」

 俺に釣られたのかな。愛も、くすんと鼻を鳴らしている。

「だけど俺、余命があったことを知らされた瞬間、先が真っ暗になった。もう一ヶ月も経たずに死ぬんだって考えたら、何もかもが儚く思えてきちゃってさ……。生きようとしてもがくことに、意味を見出だせなくなっちゃったんだ……」

「……友慈……っ」

「たぶん、俺、もう余命が尽きて死ぬまでこのままなんだと思う。“生きる力”をまるで失った状態のまま、愛の隣で苦しんで、痛がって、弱っていくんだ……。だけどそしたら、俺が長生きすればするほど、お前はいつまで経っても“生きる力”を得られないままになる……。俺のせいでお前まで死んだら……俺、何て自分を責めたらいいのか、分かんないよ」

 握り締めた拳が、痛かった。心地のいい痛みだった。

「……でも、お前が何も知らない間に俺がさっさと死んじゃえば、お前は無理やりでも俺から離れられるんだ。また誰かの庇護の下で、命を繋いでいけるんだよ。──だけどもう、それもおしまいだ。お前がそのことを知っちゃった時点で……もう、何もかも……!」


 瞬間、身体中が(たぎ)るように熱くなって、動かなかった俺の腕が愛の手元に伸びた。

 その時、ほんの一時だけ愛の表情が見えて、力にブレーキがかかりそうになった。だから代わりに俺は、本気で愛の手を抉じ開けた。

 愛自身もショックで茫然としてたんだろうな。抵抗もほとんどなく、簡単にシャープペンシルは俺の手のひらの中に戻ってきた。

 気付いた愛が慌てて掴もうとしてきたけど、すぐに俺はシャープペンシルを愛の手元から引き離して、首に()()った。

 愛の絶叫が、病室に響き渡った。

「駄目──────っ!!」


 その時にはもう、俺は目を固くつぶって、喉元を目掛けてシャープペンシルを突き刺していた。




 へぇ、初めて知ったよ。

 麻酔もしないで鋭い物を身体に突き刺すと、こんな痛みになるんだな。

 痛みそのものも、こんなに鋭くなるんだな……。




 目論見では喉を貫かせるはずだったのに、病気で弱っていた俺には力が足りなかったのか。それとも思ったより遥かに、首の骨は頑丈だったのか。シャープペンシルは何かに突き当たって思いっきり右に逸れ、喉にほとんど刺さらない段階で止まってしまった。

 それでも効果はてきめんだった。突き刺した場所から、どろどろと勢いよく赤い液体が流れ出したからだ。

 動脈かな、静脈かな。どっちでもいいや。こうやって血が流れて足りなくなれば、大量出血でじきに死ねるだろうし……。大量出血で死ぬ時って、意識がなくなるから苦しまないで済むみたいだし……。


 あはは……。俺……やっちゃったな……。







評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ